06-01.
秋が深まり、冬の訪れを予感させる頃、私が勤める東都ホテルのバー『Old E.Capital Bar (オールド・イー・キャピタルバー)』では、クリスマスや年末に向けての予約が着実に増えてきていた。
「こういう仕事をしてると、クリスマスとか全然楽しみないっすね」
五十嵐君が溜息をつきながら肩を落とす中、バックヤードで開店準備を進める私は、冷ややかな表情を五十嵐君に向けた。
「何を今更。そういう仕事を選んだんだもの。当然でしょ」
クリスマスや年末年始は、ホテルも、そしてホテルバーも休み返上で働く繁忙期なのだ。
「相変わらず堀田さんはクールっすね。ご指名も多いわけだ。さすが指名件数No.1」
「五十嵐君くんだって予約入ってたでしょ。お互い頑張りましょう」
そんな先輩ぶった私だけれど、本音ではそんな余裕はない。
五十嵐君は、人懐っこい笑顔を振りまく社交的キャラ。その愛想の良さと相まって、バーテンダーとしての技術もかなり高いので、常連も数多い。
そういう五十嵐君に信頼や尊敬の念を抱きつつも、あっという間に追い抜かれそうなその存在にビクビクしている。
少し気を抜けば自分の地位なんてあっという間に転げ落ちる。
必死にしがみついて追い抜かれないように努力をするしかないのだ。
「そういえば、この近くの駅前広場で毎年イルミネーションをやってるんですよね」
確かに、12月に入ると仕事帰りの道が急に明るくなったりする。
そんな華やかな道を私は例年、翌日の仕事のことを考えながら颯爽と歩いて帰宅するだけだ。
「堀田さん、仕事帰りにでも一緒に見に行きませんか?」
そう言われて返事に困る。
弘臣さんには五十嵐君と2人で飲みに行くなと止められた。それなら飲みにではなくイルミネーションならいいかといえば、そうではないのだろうなと思う。
ただ、恋人でもない弘臣さんとのそんな約束を律儀に守る必要もないというのが実際のところだが……。
「たまたま帰りが一緒になって機会があったらね」
私自身が弘臣さん以外の男性と出かける気にはなれなくて、無難に返す。
チラリとカレンダーを確認すると、今年のクリスマスイブは水曜日だ。
そうなると、水曜日と言えど仕事が休みにはならない。つまり弘臣さんには会えない。
『そういう仕事を選んだんだもの。当然でしょ』
つい先ほど放った自分の言葉が胸に刺さる。
先を考えると、私の口から小さな溜息が零れた。
五十嵐君と共に開店前に行われるミーティングに向かうと、人事に関する発表があった。
現チーフバーテンダーである喜多見さんが退職するという通達だ。1月いっぱいまでは在籍し、繁忙期が過ぎた頃にバーカウンターを退き、有休を消化して退職する予定らしい。
すると五十嵐君がこっそりと私の耳元で囁く。
「それなら次のチーフって堀田さんですよね」
まさに考えていたことを口にされて、私は隠し切れずにピクリと肩を揺らす。
五十嵐君の言うとおり、現シニアバーテンダーである私がチーフに昇格することになるのだろう。
それに元々私は『次期チーフ』として採用されている経緯もある。
「そんなのまだわからないわ」
「えー、どう考えても堀田さんじゃないですか? 女性チーフって、このホテル初っすね」
「だからまだわからないって」
「じゃあ、もしチーフに決まったら、お祝いしましょう」
人懐っこい笑顔を向ける五十嵐君。孤立する私にとって、五十嵐君は唯一の癒やしだ。
「もし決まったらね」
「やったー」
喜多見さんの後任については、後日また発表する旨が伝えられた。
その日帰宅した私は、ソワソワする気持ちを抑えられずにいた。
20代の頃に夢見ていた世界の舞台はもう諦めているけれど、今はホテルの中でも格式の高い東都ホテルで、チーフバーテンダーになることを目標としていた。
そのチャンスが目の前に迫ってきたのだ。
まだ決まったわけではないけれど、気持ちの高揚を抑えられない。
「よーし、明日からも頑張ろう!」
数日後、私が出勤すると、社員通用口で五十嵐君に会った。
「おはようございまーす」
「おはよう、五十嵐君」
そう挨拶すると、五十嵐君が意味深に笑う。
「堀田さん聞きました? 人事発表、今度の木曜らしいっすよ」
「そうなの?」
「ミーティングの時間が設けられているので、多分そうだろうってみんなが言ってました」
「そっか」
「ドキドキしますね」
「……別にしないわ」
そう言いつつも、いよいよ発表されるとなると、否応なしに緊張が高まる。
五十嵐君と共に更衣室のある方向へ歩いていると、バーで働くスタッフが集まって話しているのが聞こえてきた。
嫌な予感しかしないながらも、私は足を止める。
「堀田さん、次のチーフかな」
あぁ、また私の噂話か。
そう思って溜息をつき、スタッフたちの言葉に黙って聞き耳を立てた。
「えー、嫌なんだけど」
「だよな。あの偉そうなのが上に行くって、もっと偉そうになるな」
「そうかもな。総支配人とも不倫してるって噂だからな。そりゃ強気にもなるよ」
「そんなん余裕で昇格じゃん。さっすがー、異例のスカウト入社」
「ずっりーよな。チーフの次は料飲部門のマネージャーとかになるつもりかな」
「いいよな。女の武器で未来は明るい。俺も女に生まれたかった~」
私はギュッと手を握りしめて俯く。
あまりよく思われていないのはわかっていたことだけれど、あまりにも酷い。
相変わらず私は実力なんて認められてはいないのだとはっきりわかる。
ましてこのホテルの総支配人と不倫なんて……。
ありもしない噂話の出所は一体どこなのだろう。
悔しさと恐怖に耐えるように、私は自らをギュッと抱え込む。
すると――
「おっはよーございまーす」
突然、五十嵐君が皆の前に出て行った。




