06-10.
皆川さんから語られた喜多見さんの言葉。
『バースタッフを纏められない』
『ストイックさが災い』
『残念ながら柔軟さや社交性にはやや欠ける』
そんな言葉に、私の心の中で真っ先に湧いたのは苛立ちだった。
「そんなの、みんながありもしないことを勝手に噂して、私のことを決めつけるのが悪いんじゃない! だから私は、誰よりも高い技術を身に付けて、誰にも文句を言わせなければいいって思ってやってきた。それなのに……」
なかなか実力を認めてはもらえない。だからさらに実力を付けようと、どんどんストイックになっていく。それでも、女だから、美人だからと、私の努力なんて考えもせず、パーソナリティーばかりで悪い噂を立てられる。
そんな状況でどうやって柔軟に、社交的にスタッフたちと接すればいいというのだろう。
方法があるなら教えてよ。私にどうしろって言うの?
そう言いたいのを我慢して唇を噛みしめていると、皆川さんが話し始めた。
「確かにな。スタッフのことに関しては、俺も堀田一人に問題があるとは思っていない。だけどな、『ストイックさが災いして柔軟さや社交性に欠ける』って話は、スタッフとの諍いのことだけじゃないんだ。ゲストに対しても、という意味だ」
「えっ?」
「堀田はカクテルを作る技術や知性は高いのかもしれない。だが、一流を極めるバーテンダーっていうのはそれだけじゃダメだ。どんなゲストも満足させる人間性・社交性・存在感。そしてゲストへの尊敬、自分への謙虚さ。そういうものも必要なんだ」
「……」
「喜多見さんが言ってた。堀田は『玄人受けはするけれど、素人受けはしない』ってな」
とある若い女性二人組のゲストを見送った際、喜多見さんはゲストの話を聞いてしまったらしい――
「ねぇ、あのバーテンダー怖くなかった?」
「うん。最初に……何だっけ? ス……スピ……」
「スピリッツ?」
「あぁそれかも。何ベースがお好みですか、とか言われても、全然意味がわからなかったもん」
「私も『何それ?』って思った。それで『そんなことも知らずにバーに来たのか』っていう顔されたら……もう居心地悪くて無理だった」
「だね。詳しくない私たちには場違いだったのかも」
「興味で行ってみたけど、『通の世界』って感じ。バーはもう二度と行かないかな」
――そんな話をしていたそうだ。
そして調べてみると、そのゲストの接客をしていたのは私だったのだという。
「喜多見さんは、それから堀田の接客を気にして見るようになったらしい。確かに、酒に詳しくないゲストからすると、ちょっと玄人向けすぎる接客だと感じたようだ。その上での言葉だ」
そんな指摘に、私は血の気の引く思いだった。
つまりは私の接客のせいで、新規のゲストのリピートを潰してしまったということになる。
「私の……せい……」
それにバースタッフたちが話していたことも思い出す。
『あの偉そうなのが上に行くって、もっと偉そうになるな』
あれは間違えていないことを言われていたのに、私が聞く耳を持たなかったんだ……。
息苦しくなってきて体を縮ませていると、弘臣さんの手がそっと背中に添えられる。
弘臣さんに視線を向けると、私を見つめながら無言で背中を撫でてくれた。
――大丈夫だ。背筋を伸ばせ。
まるでそう言っているかのように。
「――ッ……」
弘臣さんの優しさに、ジワッと視界が滲んだ。
受け止めなければならない現実、自分の至らなさ、力不足。
そういうものに押し潰されそうな私を、弘臣さんが支えてくれている。
受け止めるのは怖くて苦しいけれど、一人じゃない。そう思える。
私は滲んだ涙を拭うと、一度深呼吸して考える。
決して場違いなゲストだと思って威圧的に接していたつもりはないけれど、丁寧さには欠けたのだと思う。
それに『言葉がちょっとキツい』というのは五十嵐君にも学生の頃の友人にも言われたこと。
ゲストにも同じように思われているのだとしたら……。
すると久我さんが私に告げる。
「俺もコンペの審査員を何度かやってるけど、声の質や表情、口調、目つき。そういうバーテンダーの質も全て含めて審査されている」
「全て……含めて……」
「なぁ、堀田は初めてバーに行った時のことって覚えてないのか? 堀田だって、最初から今みたいにカクテルに詳しかったわけではないはずだ」
そう言われて思い出す。大学4年生の時、大学の教授に連れて行ってもらったホテルバー。
そこにいたのは、ド素人だった私の質問にも、嫌な顔一つせず穏やかに答えてくれたベテランバーテンダーだった。
「あ……」
「バーやカクテルのことに詳しくても詳しくなくても、ゲストはゲストなんだ。俺たちバーテンダーは、ゲストの望みに応じて柔軟に表現や口調を変える必要がある」
すると皆川さんが口を開いた。
「堀田はバーカウンターに立つ時、『堀田文乃』として立ってないか?」
何を言われているのかわからなかった。私は堀田文乃で、バーカウンターでも……やっぱり私は私だ。
すると皆川さんの言葉が続く。
「いいか、バーカウンターに立つ時は、『バーテンダー・堀田文乃』として立て。お前の思い描く、理想のバーテンダー像があるだろう? それを自分に重ね合わせて、バーテンダーとしての理想の自分を演じろ」
「……演じる?」
「ああ。バーカウンターに入ったら、単なる『堀田文乃』は封印するんだ」
そう言われてハッと久我さんに目を移す。
今日ここにいる久我さんは、見たことのない久我さんだ。
「久我さんも、『封印』してバーカウンターに立っているんですか?」
「そうだな。俺は、ゲストにとって居心地のいい空間の一部として、バーカウンターに立っている」
「空間の……一部……」
久我さんの言っていることは難しい。でも……何となくしっくりくる。
久我さんの店はいつも居心地がいい。久我さん、店内の雰囲気、明るさ、音、お酒……全てが溶け合うように店内に馴染んでいる。
すると久我さんが私に告げる。
「堀田は、まだ伸びるぞ」
「えっ?」
「伸びる余地がある。まだ終わってないってことだ。世界の舞台を諦めるな」
久我さんの言葉は、真っ暗だった道を明かりで照らしてくれるかのようだ。
「でも……どうすればいいのか私には……」
「皆川さんから学べ。堀田に学ぶ気持ちがあれば、必ず何かが得られる」
そんな久我さんの言葉に、皆川さんがニヤリと笑う。
「そうだぞ、俺から学べ学べ。数ヶ月後には『皆川さんがチーフでよかった』『皆川さん大好き』って言ってると思うぞ」
何だろう……いくら尊敬する久我さんから言われても、こんな皆川さんに付いて行こうとはどうも思えない。この軽い人から何を学べと言うのだろう……。
「そんなこと絶対に言いません。……冗談じゃないわ」
「おー、ようやく『らしさ』が見えてきたな」
「なんですか、『らしさ』って」
「強気で生意気なのがお前の売りだろう?」
別に売りではない。ただポジションを奪われた皆川さんに学ぶのが癪なだけだ。
すると皆川さんが頬杖をつきながらじっと私を見る。
「堀田みたいなヤツは、さっさと食っちまった方が従順になりそうだよな……。源臣、こいつ手出していいの?」
私が「はぁ!?」と怒りの声を上げるや否や、ガタッと椅子の倒れる大きな音が鳴る。
「兄さん、落ち着いて! 冗談だって! 皆川さん、ちょっと冗談が過ぎるだけ!」
「離せ、源臣! 何だコイツは! こんなセクハラ野郎に『よろしく』などと託せるわけがなかろう!」
弘臣さんが皆川さんに詰め寄ろうとしているのを、久我さんが慌てて腕を掴んで止めている。私はそれをぽかんと見つめる。
「兄さんの気持ちはわかるけど、救いようのないくらい口が緩いだけで冗談だって!」
「冗談なものか! あの顔は信用ならん!」
弘臣さんが声を荒げるのを初めて見た。
私が唖然とする中、当の皆川さんはククッと楽しげに笑っている。
「どっちも酷い言い方だな。……堀田、あれは何だよ。彼氏?」
あれ、とは弘臣さんのことだろう。
「いいえ」
「じゃあ番犬か?」
番犬。時々私にも弘臣さんが大型犬に見えるだけに、思わず笑ってしまう。
「いいえ、大事な……飲み友達です」
そう、今はただの飲み友達。
ツキンと胸は痛むけれど、弘臣さんとの関係はそうでしかない。
「ふーん。ま、何でもいいけどな。堀田、仕事を充実させたいなら、プライベートを適当にするなよ」
「え?」
「人間だからな。プライベートと仕事、どうしてもきっぱりと切り離せないものだ。だが俺は、プライベートが充実してるヤツの方が仕事もうまくいってると思うぞ。源臣もそうだしな」
プライベート。ずっと二の次にして仕事に懸けてきた。それを充実?
私は弘臣さんに目を向ける。
皆川さんに向かって今にも噛みつきそうな目で睨んでいる弘臣さんは、一体どういう気持ちで怒ってくれているのだろう。
友達として? それとも兄のような気持ちで?
どちらでも嬉しさは湧かない。
私が望んでいるのは――
「弘臣さん」
私が呼ぶと、弘臣さんは途端に顔つきを和らげる。
「ん? 何だ?」
この人がどういう気持ちでいるのかはわからない。
でも、もしも前に進むことができたら……少しでも自分に自信がついたら……あなたに犯した6年前の罪を懺悔できるだろうか。
「私、もう一度頑張ってみる」
「ああ、君なら乗り越えられる」
そして、6年前から続く想いを、あなたに伝えられたなら……。




