2.同棲
お見合い場所に指定されたところは相手方の会社だった。
父の運転する車に揺られながらどんな会社だろう、と考える。小さな頃に見た父の無骨な町工場や就活で訪れた数々の会社の姿が記憶の中から浮かんできた。
「着いたぞ」と声をかけられ車から降りた。
「ここだ」
父の向ける視線の先を追って何層も重なったフロアを駆け上がり見上げたビルの高さに目が眩んだ。
「うそでしょ」
空を裂くように聳え立つ建物を登って今からここの息子さんと縁談をする。そう考えただけで胃がきりきりと痛み頬が引き攣った。
「すごいじゃない」
遅れて車から降りてきた母が背後で声を弾ませていた。
他人事だと思ってとムカついたけど、もうわたしは逃げられないところまで来てしまっていた。既に相手方に到着の連絡がいっている、はずだ。
広いエントランスを進み受付を済ませたわたしたちはお見合い相手である方と社長さんが待っているという応接室へ案内された。
部屋の前で待っていた相手方の社長さんと父が親しげに話をしながら部屋の中へと入り、わたしと母がその後に続いた。
「失礼します」
応接室は広く正面の壁が全てガラス張りになっていた。突き抜けるような青い空が見える。インテリアも洗練されていた。わたしでも知っているブランド物のソファがあって、そこにお見合い相手が座って待っていた。深くソファに腰掛け足を組んで切り揃えられた爪をいじっている。写真で既に見ていたけど改めて見ても清潔感のある短い黒髪とシャープな顔つきをしていると思う。スーツ姿もよく似合っていた。
「初めまして」
わたしは手を前で重ね合わせ真っ直ぐ彼に頭を下げた。
体を起こす。
彼から返答はなく変わらず爪を触っていて目も合わない。
ここまでトントン拍子に縁談の話が進んでいた為、少なからず相手方からは良い印象を持たれているとばかり思っていたわたしは彼の態度に面食らった。
「息子の至留です」
鈴風 至留。鈴風家の長男で一人息子だと社長さんは言う。
二十六という若さで既にもう会社の部署を任されているのはすごいと思うが、わたしより五歳年上だと聞いて、その差がとても大きく感じられた。わたしの周りは同い年ばかりだ。話題や価値観が合うのだろうか。
その後もわたしたちのお見合いのはずが、しばらく親同士で話すばかりの時間が続いていく。
「どうだ? 二人ともやっていけそうか」
ふいに相手方の社長さんから聞かれて、わたしは咄嗟に「はい」と笑顔を作って頷き、彼は「まぁ」と言葉を濁していた。
曖昧な言い方だったけど彼もこのお見合いに乗り気では無いのだと、なんとなく分かる。
それで少しだけ安心できた。今の状況は異常なんだとわたしたちだけは分かり合っているような気がしたから。
「本当にやっていけますかね」
わたしたちの返答に相手方の社長さんの表情が曇る。
「今は緊張しているだけでしょう。紅は人見知りな所があるので。付き合っていくうちに至留くんもきっと気に入ってくれるはずですから」
父が取り繕うように早口で言葉を紡ぐ。
人見知り、なんて初めて言われ思っていたよりも大きく自分の中の何かをぐらつかせた事に驚いた。
「そうだ。至留は一人暮らしをしているしまずは同棲でもどうだろう。それで二人の相性が分かるでしょう」
「ええ是非」
二つ返事で勝手に頷く父にもう少しちゃんと考えてよ、と心の中で毒づく。
色んな過程を飛ばし、わたしたちは一緒の家で暮らすことを決められる。
わたしは今更口出しできないし、まぁいいかと思う。
家ではお見合いが決まってからよく母との言い合いが増えていたので、ようやく解放されたとさえ思ったし至留ともこれから仲良くなれるだろうと思っていた。
「ほんとバカね」
能天気な過去の自分に呆れ、わたしは今日で何度目かのため息を吐く。
ダイニングテーブルに肘をついたまま灯りの消えたリビングを見た。
至留との生活を初めて半年、年を越し、わたしも一緒に住み始めたはずが部屋のレイアウトはここに来た時と何も変わっていない。なのに、わたしの生活だけが大きく変わった。
一人用のソファに小さなテーブルを置いただけのスペースを持て余した広い部屋。壁にかかった薄型テレビから笑う観客の声が部屋に響いた。
毎日、この部屋で至留の帰りをひたすら待つ。
また笑い声がしてテーブルの天板に映ったテレビの色彩豊かな画面が薄暗い部屋の中で蠢いた。
消そうかな、とテーブルの上に置かれたリモコンに目を落とす。隣のスマホが目に入り手を伸ばした。
[今日のお食事はどうされますか?]
わたしの送ったメッセージに彼からの返信は来ていない。いつもの事だ。どうせ秘書という名の愛人と過ごしわたしのメッセージなんて見ていない。
メッセージの履歴をさかのぼっていく。わたしから送った一方的なメッセージばかりが残っていた。
「大丈夫」
前髪を掻き上げため息をついて立ち上がりキッチンに向かう。冷蔵庫から二人分の食材を取り出す。
わざわざ食べるかどうかも分からない夕飯なんて作りたくない。でも無いと嫌な顔をされる。
あれから父の会社の経営は悪化して、わたしはより彼に捨てられるわけにはいなくなった。なら夕飯は作り続けるしか無く、そういう事があるたびにわたしは今、自分の人生を生きていないのだと思い知らされた。
スマホが鳴った。もしかしてと小走りでテーブルに戻る。友達が投稿したSNSの通知だった。瞬きをして投稿に良いねをしておく。投稿の内容を見てもう大学は夏休みだっけ、と気づいた。
「辞めたくなかったなぁ」
真っ白な天井を見上げる。
大学のことを考えるたびに鼻の奥が湿ってツンとした。
「もう結婚するんだし大学には退学届出しといたからね」
引っ越し作業に追われる日々の中、荷造りをしていたわたしに母が唐突に言った。
「……え?」
わたしは貼りかけのガムテープから手を離して立ち上がる。
振り返ると扉の所に立った母と目があった。目が赤い。ここ最近ずっと母の目は充血している。
「勉強はもう良いから、鈴風さんのお家で上手くやってきなさいよ」
「もう、退学届出しちゃったの?」
「そうよー。だって鈴風さんのお家からだと三時間かかるんだから、行けないじゃない?」
「行ったよ、それでも。わたしは」
「もう結婚するんだから、行く必要無いの」
体を支えていたわたしの芯が「なんで」と呟いた途端に崩れていく。膝から床に落ちた。
影になったフローリングに水滴だけが光っていた。
今なら両親にとってわたしの大学費用がギリギリの家計をより苦しくする重荷になっていたのだろう、と分かる。
わたしは窓を開けながら「あーあ」と呟いてスリッパを履いてベランダに出た。
横の室外機から緩く湿った空気が背中には部屋の冷たい空気が当たっている。
ベランダの手すりから体を軽く乗り出して街の夜景を見下ろす。わたしは高い場所にいるのに、気分は地べたを這っている。
「どうしようか」
その問いの答えはずっと出ないまま時間だけが過ぎていき、季節はやがて夏になった。
「夏は仕事の時以外避暑地の別荘で過ごす事にしてるから」
久々に彼がわたしに何かを言った。どこで過ごすのか、どうしてそんなに突然なのか、色々と言いたい事はあったけれど、全て飲み込んでわたしは「はい」とだけ答える。
そうして八月の初め、わたしが連れてこられたのは山奥にある小さな村だった。




