第2話「女神のような勇者に、ゴーストは恋をした」
死んでから、どれくらい経ったんだろう。
季節の移ろいなんて、俺にはもう関係がない。風の冷たさも、太陽のまぶしさも、皮膚ではなく記憶で感じるだけだ。
俺は死んだ。だけど、消えていない。
体は朽ち、墓に埋められたのか、焼かれたのかもわからない。
けれど魂だけが、こうして地上に縛りつけられている。
……それが、どれだけ惨めなことか、お前にはわかるか?
最初のうちは、怒りがあった。
なぜ俺だけが、こんな形で残ったんだ。
あの二人は死んで、終わったのに。俺はまだ、ここにいる。
祝福できなかった後悔と、恋を知らなかった空虚。それだけを胸に抱いて、俺は幽霊になった。
やがて怒りは消え、残ったのは退屈と倦怠だった。
「やあ、またお前か。いつまでその辺ウロウロしてんだよ」
同じように彷徨っている老霊が話しかけてくる。
「お前も暇そうだな」と返すと、老霊は笑った。
「俺ぁ、もう何十年もここにいる。最初は怒ってたがな、今はもう……どうでもよくなったさ」
「どうでもよく、ね……」
「そうさ。死んでまで抱える感情なんて、長続きはしねえ。どうせ忘れていくんだ。お前もそのうち……」
その時だった。
――光が、差した。
空が揺れ、霊たちの影が軋むように震える。
「な、なんだ、こりゃ……」
空気がざわめいた。風のないはずの空間に、圧倒的な“力”が降りてくる。
老霊が震えながら、ぽつりと呟く。
「……やべぇ。あれが、来たな……勇者だ」
勇者――。
そう、最近この辺りに“浄化の光”を持つ者が現れたと、死者たちの間でも噂になっていた。
異形を一撃で祓い、死者すら消滅させるほどの神聖力を持った存在。
「絶対近づくなよ。冗談抜きで、灰になるぞ、俺ら」
そう忠告されて、俺も最初は躊躇した。
だが、見てみたくなった。
どうせもう、死んでるんだ。怖いものなんて、とうに無くなってた。
そして、俺は――見た。
少女だった。
銀色の髪が風に揺れ、透き通るような青い瞳が、まっすぐ前を見据えている。
白銀の甲冑に、輝く紋章を宿した聖剣。
そして、周囲の村人がひれ伏すように、彼女の名を呼んでいた。
「……セリア様……!」
その瞬間、俺の中で、何かが爆ぜた。
あれは――
人じゃない。
いや、人間なんだろうけど、あんなもの、俺のいた世界には存在しなかった。
神話から抜け出したみたいな、絶対的な“光”。
触れれば焼かれる。見るだけで目が潰れそうだ。
なのに――
「……綺麗だな……」
俺の声は、誰にも届かない。
だが確かに、その言葉は自分自身に染み渡った。
初めてだった。
心が、息を吹き返したような気がした。
自分の鼓動を、死んだはずの心臓に感じた。
死者のくせに、頬が熱くなった気さえした。
これは――恋だ。
俺は、死んでから初めて、誰かに“恋をした”。
「……これが、俺の生きる理由か」
笑えてくる。
生前の俺は、何をしてた?
ミナを、レオを、ただ眺めてるだけだった。
それでいて、最後の最後で妬んで、腐って、死んで……
こんなところで、ようやく本物に出会うなんて。
「……なら、決めた。俺は、あの子に告白する」
冗談じゃない。ゴーストのままなんて、話にならない。
腐ってたっていい。体を取り戻して、歩いて、声に出して言うんだ。
“好きです”って。
その瞬間だった。
俺の足元に、光が差した。
――違う。
それは、勇者の光じゃない。
俺の内側から、湧き上がってくる“意志”だった。
ドクン。
死んだはずの肉体が、どこかで脈打った気がした。
目の前の世界がぐにゃりと歪んで、俺の視界が黒く染まっていく――
目が、開いた。
音がする。地面の感触がある。
冷たい風が、皮膚を撫でた。
「……体、が……ある……」
それは、生きていた頃のものとは似ても似つかない。
皮膚はくすんで、指の骨が浮き上がり、肉体は明らかに腐敗していた。
俺はゾンビになっていた。
だが、それでもいい。
これが最初の一歩なら、構わない。
歩こう。腐った足でも、ずたずたの内臓でも、前へ進める。
あの子に――セリアに、告白するその日まで。
「待ってろ、勇者様……俺は、絶対に……」
胸の奥で何かが灯った。
死者であるはずの俺に、もう一度“命”が宿った瞬間だった。