19.約束
「あら」
カウンターの奥に座っていた駄菓子屋のお婆さんと目があう。わたしは「お久しぶりです」と軽く頭を下げた。
「また二人で買いに来ました」
お婆さんは「いらっしゃい」と目元にしわを寄せて微笑んだ。
「光くんと二人?」
「「はい」」
背後から光くんがやってくる。
「かき氷を食べたくて」
「じゃあどの味が良いかね?」
「俺は抹茶で」
わたしは文字列の中からブルーハワイの下にあったチョコ味を選んだ。
これで、と指を刺して伝えると「チョコと抹茶ね。はいはい」とお婆さんは暖簾を潜り店の奥に入っていった。わたしたちは先にお金を置いて待つ。
しんと辺りが静まり返った。すぐに影みたいな不安がわたしの背中から顔を出す。
「かき氷の味は全部同じって聞きますけど本当なんですかね?」
聞かれ、わたしは光くんの方を見て「うーん」と首を傾げた。どうなのだろう。
「じゃあ後で食べ比べしよっか」
「しましょう。チョコと抹茶が同じ味だったら凄いですね」
わたしは「ねっ」と笑って頷く。
奥から氷を削る機械の音が響いてきた。
「はいー。お待たせー。器は後で返してねー」
お婆さんがかき氷をお盆に乗せて出てきた。
光くんは氷の山のてっぺんが濃い緑をしたシンプルな抹茶のかき氷を受け取る。
「こっちがチョコね」
お婆さんから小さなガラスの器に乗ったわたしのかき氷を渡された。
茶色のチョコのシロップはジュースみたいな感じではなくハチミツに近い。氷の山に太い線を何本も描いている。ちゃんとしたチョコのかき氷だ。
わたしたちはそれぞれのかき氷を手に持って扉を抜ける。
お店の前にある丸太の椅子に座った。
「「いただきます」」
かき氷に刺さったストローみたいなスプーンを使って氷の山を削り一口頬張る。
舌の上で氷が溶け出し濃いチョコの味が口の中に広がった。甘くて僅かに苦いチョコの味がしっかりとする。
「美味しー」
煌めくような気持ちを伝えたくて隣の光くんを見ると彼と目があった。
光くんは目を細めて笑い、
「凄い美味しそうでしたよ」
と言う。
光くんがわたしの食べるところを見ていた事に気づき「なっ」と分かりやすく言葉に詰まってしまった。顔が熱くなってくる。
「ちょっと生意気」
「えー」
「もーわたしは良いから食べなー。溶けちゃうよ」
わたしはもう一口、かき氷を頬張った。
「はーい」
呑気な返事と共にかき氷を掬った音がした。
さっきのお返しにわたしもかき氷を食べる光くんをじっと観察する。
「あっ、ちゃんと抹茶の味です」
かき氷を食べた光くんは目を丸くして頷いた。
「本当?」
「はい。ちゃんと」
ああ、と光くんはわたしを見て口の端を小さく上げた。かき氷をスプーンに乗せてわたしの方へ差し出す。
こういう事をどうして自然と出来るんだろう。
勝手に揺れ動く心の声を聞きながらわたしは差し出されたかき氷を口にする。
「ほんとだ。甘いけどちゃんと抹茶の苦さがあるね」
チョコとは違うお茶っ葉のエグ味に近い苦味が甘いシロップの中に感じられた。
少なくともチョコと同じ味は絶対にないだろう。
「はい。お返し」
わたしは手元のかき氷を掬い差し出す。
「ありがとうございます」
光くんはわたしの差し出したかき氷を食べて「ちゃんとチョコ味ですね。美味しい」と声を弾ませた。
「光くんは抹茶好きなの?」
「好きですねー昔食べた宇治抹茶のかき氷からハマってて」
「え! 良いなー。わたし宇治抹茶食べたことない」
「美味しいですよー是非」
わたしは「うーん」と小さく唸り、スプーンをかき氷の山へ突き刺す。
「行けるかなぁ」
足をぶらつかせながらかき氷を頬張るとチョコが固まり始めていた。口の中でパリパリと軽く砕ける感じがある。
ふと、隣からシャクシャクと山を崩す音がした。
見ると光くんがかき氷を口に掻き込んでいる。
そんな食べ方をすると、
「イター」
やっぱり光くんはこめかみを抑え顔をしかめたので、わたしは声を出して笑った。
「光くんの舌、緑色になってたよ」
先ほど口を大きく開けた瞬間に見えたのだ。
光くんはべー、と無邪気に舌を出す。
濃い緑が滲む桃色の舌は力が入っているのか先が尖っていた。
「はいはい。蚊に刺されるといけないからね」
駄菓子屋の扉が開き、お婆さんがもう見ないような豚の形をした器と共に蚊取り線香を持って来た。
白い煙と共に蚊取り線香独特の鼻をつく匂いがする。久々に嗅いだ煙たい夏の香りだ。
「「ありがとうございます」」
わたしは去っていくお婆さんの曲がった背中を見つめていた。
「実は結構迷ってたんですよ。大学行くの」
「そうなの?」
少し意外だった。
初めて会った時から光くんは力強く我が道を進んでいて、一緒にいる時も迷うような素振りは見えなかった。
「ずっとこの村で過ごしてきたので」
太陽に照らされたトタンの波が透けて映るコンクリートの地面を光くんは眺めていた。かき氷は既に食べ終えたらしく空の器が椅子に置いてある。
「家を出るのって不安だよね」
自分は嬉々して家を出たのに都合の良いことを言う、と自嘲し笑う自分がいた。
分かってる。
それでも今、わたしは彼に寄り添いたいと思ったのだ。
手に持っていたガラスの器を椅子に置く。
「でも、今は行こうって思ってます」
「なんで?」
「栄香さん。また、会いましょう。この夏が終わったとしても」
光くんが真っ直ぐわたしを見つめ「約束です」と小指を伸ばした。
「うん」
わたしたちは小指を絡めて握り合い小さく振って再会を誓う。子供じみた約束だ。
不意にピピピピとアラームが鳴った。
弾かれるようにわたしたちは小指を離す。
わたしは自分のハンドバックを探した。きっとわたしのスマホからだろう。もう一時間経ったらしい。
「……ごめんね。もう帰らなくちゃ。仕事あるし」
スマホのアラームを止めながら光くんに伝えた。
残っていたかき氷は器の中に沈み、ほとんど溶けてしまっていた。器を傾け水とチョコを喉の奥へと流し込む。
「行きましょうか」
わたしが器をお婆さんへ返す間に光くんが自転車を持って来てくれた。
光くんは眉尻を下げて真っ直ぐ横一文字に口を閉じたままわたしを見つめていた。
今にも泣きそうな表情につられ、わたしも体の奥から涙が迫り上がってくる。
泣きたくなかった。別荘へと帰ればまたわたしの日常なのだ。泣いたとなれば色々と聞かれるだろう。ぐっと手を握って全身に力を込め早足で歩き自転車の後ろに乗る。
光くんは無言で自転車を出した。
わたしたちを乗せた自転車は田んぼの横の道を足速に進んでいく。
「明日、明後日も俺は暇なので」
「うん。時間ができたらすぐに連絡する」
短い約束を交わし、いつも通り別荘までの一本道で光くんと別れた。
「じゃあね」
「はい。また」
わたしは手を振って自転車を漕いで去っていく彼の背中をしばらく眺めていた。
彼の服の袖で顔の辺りを拭う仕草を見て、吐き出した息が震えた。
胸が苦しくて手で押さえた。服の下で肺は確かに動いている。
重たい空気を背負ったままわたしは別荘へと帰った。
「あら、紅ちゃん。お庭にいたの?」
裏口を抜けた時、至留のお母さんの声がして固まった。
奥に見える駐車場には出る時に無かった車が停まっていた。




