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愛人ばかりを愛する御曹司と婚約することになったわたしは神様に頼んで全てを断ち切ってもらうことにしました  作者: 夏草枯々


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26.断頭

 しばらくわたしは山にへと続いていく道を登った。

 青白い光は消えたり遠くで一瞬光って見せたりと不安定な調子を続けている。

 足の裏の皮が剥けていた。血も出ているだろう。

 それでもわたしは歩き続ける。この先に何かがあるとは思えなかったし、この光が現実のものだとも思えなかったけれど、痛みながら歩き続けることだけが数分前に起こった現実の衝撃を和らげてくれた。


「あれ?」


 先を行っていた青白い光が赤く光る。

 違う。その赤い光は石の灯籠から漏れ出した光だった。

 淡い光の灯った灯籠は急な石段を照らし上へと続いていく。灯籠の中には小さな塊が入っていて、それが燃えているようだ。息を吹きかけると炎はくすぐったそうに揺れた。


「断ち切り様」


 ──俗世とを切ったのです。もう何もこの世に思うことはありません。


 なに馬鹿なことを考えているんだろうと乾いた笑いが出た。

 わたしは長く息を吐き出して顔を上げ先で聳え立っている鳥居を見つめた。


 ──突然、知らない人になるっていう文献が残ってて。


「良いじゃん」


 ぺたぺたと間抜けた足音をたてながら石段を登っていく。煙の匂いが立ち込めていた。

 石段はアスファルトより滑らかで苔むしている。お陰で足裏の痛みはそこまでつらくない。


「うそっ……」


 肌寒く手を温めようと吐いた息が白い。周囲の森には霧がかかっている。

 雲の中のように霧が濃い。夜の闇も合わさり木のシルエットがぼんやりとしか見えなかった。

 灯籠の火が不気味に揺らぐ。

 手を擦り体を小さく縮めて先を進んだ。


「お待ちしておりました」


 階段を登りきると声をかけられた。月明かりに照らされた境内を見ると神楽鈴を持った神職の方が立っていた。衣装には金の装飾が施され、頭には黒い烏帽子をかぶっていた。儀式の正装なのだろう。

 お待ちしておりましたと言われても、不思議とすんなり受け入れている自分がいた。

 一礼してから鳥居をくぐる。


「身を清めてから、 斎庭(ゆにわ)へどうぞ」


 手で示された先には白い布が広げられていた。

 儀式はもう既に始まっているらしい。先ほどから手は震えていて頭の中で止まるよう叫ぶ自分がいる。


「はい」


 バッグを置いて汚れていたドレスの裾を正し襟を整えてわたしは参道を進む。

 本殿に近づくにつれて手の震えはより激しくなった。胸に圧迫感を感じ、次第に足の進みが遅くなる。

 本殿は暗く周囲に霧がかかっている。何か近くに霧を出す装置でもあるのかと思ったけど、これ以上本殿を見ることはできなかった。

 息が浅くなり白布までもう少しとのところで立ち止まってしまう。


「大丈夫ですよ」


 背中から神職の方に励まされ一歩ずつ足を擦るようにして進み白布の上に正座をする。

 座ると顔は自然と落ちて白布を見る形になった。全身が震えていた。力を入れた口の中で歯がぶつかり合い鳴っている。

 わたしは両手を首の下で祈るように握り合わせる。


「では……」


 すぐそばで草履の擦れる音がする。

 ザッと強く踏み込む音がして鈴の音が高く鳴った。神楽鈴に付いている沢山の鈴が一斉に揺れ動いている。頭の中で映画館のスクリーンで見た巫女さんの舞を思い出す。あの子も神楽鈴を持って踊っていた。


 突然、視界に捉えていた全ての景色が暗くなった。


「……はっ」


 背中から押し潰されそうになり息が漏れた。額に冷や汗が滲む。

 辺り一帯を影にするほど大きな何かが頭上から降りてきている。圧からして星が落ちてきているようだった。

 わたしの背後、それも少し遠いところから、また鈴の音が鳴った。


「本来は神職の人間が汚れを祓うための切り札です」


 静かに語られる言葉に耳を傾ける。


「本当によろしいですかな」


 口を開けると「待って」と声が出てしまいそうで、血が出るくらい強く下唇を噛んだ。

 呼吸が浅く短くなり過呼吸気味になっていく。進むにしろ引き返すにしろ判断は急いだ方が良さそうだ。


「お願いします」


 肺に残っていた僅かな空気を使い声を絞り出す。

 特にこれと言って何かがあったわけではない。進む理由は特に思いつかないのに引き返す理由なら沢山あった。待って、と頭の中でわたしは叫ぶ。口の中から生暖かい鉄の味がした。


「では」


 風が止み、震えは自然と治まった。圧倒的な存在感を前に周囲の生物が皆、息を呑んでいるのか静かになる。

 頭上から鋭い金属音が鳴った。鞘を駆けた刃の音だと思う。

 影が揺らぎ鞘から放たれた刀身が空を裂く。

 呼吸が止まり耳に届く最後の音が無くなった。

 首を横薙ぎにする強い衝撃があって髪が耳や肩に塊で落ちてくる。


「終わりました。お顔をお上げください。後の清めの方はわたしがしておきます故」


 気付けば風が吹いていた。辺りからは虫や鳥の声がする。

 ゆっくりと息を吐き出して顔を上げた。

 全身に汗をびっしょりとかいていて前髪が額に張り付いていた。

 うなじ辺りの髪を撫でるように触る。自然と伸びた髪の先と違って落ちた髪の端はちくちくと手に刺さった。それ以外で何かが変わったような気はしない。


「身を清め、神に感謝をし、日常へとお戻り下さい」


 わたしは立ち上がり、神職の方へお辞儀した。

 僅かに心の持ちようが軽くなった気がする。


「一つだけ注意点がございます」


「はあ」と首を傾げ頷く。


「この儀式、二度は使えません。神頼みは生涯一度切りというわけでございますね」


 わたしは瞬きをした。

 全て終わってみれば光くんの言っていた自己暗示の類でしょ、という言葉が頭に浮かぶ。

 表情に出ていたのか神職の方は口元を手で隠しながら小さく笑い、


「まだ実感されていないのだと思います。それと、もし寄る辺(よるべ)を失い路頭に迷われた場合はここへ。寝具くらいはあります故に」


 話半分に聞いて「ありがとうございました」と頭を下げた。

 月灯りだけを頼りに鳥居の方へと歩く。

 一礼をして鳥居を潜る。来る時に灯っていた灯籠の火は消えて無限に続いていきそうな暗闇が眼下に広がっていた。


 バッグからスマホを取り出す。

 至留から沢山のメッセージが届いていた。


『悪かった。謝る。反省しているから戻ってきてほしい』


『顔を見てちゃんと謝りたい』


 それ以外にもつらつらと反省の言葉を書き連ねた長文が届いていた。

 まずはわたしも謝ろうと思った。迷惑をかけた事、喧嘩をした事。

 それで全てを水に流す事になるとは思えなかった。

 わたしも髪を掴まれた事や光くんを殴った事、これまでの全てを忘れることは出来ないだろう。

 結局、謝ったところでわたしたちは別れるしかないのだと思う。


 それでも、とわたしは至留へ通話をかけた。


「はい。鈴風ですけど、どちら様ですか?」


 至留が通話に出た瞬間に「あっ」と声が出た。

 至留の不機嫌そうな声とこの対応からしてまだ怒っているようだ。

 そういう感じか、とため息が出そうになる。


「あの紅です。さっきはすいませんでした」


 少しの沈黙があって至留は、


「あの、どちら様でしょうか。掛け間違いだと思いますけど」


 通話を切った。

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