06-05.
翌日木曜、私がソワソワしながらバックヤードで開店準備を進めていると、バーカウンターの方から皆の賑やかな声が響いてきた。
「なあ、俺さっき皆川恭平さんが、料飲部門のマネージャーとチーフと3人で話してるのを見た!」
「嘘だろ!? どうして皆川さんがここにいるんだよ!」
「あ、もしかして――」
皆川恭平さんは、過去に国内で開かれたバーテンダーコンペで優勝し、海外のコンペでも上位に入賞するなど、日本国内で名の知れたバーテンダーだ。
そんな人が人事発表の日にマネージャーやチーフと一緒にいた。
それが意味することは……。
私は呆然とその場に立ち尽くす。
視界が暗く陰り、足元がグラグラと揺れているかのようだ。
私は震える唇を噛みしめると、足にグッと力を込める。
ここは職場。
私はシニアバーテンダー。
情けない姿なんて晒すな。
「今日も昨日の自分より上へ……」
いつものようにそう呟いて、再び開店準備に取りかかった。
開店前のミーティングで、料飲部門のマネージャーから人事の発表があった。
「来月からチーフバーテンダーに就任していただく皆川恭平さんだ」
紹介された皆川さんはスタッフを見渡す。
「皆川です。今日はとりあえず見学だけ。仕事の様子を見せていただきます。よろしく」
皆が拍手をしながら歓迎ムードでざわつく中、皆川さんと目が合う。
私は皆川さんの前に立って真っ直ぐ見つめた。
「シニアの堀田です。ぜひ近くで皆川さんの素晴らしい技術を学ばせていただきたいです。よろしくお願いします」
「あぁ、君が堀田か。よろしく」
現チーフの喜多見さんから「さあ、開店準備だ」と声がかかると、私は真っ先に足を動かす。
それに続いてスタッフたちも動き始めた。
その日の店内は皆川さんが見ていることもあり、スタッフたちの間にいつもより緊張感が漂っていた。
皆がどこかソワソワする空気の中でゲストを迎え、いつもより力を入れてゲストをもてなしていく。
私はいつもどおり淡々と業務をこなしていった。
閉店後の夜11時頃、私が帰宅しようと通用口に向かっていると――
「堀田さん、待ってください」
五十嵐君が後ろから近づいてきた。
「どうしたの?」
「その……大丈夫ですか?」
「何が?」
「チーフの件です。落ち込んでるんじゃないかと思って……」
気まずそうな五十嵐君から視線を逸らすと、私は再び通用口に向かってツカツカと足を進める。
「だから言ったじゃない。『まだわからない』って」
「それはそうですけど……大丈夫ですか?」
「大丈夫。やっぱりね、って思ってるだけだもの」
「本当ですか? 俺、堀田さんが傷ついてるんじゃないかって心配で……」
私は足を止めると、五十嵐君に目を合わせて微笑む。
「平気だから心配しないで。じゃあ、お疲れ様」
すると外に出ようとした私の腕を、五十嵐君が掴んで止める。
「待ってください!」
私は一呼吸置くと、五十嵐君に静かな声で告げる。
「離して」
「すみません……。でもショックを受けてませんか? 次のチーフは堀田さんじゃないか、なんて僕が余計なことを……すみません」
「別に五十嵐くんが謝ることではないわ。私が力不足なだけよ」
「そんなことはありません。堀田さんのこと、本当に尊敬してるんです」
「ありがとう。でも人事は決定事項だし、皆川さんは私よりずっと実力も実績もあるバーテンダーだもの。仕方がないわ」
「あの、それならこれから気晴らしにイルミネーションを見に行きませんか? それで温かいものでも食べに――」
「ごめんなさい。今日はすぐに帰らないといけない用事があるの」
私がそう伝えると、五十嵐君は渋々手を離す。
表情は悔しげに見える。
でも今は、そんなことはどうでもいい。
「じゃあまた明日ね」
背を向けて歩き出すと、五十嵐君は、なおも私の腕を掴んだ。
「やっぱり待ってください。どうしてそんなふうに無理をするんですか?」
「無理なんてしてない。何も連絡がなかったから、そんな気がしてたもの」
「でも、手が震えてます」
「外が寒いから……」
「堀田さんが傷ついているのをわかっていて、放っておくことなんてできません。僕じゃダメですか? 堀田さんの支えになれませんか?」
私は俯いて唇を噛みしめると、五十嵐君に笑顔を向ける。
「本当に平気だから心配しないで。五十嵐くんには感謝してるの。仕事仲間としてとても心強い。でも……申し訳ないけど、そういうつもりはないわ」
「どうしてですか? 年下だから頼りないですか?」
「そういうことではなくて……」
「じゃあ、どうしてですか?」
「……ごめんなさい。とりあえず離して」
「嫌です。きちんと聞かせてもらえるまで離しません」
想像以上に頑固な五十嵐君に、余裕のない私は最早、嫌悪感に似た気持ちを抱く。
一刻も早く家に帰りたいのに、そうさせてもらえない。
堪えることができている間に帰りたいのに……。
いい加減にしてほしい。早くこの場を去りたい。せめて職場から少しでも離れたい。
泣きたい気持ちが溢れ出てしまう前に……。
私が俯いてどうにかこうにか気持ちを保っていると、ふと私の腕を掴んでいた五十嵐君の力が緩む。
不思議に思って顔を上げると、目に映った人物に私は目を見開いた。
「弘臣さん……どうして……」




