04-02.
文乃はそれから泣き続けた。
気を遣ったつもりで背中を向けて寝たふりをしたが、本当は宥めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
だが気の強い彼女が、好きでもない男のそれを望むのかわからなくてやめた。
これ以上間違えたくはない。
そんな気持ちも大きかった。
しばらくすると、文乃はベッドの隣で横になった。
背中側から時折鼻をすする音が聞こえたが、次第に大人しくなった。
寝息が聞こえ始め、ゆっくりと文乃の方に向きを変える。
泣き疲れて眠ってしまったようだ。
仰向けで僅かに顔をこちらに向けて目を瞑るその表情は未だ悲しげで、何がそんなに悲しいのか不明だ。
ただ、『文乃』と名前を呼んだ瞬間から様子がおかしくなったことは確かだ。
傷つけてしまったのだろうか。名前を呼ばれたのが気に入らなかったのだろうか。もしくは、やはり源臣でないとダメだと思い直した……?
本当のところはわからない。
文乃をじっと見つめていると、頬にかかる髪束がくすぐったそうに見えて、耳の方へ避けて髪を撫でた。
「すまない……」
横向きで頬杖をついて寝顔に向かってそう呟くと、文乃がコロンと寝返りを打って、すっぽりと腕の中に収まるように入り込む。
フリーズ。
これは狙ってやってるのか?
様子を探るが眠っている模様。
……う、動けん。
なんとうまい具合に入り込んだものだ、と感心したくなるほどピタッと密着し、どうするべきか手の置き場に困る。
ずっと手を浮かしていることもできず、先ほどのように髪を撫でる。
すると文乃の方から抱きついてきて、俺はまたフリーズ。
まずい。これはどうすればいいんだ。
大人しく抱き枕になりながら文乃を見つめていると、スースー寝息の聞こえる彼女は寝ぼけているのだろう。
抱きついて嬉しそうに笑っていた。
「おい、俺は源臣じゃないぞ」
悔しさも抱えつつ、思わずその嬉しそうな顔を見ているとフッと笑ってしまう。
「さっきまで泣いてたのに忙しい人だ。後悔したって知らないぞ」
そう呟いて文乃を腕の中に包んだ。
思っていたよりもずっと華奢で、強がったところでこんなに弱々しいだなんて……。
眠る文乃は、俺にとって守ってやりたい対象でしかなかった。
これは――
「……愛らし――」
『愛らしいな』と呟きかけた自分に驚いて赤面する。
愛らしいものか。身代わりの男と寝ようとするような女だぞ。碌でもないに決まっている。
そう思いながらも涙が溢れ落ちる瞬間の文乃の顔がスローモーションのように何度も思い出される。
「……わけがわからないな」
自分の複雑な感情が整理できないまま、腕の中にある温かな体温が心地よくて、眠気に誘われて目を閉じた。
翌朝の文乃の動揺した様子は、眠りから覚醒して間もなくの俺でもわかるほど顔がこわばっていた。
強いんだか弱いんだか、本当にわけのわからない人だ。
「あの、昨夜のこと……覚えていますか?」
目を潤ませ、見るからに恐る恐る聞く文乃。
俺は酒に酔っても記憶は無くさない。ただひたすら眠くなるだけだ。
それを答えるのが正解なのかわからず「すまない」とだけ言って黙っていると、文乃はどうやら俺が昨夜のことを『覚えていない』と認識したらしい。
特にそれで俺にとって不都合なことはなく、そのまま流すことにした。
「あ、そういえば……私、水曜日は基本的に仕事が休みで、よく久我さんのお店に行くんです。またお目にかかれるといいですね」
文乃のその言葉は意外だった。
これは……またお目にかかっていいということだろうか。
泣くほど傷つけてしまったはずなのに、会うことに抵抗を示さないとは……。
彼女の意図がわからない。
探る意味でも文乃が休みだという水曜にまた店を訪れることにした。
そしてこれ以降、彼女が店を訪れる水曜に合わせて、俺も都合の付く限り通うようになった。
「こんばんは、弘臣さん」
キリッとした態度の彼女を見て安堵する。
最初はただ探る意味で通っていた水曜の夜だったが、何度も会ううちに、彼女の機嫌や元気さを計れるようになっていた。
『察する』ことの苦手な俺でも、文乃は比較的わかりやすい人だった。
基本的に強気な文乃ではあるが、時々見せる涙が厄介で、俺はこの涙を見るのが酷く嫌いだった。
泣かれると、最初の夜を思い出すからだ。
泣いた理由がわからないまま罪悪感に苛まれるのは苦しい以外の何物でも無い。
あれ以降、俺は文乃を名前で呼んでいない。
呼べない、といった方が正しい。
また泣かせては困るから呼べなくなった。
文乃は相変わらず聡い女性で、話していて楽しかった。
それに裏表がないタイプ。竹を割ったような性格とでも言うのだろうか。サバサバしていて一緒にいて楽だ。
仕事でやるせないことがあっても、文乃と話していると気が紛れたり、気持ちが回復したりする。
医療の世界にいない人だからこそ、殺伐とした世界から連れ出してくれるような役割をしてくれる。
文乃という存在は、俺が俺自身でいるために、次第に欠かせない人となっていった。
そんなぬるくて心地のよい関係に浸かること6年。
徐々に徐々に堀田文乃という人が侵食するように俺の中に染みこんでくる。
いつしか、誰にも渡したくない、自分だけを見てほしい、などと密かに思うようになってしまった痛々しい俺。
だが文乃が想いを寄せるのは源臣だ。
未だに目をハートにして既婚者の源臣を見つめている。
かわいい弟ながら、苛立ちが湧くのは致し方ないと自分を宥めながら過ごす毎週水曜の夜。
これはまさに『嫉妬』であると実感できるのが虚しく悲しい。
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