05-04.
ランチを終えてホテル内を出口に向かって歩いていると、弘臣さんが「君は何がほしい?」
と私に問う。「あなたです」という本音はさすがに言えない。
「そうですね……もう充分ですよ」
「昼食をとって話しただけだろう」
「でもごちそうしてくださいました。ありがとうございました」
「あのくらい気にするな。それで、何がほしい。何でもいいぞ」
何でもいいなんて言われると、本当に「あなたがほしいです」と口をついて出そうになる。
「ですから、こうやって弘臣さんと出かけているだけで充分なんです」
我ながら、これでも結構口説きの入った言葉だと思う。
でもこの男は――
「そんなわけがあるか。なんのメリットもないではないか」
さすが恋愛偏差値底辺。全く通じない。そして少し腹も立つ。
「弘臣さんは、私とランチをして話して、何のメリットもありませんでしたか?」
「いいや、俺にはある。『君のことを知りたい』と言っただろう。知れたことはメリットだ」
なるほど。
私も弘臣さんのことを知れたことはメリットなのですが、そういう考えには至りませんか? と問いたい。
「だが、君にはメリットなどないだろう?」
「あ、ありますよ……。私だって、弘臣さんのこと知りたいと思っていますから、メリットです」
そう言うと、弘臣さんは困っているとも照れているとも取れるような複雑な表情をした。
「私が弘臣さんを知りたいと思うのはいけませんか?」
「いけなくはないが……君に何の得があるんだ?」
さっきからこの人はメリットとか得とか、そういうことしか考えられないのだろうか。また腹が立つ。
「別にメリットとか得なんていりません。ただ知りたいだけです」
プイッと顔を背けてスタスタ歩くと、弘臣さんに腕を掴まれた。
「待て。すまない、また間違えたのだな。俺は間違いだらけだ」
しょんぼりして耳も尻尾も下げた大型犬みたいになってしまった。
何だかだんだんそういう姿が愛らしく思えてくる。
「弘臣さん、本当に不器用な人なんですね」
「そんなはずはない。俺は人一倍器用だと言われるぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、外科の中でも脳は繊細だからな」
「……なるほど。ドクターとしての技術の話ね」
「何か違うか?」
「だいぶ」
首を傾げて不思議そうにする弘臣さんの姿にクスッと笑みが零れる。
「私が言いたいのは、人としては器用ではないということです。『間違いだらけ』だなんて、それなら言って後悔するようなことを言わなければいいのに」
「それは……無理だ」
「どうして?」
「言わなければ君の反応がわからない。言ってみて、君の反応を見て初めて、言葉が間違えていることに気付く」
「へーえー。そういうのって、人付き合いをしながら自然と身についていくものだと思いますけど」
「そうか。これまであまり興味を持ってこなかったからな……」
私には興味を持っていただいている、と?
いやいや、勘違いしてはいけない。面倒な女にカテゴライズされるのは絶対回避だ。
「私、弘臣さんって頑固な人なのかと思っていたんです。でも違う。きちんと自分の間違いを謝れる人だもの。だからきっと不器用を卒業できますよ」
「君がそう言うのならそうなのかもしれないな」
嬉しそうに微笑む弘臣さんがかわいらしくて、私はぼうっと見惚れる。
「ん? 何だ?」
「い、いいえ、何でも」
「また顔が赤いな。熱でも――」
「ありません!」
女心を理解することに関しては、不器用を卒業するなんて遥か先のことかもしれない。
溜息が零れながらも、医師として優秀であろう弘臣さんの、全く優秀でない部分が垣間見えて……私は笑いを堪えながら弘臣さんの後を着いてホテルの外に出たのだった。
目的地も決めずに弘臣さんと歩いていて、ふと私は足を止める。
「ちょっと寄ってもいいですか? 私の大好きなお店なんです。ここのチョコレート、すっごく美味しいんですよ」
私が示す先には『Chocolaterie de Camelia (ショコラトリー・ドゥ・カメリア)』と看板に書かれた店が見える。
私はチョコレートが大好きで、中でもアルコールと合わせてチョコレートを食べることを好む。
ウイスキーやブランデーが詰められたボンボン・ショコラも良いけれど、私としては好きなチョコレートを選び、それとは別で好みのアルコールを合わせる方が好きなのだ。
「そうか。それなら寄ろう」
店内には宝石のように輝くチョコレートが、ガラスケースの中にたくさん並ぶ。
「はぁ……眼福……」
頬を緩ませて今日はどれを買おうかと迷っていると、弘臣さんがボソッと呟く。
「同じ顔だ……」
「はい?」
「何でもない。本当に好きなんだな。……ここのチョコレートが」
どこか言い方に棘があるように感じるのは気のせいだろうか。
「うん、大好き。ここのが一番好き」
「そうか……」
少しだけ弘臣さんの表情に憂いの影……いや、不満の影が差しているように見えるのは気のせいだろうか。
「弘臣さん、甘い物は苦手ですよね? チョコレートも食べない?」
「そうだな……普段甘い物はほぼ食べない。フルーツを少し食べるくらいだ」
「疲れた時も?」
「うーん……食べないな」
「そっか。……あ、じゃあ――」
もしかしたら、と思いついて、私はいくつか選んで購入してから店の外に出た。
「はい、どうぞ」
私がチョコレートの箱を手渡すと、弘臣さんは眉根を寄せる。
「俺にか?」
「はい」
甘いものは食べないと言った弘臣さんなだけに、予想通り、驚きや嫌悪の表情だ。
私はクスクス笑ってしまう。
数分後はどんな顔をしているのだろう。そんなふうに考えると少しだけ不安でもあり楽しみでもある。
「だから俺は、甘い物は……」
「知ってますよ。でも大丈夫です。これは甘くないチョコレートです」
「甘くないチョコレート? そんなものがあるのか?」
「はい。ほろ苦くておいしいですよ。私もよく食べるんです。ご心配なら――」
私は自分の分として購入したチョコレートの箱を開け、包み紙で包まれた長方形のチョコレートを1つ取り出す。
「はい、食べてみてください。同じものです」
「……い、いや、でもな――」
「あーもう、ごちゃごちゃ言ってないでとりあえず食べて」
渋々といった表情で弘臣さんはチョコレートを手に取って口に含む。
「……お? これは美味いな。カカオの風味がコーヒーのようだ」
予想通り表情を和らげた弘臣さんを見て、私はクスッと笑う。
「でしょ? 弘臣さん、さっきのランチの最後にコーヒーをブラックで飲んでたし、たぶん好きかなって思って」
「これは俺好みの味だ。毎日でも食べたい」
「本当に?」
「ああ。チョコレートか……。新発見だな」
自分が好むものを弘臣さんも美味しいと言ってくれた。しかも食べるのを拒んでいたものを食べてもらえた。美味しいと言って一緒に楽しめるものを見つけられた。
それだけで心が高揚する。
よかった、と頬を緩めていると――
「君は――……」
そう声が聞こえて弘臣さんを見る。なぜか目を逸らされた。
「はい?」
「そ、そうやって笑っていればいいと思う」
「は、はい?」
「だから、君はいつも笑っていればいいと言っているんだ」
弘臣さんの耳が赤い。
私が……いつも笑っていればいい? 『いい』ってどういう意味?
よくわからないけれど、何だか私まで照れてしまう。
「そ、それなら、いつも笑わせてくださいよ。誰かさんがすぐイラッとすることを言うからです」
「それは俺か?」
「ほかに誰がいるんですか?」
「……そうか、俺のせいか」
「そうですよ」
私も目を逸らして俯いていると――
「あれ、堀田さん?」
私を呼んだのは、同じバーで働く後輩の五十嵐君だった。




