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1.同棲

結婚とか考えてないか。

父が言った言葉をわたしは頭の中でグルグルと考えた。


──どうして、そんな事を聞いたんだろ。


今、わたしには結婚を考えている男性も、付き合っている男性もいない。お付き合いしていた男性がいた時ですら両親とは結婚の話なんてした事が無かった。

突然の事だった。何気なく家に帰り扉を開けた瞬間に聞こえてきた「(ベニ)か。ちょっと来なさい」という威厳を出そうといつもより低くした父の声でこれから何か良くない事が起こる、と悟った。


「ほら、今あなたお付き合いしている人とかいないでしょ?」


父の隣に座っていた母が微笑みながら語りかけてくる。

テレビで言っていた褒めて伸ばす教育というのを真に受けて、無理やり褒めようとしていた時の母の事を思い出す。弾んだような声が逆に白々しい。

真剣な表情で重い空気を醸し出す父とは正反対で、チグハグだ。


「付き合っている人もいないのに結婚のこと考えるの?」


わたしの質問に両親は鼻白んで、顔を見合わせた。こういう時、互いに互いを頼ろうとする所が両親が両親たる理由なのかもしれない。

比翼の鳥だ、と思う。

別々の雄と雌がそれぞれ一つずつしか翼と目を持たずに生まれ、二羽が一体となって飛行することで初めて空を飛ぶことができる。


──わたしは一羽の鳥になりたい。


自分で二つの羽を動かして、二つの自分の目で世界を見てみたかった。


「うん。そうなんだけどな」


父は眉尻を下げて曖昧に頷いている。


「大企業のご子息の方とお見合いをしてみてほしいのよ。見た目はすごく好青年そうだったし、紅と年もそんなに離れてないの」


母は反対に真っ直ぐ本題に切り込んできた。

色々と言いたい事が頭の中に溢れてくる。お見合いなんていつの時代の話なの、とかわたしはその人のことを何も知らない、とかわたしは一人でも強く生きていける、とか──。


「なんで?」


結局、最後はその一言に収まった。


「うちの会社が最近、上手くいってなくてな…」


父が申し訳なさそうに事の経緯を語り出す。

最近流行った新型ウイルスに伴う会社のIT化の流れに乗り遅れた事で多くの顧客を失ったことが主な理由らしい。

父の会社が上手くいっていないのは何となく家族間の空気から察していたけど、まさか頼りの銀行から融資を受けられなくなるほどだったとは思っていなかくて、わたしは言葉に詰まった。


「銀行からは規模の縮小と言われているんだけどな。そうなれば既に働いている彼らの生活は…」


その先の言葉をわたしはなんとなく察した。


──クビしかないのだろう。


父は肩を落とし手をテーブルの上で強く握り締めていた。

母が父の拳の上にそっと手を重ねる。


「お父さん優しいのよ。ここ数ヶ月ずっとみんなのために働きっぱなしで」


「それでな。うちの製品を置いてくれてる社長さんのご子息とお見合いというか、お付き合いから始めてみるという形で、どうだろう」


「悪い話じゃないでしょー? 相手は大手企業さんの息子さんで、安心して送り出せるもの」


わたしは何気なく指に絡めていた髪の毛を引っ張る。プツンと弾けて髪が抜けた。

その話の中にわたしの安心は一体どこにあるの、と聞きただしたくなった。知らない人の家で過ごし、合わなければポイッと捨てられるような日々のどこに──。


「従業員たちを救うと思って頼めないか紅」


「もちろん。あなたのためでもあるのよ」


わたしは顔を上げ両親の方を見る。

不安げな表情の父と自信に溢れた表情の母。

わたしのためなんて聞こえの良い事を言いながら、実際は会社同士の関係強化がしたいだけだろう。

ここで取り引きを打ち切られれば本格的に会社は立ち行かなくなる。だから、わたしを使って繋ぎ止めようとする。


「わかった。頑張ってくるから心配しないで」


わたしはその日、わたしの為の未来を諦めた。

それから、わたしと彼とのお見合いはそれからすぐに行われた。

彼を見たのはお見合い当日で相手方の大きな会社の応接室で待っていた。清潔感のある黒の短い髪に優しそうな顔つき。でも、その目の奥にある退屈を隠そうともしていない。どっかりとソファに腰掛け足を組んで切り揃えられた爪をいじっている。部屋に入ってからわたしの方を一度も見ていない。


「で、これが息子の至留(イタル)


鈴風(スズカゼ) 至留。鈴風家の長男。

二十七歳という若さで既にもう会社の部署を任されているらしい。

わたしより五歳年上。母はあまり離れていないと言っていたが、大学に通っているわたしにとって五歳差というのはとても大きく感じた。話題が合うかどうかも怪しい。

その後、わたしたちのお見合いのはずが、しばらくの間、親同士で話すばかりの時間が続いた。


「どうだ? 二人ともやっていけそうか」


不意に相手方の社長さんから聞かれ彼は「まぁ」と言葉を濁し、わたしは「はい」と頷く。

どうやら彼もこのお見合いに乗り気では無さそうだ。


「本当にやっていけますかね」


わたしたちの返答に相手方の社長さんの表情が曇る。


「今は緊張しているだけでしょう。紅は人見知りな所があるので。付き合っていくうちに至留くんもきっと気に入ってくれるはずですから」


父が取り繕うように早口で言葉を紡ぐ。

人見知り、なんて初めて言われた。

それに父の気に入ってくれる、という言葉も頭に残った。


──わたしは何なの。


その後、至留は一人暮らしをしているし、まずは同棲でもと両方の親から言われ、わたしたちは一緒の家で暮らすことになった。


家を出ると決まった時、母と反りが合わず家で言い合いばかりしていたわたしは解放されたと舞い上がっていた。


──ほんとバカね。


能天気な過去の自分に呆れた。

わたしは今日で何度目かのため息を吐く。

ダイニングテーブルに肘をついたまま灯りの消えたリビングを見た。

彼との生活を初めて半年、部屋のレイアウトは何も変わっていない。小さなソファに小さなテーブルの置かれた広い部屋。壁にかかった薄い大型テレビから喋る芸人と笑う観客の声がはっきりと部屋に響いていく。テーブルの天板に映ったテレビの色彩豊かな画面が薄暗い部屋の中で絶えず蠢いて不気味だった。


──消したら消したで孤独に潰されるのに。


テーブルの上に置かれたリモコンに目を落とし、隣のスマホの画面をなんとなく見た。

今日も彼から連絡は一度もきていない。どうせ職場で秘書という名の愛人との時間を楽しんでいるのだろう。

彼と同棲していると一日中家に帰ってこない日や連絡が全く無い日が多々あった。

その度、黙々と広い部屋を見ながら大きなテーブルを前にポツンと自分で作った料理を食べる。


──帰って来ても憂鬱だけど。


たまに突然帰ってきたら、こっちの気も知らず寝室に手を引いていく。

したいことをした後の彼のズボンのファスナーを上げる音がやけに鮮明に耳に残っていた。

何も言わず彼が部屋を出ていく。起き上がるとリビングからの光で彼の背中に深い影が出来ている。

しばらくして服を着てから寝室を出ると彼はリビングのソファで寝転がりソシャゲをしていた。テーブルには作った料理がそのまま残っている。結局、その日も夜食は手をつけなかった。

そのくせ夕食が無ければ嫌な顔をして露骨に不機嫌になる。


──良いけど。


あの日からわたしは知らない誰かのために生きている。従業員に優しい父と、それを献身的に支える母。そして父が守る従業員たちのために生きる事になったわたし。

スマホが鳴った。

SNSの通知だった。友達の投稿だ。大学を辞めた当初頻繁にかかってきたメッセージもここ数ヶ月でめっきりと少なくなった。それぞれがそれぞれの生活を送っているから当たり前だけど。


──もうすぐ大学は夏休みか。


わたしは椅子の背もたれに頭を乗せて天井を見上げる。


──大学、最後まで辞めたくなかったなぁ。


わたしの通っていた大学は彼の家から片道三時間半掛かった。それでもいいから行きたかったわたしにもう結婚するんだし大学は行かなくて良いよ、と言われ半ば強制的に退学届を出された。


──彼と別れた時、わたしはどうなるんだろう。


大学卒業後に決まっていた就職先も退学が決まった段階で電話をして辞退していた。

そこまで行きたい企業でも無かったけど今の状況の事を思えばどうにかして別の就職先は探すべきだった。


「夏は仕事の時以外避暑地の別荘で過ごす事にしてるから」


久々に彼がわたしに何かを言った。どこで過ごすのか、どうしてそんなに突然なのか、色々と言いたい事はあったけれど、全て飲み込んでわたしは「はい」とだけ言って頷く。


八月の初め、わたしが連れてこられたのは山奥にある小さな村だった。

彼の車の中で揺られながら見えた田んぼの鮮やかな緑色に目が眩んだ。細かな産毛みたいな稲が輝きながら小さく揺れていて、その上を沢山のトンボが飛んでいる。


──綺麗。


生まれも育ちもコンクリートに囲まれた場所で過ごしたわたしにとって見渡す限りの田園風景は見たことがなかった。しばらくして車は森の中に入って行き小高い丘の上にある大きなお屋敷の前で車が止まる。

車から降りてすぐ、わたしは周りから一斉に蝉の声を浴びた。お屋敷の周囲を囲うように広がる森から蝉の声は響いていた。

その後、彼はまだ会社で仕事が残っているらしく家の方へ戻るらしい。どうせ違う目的だろうけど、わたしは素直なふりをして「わかりました。お気をつけて」と頭を下げて彼の車を見送った。


──顔を合わせなくていいのは助かるけど…何をしていよう。


少し考え近くにあった村を足任せに散歩する事にした。

別荘を管理されている方に「これから村の方で何かお世話になるかもしれないので、村長さんに一度挨拶をしに行ってきます」とわたしは伝え、荷物を置いて小物入れと日傘だけ持って別荘から離れ村の中心の方へと歩き出す。わたしの足取りは軽かった。


しばらく歩いたわたしは一人の少年と出会った。その少年は前に籠のついた自転車を立ち漕ぎして金色の髪を靡かせながらわたしの横を通り過ぎていった。真っ白な夏用の制服を着て、背はわたしより高かったので恐らく高校生だろう、と考えていると風が吹いてきて、わたしの伸ばした長い髪と紺色のワンピースの裾を揺らす。前髪がわたしの視界を遮ってきた。


「うわっ…」


前髪を治した頃にはその学生は点になっていて、あっという間に消えた。

なんだかピカッと光って消える流れ星みたいな学生だったな、とわたしは思った。

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