02-04.
文乃視点に戻ります。
「ん〜っ……」
アラームで目覚めた私は、画面に残る着信通知に首を傾げる。知らない番号からだ。
迷惑電話か間違い電話だろうか。
そして次に届いていたメッセージを確認する。元カノからだ。
『お義兄さんに、堀田さんの連絡先を聞かれたのでお伝えしました。大丈夫ですよね?』
寝ぼけた頭が一気に覚醒した。
「は!? だ、大丈夫なわけないじゃない!」
待って……それならさっきの知らない番号からの着信って弘臣さん?
元カノからはもう一つメッセージが届いていて、弘臣さんの電話番号が記されていた。
「やっぱり弘臣さんだ」
弘臣さんが電話をくれた。
そう考えただけで胸が高鳴る。
同時に、寝ていて出られなかった自分を大いに責める。
出たかった……。
それにしてもわざわざ電話をしてくるなんて、どういう用件なのだろう。急ぎだろうか。
昨日会ったばかりなのに……。
着信があったのは約1時間前。
私からかけ直した方がいいだろうか。
「電話……してみよう」
私はスマホを構える。
……が、手が震えて発信に踏みきれない。
今、忙しいかもしれない。弘臣さんには迷惑な時間帯かもしれない。起きるのが遅いと思われたら恥ずかしい。
ごちゃごちゃと頭の中を余計なことが駆け巡って、指先一つの操作ができない。
「ぬわぁぁぁっ、私は中学生かっ!」
いや、中学生どころか小学生かもしれない。
私はベッドの上でうつ伏せになって足をバタつかせる。
電話をかけるのにこんなにも緊張するなんて……。
だって今忙しいかもしれないし、迷惑かもしれないし、でも急ぎの用件かもしれないし、折り返さないなんて非常識って思われるかもしれないし……何より弘臣さんと話したい。
一頻り暴れて疲れた頃に、私は動きを止める。
「……電話しよう」
起き上がると、画面をタップして弘臣さんに電話をかける。まもなく呼び出し音が鳴り始めた。
何コールまでなら鳴らしてもいいだろうか。
10コールも鳴らしたらしつこいだろうか。
仕事の最中だろうし、こんな時間にかけるのはやっぱり避けた方が良かったかも。
ごちゃごちゃ考えてる間に、もう5コール目だ。
そろそろ切った方がいいかな。
迷惑かも。
忙しくて出られないのかも。
もう切ろう。
そう思ってスマホの電話を切るアイコンに指を構えたその時――
『はい』
短くも、頭の芯まで貫くような心地よい声が、私の脳内を占拠して息を呑む。
わっ、どうしよう……頭が真っ白になってしまった。
好きな人の声がすぐそばで聞こえる。
電話というものはこんなにも脳を麻痺させるような機能があったのか。
頭がふわふわする。
「あ、あの……」
何を言ったらいいのか言葉が出ない。
声が震えて心臓が痛いほどの音を立てていた。
「え、えっと………」
すると、弘臣さんの呟くような声が聞こえてくる。
『すまない。二度目をかける勇気を失っていた』
「……え?」
『出てはもらえないのかもしれないと思ったんだ』
「……どうして?」
しばらく沈黙した後、ようやく弘臣さんの静かな声が聞こえてきた。
『昨夜、俺が言葉を間違えたから……』
間違えた? どこを?
何かおかしなことを言われただろうか。
私には見当が付かなかった。
『それで……君に頼みたいことがあるのだが』
何だか聞き覚えのあるセリフ。
「えっ……またですか?」
しまった、かわいくない返事をしてしまったと、言ってから後悔する。
『ああ。嫌か?』
「それは……内容によります。あ、知らない誰かのために何かを買うのはもう嫌です」
すると電話越しにフッと弘臣さんが笑うのが聞こえた。
どんな顔で笑っているのだろう。
顔を見たくて仕方がない。
『それなら……知らない誰かではなく、君のために何かを買うなら、頼まれてくれるか?』
「……は、はいぃ?」
予想もしなかった言葉に、私の口からエキセントリックな声が出たことを悔やむ。
恥ずかしい……。
『やはりきちんと君に礼がしたい。ダメか?』
ダメなわけがない。飛び上がりたいほど嬉しい。
でも私の口から出たのは――
「……し、仕方ないから頼まれてあげる」
あー……我ながらかわいくない。
こういう時に素直に喜びの声を上げられたら、どんなにかわいいだろうかと思える。
『そうか』
「そ、それでいつ?」
『君は水曜が休みだろう?』
「はい」
『では今度の水曜はどうだろうか? 俺もその日は休みを取る』
「えっ、わざわざ!?」
私のために休みを取ってくれるということ?
そう思うと気分が跳ね上がる。
すると咳払いが聞こえて、すぐに弘臣さんがボソッと呟く。
『……たまには葉月にも休みをやらないといけないから丁度いいだけだ』
あ、秘書のためですか。
一気に心がひねくれた。
「そうですか。わかりました。ではまた夕方からにしますか?」
そう聞くと、弘臣さんはまたしばらく沈黙した。
「……弘臣さん?」
『昼間からではダメだろうか?』
「え?」
『君と……ゆっくり話をしてみたいのだが……』
一体この人は唐突に何を言い出したのだろう。
再び私の心臓が騒がしく音を立てた。
「は、話……?」
『源臣の店に行くと酒が入るからな。あまり……良くない』
何が良くないのか意味がわからないけれど、恐らくアルコールの影響がない状態で話すということなのだろう。
えっ、何か真面目な話でもするってこと?
何?
なんか怖い。
「わ、わかりました。では……えっ、昼間って何時?」
『そうだな……ランチを共にするのはどうだ?』
わー、なんて爽やかな響き。
弘臣さんと明るい時間に会うなんて初めてのことだ。
混乱しすぎて笑えてきた。
「ランチ。へー、健全」
『……いつも健全だ』
「そ、そうですよね~」
焦って変なこと言っちゃった!
私は、アハハハ、と無駄に笑いながら約束をして、電話を切ったのだった。
電話が終わると、私は胸を押さえて震える息を吐き出す。
短時間の電話だったのに、恐ろしく疲労した。
それと同時に気持ちの高ぶりが抑えられない。
弘臣さんが私へのお礼をしたくて、しかも……ランチ。
「えっ……弘臣さん、急にどうしちゃったの?」
急角度の変化に戸惑うばかりだ。
「そうだ、何を着ていけばいいんだろう……」
私はクローゼットを開けると、次々と服を取り出す。
夜のバーに合う服なら想定済みでたくさんある。
でも昼間で、しかも弘臣さんと二人で――
「ラ……ランチ……」
ダメだ、想定外過ぎる。
私は服を握りしめ、力なく床に座り込んだ。
翌週水曜午前、弘臣さんと会う時間が迫ると、私の心臓は聞いたことのない早さで鼓動を打ち鳴らした。
誘いを受けてから呆然と日々を過ごし、耳に響く弘臣さんの声を思い出しては悶絶する。
甘酸っぱい年頃の恋愛でもあるまいし、と自分を戒めつつも、ドキドキする気持ちを止められなかった。
弘臣さんが相手となると、いつもの恋愛との違いに戸惑う。
20代前半まででそれなりに男性との交際経験も積み、どうすれば自分に男性が夢中になるのか、どうすれば男性は喜ぶのか、そういう知識は多いほうだ。
ただ、その後は仕事に全精力を注ぎたくて、男性からの交際の申し出を全て断ってきた。
それに私の心の中を密かに占領する弘臣さんの存在も大きい。
「私、恋愛初心者じゃないはずなんだけど……」
それなのに弘臣さんといると、これまでの恋愛経験が生かせない。
6年前からどうしたらいいのかわからないまま、妙に初心な恋心は続いている。
このまま進まない関係だと思っていた。
だから心の奥底に仕舞った密かな罪悪感は、ただ持ち続けていればいいと思っていた。
6年前のあの夜から――




