05-05.
「五十嵐君。こんなところで会うなんてびっくり。今日仕事休みだっけ?」
「はい。資格の講習会があるので休みを取りました」
「そっか。家この辺なの?」
「いいえ、講習会の会場がこの近くだったんです」
そして五十嵐君は、弘臣さんへチラリと視線を向ける。
「――で、そちらの方は? 彼氏さんですか?」
彼氏……だったらいいけど、残念ながら違う。
「違うの。えっと……何ていうか……」
私と弘臣さんの関係は……何だろうか。率直に示すなら――
「飲み友達、かな」
私が苦笑いすると、五十嵐君はチラリと弘臣さんを見てからクスッと笑う。
「それならよかった」
「え?」
「今度、僕とも飲みましょうよ」
「あー、うん……そうね」
すると五十嵐君が弘臣さんの正面に立った。
「初めまして。五十嵐っていいます。以後お見知りおきを。……っていうか、どこかでお会いしたことありませんでしたっけ? 顔は結構覚えてる方なんだけどな。どこだっけ……」
それを聞いて私はフフッと笑う。
「一度うちのバーに来てくれたことがあるし……その人、名字は『久我』さんよ」
「久我……? 久我!? もしかして、久我源臣さんの……」
「お兄さん」
「あー、なるほど。だから見たことある気がするんだ。言われてみたら確かに久我さんと似てますね」
五十嵐君も私と同様に久我さんに憧れている。言わば久我さん推し仲間だ。
すると弘臣さんが突然私の腕をグイッと引く。
「行くぞ」
「えっ!? あ、ちょっと!」
弘臣さんは私を連れてズンズンと歩き去る。
「五十嵐君、また明日ね!」
苦笑いで手を振る五十嵐君とは、あっという間に距離ができていった。
無言のままどんどん進む弘臣さん。背中しか見えない弘臣さんは一体どんな顔をしているのだろう。
それにしても歩くのが速い。ヒールのある靴では今にも転びそうだ。
お構いなしに進む弘臣さんに、私はしびれを切らして腕を引く。
「もう、いい加減止まって! 一体どうしたの?」
ようやく止まってくれた弘臣さんは、私に背を向けたままだ。乱れた息を整える中、不安が募っていく。
「弘臣さん……何か怒ってる?」
「……いいや、違う。すまない」
謝ってくれたものの釈然としない状況。どうしたというのだろう。
すると弘臣さんは躊躇いがちに私に視線を向け、眉間に深い皺を寄せて頭を抱えた。
「あー……すまない。歩きにくい靴であることを考慮するのを忘れた」
うん。何かしらいっぱいいっぱいだったらしいことはわかった。靴を気にしてくれるのは嬉しいけれど、ちょっとズレている。気になっているのはそこではないのだけれど……。
「それは平気だから。……それで、どうしたの?」
少しの間黙った弘臣さんは、私からフイッと目を逸らす。
「……あれは何者だ?」
あれとは、五十嵐君のことだろう。
「バーの後輩よ」
「それだけか?」
「それだけって?」
「……何でもない」
相変わらず不機嫌そうな顔のままだ。
「もう、言いたいことがあるならはっきり言ってください」
「別に……ない。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「……アイツとも飲みに行くのか?」
何これ、どういう意味?
「それはまあ……同僚ですから行く機会があれば」
すると弘臣さんは不満そうに私を見る。
「水曜はダメだぞ」
「え?」
水曜は私の仕事が休みの日で、久我さんの店でよく弘臣さんと会う曜日だ。
何、どういうこと?
「えっと……仕事仲間なので、水曜以外の仕事帰りとかに飲みに行けるので……大丈夫ですよ?」
そもそも、あなたと会える水曜日には予定なんて入れません。
そう心の中で呟くと、弘臣さんは顔をしかめる。
「結局アイツとも飲みに行くのだな。わかった」
あれ? もしかして妬いている? それとも独占欲?
友達同士でも妬いたり独占欲があったりするし、もしかしたら保護者的感覚なのかもしれない。きっとそういうものだろう。勘違いしてはいけない。
「行ってはいけませんか?」
そう問うと弘臣さんは私に顔を背けた。
「知らん。そんなもの、俺に止める権利などない。行きたければ行けばいいだろう」
その不貞腐れたような態度に、私は吹き出して笑ってしまいそうなのを堪える。
これは……拗ねてる? なんかちょっとかわいい。好きな子に意地悪なことをしたくなる気持ちが、ちょっとだけ理解できる。
強固な弘臣さんの牙城が僅かに崩れたような感覚に、私の口から思わず意地悪な言葉が飛び出した。
「じゃあ、『文乃、行くな~!』なんて叫びながら情熱的に止めてくれれば行くのをやめようかな~」
からかいたい気持ちが前に出て、私は内心クスクス笑いながらそう言った。
弘臣さんがそんなキャラではないのを承知の上で、どんな反応をするのか見てみたかったのだ。
もっと表情が崩れるのだろうか。「そんなことできるか!」「俺に止める権利などない!」と言って、余計に拗ねるのだろうか。一層不貞腐れる弘臣さんを想像すると頬が緩む。
それにしても拗ねてる弘臣さんを見られるなんて、今日昼間から一緒に出かけた収穫だ。
そんなふうに思いながら密かに笑っていると、不意に弘臣さんが私に近づいてハッとする。
そして腕を引かれたかと思うと、弘臣さんのダークグレーのジャケットがすぐ目の前に迫った。
そして――
「行くな」
弘臣さんの静かな声が間近で耳に届く。
その声は、頭の中に反響するように響き渡り、からかう気持ちなんてあっという間に彼方へ吹き飛んでしまった。
今、何が起こっているのだろう。
思考回路が停止して、頭が酷く鈍っているような感覚だ。
でも一つだけわかることがある。
ふわりと包まれているここは……弘臣さんの腕の中では……?
このまま時が止まってしまえばいいのに。
ずっと、ずっと、このまま――




