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愛人ばかりを愛する御曹司と婚約することになったわたしは神様に頼んで全てを断ち切ってもらうことにしました  作者: 夏草枯々


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9.肌

「お昼は素麺だって」


「えっ超好きー。夏はやっぱり素麺だよね」


 そんな会話をしていると光くんのお家が見えてきた。

 屋根の瓦が白く輝く平屋の日本家屋だ。


「ただいまー!」


 扉を開けて光くんは大きな声を廊下へと響かせた。

 玄関から知らない匂いがした。ラベンダーの香水のような落ち着く香りだ。


 ──わたしの知らない生活がここにある。


 ここまで来て本当にお邪魔しても大丈夫なのだろうか、と不安になってくる。


「はいはい。おかえり、おかえりー」


 奥からスリッパの底がフローリングを打つ柔らかな音が聞こえてきた。

 ガラスの扉が開き出てきたのはショートヘアをした黒髪の女性だった。目元が少し光くんと似ているような気がする。多分、光くんのお母さんだろう。


「初めまして。光くんに昨日から村の案内をしてもらっている栄香紅と申します」


 就活中に染み込んだお辞儀をする。


「昨日言った栄香さん」


「いらっしゃーい。狭いけどゆっくりして行ってねー。もうお素麺できてるから、手を洗って。光は洗面所教えてあげなさい。それと洗濯物持って行くこと」


 明るく聞き取りやすい芯ある声だ。

 うちの母と違い雰囲気にどこかどっしりとした力強さを感じる。

 光くんは「はいはい」と靴を脱いで廊下を進む。なんだかまだまだお母さんの前では乱暴な言い方をする子供っぽい所がある事を知れて面白かった。


「栄香さんはそのスリッパを使っちゃって良いからねー」


「はい。ありがとうございます。使わせてもらいます」


 予備で持っておいた靴下を履いてから一つだけ式台に置かれていたスリッパを履く。この新品のスリッパはもしかしてわたしのために用意してくれたのだろうか。もしそうだったら──。


「こっち」


 嬉しいような恥ずかしいような気持ちに浮かれながら、先に行く光くんの後を追って洗面所で手を洗った。

 その後、光くんがダイニングの方へと案内してくれた。


 ──綺麗な写真。


 ダイニングの壁にピンで留められた風景写真が並んでいる。

 誰かご家族の趣味だろうか。

 自然と吸い込まれるように近寄って指で写真をなぞる。

 昨日訪れた駄菓子屋や川蝉の写真があって、どうやらこの村で撮られたらしいことに気付く。


 背後から「これ光が撮ったのよ。綺麗な写真でしょー?」と光くんのお母さんの声がした。

 わたしは「はい」と答えながら振り返る。


「やっぱり、他の人から見てもセンスあるわよね。お父さんとコンクールに出そうかってこの前、話してたのよ」


 光くんにそんな才能があったなんて知らなかった。

 確かによく見ると光くんが村の案内で連れ行ってくれた場所ばかりだった。


「やめてってば。なんとなく適当に撮っただけだから賞なんて受かる訳ないよ」


 廊下の方から恥ずかしそうな光くんの声が響いてくる。

 お母さんが隣に立って写真を見ながら目を細めた。


「この写真、光が大学を決めたあたりから突然撮り始めたのよ。口ではなんだかんだ言いながら好きなのね。ここが」


 先ほどとは違い光くんのお母さんは穏やかな口調で言った。

 わたしも写真を見ながら「そう思います」と答える。

 山間(やまあい)に沈んでいく太陽や羽を広げ飛び立つ瞬間の川蝉、枯れた竹に止まった赤蜻蛉。きっと光くんはちゃんと狙って撮ったんだろ。

 いずれ出て行くこの村を綺麗な思い出として残せるように。

 光くんがリビングの方に戻ってくるとお母さんは「後は光がしてあげなさいね」と部屋を出ていった。


「栄香さん。お待たせしました」


 光くんがテーブルの方でコップに麦茶を注いでくれている。


「ううん。お茶ありがとう」


 テーブルの上には涼しげなガラスのお皿に素麺が盛られていた。

 刻んだきゅうりや刻んだハム、その他の薬味までしっかり着いていて手間のかかっている事が伺えた。


 ──改めてお礼をしておかないと。


 光くんと反対側の椅子に座りスマホにメモを残しておく。

 顔を上げると光くんと目があった。

 不思議そうな表情をしていたので「改めてお礼のメモをね」と伝えると光くんは「良いのに」と曖昧に笑った。


「じゃあ食べましょうか」


「うん。なんかこうやって一緒のタイミングでご飯食べるのって久々」


「確かに。わざわざ揃えることってあんまりないかも」


 それからわたしたちは「いただきます」と声を合わせて食べ始めた。

 素麺を啜ると浸けた出汁の豊かな香りがふわりと鼻に抜ける。


「美味しい」


 わたしは口元に手をやりながら目を丸くした。

 自分で市販の出汁を使って素麺を作った時よりも風味が良い。もしかすると出汁まで手作りなのかもしれない。

 光くんはお腹が空いていたのか流し込むように素麺を食べていた。

 そんな食べ方では味も分からないだろう。


 ──光くんにとってはこれが当たり前なんだよね。


 お母さんがご飯を作って家で待っている。

 わたしも高校生の頃、家に帰って自分でご飯を作る、なんて考えたこともなかった。お母さんが用意しているものか自分で買ったものを食べたはずだ。それが今では──。


「光くんのお母さん、料理上手だね」


 落ちそうになる気分を持ち上げるため光くんに声をかけてみた。


「そうなんですか?」


「うん。上手」


「へー。よかったです」


 光くんが素麺を啜る。

 あまり伝わってないな、と苦笑いしながら素麺に生姜を乗せて啜った。生姜の爽やかな風味と共に味にもアクセントが出る。

 また箸が素麺へとのびていく。

 わたしたちが素麺を食べ進めている最中、光くんのお母さんが空のコップを持って横を通った。


「美味しい?」


「美味しいです」


 もっと色々と光くんのお母さんに伝えられる事があったはずなのに、頷いてその一言で終わらしてしまう。


「美味い!」


 光くんは一言で元気よく言った。

 光くんのお母さんはわたしたちを見ながら目を細め目元にしわを刻み「そー。やっぱり夏の間はずっと素麺で良いわね」と宣言するようにはっきり言って頷いた。


「それは勘弁して。今日だけで良いよ」


「ダメダメ。いっぱいあるんだから。お父さんと二人で消費しなさいな」


 それを聞いた光くんが諦めたように苦笑いを浮かべ頷いている。


「じゃあごゆっくりー」


 コップに麦茶を注いでから光くんのお母さんはまたお部屋に戻っていった。

 その堂々とした力強さが羨ましい。

 わたしなら部屋に上げることも出来ないだろう。自分の家なのに人の目がある環境なんてきっと耐えられない。

 ふと、至留のことが頭によぎる。


 ──至留は一人暮らしをしているし、まずは同棲でも。


 勝手に舞い上がっていたわたしの前で、あの時の至留は何を思っていたのだろう。

 ちゃんと顔を見ておけばよかったな、とわたしは小さく息を吐き出す。

 ズズズと間抜けな音が聞こえた。

 見ると光くんが勢いよく素麺を啜っていて、わたしは目を細めた。


「お腹いっぱい」


 わたしは最後に取った素麺を食べ終え箸をおく。

 お皿には一人前ほどの素麺が残っていた。始めは山盛りになっていたことを考えればかなり減った方だと思う。


「無理に食べなくていいですよ。俺があと食べるんで」


「ほんと? 結構光くんも食べたよね」


「まあ、でも食べれます」


「さすが」


 育ち盛りの男の子はやっぱり凄い、と素直に感心する。

 その後、宣言通り光くんは綺麗に素麺を食べ終えた。


「大丈夫ですよ。本当に」


「いやいや、ご馳走になったんだしそのくらいはしないと」


 光くんが皿を片付けようとするのを、わたしは慌てて引き止めた。ずっと頼りっぱなしなのが申し訳ないし、このままただボーッと座っているわけにもいかないだろう。


「じゃあ洗う場所教えます」


「うん。教えて」


 光くんに案内されるままわたしはキッチンへとお邪魔して一緒にお皿を片付けた。

 わたしがお皿を洗い、光くんがキッチンタオルでお皿の水を取って置く。

 いつもなら全て一人で音楽を聴きながらの流れ作業だけど今日は隣に光くんがいた。


「光くんのお家、お皿多いねー」


「はい。なんかいつの間にか増えてます」


「お母さんが趣味なのかな? お皿集め」


「そんな人います?」


「いるいる。結構いるよ」


「へー変わってる」


「えーそうかな?」


「漫画とかなら分かりますけど」


 薬味のお皿をスポンジで洗いながらわたしは声を出して笑った。


「それとはちょっと違うんじゃないかな」


 そうですかね、とどこか満足げな表情で光くんがお皿を拭いている。


「あっ……お皿はこれで終わりみたい」


 わたしは最後のお皿を光くんに渡してから至留へ連絡を入れた。

 何時くらいに着きそうですか、という当たり前の連絡も返信がくるかは怪しい。昨日の電話が珍しいだけでいつもそうだ。すぐ電源を切って光くんを探した。


「栄香さんはまだ時間ありますか?」


 リビングからそのまま続くダイニングの方で光くんが立っている。


「うん。あるよ」


「じゃあ何しましょう。ゲームでもします?」


「あっ良いねー」


 それからわたしたちはゲームを始めた。

 久々にやるゲームは下手だったけど、それでも楽しくて、あっという間に時間が過ぎていた。

 部屋が暗くなり始めてから、ようやく予定よりもだいぶ遅くなっている事に気付いた。窓の先には赤く滲んだ空が見えていた。


「帰りましょうか」


 うん、とコントローラーを光くんに返しながらわたしはスマホを取り出す。

 画面を見てほっと息を吐き出した。

 至留からの返信はない。別荘についていれば何かしらの連絡は来るだろうから、まだ大丈夫だと思う。


「大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫」


 来た時と同じように光くんの自転車の後ろに乗って、わたしたちは暗くなってきた道を進んだ。自転車のヘッドライトに照らされる森は不気味で突然何か出てきたら泡を吹いて倒れる自信があった。


「心霊スポットみたい」


「森って夜になると途端に不気味に見えますよね」


「うん。やっぱり光くんでもそう思うんだ」


「まぁ俺は幽霊より猪の方が怖いです」


 猪と言われても実感が湧かない。

 わたしに想像できるのは干支やジブリ映画に出てきた猪くらいだ。


「猪って襲ってきたりするの?」


「あいつらは平気で突っ込んできますから」


「ヤバいね」


「はい。出会ったらヤバいです」


「もし出会ったらどうするの?」


「百八十度回って逃げだします」


 なんて事はない返しのはずがわたしは大きく口を開けて笑っていた。

 コントじゃん、と言うと「本当に出会ったら笑い事じゃないんですけどね」と至極真面目な調子で返されて、それが余計にツボに刺さった。

 気付けばいつの間にか別荘までの一本道にいた。

 暗くて狭いこの道をあと数分も進めば別荘に着いてしまう。わたしは強く光くんの服の裾を握って引いた。


「ねえ、光くん」


「はい?」


「ここから先、歩いて行かない?」


「良いですよ」


 光くんが道の脇に自転車を止める。

 わたしたちは月明かりを頼りに夜道を進んだ。

 周囲が暗いからか自然と体を寄せ合い腕と腕が当たった。

 それでもまだわたしたちを引き合う謎の力は留まらず、わたしは光くんの腕を取って引き寄せた。

 指先に沈む光くんの腕の肌が暖かくて少しだけ安心する自分がいる。


「そういえば光くん写真撮るの上手なんだね」


「ああ、壁のあれですか。ありがとうございます」


「あれって光くんの一押しスポット?」


「まぁはい。そんな感じです」


「そっか。こんなに自然豊かなところに来たことなかったから色々と見られて楽しかった。ありがとう」


「ほんとですか。良かったです」


 暗闇の中で光くんの(とろ)けたようなあどけない笑顔は明るく見えた。


「彼氏さん、もうすぐ来られるんですよね」


 光くんはもうすぐそばまで来ていた別荘の方を見ていた。勘違いでなければ、どこか寂しそうな声色だった。

 わたしはうんと答えて腕に添えている指を動かす。肌の張り、その下から浮き出ている血管、さらにその下の筋肉の硬さと筋繊維の流れまで指でなぞっていく。


「栄香さん。最後に写真撮って良いですか」


「……うん。二人で撮ろ」


 光くんは短く、でもはっきりと「はい」と答えた。

 光くんの向けるスマホのの画角内に収まるよう、わたしたちは頭と頭を引っ付けて笑った。

 頭を動かすたびにわたしたちの髪がざらりと擦れ合う。歯車同士が噛み合うみたいに髪と髪が絡み合い一つになった気がした。


 ──いずれ出て行くこの村を綺麗な思い出として残せるように。


 触れ合っていた頭の重さが無くなる。

 光くんの満足げな表情がスマホに照らされて暗闇の中に浮かんでいた。撮った写真の確認をしているのだと思う。わたしは一人腕を抱え暗がりで視線を彷徨わせていた。


「後でさっきの写真、LINEに送りますね」


 光くんがはにかむように笑いながら、わたしの方を見てスマホに視線を戻す。

 その瞬間、わたしは前に一歩距離を詰めていた。わたしたちの間には手のひらひとつ分くらいしかなくて、息を吸うと光くんからはお日様みたいな香りがした。心臓が激しく動いて体全体を揺らしている。

 大丈夫かなという一瞬の迷いもあったけれど、それ以上の気持ちに強く背中を押された。


「光くん」


 光くんは「はい」と答えながらスマホから顔を上げた。目が合う。驚いているようで目を丸くしていた。


「良い?」


 ほとんど答える間も無いまま、わたしが顔を近づけると光くんは体を固くして目を瞑った。頭はほぼ真っ直ぐで唇は硬く閉じられている。

 わたしは顔を傾けて目を閉じて、彼の一文字に結ばれている唇へゆっくりと触れた。沈んでいった場所から人のぬくもりを感じる。


 ──暖かくて柔らかい。


 鼻から入った光くんの匂いが脳へと届き、体の奥が熱くなってくる。唇を離し手を背中へ回して体を寄せた。もう一度、口を軽く開けてから重ね、唇に軽く力を入れて唇の先をつまむ。

 目を開けると光くんはあれから微動だにしていなかった。唇は硬く閉じたままで、息も止めているようだ。

 わたしは光くんの硬い髪を指先で撫でてノロノロと後ろへ下がった。


 ──何してるんだろ。


 離れると急に不安に襲われて、うなだれた。

 あれだけ熱かったはずの体が水でもかけられたように冷たい。

 この先なんてあるわけない。わかっていたはずなのに。

 わたしは(すが)るような気持ちで顔を上げ光くんを探す。


 ──ああ、して良かったな。


 光くんは耳まで真っ赤にして俯いていた。

 自然と力が入っていた頬の筋肉が解けていく。先程までわたしたちが重なっていた自分の上唇を舌で舐めた。

 これでわたしを光くんに写真じゃない形の思い出として刻めただろうか。

 ふっと笑って可愛く染めた赤い頬へ手を伸ばそうとした時だった。

 突然、車の砂利を踏み締める音と共に明るいライトが道の方に見えた。

 多分、至留の車で──。


「じゃあっ」


 弾かれたようにわたしは裏口の扉を開け別荘の方へ駆け出した。

 扉の鍵を回しながら確認したスマホに至留からの返事は無い。

 日常が再び始まったのだと分からされ、前髪をかき上げてくしゃりと握った。

『面白かった』


『続きが気になる』


と、思ったら下の評価☆とブックマーク⬜︎の方をモチベになるのでよろしくお願いします!!


一月ぶりの次話投稿です。

お待たせしました。

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