06-14.
それから三日後、皆川さんの指示で女性二人組のゲストを担当することになった。
「いらっしゃいませ」
「あの、私たち、バーって初めてなんですけど……」
なるほど。皆川さんがわざわざ私に担当しろと言ってきた意味がわかる。
そして私の顔を見て、すでに萎縮気味の女性二人。
このままでは、かつて喜多見さんが見送ったゲストの二の舞だ。
皆川さんに言われたことを思い出せ……思い出せ……。
『まあとにかく、素人にももう少し優しく。ゲストをよく見る。しっかり話を聞く。そして、スマイルだ』
そうだ、スマイル! 最初はギギーッと音の鳴りそうなものだったけれど、ここ数日でキキッと小さな音が鳴る程度にマシになったはず!
私は存分に練習の成果を発揮すべく、笑顔を浮かべた。
するとゲストの二人はポカンと私を見る。
やっぱりまだ下手!?
いやいや、スマイル以外も実践するんだ。そうだ、私は今、『バーテンダー・堀田文乃』。目の前のゲストが気持ちよく過ごせるようにおもてなしをする。そのために自分を作り上げる。
皆川さんは言っていた。理想のバーテンダー像を自分に重ねて、理想の自分を演じろ、と。
誰をイメージしよう。
その時に思い浮かんだのは、私が大学生の時に接客してくれたベテランバーテンダー。ホッとするような穏やかな微笑みで……。
「どうぞ緊張なさらず、ゆっくりとお過ごしください」
「あ、ありがとうございます」
声のトーン、口調、表情に気を配ってみた。次は観察。そして話を聞く。
「お飲み物のご希望はございますか? お好みに合わせてお作りすることもできます」
「どうしよう……。カクテルって、『シンデレラ』くらいしか飲んだことなくて……」
「ノンアルコールがお好みですか?」
「えっ!? あれってノンアルなんですか?」
「ええ」
「うわ、知らずに飲んでた……。なんかすごく美味しくて飲みやすいなって思ったけど……恥ずかしい」
どうやらカクテルには詳しくないご様子。
女性ゲスト二人は「リコって、そういうところ昔から変わらないね」「ごめーん」と話して顔を見合わせて苦笑いしている。
素人だって大事なゲスト。どんなゲストでも尊敬の気持ちを常に持つ。
「カクテルにはジュースのように感じられるほど飲みやすいものもありますから、無理もないことかと」
私がそう言うと、リコさんがほっとした様子で目を輝かせる。
「そうですよね! ゴクゴク飲めちゃうのある!」
女性ゲスト二人は「ゴクゴク飲んで潰れないでよ?」「もう、相変わらずお母さんみたい」「お母さんじゃないし!」と話して笑い合っている。少し緊張が解けたようだ。
『昔から』『相変わらず』か。
「お二人は、お知り合いになって長いのですか?」
「はい。私たち高校の時の同級生で、すごく久しぶりに会ったんです。それでちょっといいホテルに泊まっちゃおう、ってなって、それでここに」
「そうですか……」
『シンデレラ』が美味しくて飲みやすかった。そして久しぶりに会った二人……。
そんな話を聞いて、私はハッと閃く。
「お客様、もしよろしければ、『オリンピック』というカクテルはいかがでしょうか?」
「オリンピック……ですか?」
「はい。ブランデーとオレンジジュースを使用した、フルーティーで飲みやすいカクテルです。今日のお二人にぴったりかと」
「私たちに? それはどういう……?」
「実はこのカクテルのカクテル言葉は――」
しばらくして、カクテルを飲み終えた二人が満足そうな笑みで店から去っていく。
私はバックヤードに入ると、小さくガッツポーズをした。
カクテル『オリンピック』。
カクテル言葉は『待ち焦がれた再会』。
二人は「私たちにぴったり」と喜んでくれた。
そして「美味しいね」と頬を緩ませていた。
よかった……。
そう思って気づく、久しぶりのこの感覚。
バーテンダーになったばかりの頃は、ゲストに喜んでもらえるだけで心が弾むようだった。
いつの間にか技術の向上ばかりに囚われて、すっかり忘れてしまっていた。
初心忘るべからずだ。
そして理想のバーテンダー像を思い浮かべて接客することで、客観的に自分を見ながらゲストへの対応ができたように思う。
少しずつ『バーテンダー・堀田文乃』を作り上げていこう。
新しい目標ができた。
「よし、続けてみよう」
鼻歌でも飛び出しそうなほどの喜びに浸っていると、背後で突然、何かがひっくり返った音がする。
驚いて振り返ると、バックヤードに置かれていたゴミ箱が中身を飛び散らせて転がっていた。
「えっ……」
誰かが去って行く足音が微かに聞こえる。
何が起きたのかわからないまま、私は困惑と不安を胸に抱きながらゴミを片付けた。
(何これ……誰かが蹴飛ばした?)




