表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/3

第3話「死者の歩む道、命の温度」

歩くたびに、肉が軋む。

 皮膚は剥がれ、骨の一部が露出し、関節は錆びた機械のように鈍い音を立てる。


 それでも、俺は歩く。


 腐った体に、痛みはない。

 寒さも、空腹も、もう感じないはずだった。

 ――なのに、どうしてこんなにも、苦しいんだろう。


 


 死んで、蘇って、ゾンビになった。

 笑えるよな。物語ならここで「復活の勇者」とか言われるんだろうけど――

 現実は、腐肉の化け物だ。

 人間の村に近づけば、叫ばれて、武器を向けられ、追い払われる。

 自分が「人として扱われない」という事実が、何よりも堪える。


 


 ある夜、小さな村の近くを通った。

 灯りが点っている家。誰かの笑い声。子どもが走る足音。


 その光景を、森の影から見つめていた。

 ただそれだけなのに、体の奥がギリギリと軋んだ。


「……ああ、俺……まだ、羨ましいんだな」


 心なんて、とうに捨てたと思っていた。

 でも本当は、捨てきれなかったんだ。


 俺はまだ、恋がしたい。

 誰かと手をつなぎたい。

 隣で笑って、「おかえり」って言ってほしい。

 そういう、ありふれた――それでも、俺には永遠に手の届かない“日常”を、

 俺はまだ、夢見ている。


 


 物音に気づいて、森の奥へと隠れた。

 走ってきたのは、小さな子供だった。

 何かに怯えている様子で、森に入ってきてしまったらしい。


「おい、そっちは……!」


 声をかけた瞬間、子供の目が俺と合った。


 絶叫が響いた。

 その瞳に映っていたのは、“怪物”の姿だった。


 


 逃げていく子供の背中を、追いはしなかった。

 ただ――そこに、確かな温度があった。


 怖がられた。嫌われた。拒絶された。

 でも、それでもいい。


 この腐った体が、誰かを助けることができるなら。

 少しでも、人としての“証”を残せるなら。


 ――それが、俺の“生きる理由”になる。


 


 深夜。雨が降ってきた。

 ゾンビの肌には染み込まないはずの冷たい水が、なぜか胸に滲みた気がした。


 小さな岩の下で、体を丸める。

 目を閉じても、眠れはしない。けれど、意識が薄れる感覚はある。


 


 その中で、夢を見た。

 光の中に立つ少女――セリア。

 あの銀髪と、青い瞳。勇者として、人々に希望を与える存在。

 俺とは、正反対の存在。


 けれど、恋をしてしまった。

 あの瞬間、心が奪われた。

 そして今も、その感情だけが、俺の腐った体を前に進ませている。


「……会いたい。もう一度」


 まだ、俺は終わっていない。

 死んでなんか、やるもんか。


 


 夜が明けた。

 雨は止み、空気が澄んでいた。

 まるで、世界が“まだ進め”と言ってくれているようだった。


 


 よろよろと立ち上がる。

 足は重く、体はきしむ。

 でも一歩、また一歩と、前へと進む。


 


「俺は……ゾンビだ。それでも――」


 この歩みは、恋に向かっている。

 この腐った体でさえ、誰かのために剣を振るう日が来るかもしれない。


 その日まで。

 その瞬間まで。


 俺は、この足で、歩き続ける。


森の奥に、枯れかけた一本の剣が落ちていた。

 赤錆びた刃。折れた鍔。柄は半分朽ちている。

 それでも、それは“武器”だった。


 俺はそれを、そっと拾い上げた。

 皮膚の剥がれた手が、柄を握るとギリギリと軋んだ音がした。

 けれど、確かに――この手には、力が宿っていた。


 


 ゾンビになってから、初めて“何かを持つ”という感覚。

 ただ歩いているだけの存在だった俺が、“意志を持って戦う”存在になるための道具。

 それはたとえボロボロでも、俺にとっては剣以上の意味を持っていた。


「……これが、俺の剣か」


 誰も見ていない森の中で、そう呟く。

 その声は、腐った喉から漏れ出すようなかすれ声だったけれど――

 確かに“俺”だった。


 


 数日が経った。

 森の中には、弱い魔物がたまに現れる。

 以前の俺なら、出会った瞬間に襲われていた。

 だが、今は違う。


 朽ちた剣を振るう。

 腐った腕が、恐ろしく遅い軌道を描く。

 けれど、魔物もまた低位の存在。牙だけが武器の獣でしかない。


 何度か斬られ、噛まれ、肉がえぐれても、痛くない。

 ただ、倒す。

 ただ、それだけを繰り返す。


 


 そしてある日。

 一体の魔物を斬った瞬間――何かが、体の奥で脈打った。


 ズキン、と。

 腐りきっていたはずの胸の内側から、熱が走った。


 右手が震える。

 刃の先に、薄く黒い瘴気がまとわりついていた。


「……これは……?」


 よく見ると、倒した魔物の体から淡く煙のようなものが立ち昇っている。

 それが、俺の手に吸い込まれていた。


 


 理解には少し時間がかかった。

 だが――わかった。


「喰ってる……?」


 俺は、敵から“何か”を奪っている。

 それは、生命力か、魔素か、それとも……スキルのようなものか。


 


 ゾンビである俺の体は、不完全な死体。

 けれど“まだ変化する余地がある”ということでもある。

 つまり――俺は、進化できる。


 


「……これが、俺の特性か」


 死んでも、腐っても、まだ終わってない。

 俺はまだ、強くなれる。


 


 その日、俺は初めて“敵を狩る”という目的を持った。

 ただ歩いていた存在が、意志を持って“力を得る”ために動き出した。


 


 最初の頃は苦戦した。

 動きは遅く、力も不安定。

 けれど、“腐敗した分だけしなやかになる”という妙な特性にも気づいた。


 筋肉の拘束から解放された骨の可動域は、案外広かった。

 視界は濁っているが、暗闇には慣れている。


 剣の扱いも、少しずつ、体に馴染んできた。

 まるで、かつて生きていた頃に剣術を学んでいたような感覚――いや、これは“本能”だ。


 


 それから数日後。

 初めて“喰った”魔物の特性が、自分の体に馴染んだ感覚があった。


 足取りが少し軽くなった。

 剣を振るスピードが、ほんのわずかだが速くなっていた。

 死体が進化している。ありえない話だが、現に今、俺の中で何かが変わっていた。


 


「……いいぞ、これでいい」


 強くなる。

 ただ恋を叫ぶだけの化け物じゃない。

 その恋を叶えるために、俺は“それにふさわしい存在”になる。


 


 夜。

 岩陰で朽ちた剣を磨きながら、俺は呟いた。


「待ってろよ、セリア……」


 名前を呼ぶと、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 誰かの名を、恋を込めて呼ぶという行為。

 そんな当たり前が、今の俺にはとても貴重で、温かいものだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ