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愛人ばかりを愛する御曹司と婚約することになったわたしは神様に頼んで全てを断ち切ってもらうことにしました  作者: 夏草枯々


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18/24

18.氷

 今日は一段と世界が濃い日だった。

 見渡した空は部屋の天井を青色で染めたみたいだし、山から顔を出した入道雲は雲というより大きな白い石みたいに見えてくる。

 風も強かった。木々を一斉に揺らして奏でた音が、静かな夜に響く波音のようだった。

 駆け出したはずの足が裏口を抜けたところで止まる。


「お待たせしました」


 閉めた扉に手をかけたまま、のんびりと自転車を押して歩く光くんの姿を見た。


「ううん」


 わたしは扉から手を離して立ち首を横に小さく振って自分の腕を握りしめる。


「栄香さん?」


「ごめん、ボーッとしてた。行こっか」


 村までの一本道をわたしたちは歩く。木漏れ日差し込む薄暗い道は乾いてひび割れていた。

 蝉の声も聴き慣れたのか、ここに来た時よりも随分と静かな気がする。

 さっきから呼吸がしづらい。別荘から離れた距離の分だけ不安は強くなった。


「どうしたんですか?」


 隣にいたはずの光くんの声が前の方から聞こえた。

 一歩先で立ち止まり、振り返って首を傾げた光くんの姿が見える。


「何か、あったんですか?」


 わたしは道の真ん中あたりで止まっていた。足は自分の体じゃないみたいに動かなくて、それをわたしは呆然と見下ろす。言葉が出なかった。


 ──あの年のガキって節操がないし、何をしでかすか分からないから近寄らない方が良いよ。


 わたしが今していることは至留に対して明確な裏切りだ。

 楽しいはずの気分も恐怖に圧倒され染まる。

 道を進むたび怖くて仕方がなかった。


 ふいに光くんがわたしの手を握った。

 驚いたけど、包みこむように握る光くんの手が温かくて力が抜けた。

 わたしは手を引かれ道の端の日陰へと導かれる。

 光くんは手を握ったまま何も聞かずに、ただ隣で立っていた。逆にそれがわたしを信じて待ってくれているような気がする。そうわたしが思いたいだけかもしれないけど。


「明日、わたしの家族が帰るんだ」


 それがわたしにとって降り出した雨の最初の一粒になった。


「寂しくなりますね」


「うん、それでね。三日後、わたしも鈴風家の人たちと一緒に帰る事になったの」


「え」


「本当は全然帰りたくない。そもそも帰るって感じじゃなくてね、お邪魔させてもらってるって感じで。わたしの部屋も無いし、ここに居て良いって思える場所もなくて。結婚の話も仕方なくみたいな。まぁわたしたちの両親の都合なんだから当たり前なんだけど。それでも、なんか想像してた人生とか人から聞く話とかがわたしの今と全然違ってさ。すごいそれが寂しいというか。虚しいというか。苦しくて」


 呼吸もままならない状態で捲し立てるように喋り切る。

 わたしは息を切らしながら「どうしたら良いんだろうね」と呟いた。視界が歪んでぼやける。突然こんなことを言い出して、きっと怖がらせたと思う。自分でも怖かった。何かに対して怖いと言うよりも、もっと大きくて漠然とした黒い感情がわたしの中で暴れていた。


「大変ですね」


 わたしの目元に布が触れた。

 目を開けると光くんが少し屈んでわたしにハンカチを差し出していた。ぎこちなく微笑みながら見上げる姿が可愛くて、それと同時に光くんは怖がっていないのだと分かった。

 項垂れていたわたしの後頭部に日の光が当たってじわりと体に熱が戻る。


「ありがと」


 光くんの差し出すハンカチを受け取った。

 わたしは彼に背を向け目元にハンカチを強く押し当てて涙を拭う。

 大丈夫と顔を上げると、日の光が眩しい。目を細めた。

 そうだ。わたしは今、外にいて隣には光くんがいる。それで今は良いじゃないか。


「パニックになっちゃってごめんね。お待たせしました。どこ行こうか」


 振り向きながらわたしは聞く。


「えと、断ち切り様のところに行ってみますか? 願掛けというか」


 光くんに気を遣わせた事が申し訳なくて眉間にしわが寄って、でもその下手な気遣いが面白くもあり自然と口角は上がった。

 結局、わたしは曖昧な表情で「ううん」と首を横に振る。


「本当は今日どこに連れて行ってくれる予定だったの?」


「……駄菓子屋です」


「良いね。じゃあ駄菓子屋にしようよ」


「はい」


 少し歩いて木々のアーチを抜け気持ちの良いくらい鮮やかな夏の空を見上げた。

 茶色の大きな鳥が羽を広げて青空の中で浮かんでいる。羽ばたきもせず(タコ)みたいに。

 わたしには届きそうもない場所だ。


「あーあ、羨ましいよ光くんが」


 伸びをしながら冗談っぽく言ってみる。

 返答はなかった。隣を見ると光くんは口をへの字にしたまま俯いていた。

 悩んでいる。いや、わたしが悩ませたんだ。


「ねっそんな顔しないで」


 光くんがわたしの方を見る。

 はい、と答えたけれど表情は変わらず不安そうだった。

 光くんにそんな顔をさせたかったわけじゃない。

 楽しくいたい。

 それでも不安は勝手に伝染する。

 どうすれば、と迷い視線を巡らした時に光くんの押す自転車が目に入った。


「光くん。自転車貸してよ」


「え? はい、どうぞ」


 目を丸くした光くんから自転車を借りた。

 自転車に跨って、わたしは強くペダルを踏み込んだ。サンダルだとペダルは少し滑るけど行くしかないと思い自転車を漕ぎ出す。


「こっち?」


「はい」


 隣で光くんが腕を振り走っている。

 顔に吹き付ける風は歩いている時よりどこか涼しく気持ちがいい。


「あー!!」


 光くん以外誰も見ていないことを良い事にわたしは声の限り叫んだ。

 隣からすぐに「あー!!」と同じように叫んだ声が聞こえた。

 自転車のブレーキを握り、お互いの顔を見合ってわたしたちは勢いよく吹き出して笑った。笑いすぎて涙が出た。自転車を漕いだ後だったから苦しくて、でもおかしくて、お腹は痛いのにしばらく笑いが止まらなかった。


「着きましたね」


 しばらく何でもない話をしながら自転車を押して歩き目的地である駄菓子屋にわたしたちは辿り着いた。

 前に来た時と変わらないトタンの屋根とガラス扉の駄菓子屋だ。


「うん。光くんは何買うの?」


「これです」


 光くんは自慢げに笑い赤い氷の文字が記された旗を握って顔の前に掲げた。


「かき氷!」


「はい。行きましょう!」


 先に扉を開いて抑えてくれている光くんの横を進んで店内へと入った。

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