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愛人ばかりを愛する御曹司と婚約することになったわたしは神様に頼んで全てを断ち切ってもらうことにしました  作者: 夏草枯々


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21.シルバーリング

「ああ、それはもちろんいいけど。お母さん」


 母は目を丸くしながら枕を寄せる。

 父と母、二人の布団は当たり前のように繋がっていた。

 わたしは枕を置いて母の布団の方に入る。伸ばした腕が父の布団に僅かにかかった。

 目を瞑る。呼吸のたびに肺が伸縮(しんしゅく)して胸が上下する。


「どうか、したか紅」


 父から不安そうに聞かれ「なんでもないの」と強がった。

 別れたいなんて言えないし、別れようと至留が言うとも思えない。それでもわたしたちは生きていくしかない。大丈夫。この夏が終わればまたわたしはちゃんと出来るはずだから。


「そうか。お父さんの方はな、鈴風さんに言われてやっぱり事業の規模を縮小する事にしたよ」


「そう」


「どうやらこのままだと、どのみち厳しいらしいからね。鈴風さんはわたしより優秀な方だし、そのご子息もきっとこれから立派な後継(あとつぎ)になられるよ」


 わたしは目を開いて体を起こす。

 父は布団に入って目を瞑っていた。記憶の中の父よりもしわも白髪も増えていたけれど、どこか穏やかな表情だった。

 じゃあ、帰っていいの? と聞くことが父にとってどれほど残酷な事か考えて口を閉じる。

 そのまま「うん」と喉の辺りから声を出した。


「紅。今は不安かもしれないけど、こういうのって割り切るしかないのよ」


 布団をめくり隣に母がやって来てわたしは幼い子供みたいに背中をさすられた。


「結婚はね、相手を信じてドンと行くのよ。お父さんのこと、初めはやっぱり心配だったけど、そうやって決めたから」


 母の声には自分で選んだ道だという自負みたいなものを感じる。


「あっちで幸せになってな」


 父の眠たそうな声を最後に部屋の明かりが消えた。

 その日は随分と久しぶりにぐっすりと眠ることができた。


 わたしの父と母が別荘を出たのは、まだ涼しい朝方の時間帯だった。

 その時間帯だと蝉も本調子ではないのかシャワシャワと木の葉の擦れる音と同じくらいの大きさで鳴いて両親を見送った。


 別荘に戻ると途端に部屋が広くなったように見えた。

 至留はなにも言わずに部屋へと戻り、いつもは何かしら忙しそうにしている至留のご両親も今日は静かに部屋に戻った。


 わたしはリビングで一人、研修を進めた。作業に没頭している間は煩わしいことを考えなくて済む。

 幸い研修作業はまだ残っていた。

 ふとアラームの音がしてパソコンの画面から顔を上げる。

 気付けばお昼になっていた。

 ほとんど届けられた食材を混ぜただけの昼食を鈴風家の人たちと共に食べていた時だった。


「二人とも若いのに初めの数日しか二人だけの時間って無かっただろ? わたしたちはちょっと出かけて日付を越えたくらいに戻るから、留守は頼んだぞ至留」


「ちょっと離れたところにあるスパなんだけど、すっごく良い所だから紅ちゃんも今度いきましょうねー」


 至留のお母さんから言われ「はい。是非」と答えた。


「色々と二人で話したいこともあるだろうしな」


 立ち上がる至留のお父さんへわたしは曖昧に笑っておいた。

 至留と話したいことなんてない。昨日伝えた通りだ。


「ああ。うん」


 至留は気の抜けた返事をしていた。


 わたしが昼食の片付けをしていると玄関の方から至留のご両親が車で出て行く音が聞こえた。

 あれから至留はずっとテーブルに座ったままいる。今更、わたしの監視だろうか。

 至留にお茶を淹れて持っていくと「結婚するんだし指輪どうしようか」と聞かれた。


「まぁ安くて重たくない物なら特には」


 あとは目立たないものがいいな、と考える。

 シンプルにシルバーの指輪じゃダメなのだろうか。

 自分の指で光るシルバーの指輪を想像する。うん。スマートでカッコいい。アクセサリーみたいになるけれど普段指輪をつけないわたしにとっては十分に意味を果たすことができるだろう。


「いや。俺は次期社長だし紅のメンツもあるだろ。重たくないくらいの大きさのダイヤとかがいいんじゃないか。うん」


 ああ、そうだったと口元が歪む。

 少し真面目に考えてしまった自分が馬鹿らしい。


「はい」


「確かピンクダイヤってのもあるだろ。そっちの方がいいか?」


「ええ、そうですね」


「……紅はさ。何色が好きなの」


 至留が空になったコップをずらす。

 わたしはそれを持って席から立ち上がった。


「お茶入れてきますね」


「ああ……頼む」


 冷蔵庫へ向かいながら思う。

 わたしの好きな色は青。服も寒色系が多いし身につけるものも青色に近い物が多い。

 そして、それを至留に知られたくないと思った。


「はいっ鈴風です。あーどうも、どうも」


 リビングに至留の声が響いた。

 至留が耳にスマホを当てたままリビングから出て行く。

 わたしもテーブルに置いたままだったスマホを取った。


 [今はなにしてるの?]


 光くんの既読はすぐ着いた。


 [暇してますよ]


 わたしも、と打って止まる。

 小さく息を吸い込んで夜まで、と付け足す。自然と指に力が入っていた。


 [じゃあ一緒に絵を見に行きませんか?]


 [え?]


 [絵です]


 もしかして、と思う。

 脈が少し速くなる。


 [栄香さんがこの前に見たいって言ってた美術部の絵を、特別に]


 ああ、やっぱり。覚えてくれていたんだ。

 わたしは[じゃあまた待ってていい?]と送り洗面所の方へ駆け出す。


 [はい。すぐに向かいます]


 洗面台に置いたスマホが揺れて心躍るメッセージを知らせる。


「よしっ」


 鏡の中のわたしは笑っていた。

 軽く化粧をしてアイロンで髪を巻く。


「急げ、急げ」


 至留が電話をしている寝室から荷物鞄を持ち出し着ていく服を探す。

 悩んだ末に選んだのはネイビーのサマードレスだった。腕のところが花柄のレースで透けている。

 長いドレスの裾にはスリッドが入っていて、肩から背中にかけて少し開いた苦手なタイプの服ではあったけれど可愛く地味じゃないものを探すうちに着てみたら案外よかった。

 鼻歌を歌いながら鏡の前で光くんからの連絡を待つ。

 スマホが揺れて画面を見る前にわたしは玄関の方へと静かに駆け出した。

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