06-11.
翌日――
「堀田さん、今日来るのかな。ショックで寝込んでるかも」
「そういうタイプじゃないだろ」
「チーフになれなくてかわいそうにな」
「お前それ、全然心こもってない」
「わ、バレた?」
「ひっでー」
アハハと数人のスタッフたちが笑う声が聞こえる。
私は身を潜めながら深く溜息をついた。
こういう人たちとどうやって社交的に接していけばいいのだろう。
あまり好かれていない自覚はあったけれど、ここまで来ると――
「最早イジメだな」
「ヒッ……」
私の耳元で後ろから囁いたのは皆川さんだ。
私は驚いて耳を押さえながら距離を取る。
近すぎる皆川さんにちょっと警戒する。冗談とは言え、皆川さんが口にしたセクハラ発言は私の頭にしっかりと刻まれているのだ。
「皆川さん……本日はどういったご用件ですか?」
「何だよ、冷たいな。次期チーフがいつ来たっていいだろう」
次期チーフ。いちいち腹の立つ言い方だ。
私の気持ちを察したように、皆川さんはハハッと笑って告げる。
「繁忙期ほどスタッフや店の様子を見るのに適している時はないからな。見学だ」
適当そうに見えて案外真面目な人らしい。
「そうですか。ごゆっくり」
皆川さんの前から去ろうとすると、「堀田」と呼び止められる。
「はい?」
「お前、いつからこんな感じなの?」
陰口のことだろうか。
「いつからって……最初からです」
皆川さんは何かを考えたあと、私を再び見る。
「ニコッと笑ってみろ。スマイル」
「……嫌です」
「上司命令」
「まだ上司ではないので、聞く義理はありません」
「ダーッ、めんどくせー。いいからニコッと笑ってみろ。スマイルだ」
スマイル。接客する時みたいに?
私は微笑みを浮かべる。
すると――
「それじゃねぇ」
「えっ……」
「もっと心からのスマイルだ」
私は仕方がなしに、ギギーッと音の鳴りそうな笑顔を作る。
すると皆川さんはブハッと吹き出して笑った。
「ダメだこりゃ。堀田の今後しばらくの目標は、仕事中も笑顔で過ごすことだ。頑張れ。じゃあな」
何なんだあの人は。
それにしても笑顔とは……。
「愛想を振り撒けって言うの? ごめんだわ」
私は首を傾げつつ仕事に向かった。
「堀田さん、おはようございます」
バーカウンターに出ると、五十嵐君がいた。
そういえば告白されて、断りを入れたのだった。
チーフになれなかったことや、久我さんの店に行った時のことで頭がいっぱいで、申し訳ないが頭からすっかり抜けてしまっていた。
「あの……堀田さん大丈夫ですか?」
恐らくチーフの件を気にしてくれているのだろう。
昨夜、久我さんや皆川さんと話したおかげか、気分がスッキリしているのを実感していた。むしろ、ワクワクさえ感じられるほどだ。
「平気よ」
はっきりそう答えると、五十嵐君は寂しそうな笑顔を浮かべる。
「……昨日のあの人のお陰ですか?」
あの人とは、弘臣さんのことだろう。
一番辛い時に気持ちを支えてくれた弘臣さん。ずっと抱きしめて、背中を撫で続けてくれた。
そして久我さんや皆川さんと話している時も、そばで温かく、優しく、包み込むように見守ってくれた……。
「堀田さん、顔真っ赤ですよ」
「えっ、嘘!?」
慌てて顔を隠すと、五十嵐君はフッと笑って人懐っこい笑顔を向ける。
「あーあ、結構残酷っすね。まぁ、昨日のでも充分ショックでしたけどね」
「……ごめんなさい」
「いいえ、おかげで少しスッキリしました。あの人、彼氏なんでしょ?」
「ううん、違う」
「そうなんですか? でも堀田さんは、あの人のことが好きですよね?」
五十嵐君にはきちんと誠意をもって伝えたほうがいいだろう。
「うん。もうずっと何年も前から。完全なる私の片想いだけどね」
割り切って自虐気味に答えると、五十嵐君はポカンと口を開ける。
「へー……すっげぇ鈍感」
「えっ?」
「何でもありません。さ、今日も働きますか」
「そうね」
「……これくらいは許してくださいね」
「えっ? さっきから何?」
「いいえ、何でも」
ニコニコ笑う五十嵐君。
変なの、と思いつつも、開店準備に取りかかった。
クリスマス前から年末年始にかけての繁忙期は怒濤の忙しさ。
皆川さんにはプライベートも適当にするなと言われたものの、さすがに現を抜かす時間なんてなかった。
弘臣さんに会う時間もなく、プライベートの充実とはほど遠い日々が過ぎていく。
それでも24日のクリスマスイブの水曜日、弘臣さんにメッセージを送ることができたのは、例年より進歩した点だと思う。
『今日はクリスマスイブですね。弘臣さんは何をして過ごすんですか?』
出勤前のメイクをしながらそう送って後悔。
知りたくなかった返事が来たらどうしよう……。
ドギマギして返事を待つ。
するとすぐに返事が来て、緊張しながら画面をタップ。
『昼間は仕事。夜は自宅。通常通りだ』
ホッと胸をなで下ろす。
女性の影でもチラつこうものなら、立ち直れなくなるところだった。
するとすぐにもう一件メッセージが届いた。
『間違えた。通常通りではないな』
そうなの? まさかやっぱり女性の影が……。
再びドギマギしながら『何か違うの?』と返す。
すると――
『違うな。通常通りなら、水曜の夜は君と会うだろう? 今夜は君に会えない』
手に握っていたチークブラシが、ポトリとテーブルに落ちる。
この人は、なんて恐ろしい人なのだろう。どうせ特別な意味なんてないのだろう。
でも水曜の夜は二人で会うことが弘臣さんにとっても『通常』になっているなんて、嬉しく思わないはずはない。
「クリスマス、弘臣さんと一緒に過ごせたらよかったのにな……」
クリスマスに仕事があることを、初めて残念に思う自分がいる。
私は弘臣さんへの返信を考える。
『クリスマスイブ、一緒に過ごしたかったですね』
そう打ち込んだのを数秒眺めて一気に消す。
ないわ。付き合ってもいないのに、こんなことは恥ずかしくて送れない。
しかも、『別に』とか返ってきたらどん底まで落ちる。
『弘臣さんに会いたかったです』
ダメ。好意が丸見えな気がして送る勇気が出ない。また一気に消す。
『そうですね。休み返上でお仕事です』
無難な返事にした。
するとすぐに弘臣さんから返信が来る。
『繁忙期か。忙しいのだろうな』
『弘臣さんほどではありません』
『そうか。体を壊すなよ』
弘臣さんの優しさに私は微笑む。
『わかりました。弘臣さんも仕事のしすぎに注意ですよ』
『わかった』
こうして、大した色気もないやりとりを終える。
少しでも好意がバレて、今の関係が崩れたら嫌だから、これでいいんだ……。
(クリスマスイブか……)
クリスマスプレゼントを弘臣さんに贈るなら何がいいのかな、なんて考えてみる自分もまた、例年と比べて進歩していると思える。
小さく小さく前へ進む。
忙しさに追われて日々が過ぎていく。年が明け、繁忙期が過ぎ、ついに喜多見さんの退職の日が来た。
花束を受け取ってバーを出て行く喜多見さんを私は追った。
「喜多見さん!」
「ああ、お疲れ様」
「お疲れ様です。あの……皆川さんからお話を伺いました。今回の人事、希望したのは喜多見さんだって」
喜多見さんは私を見つめて優しげに微笑む。
「本来なら明日から君はチーフになっているはずだった。それを阻んだのは私だ。恨んでいるかい?」
ショックを受けたのは確かだ。まだ何が解決できたわけでもない。でも私にもう一度目標に向かうきっかけをくれた。
「いいえ、恨んでなんていません」
「おや。それは意外だ」
「私、もう一度頑張ってみるって決めました」
「そうか。それならよかった」
「喜多見さんのおかげです。本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「君ならもっと上を目指せる。今後の活躍に期待しているよ」
ニッコリと微笑んで去って行く喜多見さん。
影ながら私を支えてくれた人だ。
心から敬意を込めて、そして感謝を込めて、私は姿が見えなくなるまで背中を見送った。




