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サイドカーに罪を添えて〜理性的な外科医の特権愛〜  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
cocktail.07 治療

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07-03.


凍えそうなほど寒くて、体の動きが酷く鈍い。いつも通りには動いてくれない震える手では、胸元のボタンをなかなか外せなかった。

着替えている間中、甘いにおいが体から漂って、肌が赤くなるほどタオルでゴシゴシと強く擦る。

着替え終わっても鼻をつくようなカカオとブランデー、そしてナツメグの強いにおいは消えず、それは吐き気を催すほど。

寒くて仕方がなくて、うずくまって自らの体を抱え込む。

早くバーカウンターに戻らなくてはいけないのに、なかなか足が向かない。更衣室から出るのが怖くて仕方がない。

そんな自分と必死に闘った。



「チーフ、戻りました。すみませんでした」

「……大丈夫か?」

「はい、何の問題もありません。ご迷惑をおかけしました。仕事に戻ります」


私は震えを隠してバーカウンターに立った。


それから閉店までの数時間、私は頭が鈍ったまま、息の詰まる思いで仕事を続けた。

バーカウンターに立っていると、周りでひそひそと話す声や笑う声が全て自分に向けられているようで、怖くて顔を上げられなかった。

今すぐここから逃げ出したくなる。でも仕事を放棄して逃げることなんてできない。そんな弱い自分なんて見せたくない。しっかりしなくちゃ……。

そう思うのに足元はグラグラと揺らぎ、手は震える。

カクテルのレシピは体で覚えていて、あまり頭が働かなくても作ることはできていたと思う。

ただ、カクテルをゲストにサーブする時、手が震えてどうしようもなかった。

また顔を覚えていなかったらどうしよう。また作るカクテルを間違えたらどうしよう。またゲストの機嫌を損ねたら――止めたくても止まらない震えを、ごまかしごまかしカクテルを作り続けた。

着替えたはずなのに、胸元に広がる冷たい感覚はいつまでも消えず、体が冷え切ったままだった。

そして途方もなく長く感じた営業時間が過ぎて、閉店の時刻を迎えた。


「堀田、ちょっと来い」


閉店後すぐ、皆川さんに呼ばれてミーティングルームへ向かった。


「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


皆川さんは何か言いたげな顔をしながら、息を一度吐き出して私に告げる。


「今日のことは、きちんと原因を追及する。話を聞きたい時は呼ぶから、その時は話を聞かせてくれ」

「はい」

「堀田は明日休みだな?」

「はい」

「ゆっくり休め」

「はい、お疲れ様でした。お先に失礼します」


頭を下げて挨拶をし、私は皆川さんに背を向ける。


「堀田」


すぐに皆川さんに呼び止められて足を止める。

皆川さんがいつになく不安そうに見つめていることがわかる。心配してくれているのが伝わってきて、私は微笑みを返した。


「お客様の機嫌を損なうことは初めてではありませんし、ミスをしたのは私ですから。本当にすみませんでした。では失礼します」


私は再び皆川さんに背を向けた。

――まだ大丈夫。我慢できる。家に着くまで我慢するんだ。


私は従業員通用口を出て自宅マンションへ向かった。

いつもより狭まって感じられる歩道をスタスタと真っ直ぐに足を進めていると、自分の息づかいだけが耳に響く。通り沿いのイルミネーションがぼんやりと滲みながら光っているのがわかる。でもそれを見上げることはなく、ただひたすらに自宅へと足を進める。

そしてマンションに着くと、エレベーターで上って自宅のドアの鍵を開けて部屋に入った。

グイッとノブを引いて急いでドアを閉めると、それを機に無理やり閉じ込めていた恐怖心が一気に噴出。

途端に息が荒くなり、背筋をゾッとするような寒さが襲い来る。

そしてだんだん息苦しくなってきて、私は玄関にうずくまって座り込んだ。

――今日、一体何が起きたのだろうか。どうしてあの女性ゲストはあんなにも怒ったのだろうか。

カクテルをかけられた時に見えた冷酷そのもののような女性の顔と怒声、胸元の凍えるような冷たさが頭から離れない。

そして新規のゲストのはずなのに、あの女性はおかしなことを言っていた。


『何度言ったらわかるの? アレキサンダーはジンベースで出してと言ってるじゃない!』


新規じゃない? でも、佐々木さんは新規だと言っていたし、私も見たことのない客だった。


『一流ホテルのバーテンダーがこんな接客だなんて呆れるわ!』

『こんな客の顔も覚えられないようなのばかり。この店も終わってるわね』

『三流のバーテンダーなんていらないのよ。あなたみたいなのは向いてないわ。さっさと辞めなさいよ!』


顔を覚え損なった? 私なんていらない?


「私……バーテンダーに向いてないの……?」


そう思うと目の前が真っ暗になる。

私にはこれしかない。ずっと頑張ってきた仕事だ。

一度は世界の舞台を諦めようとして、そしてまた頑張ろうと思えて目標も見えてきた。

バーテンダーとしての自分しかいないのに、辞めてリセットした方がいいの? 

そうしたら……私には一体何が残るの? 


「私には……何も――……」


途端に真暗闇のような不安が私を襲う。

心に刺さる無数の棘が、深く深く入り込んで息が苦しい。

それと同時に、浅い呼吸を何度も繰り返していると――


「――ッ、な……何ッ……?」


次第に呼吸が上手くできなくなった。


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