✧【特別章】家族の食事✧
数日間、母がすべてを説明しようとしたけれど、私は聞こうとしなかった。今はまだ、何が起こったのかを知る覚悟ができていない。しばらく離れるという現実を、ようやく少しずつ受け入れ始めている。本当に救われたのは、親友のロシオとカンデラに相談できたこと。ふたりは私の話にずっと付き合い、この状況をどう乗り越えるか、一緒に考えてくれた。私は自分に言い聞かせる――これが正しい道だ、と。大学を卒業して、将来に希望をつかむための一歩だと。
必需品だけを詰めたスーツケースを準備し終える。念のためもう一度確認していると、エステラがスーツケースの上に飛び乗った。自然に笑みがこぼれる。
「エステラ、スーツケースには入れないよ。大きすぎるし、飛行機に乗ったら重すぎて倒れちゃうよ」
と笑いながらそっと抱き上げる。「それに、お母さんをファティガだけに任せるわけにはいかないでしょ」
エステラを軽く撫でると、彼女は甘えるように喉を鳴らす。部屋を見回す。ひび割れた天井、剥がれかけたペンキ、湿気を帯びた壁、古ぼけたポスター。そして、バネがゆるんだベッド。もうすぐ、これらすべてから離れると思うと、まだ信じられない。ずっと、少しずつこの場所を良くしてきた。でも、戻ったときにはまた活気を取り戻すつもりだ。
部屋を出ると、母がリビングで黙って煙草を吸っている。しっかり見せたいと思いながら、私は一歩ずつ近づく。
「準備できたよ。そろそろ出発しようか?」
腕を組んで落ち着いているふりをする。
母はゆっくり立ち上がり、灰皿の中の煙草を消して頷く。
「うん、行こう。電車がそろそろ来る時間だから」
私は母とペットのことを思い浮かべながら、静かに家を出る。ファティガをぎゅっと抱きしめ、エステラも私の手に寄り添ってくれる。玄関を開けると、空は曇っていた。誰にも優しくない天気だ。私たちは言葉なく駅へ向かって歩いた。幸い、そう遠くはない。歩きながら、ずっと胸にあった質問を投げかける。
「彼はどんな人?どうして選んだの?」
真顔で母を見つめ、好奇心をぶつける。母は少し考え込んでから、言葉を選び話し始めた。
「彼は口数が少ないの。もともとは田舎に住んでいて、ご両親と一緒だった。後にキルメスに引っ越し、ふたりで肉屋を開いたのよ。彼も手伝っていて、動物を扱う経験があったわ」
と言いながら、母は古びた写真を取り出した。「これは、私が彼の仕事場を訪れたときに撮ったもの」
私は写真を見る。今より少し細身だった父が、肩に半身の牛を軽々と乗せている。
「すごい…本当に力があるんだね」
「そこもあなたとよく似ているわ。普通の年頃の女の子が50キロの家具を軽く動かせるなんて、そうそういないもの」
と母はため息交じりに言った。「あなたの気性は心配だけど、その力の使い方もね…」
母の目を見返す。
「大丈夫。そんなことで問題を起こすつもりはないよ」
軽く手を振り、無関心なふりをした。
そのとき、駅に電車が到着した。私たちは切符を買って乗り込む。車内は少し混んでいたが、幸い席に座れた。窓の外を眺めながら、私は核心へ迫る。
「まだ彼のこと愛してるの?彼もまだ気持ちがあるって言った?」
私は戸惑わず聞いた。母は驚いて視線を伏せる。胸の奥が触れられたようだった。母は答えを探すように言葉を選ぶ。
「もちろん…まだ彼を愛してる。彼も同じ気持ちだって言ってくれた」
と母は拳を軽く握った。「でも長い時間、離れていたから…もう昔のままではいられないの」
私はうなずいた。母の言葉の奥にある気持ちまで、ちゃんと分かっていた。
そっと母の手に触れる。
「どうして一緒に行かないの?彼がまだ気持ちがあるなら、拒まれないはず」
母はそっと首を横に振った。悲しみがその顔に浮かんでいる。
「一緒に行きたい。でも、まだ受け入れる準備が整っていないの。今はただ…連絡を取り合って、少しずつゆっくり進んでいるところなの」
母は席にもたれて目を閉じた。これ以上は話したくないという雰囲気が漂う。電車は静かに進んでいく。約20分後、「テンプレ駅」に到着。私たちは降りて、すぐに父の車を見つけた。ごく普通の車だった。ドアを開けてくれる。
「待たせちゃった?」
母は微笑んで父の頬にキスをすると言った。
「そんなに待ってないよ。こんにちは、ソフィア」
と父は会釈しながら手をあげた。
「こんにちは、アルフレド」
私は後部座席に腰かけた。
車内には少し緊張した空気があった。父は無言でエンジンをかけ、母が話を続けた。
「エセイサまではかなり長いドライブになるよね。たぶん2時間くらいかしら?」
「実はね」
父は少し声をひそめた。「その前にショッピングモールに寄るつもりなんだ。ソフィアには新しい服が必要だろうし。一緒に選べたらいいなと思って。正直、僕は服のコーディネートが苦手だから…」
母は声を上げて笑った。
「あなたがディスコで初めて姿を現したときのこと、覚えてる?水色のシャツに茶色のショートパンツ…まるで濡れたひよこみたいだった!」
父と母は笑いながら顔を見合わせた。そのとき、まるで昔のふたりが戻ってきたようだった。車はショッピングモールへ向かって走り出した。
モールに着くと、すぐ洋服店へ入った。私は普段は中古で済ませていたが、今回は違うらしい。母は次々と服を手に取って見せてくる。
「これ、ソフィアによく似合うと思う…これも素敵…そしてこれも!」
父は黙ってついてきていたが、私が短めのスカートを父に見せると、ようやく口を開いた。
「それ、どう思う、アルフレド?」
私は父と目を合わせ、その反応を待った。彼は少し間を置いてから答えた。
「どれを選んでも似合うよ。君はお母さんに似てきれいだと思う」
と言ってから、少し照れた表情を浮かべた。
彼はあまり話さないけれど、その言葉には温かさがあった。気づけば、大量の服を買い込んでいた。
「お母さん…これはちょっと多すぎるかも。もう一つスーツケースが必要かも」
「心配しないで。必要なら何個でも買うわよ。マレーナ、自分の好きなものも買わなきゃ。これまでずっと遠慮してきたし、何も買わずに帰るのは私が寂しいわ」
父が少し寂しげに言った。
母は優しく微笑んだ。
「わかったわ。じゃあ、あなたはスーツケースを選んできて。あと下着もね」
「お母さん!」
私は思わず赤面した。
「ごめんね、スペースをあげるわ。フードコートで待ってるから」
父は少し焦りながらそう言い、駆け足で去っていった。
父はそういう場面が苦手なようだ。私は下着売り場へ行き、肌触りが良さそうなブラジャーを選んで試着室に向かった。以前のは締め付けが強かったので、新しいクリームグリーンのものに替えた。柔らかくて楽だ。深呼吸したくなるほど気持ちがよかった。
「どう?ソフィア。別のサイズがいる?」
母の声が試着室の外から聞こえる。
「大丈夫。これ、ぴったり」
私は試着を終えてレジに向かい、清算した。合計は3500ペソだった。お母さんの給料の三倍以上だったけれど、不思議と後悔はなかった。父が銀行振込で支払いを済ませ、私たちはフードコートへ。父は新しいスーツケースを二つ持って待っていた。
「いっぱい買えてよかったよ。もし他に必要なら…」
父はそう言いながら黒いカードを取り出した。
「これは僕のブラックカードの追加だから、必要ならいつでも使ってね」
私はカードをそっと受け取り、バッグにしまった。押し付けがましい感じはなく、ただ温かさだけがそこにあった。
食事のテーブルについた。父が特大ナポリピザを注文してくれた。
「すごくいい匂い。耳の部分が厚くてもっちりしてそう」
私は香りを楽しみながら言った。
「本当に、食べるだけで機嫌が良くなるものだね」
母が優しく笑った。
「お腹が満たされると、私は本当にご機嫌になるんだよ」
私は腕を軽く組んで答えた。
「わかった。覚えておくよ」
父が柔らかく微笑んだ。
そして、私たちは静かで幸せな時間を過ごした。笑い合いながら、小さな思い出を共有しながら。親と一緒にいるだけで、こんなにも満たされるなんて、自分でも驚くほどだった。




