五
真夏。
皆、山へ行ったり海に行ったり実家に帰ったり。
東京の住宅地はシンと静まる。
僕の家は思い空気が漂っていた。父から連絡はない。母は沢山の薬を飲み、元々細かった身体が一層細く、やつれた。毎日寝たきり。起きたと思えば奇声を上げ、自分の両腕を抉るようにかきむしる。
蝉はよく鳴いている。
冴織は旅行がてら、鳥取にいる晃子先生の所に寄るらしい。僕は渋谷の写真館に足を運んだが、彼は二年前に独立し、今はアフリカで写真を撮りに行っているらしい。夏休みなのに、何もすることがない。テレビゲームも、インターネットも、飽きてしまった。健司とは何度か遊んだが、ペットショップの手伝いが忙しいらしい。
壊れた母とただ毎日静かな家でただただ、長い一日が終わるのをじっと耐えるだけ。
このままではいけない、そう思い行動したのはお盆時。部活動も、先生も居ない学校に侵入する。廃校みたいに、静か。下駄箱には上履きだけが、ズラリと並ぶ。前のクラスの下駄箱に向かい、竹内をはじめ僕が嫌いな男子の上履きを左右逆さまにしとく。小さな反抗。前のクラス、窓際の一席に彼女がひとり、座っていた。黙って近づき隣に座る。長い間、ただ座っていた。暑さに耐えられず窓を開ける。今日は風が吹いていない。ワイシャツの袖で額の汗を拭う。
「誰も居ない教室は、寂しい」
彼女は視線を外に向けたまま、ポツリと呟く。
「真紀はいつもここにいるの?」
初めて彼女の名前を呼んでみた。彼女は振り返り僕の顔を見る。
「私は学校の外には行けない。」
悲しそうな顔をする。僕はそう、と呟く。
「でも、お盆と、正月はね、家に帰れる。外に出られる。」
「良かったじゃん。実家はどこ?」
彼女はうつむく。
「実家はもうない。両親は、私を供養してくれてないから。」
「酷いね。真紀の、えっと…お墓は?」
「千葉にある。海がよく見える所。でも千葉に思い入れはない。」
「そっか……。あ、ねえ、どうしてこの前?麻弥を殴ったりしたの?」
「麻弥?誰、その人」
「ほら、僕といつも一緒にいる、ロリータ風、わかるかな?フランス人形っぽいって言った方がわかる?」
「知らない。」
「ちょっとまって、たしか携帯にプリクラがあったはず。」
「自分が見たいものしか、見えないんだよ。私達は。」
顔を上げ、真紀を見る。
「しかも、私は人にも、物にも触れられない。」
「そっか、そうだよね。ごめん、変なこと言って。」
じゃあ、麻弥が見たのは、一体誰だったんだろう。
ジワジワと鳴く蝉。
悪いことしたな、というちょっとした罪悪感から、口を開く。
「ねえ、今は外に行けるんだろ?お盆だし」
「うん。」
「どっか行きたいとこないの?暇だし。付き合うよ?」
馬鹿な事を言うな、って自分でも思ったけど、
「本当?本当にいいの?」
初めて彼女が興奮して話す姿をみて、どうでも良くなった。彼女が霊であろうと。
「渋谷に行ってみたい。09に。」
「マルキュー?ああ、109ね。わかった。じゃあ明日の10時に○○駅に集合…来れる?」
彼女はうん、とうなずく。霊と渋谷に行くなんて、映画やドラマみたいだと思う。非現実的すぎて僕はどうかしてるとも思う。でも、父が居なくなり母が壊れ、僕はいじめにあい…みんな自分には関係ない話だと思った出来事が起こった今、何が普通で、何が普通でないのかわからなくなった。教室を出る間際、
「約束だよ。私、待ってるから。」と言う彼女に手を振り学校を後にした。
10時。改札前の柱に彼女は立っていた。いつも通り彼女は制服姿。
「ごめん、待った?」
「昨日からずっと。」
「はぁ?疲れたでしょ。」
「面白い事言うね。」
彼女はクスッと笑う。初めて彼女の笑い顔を見た。僕は渋谷迄の切符を一枚買って、電車に乗り込んだ。電車の中では無言。本当は色々彼女に話掛けたいんだけど、流石に周りの人の視線が気になってしまう。お盆で人気がない住宅地と違い、渋谷は人がたくさんいた。
「てかさ、何で制服なの?」
渋谷なら、独り言を行っているように見える僕に誰も気に留めない。
「制服姿で燃やされたから。」
「ごめん。」
「謝らないで。」
スクランブル交差点。人の波に乗りながら、銀色に光るビルに向う。店内は冷房が効いてて涼しかった。が、僕がいるべき場所じゃないと気付いた。女性ばかり、きらびやかな服や、小物がずらりと並ぶ。茶髪で細身の店員が呼び込みをする。彼女は嬉々として色んな店の中に入っていった。僕は店の外でただ彼女を眺めていた。周りの人には見えない彼女。
「この店、みていい?」
彼女はLIZLISAとかかれた、なんとも女の子らしい店に入っていった。フリフリ、白やピンク、花柄のワンピース。彼女が手招きする。僕は中に入るのをためらいつつ、ゆっくりと彼女の傍にいく。
「これ、可愛い。」
彼女が指差したワンピースを僕は手に取る。白い生地、中生地に花柄。二枚重ねでウエストには薄ピンクのリボン、背中には白いリボン。
「いかがですかぁ?これ、新作で一番人気なんですよぅ。」
髪の毛をクルクルに巻いた、店員が話し掛けてきた。僕は戸惑う。
「彼女にプレゼントとかですかぁ?」
「あ、はい。でも、」
「じゃあこれぴったりだと思うんですよ~人気で、白は今出てるのしかもうないんです。これの色違いですけど、あそこの店員が着てます。きっと彼女、喜ぶと思いますよぉ。」
確かに、可愛いと思った。でもこれを買ったって彼女が着れるわけがない。チラと彼女を見た。楽しげに店内の洒落た商品、同年代くらいの客をじっと見つめていた。無邪気で、でもどこかしら寂しげな目。ああ、私もこんな格好して、こうやって友達とお買い物できたらな・・・と言っているかのような。
「じゃあこれ、買います。」
ありがとうございますと店員は笑顔。可愛い紙袋に包装してくれた。こんな姿を知り合いに見られたら間違いなく誤解されてしまう。急いで僕は持ってきた鞄の中に押し込んだ。
「千葉に行こうか?」
マックで一人昼ご飯を食べながら、迎えの席にいる彼女に話しかけた。若者でごった返した店内では、もちろん僕の声なんて誰も気にしていない。
「いいけど、なんで?」
「なんとなく。」
「じゃあ行こう。」と、言うなり彼女は走って行く。人混みを通り抜けて。僕は身体をよじり人混みを掻き分け彼女の後を追う。
スクランブル交差点。人の流れに逆らい、メトロに乗り込む。いつもなら、嫌だといって行かない。いや、そもそも霊と話なんかしないし、霊になんかと渋谷に行かない。服なんか買わない。でも何故か、身体が勝手に動くかのように、彼女の言いなりになってしまう。
不快感はない。
新橋で乗り換え。千葉駅でまた乗り換え。
どんどん知らない世界。
どんどん高いビルから緑の景色。人気がない電車。彼女は外の景色を黙って眺める。
ガラス窓には僕しか写っていない。ゆっくり目を閉じた。彼女に起こされるまで、つかの間休憩。
駅から降りた、直ぐにバス。彼女の墓場につく頃には16時を回っていた。海風が気持ちよい。久々の、海。
ズラリと高台に並ぶお墓、彼女の姿は見えなくなった。僕は一つずつ墓石に刻まれた名前を見る。彼女の墓は荒れ果てていた。伸びきった雑草。僕はしゃがみこみ、丁寧に雑草をむしる。彼女が言っていた通り、両親は供養をしていないらしい。何だかとても、悲しい気持ちになった。だから無心で、ひたすらむしる。雑草をひと通り抜き終えたら水場へ。置いてあったバケツに水を汲み、タワシやスポンジを持っていなかったので、ハンカチを水に濡らして墓石を磨く。砂でカサカサになった墓石。白いハンカチは直ぐ茶色に染まる。
石川真紀の文字を一つずつ、拭き取る。干からびた花立てを水ですすぎ、雨水の跡が付いた香炉を綺麗に拭く。ばあちゃんと墓参りへ行っていた昔を思い出す。
『ご先祖様が眠っているお家なんだよ。だからスポンジやタオルで丁寧に磨かなきゃなんねえ。水は上からかけるでねえ。』
彼女のお墓は綺麗になった。僕は汗だくになったが、気持ちが良かった。
「香典がなくてごめん」
僕はそういって、買った服を供えて手を合わす。海風が吹く。
大きな夕日。
きらびやかに輝く水面。
カーテンのように、白いワンピースがふわりとダンスする。
夕日に輝く彼女の髪。
満面の笑み。
風が一吹き、
彼女がふわり。
「ありがとう」
彼女とワルツを。
唇が、冷たくなった。風のせいなのかそれとも。
家に着く頃には辺りは暗く、リビングには夕食が置いてあった。唐揚げと味噌汁、五穀米。電子レンジで一つずつ温める。
「遅かったね。」
叔母さんが起きてきた。毎日、保育園の仕事をしながら僕等の面倒をみてくれている。
「お母さんは?」
「寝てるよ。」
「お父さんは?」
「連絡ない。」
毎日の日課。それ以上の会話はあまりしない。叔母さんは台所で麦茶を飲む。僕は暖まった夕食を黙って食べる。テレビを付けて、気まずさを紛らわす。僕の知らないお笑いが、芸をする。流行っているらしい、一発芸。ズグダンズ・・・よくわからない。何がおもしろいのか。
「明日、町内会の祭りがあるんだけど、来る?」
「行かない。」
知らない人ばかりの祭りなんて、面白くない。食器は自分で洗う。
「スイカ冷えてるよ。」
キュッと蛇口をしめ、タオルで手を拭く。冷蔵庫からスイカを一切れ取出し二階の部屋に向う。
スイカを食べながらメールを打つ。今日あったことを綴る。彼女にキスをされた。かも、しれない。もちろんこのことは書かずに送信した。すると直ぐに冴織から返信がきた。
『すごいじゃんΣ(・ω・ノ)ノ こっちは晃子先生と話できたよ♪詳しくは新学期に話す(★≧艸≦)楽しみにしてて』
なんで女の子は絵文字が多いんだろう、と思いながら返信する。
『楽しみにしてる(笑)』
パタンと携帯を閉じる。目を閉じ、今日の出来事を振り返りながら。星の見えない東京。夏が終わろうとしている。