七
夏休み。久々の家族旅行。鳥取に行きたいって言ったら、連れてってくれるって。なんだか少し、照れくさいけど。東京よりも暑い鳥取。鳥取砂丘とか行ったり。あたしは久々に、焼けるほどの強い日差しに当たった。暑いけど、半袖は着ない。いつだって長袖。三泊四日の家族旅行。一日だけ家族みんなで過ごし、あとの二日は単独行動。私は晃子先生がいる学校に向かっていた。本来なら夏休みなので先生はいないのだけど、ちゃんとアポを取っておいたので、わざわざ学校にきて下さるらしい。晃子先生は小学校の先生になっていて、生徒から人気があるらしい。
久々の小学校。あたしの学校じゃないけど。建物や遊び場、校庭、何もかもが小さく見え不思議の国のアリスになった気分。晃子先生はたまたま、校門に植えてある草木に水やりをしていた。卒業アルバムに写っている写真より老けたけど、穏やかな顔つきになっていた。
「あなたが・・・西川沙織さん?」
「はじめまして。先日メールさせていただいた冴織です。夏休み中に、すみません。」
「いいのよ。昔の学校の生徒に会えるってそう無いわ。立ち話もなんだから、どうぞ」
晃子先生は学校内を案内してくれた。廊下には生徒達が作った絵画が貼られていた。私には、学校に行った記憶なんてあんまりなかった。
「どうぞ。」
クーラーの効いた教室。晃子先生がわざわざクーラーを入れてくださったのだ。あたしは高校よりも小さな、イスに座った。
「メールで一通りお話は見させて貰ったわ。」
あたしの横に座る。
「もう、私はあなたの学校の教師ではないから、全てを話すわね。長くなるけどいいかしら?」
「是非、聞かせてください。」
「いつだっかしら・・・・たしか、98年に彼女たちが入学してきたの――・・・98年。当時の私達教師はね、すっごく驚いたの。だって名字も、両親も、住所も違うのにうり二つの女の子が入学してきたんですもの。実は私が二人の副担任だったの。学校中話題になったわ。何しろ、彼女達は美人でそっくりなんですもの。私はね、移動教室の時に彼女たちに聞いたのよ。どういう事かって。そしたら彼女たちも初めは驚いたんですって。この世に自分と似た人が3人いるって聞いたことあるけど、本当に居たなんて、って。でもお互いご両親に聞いたらしいのよ。そしたら・・・血のつながった姉妹、双子だったの。」
「え?名字も、住所も違うのに?」
あたしは口を挟む。先生は淡々と話を続ける。
「そう。これは後で聞いた話なんですけどね、彼女たちは元々母親、つまり・・・真紀さんのお母さんの子だったらしいのよ。でも、とある理由でご両親が別れることになり、真紀さんは父親、真美さんは母親と暮らすことになったの。時が経ってそれぞれのご両親が再婚なさった。真紀さんも、真美さんもご両親が本当の親だと思っていたんですって。」
「残酷な、話ですね。」
「そうね。もっと酷いことが起きたわ。それは真美さんの義父さん、真紀さんの義母さんがそれぞれ怒ったらしいの。“この世にもうひとり真美(真紀)がいるなんて、考えられない。”って。酷い話なんだけどね。そして二つの家庭が話し合った。どちらかが遠くに引っ越すか。勿論どっちも譲らなかったわ。そしてお父さんと、義父さんが、もみ合いになった。」
急に先生が黙り出す。あたしはじっと、晃子先生の顔をみつめる。
「義父さんが包丁を持ち出した。お父さんを守ろうとしたのでしょうね、飛び出した真紀さんは、真紀さんは・・・・誤って刺されてしまった。」
晃子先生はスカートをぎゅっと握る。義父さんはひどく慌てて、後日、自殺なさった。
「・・・・これが彼女達の、あの学校の隠された真実。」
「そんなことがあったなんて・・・全然知りませんでした。」
「そう。誰も知らないように、学校が隠したの。」
「なぜですか?」
「私にはわからないわ。でも、人が二人も死んだら世間の風当たり、良くないでしょう?だからじゃないかしら。」
「え、じゃあ当時の生徒達も口封じされたってことですか?」
晃子先生は首を振る。
「演じたのよ。」
「え?」
「真美さんがね、真紀さんを演じたの。『突然ですが、転校することになりました』って。何しろ、双子ですから。誰も気付かなかった。」
「そんなことって、」
「あったのよ。現実に」
あたしは、今聴いた話をゆっくりと整理した。
「じゃあアルバムの三年の写真は?」
「個人写真かしら?どちらも、真美さんよ。転校してしまった仲間と一緒に撮りたいっていった生徒達の要望で、ね。もちろんみんな、真紀さんだとおもっているわ。」
ドラマみたいな、出来事。真美さんの気持ちを思うと、胸が苦しくなる。どんな気持ちで、無くなった姉妹を演じたのだろう。
「そういえば・・・とある理由で別れたって、どんな理由なんですか?」
先生は首を振る。
「じゃあ、お父さん、義母さん、お母さんは生きていらっしゃるんですよね?あと、真美さんも。」
「わからないわ。義母さんとお父さんは真紀さんが亡くなった後離婚なさったそうよ。お母さんはたしか・・・元々身体が強くなかったせいか、持病で亡くなったって。真美さんは卒業後、大学にも行かず、就職もせず、卒業式後音信不通。」
連鎖のように、人って亡くなるんだ。そう、思った。あたしは貴重なお話をしてくれた晃子先生に礼をいい、学校を後にした。頭の中がグチャグチャ。ひとまず、宿に帰ってゆっくり整理したかった。
宿に着くと、両親が既に帰っていた。あたしの両親は仲が良い。カップルみたいに、いつだってラブラブだ。
「父さん達はこれから食事に行くけど、沙耶は?」
「あたしはいいや。二人で楽しんできて。」
あたしの本名は西川沙耶。学校のみんなは本名を知らない。もうお酒が飲める歳だってことも。携帯を開いた。アドレスに残された彼の名前。消せずに、ずっとあるその名前を眺める。そして、メールを打つ。
『久しぶり。アフリカに居るって聞いた。このメールをいつ見るかわからないけど、どうしても聞きたいことがあるの。石川真紀さんと、荒井真美について。山田晃子先生に全て聞いた。連絡、待ってます。』
深呼吸をし、送信ボタンを押す。あたしは、返事を待った。いつ返ってくるかわからないメールを。もしかしたら、一生返事がないかもしれないメールを。携帯が鳴る。気付けば寝ていたらしく、慌てて飛び起き、携帯を開く。圭吾だった。適当に返信する。また返ってくる。一言だったので返さない。また、メールが来る。しつこいと思いつつ、メールを見た。
『久しぶり。元気か?俺は今大阪にいる。話がしたければ、明日大阪に来い』
胸が高まり、あたしは急いで荷物をまとめて鳥取を後にした。運良く車で来ていたので夜道を走る。一刻も早く、彼に会いたい一心で。何を話そう、何て言おう。ちゃんとした服、持ってくれば良かった。少女みたいな、気持ちになって。途中のパーキングエリアで彼からのメールをチェックする。彼は今、大阪の吹田市と言うところに住んでいるらしい。1人で住むには広すぎる、マンションの一室で。明確な住所を聞き出し、アイスコーヒーを買ってまた走りだす。夜の高速道路は、あたしの妄想を膨らます。
早朝、辺りはまだまだ暗く、コインパーキングで駐車し、歩いて彼が住んでいるマンションへと向う。もちろん、外には誰もいない。マンションは東京にあるマンションほどは高くないけど、比較的新しかった。中に入るには、外のインターホンで彼に頼んで開けてもらうしかない。寝てるとわかっていても、もしかしたらという期待を胸に、インターホンを押す。応答がない。もう一度だけ、押す。やはり、応答は無かった。あたしは日が昇るまで車に居ようと立ち去ろうとした時だった。
『昔と、なんも変わってねーな』
スピーカーから懐かしい声がする。
「起きてたの?」
『起きてたの?じゃねー。起こされたんだよ。5階の505号室な』
ドアが開き、中に入る。エレベーターに乗る。日頃聞こえない心臓の音が、ドクンドクン、鼓膜を響かす。エレベーターを出ると、彼が立っていた。昔より、大分日焼けして、男らしくなった。
「よう。」
「バスローブの格好で、よく家から出られますね。」
「皮肉っぷりも相変わらずだな。まぁ入れよ。」
奥にある505号室。彼の後をついていく。デザインされた、綺麗な部屋。言い換えれば、家庭的でない部屋。彼はキッチンに入り、私はソファーに座る。壁には彼が撮った写真が飾られている。
向かいあって座る私達。彼が入れてくれたコーヒーをゆっくり飲みながら二人だけの空か何を楽しむ。
「荒井真美さんのことについて何か知らない?」
あたしから口を開く。彼はコーヒーを飲みながら、ニアリと笑う。
「知ってると思ったからわざわざ来たんだろ?」
kunio。それは彼の本名ではない。あたしは、彼の名前を知っている。浮野翔、それが彼の本名だ。
「意地悪なところ、変わらないね。」
「真美は生きている。」
「今どこにいるの?」
「さあ。」
「真美さんのお父さんについては?」
「生きてるらしいよ。」
短い会話。また沈黙。
「どうして知ってるんだい?」
「何が?」
「あの学校じゃあ今でもアノ事件に関することは誰も知り得ないだろう?先生達だって、昔からいる方しか知らないだろうし。」
「あたしが彼女を知ったのはあなたが文化祭の時に展示した写真でよ?」
「でもあの写真には本名なんて載せてなかった。」
あたしは黙る。
「何を隠してるんだ?」
翔が顔を近づける。
「・・・見えるのよ。」
ぼそっとつぶやく。何が?と翔が聞く。
「彼女がミエルの。霊として。」
翔は別に驚くこともなく、淡々と質問をする
「いつから?」
「入学してから」
「本名は、霊から聞いたわけ?」
「ううん。あたしは聞いてない。本名は友達が聞いたって。本人から」
「その友達って誰?」
「なぜ、そんなことを知りたがるの?」
あたしは翔をじっと見つめる。何か隠しているような、そんな気がした。
「何か、隠してるでしょう?」
翔は立ち上がり、飲みかけのコーヒーを片手に、キッチンの方に向かった。蛇口を捻り、水か流れる音。それ以外、何も聞こえない。あたしも立ち上がり、キッチンの方へと向かう。翔はワインセラーから白ワインを取り出し、二つのグラスに注ぐ。コールドワイン。あまりワインが好きではないあたしが、唯一飲める。
「知りたい?」
無言で頷く。
「じゃあ交換条件。脱げ。」
「は?」
「嫌なら俺も言わない。」
グラスを手渡し、乾杯して飲む。あたしはワイングラスをジッと見つめる。葛藤。別に、荒井真美さんや石川真紀さんについてスッゴク、知りたい訳じゃない。あたしが知りたいのは、彼の過去。翔が隠している過去が知りたいだけ。翔の全てを知りたいだけ。ワインを一気に飲み干し、キッチンで脱ぐ。一枚、一枚。翔は裸になったあたしにキスをし、抱き寄せる。そしてそのままソファに向かう。
「そこに座って。」
言われるまま、座る。カーテンを開け、日差しが注ぐ。翔は棚に置いてあったカメラを取り出す。
「何するの?」
「何って決まってる。撮るんだよ。」
「は?」
翔はレンズをのぞき込む。黒いカメラ、大きなレンズが不気味に見える。
「冗談じゃないわよ!裸の写真なんて。」
「知りたくないわけ?」
黙る。翔はシャッターを切る。後ろを向け、上を見ろ、言われるまま。恥ずかしさで顔が赤くなる。
「真紀は俺の彼女だった。」
カメラのシャッターを切りながら話す。
「俺達は中学の時から付き合っていた。あの学校を受験するのも、二人で決めたんだ。」
今度は立って、と指示を受ける。
「そしたら死んじまった。愛していたのに。」
翔の言葉が胸に突き刺さる。
「俺はな、犯人を捜しているんだ。」
「犯人?」
「そう。何で両親が離婚するある理由にはある人物が関わってたんだ。そいつを見つけて、殺す。」
冷たい言葉。
「だから、あまりあの事件について嗅ぎ回らない方が身の為だぜ?」
翔はレンズから目を離し、あたしに服を着るように言った。
「お前にとって、裸で写真を撮られることと、何も知らないお前等があの事件を嗅ぎ回るっていうのは、同じ事なの、わかってる?」
「知らなかった。悪気はなかったの。」
「じゃあこれ以上関わるな。調べるな。わかったら帰れ。」
翔はあたしの服を手渡した。あたしは夢中で着替え、逃げるように出て行った。涙が溢れる。
あたしだって、ずっとあなたのこと、愛してるのに。
「おはよう。騒がしかったけど、誰か来たの?」
「おはよう。昔の友達がね、遊びに来たんだよ。」
「珍しいわね。友達が来るなんて。しかも早朝から。」
「あの事件が、何故か流行ってるらしい。」
「あら。何故?」
「さあ。でも放ってはおけないな。」
「あなたもそろそろ、動きましょう?私の方は、順調よ。そういえば、この前学校に足を運んだのよ。そしたらたまたま私を見た女子生徒が居たんだけどね、なんて言ったと思う?」
「なんて?」
「真紀がいるって。可笑しいでしょう?あの歳で真紀のことを知るはずがないのに。だから、殴っちゃった。そしてそそくさとその場を去ったわ。もしかしたら、彼女が何か握っているのかも、ね?」
いたずらに笑う彼女の頬を撫で、口づけを交わす。
新学期まであとわずか。夜突然電話が鳴った。麻弥からだ。電話に出るといつもの明るさはなく、大事な話があるからと家まで来て欲しいそうだ。夜外出することを少しためらったが、麻弥の家はここから二駅先ということで、自転車に乗って向かうことにした。秋が近づいてきた。母も幾分元気を取り戻したようで、最近は近所程度の外出は出来るようになった。健司も元気のようだ。
自転車をこぐ。こぐ。こぐ。
父さんのことは忘れられない。でも自分の中で、ある程度心の整理は出来た。
麻弥の家に着く、インターホンを鳴らす。ドアを開けてくれた麻弥。髪の色が黒に変わっていた。
「大事な話って、髪の色のこと?」
冗談を交えながら、お邪魔することになった。麻弥とは終業式以来連絡を取っていなかったので、なんだか新鮮だった。二階の部屋に入る。予想を裏切らない、麻弥らしい部屋。麻弥のお母さんがわざわざ飲み物とケーキを持ってきてくれた。冷たいカルピスを一気に飲み干す。
「話なんだけどね。」
「うん。」
いつになく暗い表情に、僕は身を構えた。
「冴織が、学校辞めたって。」
一瞬耳を疑った。冴織が学校を辞める?なぜ?
「どうして?」
麻弥が首を振る。僕は慌てて携帯を開く
「メールしたんだけど、返事がなくて。」
電話帳から冴織の名前を探し、電話をかける。出ない。
「このメールがね、さっき来たの。」
麻弥の携帯をのぞき込む。
『麻弥へ。久しぶり。元気にしてる?突然なんだけど、あたし学校辞めることになった。短い間だったけど、麻弥と過ごせて楽しかったよ。じゃ』
「私、どうすればいいのかわからなくって。」
麻弥はポロポロ涙をこぼす。
「家にはいってみたの?」
「家、知らないの。」
携帯が鳴る。冴織からだ。急いで出る。
「もしもし、冴織?どうしたんだよ。」
『なんだ、麻弥に聞いたんだね。うん、ちょっとね』
「今どこにいるんだ?」
『それは今は言えない。あのね、聞いてくれる?』
僕は冴織から、晃子先生から伺った話を聞いた。
『・・・と、言う訳なの。でね、これ以上この事件について探りを入れない方がいいわ』
「どうして?」
『それは・・・危険だから』
無言になる。冴織は外にいるのだろう、風の音が聞こえる。
『・・・あのさ、これは麻弥には言って欲しくないの。聞いてくれる?』
「うん。何?」
『あたし、今年で22歳なの』
「え?」
『あたしさ、小学校もろくに言ってなかったんだ。道を外して、ね。小学校に上がると同時にいじめにあってさ。いじめっ子がさ、お兄さんが暴走族らしくてね。そしてあたしは色々あって、その族に入ることになったの。たばこもお酒も、ヤクも全部体験して、荒れ狂って、少年院にブチこまれて。で、ヤク買うお金欲しくて身体売って。』
突然の告白に、ただ相づちをうつしかなかった。
『たまたま通りかかった学校でね、文化祭がやっててね。何を思ったのか、中に入ってあの写真にであった』
「うん。」
『綺麗だった。あたしにはない、輝きがあった。汚れのない、あたしが一番求めてるものが写ってた』
風の音で少し聞こえにくい。
『この学校に行きたいっておもったんだけど。ヤクってそう簡単にはやめられないわ。で、やっと今、学生になれた。』
麻弥が心配そうに僕をみる。僕は大丈夫だと、合図した。
『ホントはもっと学生生活楽しみたかったし、麻弥や圭吾といっしょにいたかった。でもね、ごめん。さようなら』
プチッと電話が切れる。かけ直しても出ない。今度は麻弥の携帯が鳴る。メールだ。
『ありがとう。でも、泣かないで。この後起こることに。さようなら、だいすきだよ』
夏。
蝉の死骸が転がる。
僕は死骸を蹴飛ばしながら、歩く。
西川沙耶。
飛べなくなった蝉の様に、東京の空を舞った。
夕焼け、僕はひとり、学校の教室に戻る。誰も居ない教室で、泣き叫ぶように訴える。
「なぁ冴織、居るだろう?冴織だったら、霊になって出てきてくれるだろう?お願いだ、返事してくれ、出てきてくれ」
今日はよく、風が吹く。
「真紀、いるんだろ?」
黒板の一点を見つめる。うっすらと、真紀の姿が見える。
「冴織に会わせてくれ」
真紀は、悲しそうな顔をし、首を振る。
「なんでだよ!なんで真紀は霊になって現れるのに、冴織は出てこないんだよ!」
真紀が、涙を流す。
冴織。
どうして自分から命を捨てたんだ?
冴織。
どうして。