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4.ラムネ

駄菓子屋の店内には木で作られた濃い茶色の壁一面にズラッとお菓子が並べられていた。天井から吊るされた駄菓子の詰め合わせや、お店の真ん中に置かれたテーブルにまでお菓子が並んでいる。店内のどこを見てもお菓子しか目に入らない空間にわたしの中のくすぐられた童心が幼い頃に読んだお菓子の家を思い出させた。きっとお菓子の家を中から見たらこんな景色なんだろう。


「うわっ」


声が弾む。

小さな頃、母に買って欲しいとねだったさくらんぼの駄菓子があった。今なら何個でも買える、と値札を見た。


──ちょっと値上がりしてる。


昔は数十円とかだったような気がするのに、いつの間にか三十円を超えて四十円近くなっていた。

やっぱり不景気だもんね、なんて駄菓子屋に似合わないことを考えしまう自分がいる。

隣の焼肉の駄菓子を見ておつまみには良いかもね、と少し至留に買って帰ることも考えたが今日家に帰ったばかりで戻ってくるとは思えなかった。


「それ、買うの?」


わたしの横から並べられた駄菓子を覗き込むようにして光くんが言った。

うーん、と曖昧に答える。まだ見ている段階で買うと決めたわけでは無かった。


「光くんは?」


「俺はいつものやつ」と手にしていた駄菓子を突き出すように見せてくれた。スナック菓子と味の濃いものが多い。でも、光くんの肌は荒れていなかった。水瓶の前で隣から見た時に綺麗だったから覚えていた。若さだろうか。羨ましい。


「あっラムネは先に言って買っておくから」


ラムネと聞いてわたしは瓶に入った白い錠剤のような駄菓子が浮かぶ。


「うん」


どういう意味なのか聞けばよかったのに日頃の癖でつい適当な相槌が出た。

光くんの白い制服の背中が離れていく。


──まあいいや。


再びわたしは駄菓子に目を落とす。

それから子供の頃には取らなかったであろう梅のお菓子とか細かいものを何個か取ってから顔を上げた。


「うん。そうそう」


「じゃあ寂しくなるねー」


「大丈夫だって、長い休みは多分帰ってくるし、またすぐ来るよ」


光くんが親しげに誰かと話していた。

近づくとレジの奥に座っていたお婆さんと話をしているのだと分かった。

髪は白く細くなり肌に皺ははっきりと寄って背は曲がっているのに目元の愛らしさや手入れされたつるりとした肌、それと愛嬌のある話し方が昔からずっと美人だったのだろうとわたしに思わせる。老後の蓄えで駄菓子屋を開いたのだろう。憧れる歳の取り方だと思う。


「はい。そちらのお姉さんは」


「これを」


「ん、ニ百八十万ねー」


「はい」


わたしが小銭を取り出す間に、お婆さんは手際よく袋に駄菓子を入れていた。


──ニ百八十万かー。


もちろんそれで戸惑ったりするような年齢ではないけれど、でもどこか懐かしくて少し心浮かれた自分もいる。

きっとこういう所でないと中々聞けない台詞だからだろう。

軽くお辞儀をしながらお婆さんから袋を受け取る。


「あら、見たことない別嬪(べっぴん)さんだねー」


お婆さんが細い目を何度か瞬きしてわたしを見た。まぶたの奥の視線がお年寄りとは思えないほどに力強く、固まってしまいそうになるわたしの背後でガラリと扉が開く音がした。むっとする風が吹いてくる。


「夏休みで遊びに来てるんだって」


振り返ると来た時と同じように扉を抑えた光くんがいる。

はい、と答えるわたしにお婆さんは


「あらーいらっしゃーい」


と目を細めて少なくなった歯を見せながら笑った。

わたしはふっと薄く笑う。いつの間にか入っていた肩の力が抜けた。

改めて深くお辞儀をして


「お邪魔してます」


と伝え、その駄菓子屋から出た。


「ありがとね。扉」


「ん、いや。別に」


いつも通り光くんはそっけなく言いながらお店の前にある木のベンチに腰掛けた。大きな丸太を半分に切っただけのような素材のままのベンチだ。

わたしも少し離れた場所に座る。

見上げると私たちの上に広がる暗い茶色のトタン屋根はプラスチック製らしくほんの少しだけ透けていた。

ガサガサと音がする。光くんが早速ビニル袋に手を入れていた。もう買った駄菓子を食べるらしい。お腹が空いていたのだろうか。


「はいラムネ。レジの下にあってお婆ちゃんに言わないと出てこないんだよね」


青いキャップに薄い空色の瓶、赤い文字で大きくラムネと書かれている。

わたしは向けられた瓶を見て固まった。


──ラムネは先に言って買っておくから。


光くんが言った言葉の意味を今、理解する。

ラムネを受け取らないわたしに「ん?」と光くんは首を傾げた。


「あっ、ありがとう。いくらだった?」


わたしは財布を取り出す。

受け取ったラムネは少し濡れていて冷たかった。


「別に良いよ。バイトしてたしこれくらいしかお金の使い時無いから」


カラン、と落ちたビー玉がラムネの瓶に当たって炭酸の弾ける音がした。

光くんが真剣な表情で上からラムネ瓶を抑えている。


「いやいやいや」


高校生なんだから欲しいものはたくさんあるはずだ。

わたしは財布から千円を取り出して光くんのポケットに押し込んだ。


──貸し借りはしたくない。


至留との関係で学んだ事だ。


──光くんには何も返せないから。


光くんは「別に良いのに」と顔を逸らす。

そのままシュワシュワと炭酸の弾ける音がするラムネ瓶に口をつけて飲んだ。白い肌の下で喉仏が小さく動く。ラムネが喉を通っている。光くんの喉もラムネみたいに少し濡れていた。


──別に良いのに。


拗ねたような口調だった。

素直に受け取っておけば良かったかも、とベンチに置いたままのラムネを見て、わたしは手を伸ばした。光くんがしていたようにラムネの蓋を上から押す。栓になっているビー玉へ上から力を込めた。


「うわっうわっうわ」


抜けたと思って手を離した途端に炭酸が吹き出した。瓶の口の方から白い泡が溢れてくる。指の隙間で炭酸が弾けた。

ふいに隣から大きな笑い声がした。

見るとラムネみたいに弾けた笑顔が眩しかった。光くんの細めた目を見て落ち込んでいた気分が泡になって浮き上がり消えていく。

わたしもつられて笑っていた。


「あーあー」


光くんが呆れたように言う。

わたしはようやく泡の収まってきたラムネを飲んだ。

炭酸が舌の上で弾ける。ラムネのさっぱりとした甘さは喉の渇いていたわたしに良く沁みて、体が少し涼しくなった。


「美味しいー」


ラムネを置いて、腕を空に突き出し伸びをする。

優しい風が吹いてきた。


「栄香さんはいつまで居るの?」


「それが分からないんだよねー。彼氏の都合次第になってるから」


わたしは袋から梅の駄菓子を取り出し一粒口に放り込む。

ゴリゴリと硬い梅が砕け、甘酸っぱくて少し塩気のある独特な味がする。


「もし二人に暇な時があればもう少し村の案内するよ? 駄菓子屋とかで良いならまだ色々あるからさ」


「良いの?」


「うん。部活も自由参加だし基本暇なんだよね。友達も近くにいないし遊ぶところもないから」


「バイトとかお勉強は?」


「バイトは受験勉強のためにやめちゃったんだけど、俺受かる所しか希望出してないからあんまり勉強してないんだよね」


「あーわたしも特に行きたい大学無くて、したい事も無かったから先生からお薦めされた大学を選んだから分かるよ」


「一緒、一緒」


軽く笑いながら光くんは言った。


「じゃあ遊ばないと。コツコツ今日まで勉強頑張ってきたから余裕あるんだし」


塾へ行って、テストのたびに復習をして、授業中には顔を上げ黒板を見てまじめにノートを取った。

周りにはサボっている人もいたけど、それでもわたしはちゃんと三年間やったのだ。

結局、なんだかんだで二学期に入れば再び勉強することになるだろうし、せっかくの夏休みにこれまで貯めてきた余裕を活かさないのは勿体無い。 


「…とは言ったけど」


至留が車を出してどこかへ連れて行ってくれるとは思えないし、彼氏の別荘へ勝手に人を呼ぶのは流石に気が引けた。他に何ができるだろう。


「うわっ」


わたしはベンチから立ち上がった。

腕の時計を見ると十七時を超えていたのだ。空が明るくて油断していたが、別荘から離れてかなりの時間が経っている。別荘を管理されていた方には村長さんのところに挨拶に行くとしか伝えていないので心配しているかもしれない。


「ごめん。もう帰らなきゃ」


わたしは残っていたラムネを全て飲み干す。残りの駄菓子はまた後で食べよう。


「おっけ」


光くんはすぐに立ち上がり自転車を持ってくる。

わたしが後ろに乗ると「急ぐよ」と立ち上がって漕ぎ始めた。

グングンと自転車は速くなっていく。


山の間に太陽が沈んでいく。空の端が茜色に染まり田んぼからカエルたちがうるさい位に鳴いている。

わたしは足を宙に浮かせてブラブラさせながら座った光くんの背中に体を軽く預けた。


──結構、疲れたな。


気持ちの良い疲労が体に満ちている。

朝から長時間車に揺られ村をあちこち周ったから帰ったらすぐに寝てしまう事だろう。


「ここで大丈夫」


別荘が近くなり帰り道も分かる所まで来ていた。

光くんの家は既に通り過ぎてしまっているし辺りも暗い。ここで十分だった。


「じゃあ」


光くんが自転車を止め、わたしは久々に地面に降りた。


「村の案内ありがとう」


「いや、こちらこそ」


あちこちから虫の声が響いてくる。

わたしたちはしばらく無言でその場で立ち尽くしていた。


──何してるんだろうわたし。


ここで待って、何を求めているのだろう。

光くんは自転車を持ったまま無表情で、わたしを見ている。別荘の方へ進み出さないわたしを不思議がっているのかもしれない。


「あの、まだ紹介したい所あるんだけど」


光くんらしいぶっきらぼうな言い方をしてから顔を逸らし首の後ろを手で掻いている。


「じゃあ今度そこ紹介してよ」


声に出してわたしの中で、また、静電気みたいな罪悪感が心の中で弾けた。


「うん。じゃあまた明日でも」


「あっうん。大丈夫」


光くんがサーッと自転車に乗ってあっという間に見えなくなる。

金色の髪が夜の暗がりに完全に溶けてからわたしは別荘の方へノロノロと進み出す。


──あの、まだ紹介したい所あるんだけど。


そっか。そうなんだ。

どこか光くんの言葉を思い返して浮かれている自分がいる。

緩む頬を手で抑え、上に引っ張り上げる。落ち着いて、と強く自分に言い聞かせる。


──今、誰の彼女をしているかを考えて。


深呼吸をして気持ちを切り替えた。

道が暗くスマホのライトをつけようと小物入れからスマホを取り出した時だった。


「…あれ、どうやって明日光くんと会うんだろう」


眩い光を放つ液晶に目を細めながらわたしは寂しい同棲を始めてからついた癖で、つい独り言を口にしていた。

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