プロローグ
「普通ってなにさ?」
オレンジ色に染まったカーテンが、閑散とした教室で踊っている。
規則正しいかけ声が聞こえる。
夕日よりも明るい髪が、
カーテンよりもしなやかに踊る。
「普通ってのは、シカトとかそういうのがなくてさ、仲間と冗談言い合えることだよ。」
僕の声は震えていた。
電柱のように立って。
今日はよく風が吹く。
時々カーテンと彼女がダンスする。
「僕はただ、平穏な毎日を過ごしたいだけなんだ。みんなみたいに」
黒板の日付を見る。
あと20日我慢すれば僕は解放される。
「じゃあそうすればいいのに。」
「できたら苦労しないさ!」
教室が怒りで満ちる。
どんどん教室が赤く染まる。
「それじゃあ何も変わらない。」
そういって彼女の姿は見えなくなった。
カーテンだけがワルツを。
夕日が沈む。
夏休みが待ち遠しい7月。
5月。第一志望の高校に、満足して通っていた。
新しい仲間もでき、中学校からの仲間とも相変わらず仲が良かった。
部活動は大変だけど、帰り道に食べるパンが旨かった。
中学から付き合っている彼女とも未だに続いている。
その日がくるまでは。
いつも通りだったんだ、家に帰るまでは。
「父さんがいなくなったの。」
母が帰ってきたばかりの僕に伝えた最初の一言。
最初は意味がわからなかった。
「ひとまず、メシ。」と、言うと同時に泣き崩れた母。僕はただ、母を見つめていた。どうしていいのかわからないから。
一通り泣き、ゆっくり語り始めた。本当に、家から出て行ったらしい。振り返ってみれば、入学式を終えた以来父とは顔を会わせてなかった。父は僕が小さい頃から帰りが遅く、時には残業で帰ってこない日が多々あったので気にもとめてなかった。
僕にとって父が家に居ないことが当たり前になっていた。
だから、父が帰ってきてないことに気付かなかった。母曰く、携帯に連絡しても繋がらず、会社も最近辞任していたらしい。
「なんでもっと早く言わなかった?」
「今日、お金を下ろしに行ったら、口座に、無かったのよ。」
ティッシュで鼻をかみ、目を真っ赤にして話す。僕は母を他人のように見つめていた。
「私、恐くて。」
「何が?」
「自分が、パパに捨てられたって、認める事が。」
それから僕の人生は狂った。母方の実家にお世話になることになり、僕は名前を聞いたことのない高校に通う事に。通えない距離じゃないと反発したが、叔母がダメだと言った。母は壊れて薬を飲んでる。よく泣く。
「ケイちゃんが居なかったら、ママ、死んじゃう。」これが最近の口癖。
僕は知らない高校に愛着なんてわかなかった。そして、転校早々いじめにあった。初めはシカト、次にモノがなくなったり、逆に増えたり。気付けば学校で言葉を交わす人が居なかった。
心はぼろ雑巾。家庭もぼろぼろ。
いっそ、非行に走ろうか?それとも引きこもり?この際死んでやろうか?
誰もいなくなった教室で、黙々とゴミ箱から私物をかき集める。
リプトンやガムが付着した教科書。
僕が何をしたっていうんだ。
ゴミ箱の前で声を殺して泣く。ああ、死にたいなって思った。
そして少しずつ、いっそ死ぬなら
みんな殺してやろう。
っと考えが浮かんだその時、ふと人の気配がして振り返った。見知らぬ女子生徒が、僕の方を見ていた。
僕は睨み付ける。今の僕なら、殺せるぜ?くるなら、来いよ。
「・・・はは、馬鹿らしい。」
彼女はふふっとあざ笑うように笑った。
「何が?」
そういえば、筆箱にカッターナイフがあったな。彼女の方へ近づく。正確に言えば、自分の席に。
「あんた、誰?」
ああ、あったあった。カッターナイフ。僕は手に隠してゆっくり彼女の方を見る。
「は?あんたクラスメイトじゃないの?」
近くで見ると、彼女は陶器のように薄い肌をしていた。目は相変わらず僕の方を見ている。
「そこ、あたしの席なんだけど、あんた誰?」
彼女が僕の席を指さす。
「意味がわからないんですけど。ああ、“消えてくれ、お前はクラスメイトなんかじゃないの”って言いたいわけ?」
「君、いじめられて居るんだ。」
瞬時に彼女の脇腹を刺した。意外と簡単にできるんだな、って思った。
「・・・かわいそうな子。」
冷たい声が全身の血の気を引いた。
「あんた、誰?」
彼女は同じ質問を繰り返す。痛み苦しむ気配がない。僕はゆっくり、カッターナイフを引いた。血が付いていなかった。手が震え、身を引いた。怒りの目から恐怖の目で彼女を見つめる。
「あんたこそ、何者だよっっさ、、、っ刺しても血がでないって。」
カーテンがばっと舞い上がり視界を遮った。
そこには、誰も居なかった。
「藤川君、ちょっといいかな。」
終了式。担任が下駄箱前に立っていた。僕は黙ってうなずき、先生の後をついて行った。日頃一年生は使えないエレベーターに乗り込み、4階で降りる。この学校に興味が無かった僕は、自分の教室や理科室など限られた場所しかしらない。4階はしんとしていてどことなく、埃ぽかった。担任はある教室前で立ち止まり、振り返る。
「率直に言おう。クラスを変えないか?」
あまりにも突然すぎて、固まった。
「いや、君がいじめにあってると聞いてね。」
知ってたくせに。今まで見て見ぬふりをしていたのに。
「無理することはない。君の顔を見ればわかる。」
「どうして、突然?」
「君に死んでもらったら困るんだよ。わかってくれ。」
僕が死ぬ。考えてなかったと言えば嘘になるけど。
担任の目は真剣で、期待している言葉を僕の口から出るのを待っているようだった。
「わりました。でも一つだけ質問、いいですか?」
なんでもきいてくれ、と安心した顔で僕をみる。
「ここ、どこですか?」
「ああ、新しいクラスだよ」
「いえ、そうじゃなくて。」
先生の頭上にある札にはD組と書かれていた。それを指さす。
「一年D組、ってうちの学校は数字組だったと思うんですけど。人気もないし、なんかヤバイ感じがするんですけど」
「このクラスだけ特別なんだ。」と、僕の型に両手を置く。
「きっと、君とって居心地が良いはずだよ。」
ニコリとぎこちなく笑って先生は立ち去った。逃げるかのように。
くもり硝子の置くには、何があるんだろう、まあ。どうでもいいか。明日から学校ないんだし。
ゆっくり、ドアを開けた―――