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3.断ち切り様

「ねぇ、断ち切り様って何?」


光くんは自転車をゆっくりと漕ぎながら「この村で祀ってる神様みたいなもん」と答えた。

断ち、切る。なんだか不穏な神様に思えた。


「昔は修行の一環で俗世を捨てるために重宝されたらしいけど、今は全然。誰も来ないし」


「へー変わった神様だね」


「まぁ、縁切りの神様って言った方が身近かもね」


「…縁切り」


「着いたよ。この上」


自転車が止まる。

木々が鬱蒼(うっそう)と茂る急勾配な山の斜面の間に上へと登るための細い階段があった。階段や所々に置かれた石の灯籠(とうろう)が苔むしている。


「この先ね」


「うん」


一人先へ先へと進んでいく光くんの背中を見上げながらわたしは薄暗い階段をゆっくりと登っていく。

光くんの家の近くの森よりも、さらに空気は冷たかった。わたしは腕を擦る。半袖のワンピースだと少し寒い。


わたしは少し顔を上げて階段の先に聳え立つ石で作られた大きな鳥居を見上げた。

その先に断ち切り様が祀られているらしい。


──縁切りの神様…ね。


仮に、至留と縁を切って、それでどうするのだろう。

学歴もなく、両親にも顔を合わせづらい為、戻れる家も無い。


──至留とあいつの縁が切れたら良いのに。


なんて、無茶な事を思う。

そもそも、至留から愛人がいなくなった所で、わたしを見てくれるかどうかはまた別の問題なのに。


──それでも。


階段は続く。

ゆっくりと周囲の気温は上がり、光は眩しくなっていく。

光くんの背中はもう既に見えなかった。先に鳥居をくぐったのだろう。


「彼女が秘書を務めてもらってるキュリさんだ」


「はじめましてー。至留くんの専属秘書をさせてもらってます。キュリでーす」


ふと至留から初めて愛人を紹介された時のことを思い出す。

一瞬、名前が()()()()なのかと耳を疑ったが、キュリという源氏名で過ごしているらしい。派手な赤い長髪にバチバチのメイク、自信に満ちた表情。どっかりと椅子に腰掛け丈の短いドレスで足を組んでいる。

一目見てすぐにわかった。


──夜職の人だ。


聞けばその愛人との出会いはキャバクラらしく、そこでスカウトして専属秘書になってもらったらしい。

わたしは呆れを通り越して笑ってしまった。


「でねー」


わたしの紹介としてレストランに集められたはずが、蓋を開けてみれば愛人と至留の二人で会話をし、二人で食事を楽しんでいる。

置いていかれたわたしは静かに並べられた料理を食べる事にだけ専念していた。


「すいませーん! 水をー」


店内にうっすらと流れていたジャズの音色をかき消して彼女の大声がレストランに響く。

他のお客さんたちはわたしたちの方を見ながら目を丸くしていた。

慌てたように店員さんがやってきて彼女の空いたグラスに水を注でいる。


「そういえば至留さん宛にまた年賀状が届いていましたよ」


「一月ももう終わるって時にか?」


「はい。先方か郵便局の手違いかもしれませんね。とりあえずいつも通りお部屋の方に置いておきましたのでご確認ください」


「あぁわかった」


意外にも大人しくしていた愛人の方を見てみると前菜として出された和牛のカルパッチョをフォークで刺しながら背を曲げてスマホに目を落としていた。

ワイングラスを(つか)むようにして豪快に呷る。フォークを動かすたびにカチャカチャと音が出ている。身につけているブランド物の多さと彼女の気品が全く釣り合っていない。


──着いた。


背を逸らし鳥居を見上げ、一度礼をして鳥居をくぐる。賽銭箱の前で光くんがこちらを見ながら待っていた。


「縁、切れちゃうんじゃ無いの?」


「そういう言い伝えってだけだよ」


光くんはあっさりと言って賽銭を投げ入れ鐘を鳴らし二礼二拍手一礼して戻ってきた。縁が切れたようには感じない。


──当たり前か。


わたしも光くんに倣って同じことを繰り返す。

二度、手を叩いてから願う。


──なんかこう良い感じに縁がなりますように。


セーターみたいに絡み合って、解けなくて、でも一つ一つの縁は軽い…なんて。

振り返るとわたしの方を見ていた光くんと目があった。


「栄香さんはなんてお願いしたの?」


「良い感じの縁になりますようにって」


わたしを見る光くんの表情は分かりやすく呆れていた。


「おや」


建物の裏手から白い服に袴の男性が箒を持ってこちらを見ていた。

ここの神職の方だろう。


「お邪魔してます」


頭を下げるわたしに神職の方も静かに頭を下げて返す。顔を上げると光くんが眉間にしわを寄せながら神職の方を見ていた。


「どうしたの?」


「あの人、知ってるはずなのに名前が出ない」


わたしたちは神職の方に答えを求めるように視線を向けた。

神職の方はただ静かに首を横に振り「もう捨てた名ゆえ、わたしも忘れてしまいました」と答えられた。


「…ご家族の方と縁を切られたのですか?」


「いいえ、俗世とを切ったのです。もう何もこの世に思うことはありません」


「…思い切りが良い、ですね」


わたしにはそんな事出来そうにもない。

神職の方は目を糸のように細め口元を隠しながら小さく笑い「思い切りがいいのは断ち切り様でございますよ」とだけ言い残して建物の裏手の方へと向かっていった。

わたしたちは神職の方の背中が見えなくなってから鳥居の方へと足を運んだ。


「よく分かんない人だった」


一礼をしてから階段を降りていく最中に隣の光くんが呟いた。

うんとわたしは相槌を挟む。


「でも雰囲気はあったね」


「確かに」


「さっき人、本当に俗世との縁を切ったのかな」


「結局、自己暗示の類でしょ。本人は本当に忘れてるけど、みたいな」


「そうなのかな」


「栄香さんは違うと思う?」


「うーん」


わたしには神職の方が嘘をついているように見えなかった。

もちろん光くんの言った通り、自己暗示的なものかもしれないけれど──。


「断ち切り様がいてほしいとは思った」


光くんは小さく笑ってから「確かに居たら便利かもね」と頷いていた。

光くんの便利、という言葉を自分の中で咀嚼し、考える。

結局光くんの中で断ち切り様は縁切りの神様でしかないのだと気づいた。


──俗世とを切ったのです。もう何もこの世に思うことはありません。


神職の方の言葉がやけに耳に残っていた。

踏み出した地面の感触が変わる。いつの間にか石段を降りきっていたようだ。


「次に行く前にさ、大丈夫なの? 彼氏の人から怒られたりしないよね」


光くんが自転車のハンドルを持ってわたしを不安そうな表情で見ていた。

至留が怒るとは思えなくて、大丈夫と答える。

村の案内をしてもらった、と言っても至留はふーんとしか返さないだろう。


「光くんの方こそ大丈夫なの? 突然、村の案内を任されてるけど何か用事とかあれば」


「それは大丈夫。夏休みで暇してたから」


「じゃあわたしも大丈夫」


声に出してから違和感を感じた。

静電気みたいな罪悪感、それと──。


「次……どうしよう。駄菓子屋とか?」


「へー駄菓子屋。懐かしい」


「何故か俺が子供の頃からずっとある駄菓子屋なんだけど、多分まだあるから行ってみようか」


「うん」


わたしが自転車の後ろに乗ると自転車が大きく揺れて進み出す。

行きとは違い田んぼの方ではなく、神社のある山の方に沿って自転車は進んだ。

山から蝉の大合唱が聞こえてくる。わたしの住んでいた所でも一匹とか二匹とかの蝉が鳴いている時はあったけど、こんなに沢山の鳴き声が響いてくるのは初めてだった。


「ねぇ、あれって湧水?」


進む方向に山の斜面から灰色のビニルパイプが飛び出ていて、その先から水が流れ落ちていた。

水は茶色の水瓶に落ちてから砂利の水路へと続いていく。きっとこの先に田んぼの方で見た水路へ流れていくのだと思う。


「うん。山からのだと思うよ」


光くんは水の出ている近くで自転車を止めて、ザバザバと音を立てながら滝のように流れ落ちる水に手を突っ込んだ。


「あー冷たっ」


光くんの腕に当たった水が散って制服を濡らしていた。真っ白な制服に斑点模様が出来ていく。

無邪気な笑顔が子供っぽくて可愛いらしかった。

わたしも近づいて水瓶の方へ手をつける。


「っ!?」


わたしは水に触れた瞬間、反射的に手を引いていた。


「あはっ、冷たいっしょ」


光くんは水に腕を打たれながら、なんでもなさそうに笑っている。

逆によく平気だな、とわたしは思った。


「ずっとこの温度だから、冬に来たらちょっとあったかいよ。まぁ寒すぎて凍ってる時あるけど」


光くんは湧水の説明しながら手をお茶碗みたいにして水瓶から水を掬って飲んだ。

汚くは無いのだと分かっている。でも、わたしにはここから飲むのは少し抵抗があった。

わたしは迷いながらジッと水瓶の中で揺れる水面を見つめる。そこに一匹の見たことのないトンボがやってきた。体は細長く緑っぽい色で金属のような光沢がある。羽は薄くて黒い。わたしの思い描くトンボよりも全体的に小さく蝶のようにも見えた。


羽黒蜻蛉(ハグロトンボ)


わたしは「えっ」と光くんの方を見た。

光くんはわたしの方ではなく、水瓶の方をジッと見ていた。


「このトンボの名前」


きっと光くんの目には水瓶の上を飛ぶトンボが写っているのだろう。

ふいにわたしはどこかで読んだ短い(ぶん)の事を思い出す。


「ハグロトンボ、ね」


わたしは手を後ろで組んで光くんの同じように水瓶の上を飛ぶ羽黒蜻蛉を眺めた。

わたしの住まわせてもらっている家の方では見かけた事がなかったけれど、毎年花が咲くように、きっとあのトンボを見つけるたびにこの光景の事を思い出すのだろう。


「湧水、飲んでみなくて良い? 珍しいものだと思うけど」


「うん。平気」


「そっか。まぁ駄菓子屋で飲み物買えば良いしね」


ガコン、と自転車のスタンドを外す音がして、前に光くんが、後ろにわたしが座る。

わたしたちを乗せた自転車はゆっくりと山の方から離れて、生垣のような濃い緑の野菜が並んだ畑の横を通っていく。


「ここ」


真っ赤な文字で大きく氷と書かれた旗が揺れる古民家の前で自転車は止まった。

お店の方から突き出したトタン屋根の下には木で出来たベンチと空っぽのバケツ、それと白のスーパーカブが置いてある。


「お久しぶりです」


ガラス張りの扉を横に開き、光くんが駄菓子屋の中へ声をかけた。

勝手に閉まるらしい扉を光くんが抑えてくれていて、わたしも光くんの後に続いて店内へ入った。

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