05-02.
「ねー、今日、何なの?」
困惑して問うと、弘臣さんが怖ず怖ずと私を見る。
「いや、何というか……君のことを知りたいと思ったんだ」
「えっ?」
私を知りたい? どうして急に……。
「源臣の店で酒を飲みながらだと……うまくいかない」
何がどうしてうまくいかないんだろうか。この人の言葉には謎が多い。
そう思っていると、弘臣さんが再び口を開く。
「君を知れば……何かの力になれるだろうかと思ったんだ」
「力に……なる?」
「俺は何もできなかったからな」
もしかして、この間泣いたことを気にしてくれているのだろうか。
誤魔化せたと思っていたし、弘臣さんも特に気にしていないと思っていたのに……。
「だから君のことを教えてくれ」
そう言われて、はい、じゃあ教えまーす、とはならないのが私だ。
「別に私、何かしてほしいなんて思ってない……のに」
かわいくない言葉が口をついて出る。
「それは……確かにそうだな……」
あぁ、眉間の皺が深くなってしまった。
そう思いながら弘臣さんを見つめていると、弘臣さんが問う。
「頼まれてもいないのに君のことを知りたがるのはおかしなことだろうか?」
いいえ、ものすっごく嬉しいです。……と本音は言えずに返事に詰まる。
そもそも、おかしいかどうかというより、それではまるで私に興味があるみたいじゃない。
「どうして私のことが知りたいの?」
「だから、何かの力になれるだろうか、と」
「どうして私の力になりたいの?」
そう問うと、弘臣さんは顎に手を当てて首を傾げながら考え込む。
「君の涙が嫌いだから……?」
何それ。そう言われると途端に拗ねた態度を取りたくなった。
「そ、それは見たくないものを見せてすみませんでしたね」
「ん? 見たくないわけでは……いや、見たくはないな……だが、謝られるのも何かおかしな気が……ん?」
弘臣さんは考え込みながらぶつぶつ呟くと、パッと私に目を合わせる。
「すまない。また間違えたらしい」
何を!? わけがわからない。
「もーーうっ! 弘臣さんは何がしたいの!?」
すると弘臣さんは目をぱちくりさせて私を見つめる。
「さっきから君のことを知りたいと言っているだろう?」
あーー、最初に戻った……。
私はガックリと項垂れる。
このままでは弘臣さんの謎解き無限ループに陥りそうだ。
この人を知るのに、果たしてどのくらいの月日が必要なのだろうかと、途方もない道のりに気が遠くなる。
「……わかった。わかりました。何でもお話しします。それでいいでしょ?」
「ああ」
満足そうに弘臣さんが微笑むのを見て、私の胸が高鳴る。この人が笑うのは心臓に悪いのだ。
しかもどうしてそんなに嬉しそうなのだろう。
しかしこの人に恋心があるなんて勘違いしてはいけない。
「それで……趣味はないわ。いわば仕事が趣味みたいなもの。ほかに何が知りたいの?」
すると弘臣さんは再び微笑みを見せる。
「君のことなら何でも知りたい」
トスッ。
何かが胸に刺さった。
その微笑みでその台詞は反則だ。
あーもう……どうしてそういうふうに言うかな。
本当に一体今日はどういう日なのだろう。
私は生きて帰れるだろうか。
弘臣さんは何の気なしに向けている言葉だろうけど、勘違いしてしまいそうになる。
もうこのままこの人に溺れてしまえたらいいのに……。
『君のことなら何でも知りたい』だなんて、そこだけ聞くと、好かれているような錯覚に陥るけれど……私は必死に踏みとどまる。
この人は恋人も結婚も面倒に思っている人だ。だから勘違いしてはいけない。
もしもそんな態度を見せれば、あっという間に面倒な女としてカテゴライズされるに違いない。
そうなれば、水曜の夜に会える楽しみすらなくなる。
そんなのは嫌だ。
恐らく、職場の上司が部下の悩みを聞いてくれようとしているような感覚なのだろう。
私は再び落ち着きを取り戻すべく、大きく息を吐き出した。
「『何でも』って言われると話しにくいです。何を話せばいいのか……」
「そうか。そういうものか」
「あ、そうだ。弘臣さんが質問してくれないなら、私が弘臣さんに質問します。私も同じ質問に対して、自分のことを答えるから」
「ん? 複雑だな」
「例えば、私が弘臣さんに趣味を尋ねたら、弘臣さんが答えて、私も趣味について答えるの」
自問自答するようで不思議だが、この人に任せたら話が進まなそうなのでそうすることを提案した。
「なるほど。ではそうしよう」
「じゃあとりあえず、私の趣味は特にないって先に話したわ。弘臣さんは?」
「俺も仕事ばかりで趣味の時間など――……ただ、体を動かすのは好きだな。時間を見つけて走りに行ったり、自宅のトレーニングルームで鍛えたりする」
それを聞いて私は6年前を思い出してしまった。
指をかすめる彼の熱、しっとりと汗ばむ肌、厚い胸板……。
うわ、思い出したらダメだ。また顔が赤くなって熱を測られるに違いない。
忘れろ、忘れろ……。よし、別のことを考えよう。
そう思って、セクハラ常連客の柳本氏の顔を思い出したら一気に気持ちが冷える。
「まるで百面相だな。忙しない」
弘臣さんに見られていたらしく、フッと笑われた。
うわ、恥ずかしい……。
「なっ、何でもありません!」
っていうか、自宅にトレーニングルーム? そんな設備があるなんて、どんな家なのだろう。ワンルームのマンション暮らしではなさそうだ。
「弘臣さんって、もしかして実家暮らし? ご家族は?」
「うちは、父・母・妹・弟……弟は知っての通り源臣だ。妹は源臣と双子で、源臣の姉にあたる。結婚して家を出ていて、俺は実家で父母と同居している。祖父母は高齢だが健在で、地方で隠居生活を送っている」
「へー、双子。妹さんもいるんですね。知らなかった」
「ああ。父と、そして妹も医師だ」
「そうなんだ……」
医師ではなものの、久我さんも非常に賢い人だ。優秀な血筋なのだろう。
「さあ、君の番だ。君は実家暮らしか? 家族は?」
「私は一人暮らしよ。職場の近くにマンションを借りているの。家族は……母だけ。父は3年ほど前に病気で亡くなってるわ」
「そうか……すまない。知らなかった」
「言ってないもの。知らなくて当然よ。じゃあ次の質問ね。弘臣さんは、ドクターでしょ? でも葉月さんが秘書についていて……お医者さんに秘書が必要って、具体的にどんな仕事をしているの?」
「俺は脳神経外科医だ。うちの病院の脳・心臓外科センターのセンター長を務めている関係で、事務仕事も多くてな。それで葉月に秘書についてもらっている」
私は頭の中で疑問符をいくつも浮かべる。
「ん? うちの病院?」
「久我病院。うちはいくつかの系列病院を持っていて、祖父の後を継いで、今は父が院長を務めている」
「えっ!? 単なるお医者さんっていうわけじゃなくて、おうちが病院を経営しているの?」
「ああ」
「しかも弘臣さんもセンター長って……一番偉い人?」
「一番上なのは父だ。俺じゃない」
「うん……でも、センター長って……」
どう考えてもヒラの医師ではない。
「弘臣さんって凄い人なんですね。知らなかった」
「だから俺は凄くはない。凄いのは父だ」
「はいはい。わかりました」
どう言っても『俺は凄くはない』と返ってきそうで諦めることにした。
とりあえず父親のことを尊敬しているらしいことははっきりとわかった。
「脳神経外科医って……頭の中の悪いところを治すお医者さん?」
私の幼稚な聞き方に弘臣さんがフッと笑う。
だって、ほかにどう聞いたらいいのよ……。
私がムッと口を尖らせると、弘臣さんは小さくハハッと笑う。
この人、こんなに笑う人なんだ……。
今日は弘臣さんの笑顔が量産されていて眩しい。
「えっ、じゃあ手術の時って……弘臣さん、直接脳に触るの?」
「必要な時はな」
「へー……どんな触り心地?」
「そうだな……ぷよぷよ」
私は思わずクスッと笑う。
弘臣さんのお堅い口から『ぷよぷよ』なんていうかわいらしいワードが飛び出すとは……。
へー、柔らかいのか。そんなのを触るのは怖そう。
そして私は何の気なしに問う。
「手術とか、怖くないの?」
すると弘臣さんは少しの間沈黙して、私をじっと見つめてから静かな声で答えた。
「怖がっていては救えない。救えなければ死ぬ。それだけだ」
その一切迷いの感じられない答えに、私はぶるりと体を震わせる。
ああ、失敗だ。
私はなんてことを軽く聞いたのだろう。
自分の愚かな問いに、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。




