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6.向日葵

向日葵畑を近くで見ると大きな緑の葉っぱが生い茂っていて小さな森のようだった。そのてっぺんに飾りみたいな黄色い大輪の向日葵が咲いている。畑には肥料の匂いが満ちていて水を巻いたばかりなのか全体的にじめっとしていた。遠くから蝉の声も聞こえてくる。軽く目を瞑ってみれば深い樹海にでもいる気分になった。


「すいません。部活の顧問から電話が」


光くんがスマホを持って離れていく。

わたしは頷いて返し、


「うん。いってらっしゃい」


と見送った。

夏休みなのに部活の顧問から電話なんて大丈夫だろうか。サボりとかでは無いと良いけど。

ふと向日葵畑の方を見て項垂(うなだ)れて(しお)れている向日葵が目に入った。


──これだけ枯れてる。


昔、家族で見に行ったゴッホの十五本の向日葵を思い出す。その作品に描かれていた向日葵の多くは花弁が散っていて項垂れていた。それでもその絵からわたしはどこか力強さを感じたことも覚えている。


「この十五本の向日葵はゴッホが自身の耳を切る少し前に描かれたとされているんだ」


父が向日葵の前で語ったのはゴッホの耳切り事件だった。


「元々おかしい所のあったゴッホはゴーギャンと仲違いをした後に剃刀(かみそり)で自身の耳を切って、その耳を親しかった女性に渡したそうだ」


わたしの耳元でチャキリと折りたたみ式の剃刀を広げる音がする。自分で耳の付け根にカミソリを当てて真っ直ぐ落とす。渡されたその耳はきっと愛憎混じって呪いとなっただろう。

目を開けると太陽なのか向日葵なのか、とりあえず眩しくて(まぶた)痙攣(けいれん)した。

遠くでスマホを耳に当て真剣な表情で話をしている光くんの方を眺めた。木陰にいる姿を見るとどこか幼く小さく見える。


──あなただけを見ている。


向日葵の花言葉。その花が常に明るい太陽を見続けことが由来らしい。光くんならきっと覚えていてくれるだろう。

電話を終えたらしい光くんが太陽の元へ進みこちらへ歩いてくる。眩しそうに手で太陽を遮っている。表情は薄く笑っていてどこか浮かれているように見えた。


「あれですね。肥料に馬糞か何か撒いた後でここちょっと臭いですね」


思わずわたしは吹き出して笑った。

ムードも何もない発言だけど、それが良かった。暗いのはわたし一人で十分だ。


「ちょっと思ってた」


スマホを取り出し向日葵の写真を撮る。

ちょっこんと座るように一輪の真っ直ぐ咲いた向日葵が小さな画面の中に収まっていた。至留から昼間に何をしていたか聞かれたら散歩をしていたとこれで答えられるだろう。話しかけられることすらもきっとないだろうけど。


「光くんのスマホでも写真撮ろうよ」


「ああ、はい」


ポケットからスマホを取り出した光くんに手を差し出す。


「撮るから貸して」


「えっ俺をですか?」


「いや、二人で一緒に撮ろうよ」


光くんは渋々といった様子で頷いた。

光くんのスマホは一つ新しいもので画質がわたしのものより良いように見えた。

向日葵畑をバックにわたしたちは並び、それぞれポーズを取る。

表情が固い光くんに


「もうちょっと笑ってよ」


と言うと光くんから「はいっ!」とやけに元気な返事が返ってきて、にっと笑い想像以上に満面の笑みを作ってきた。

それを見てわたしも頬が綻び、さらに目は細くなった。


「はい、ちーず」


互いに頭を近づけ合って屈託の無い笑みを二人とも浮かべている。付き合いの長い友達同士みたいだった。


「後でLINEに送ります」


「うん。お願い」


それから二人向日葵畑をゆっくりと一周して、光くんが「次、行きましょうか」と自転車を持ってきた。


「どこ行くの?」


「川に行こうかな、と」


「へー、川?」


村の案内にしては不思議な場所だと思う。


「ここの川はたまに県外からも人が来るんですよ。キャンプとか釣りとかで」


「何か有名な川なの?」


「いや? さっぱり分かりません」


「そうなんだ」


スマホで調べたら何か出るかな、と考えてやめた。麦わら帽子を手で抑え風に揺れる青い稲を眺める。調べるのはどこか無粋な気がしたのだ。


──何もない川で良いんだよ。


「でも、昨日のことを両親と話してたら綺麗な川とか都会の人には珍しいんじゃ無いかって」


「うーん。そうかも?」


どういうイメージを持たれているのか分からないけど東京に川は意外と多い。


「光くんってご両親と話したりするんだね」


高校生でちゃんと家族とコミュニケーションを取っている事が少し意外だった。

わたしが高校生だった時は昼間は学校、帰りも部活と塾で遅かったのであまり話しをした記憶がない。自分で決めた受験の事をとやかく言われるのが嫌で勉強するからと部屋に引きこもりがちだったのもあるだろう。


「栄香さんはご両親と連絡とったりしないんですか?」


「そうだね。あんまり取ってない」


「そんなものですよね」


そんなものなのだろうか。これが正しい家族の在り方なのだろうか。よく分からない。


「栄香さん?」


気付けばわたしは光くんの肩を強く握っていた。

やってしまったと一気に冷や汗が出てくる。


「ごっごめんね。考え事してたから」


光くんは「いえ」と小さく言ってそれ以降、何も言わず前へ進み続けた。

わたしたちを乗せた自転車はいつの間にか森の方に入っていて木漏れ日の降り注ぐ細い道を進んでいた。鳥の高く穏やかなさえずりが聞こえてくる。

わたしは小さくため息を吐いた。


「着きましたよ」


顔を上げると先に自転車から光くんがわたしに手を差し出していた。

道中、黙っていたわたしを心配してくれているのだろうか。光くんの顔は真顔なのにどうしてかわたしはそう思った。


「ありがと」


光くんの手を借りて自転車から降りる。

遠くに渓流が見えていた。水が青く太陽に照らされた水面があちこちに反射し川全体がうっすらと青みを帯びているように見えた。

砂利の河原を歩いて進むと穏やかな川のせせらぎが聞こえてくる。

そっと川の水底を覗くと川底の石まで見えるほどに透き通っていた。


「近くの水は透明なんだ」


足元の水は透明なのに奥に行けば行くほど青みが増している。

川の奥の岩肌に青色の光が揺らぎながら映っていて幻想的だった。


「うわっ冷た」


ズボンの裾を捲った光くんが川に足の先をつけていた。

冷たいと言いながらもどこか楽しげな声だ。


「栄香さんもどうですか?」


光くんが振り返りこちらを見ながら言った。

幸い今日はバックの中にタオルを持ってきている。


──大丈夫。


周りを見て誰もいないことを確認し、サンダルを脱いでから水に足を入れる。

足の先から伝わった冷たさがあっという間に背骨を通って脳に伝わり全身を震わせた。

足裏に小石がぐりぐりとツボ押しのように突いてきて、わたしは痛いのか冷たいのかも分からないまま、縋り付くように光くんの手を取り腕に掴まった。


「大丈夫ですか?」


「うん。思ってたよりも冷たくて」


「湧水と同じですからね」


そうなんだ、と答えながら光くんから手を離し、行き場を失った手で自分の腕をキツく握った。

苔むした岩肌をボーッと眺めながら川の音に集中する。


「栄香さん」


「ん?」


「あそこ川蝉(カワセミ)がいます」


光くんの指差す先に鮮やかな青色をした小さな鳥がいた。細くて鋭い(くちばし)を水面に向けて川の中を覗き込んでいるようだった。


「綺麗だね」


川蝉がパッと二つの羽を広げあっという間に川の奥へ飛んでいった。

わたしはあの鳥みたいに──。


──今、自分の羽で飛べているのだろうか。


「ちょっと歩きますか」


光くんがわたしに向けて手を差し出していた。

わたしは体を横から絞るように腕を強く引いて、差し出された手をじっと見つめる。


「うん」


と答えて頷いて自分の腕から手を離し光くんの手を取った。

光くん手は少し冷たくて、でも、肌の奥底からはちゃんと人の暖かさが感じられた。いつぶりだろう。握られるのではなく自分から手を取ったのは。

それからわたしたちは並んで川の浅瀬をゆっくりと歩いた。

自然と光くんとの会話は弾み色々と言いたい事を言っているうちにそれなりの時間が過ぎていった。


「お昼ですねー」


うん、と答えながら腕時計を見ると一時を過ぎた時計の針。眉間に深いしわが出来る。

夕方ごろから至留を迎える準備をしなくてはいけない。遊んでいられる時間は後もう少ししかなかった。


「そうだ。お昼ご飯俺の家で食べていきません? 昨日、母が是非って。栄香さんが良ければですけど」


わたしは咄嗟にいや、と答えていた。

人様のご家庭でお昼ご飯なんていつぶりだろう。友人の家で食事は大学生の頃に何度かあっても、友人のご家族となんて。わたしは何も用意をしていないのだ。突然言われても困る。


「あっ何かもう既にお昼ご飯準備してました?」


「してないっ…けど」


「じゃあ、是非。もうあんまり紹介できる場所もないですし…ダメですか?」


隣からこちらを見つめてくる光くんの目を見てわたしの頭が勝手に頷きそうになる。


「お母さんってお家にいるんだよね?」


言い訳のような確認をする。


「はい」


光くんがわたしを真っ直ぐ見ながらしっかりと頷いた。

目を逸らし少し考え、


「じゃあ、うん。まぁ、良いよ」


小刻みにわたしは頷く。

光くんの表情が一気にフニャッと柔らかくなった。

珍しく素直に喜ぶ姿にわたしは友達と食事くらいじゃ至留も何も言わないよね、と心の中で自分に言い聞かせる。


「じゃあ母に今から行くと連絡しておきますね」


スマホを取り出しお母さんに連絡を入れているであろう光くんより少し先に岸に上がり足を拭いてサンダルを履く。ちゃんとバックに予備の靴下が入っている事を確認する。


「行きましょう」


うんと答えてから気付く。心臓が思いのほか早く動いている。どこか落ち着かないわたしの心がふわふわとしながら光くんの背中を見つめる。


──まさかね…


自転車の方へと先に向かう光くんの背中をわたしは少し駆け足で追いかけた。

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