06-07.
「ねえ弘臣さん……どうしてあんなところにいたの?」
弘臣さんがいたのは従業員出入口近く。ホテル内に用があったわけではなさそうだから不思議だった。
「ああそれは……昨夜、君と別れた後で源臣から電話が来て……次期チーフバーテンダーが君ではないことを聞いたんだ。だが内部事情でもあるし、勝手に君に告げることはできなかった」
久我さんはバーテンダー業界の様々な人と繋がっている人だから、どこから情報が入ってきてもおかしくはない。
「そっか……知ってたんだ……」
「ああ」
「がっかりした? 私に同情した? 何も連絡がない時点で気づけばいいのに、バカみたいに浮かれて――ッ……私なんて全然及ばないのに……」
止まったはずの涙が再び溢れ出すと、弘臣さんはまた背中を撫でてくれる。
「そんなふうには思っていない。ただ……君が泣くのは嫌だと思っただけだ」
「あ……そうよね。私の涙が嫌いだって言ってた。見たくないものを見せてごめんなさい」
そう言って涙を拭って離れようとする私を、弘臣さんは再び抱きしめる。
「違う。見たくないのは本当だが……何というか……君は悲しくて泣いているだろう? そういう涙を見たくないという意味だ。君の悲しい涙は嫌いだ」
ああ、そういう意味か……。
そういうのは『君の涙が嫌い』じゃなくて『君の悲しむ顔を見たくない』と言ってくれれば伝わるのに。なんと言葉選びが不器用な人だろう。
でも嘘はなくて、その内には優しさが含まれている。
こんなに苦しい時なのに、弘臣さんの表現の拙さにはクスッと笑みが零れた。
「私ね……最近、自分にバーテンダーとしての才能がないことを思い知らされてばかりで……弘臣さん、前に『気を張ってばかりの自分に疲れないか』って言ってたでしょ? そのとおり。もう……疲れてきちゃった」
「そうか……」
「母の言うことを聞いて、地元に戻って結婚して家庭に入って子供を産むっていう道を進めばよかったのかな、って思ったりもする。私の選んだ道は間違えてたのかなって思う。……こんな弱音ばかりでがっかりした?」
「いいや、君も普通の人間なのだなと思う」
この人、私を何だと思っているのだろう。女どころか、まさか人間とすら認識されていないのだろうか。
「何よそれ。アンドロイドか何かだとでも思ってた?」
「そういう意味ではないが……君はいつも格好いいからな」
「そんなことないもん……」
「いいや、格好いい」
弘臣さんはフッと笑って私の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
脆くなった私の心は、こういう優しさに弱くて、弛んだ涙腺からまた涙が溢れ出た。
「もう、やめてよ……本当に……全然なのに……」
「俺にはそう見える。君は格好いいよ」
今夜の弘臣さんは、どこまでも優しい。
グラグラする私の根底を支えてくれるような、そんな優しさだ。
「……あり……がと……ッ……」
ゆっくりと背中を撫でられているうちに、ボロボロになった心の表面が少しずつ滑らかになっていくような感覚がする。
この人の腕の中はとても居心地がよく、どこまでも深く深く甘えてしまいたい。
仕事への失望感や喪失感は依然として混沌と自分の中で渦巻いている。
だからそこから逃げ出すように、腕の中の心地よさに浸った。
「なあ、この後もう少し君の時間をもらえるだろうか?」
弘臣さんの突然のそんな言葉に、私は目をぱちくり。
「えっ……何?」
「連れて行きたいところがある」
そう言うと、弘臣さんはスマホを取り出してどこかに電話をする。どこへ行くというのだろう。
「大丈夫だ。心配するな」
こういうのを包容力というのだろうか。すっぽりと包み込んでくれるような弘臣さんの言葉と表情が、私の背中を押す。
「うん……」
私は弘臣さんの後について再び車に乗り込んだ。
「……久我さんのお店じゃない」
到着したのは久我さんの店。もう閉店した時間にもかかわらず、明かりがついている。
弘臣さんは黙ったまま『CLOSE』とプレートが下げられている店のドアを開けて、私に中に入るように促す。
すると――
「お、来た。二人とも入って入って」
視界に映ったのは、初めて見る久我さんの姿だった。
客として来た時とも違う、一緒に仕事をした時とも違う。
これは……プライベートの久我さん? 表情も声も違って別人みたいだ。
砕けた話し方をする久我さんに困惑しながら店の中に入ると、店にはもう一人、私が今一番会いたくない人がバーカウンターに座っていた。
「よっ、堀田」
「……皆川さん」




