第1話「祝福できなかった恋と、血まみれの死」
人生で一度も恋をせずに死ぬなんて、考えたこともなかった。
だって当たり前のように、いつか自分にもそういう日が来ると信じてたから。誰かを好きになって、手を繋いで、笑い合って、たまにはケンカして、それでも一緒に生きていく――そんな、物語の登場人物みたいな未来を。
……まあ、死ぬ間際にそんな甘い妄想がどれほど虚しいか、嫌ってほど思い知らされたわけだけど。
俺が生まれた村は、田舎も田舎、地図に載ってるのが不思議なレベルの辺境だった。
人口はざっと三十人、俺と同じ年頃のやつは三人。男が二人、女が一人。
その三人は、俺を含めた幼馴染だった。
レオとミナ。
小さい頃から一緒に木登りして、川遊びして、たまにケンカして、でも気づけばまた笑い合ってる、そんな関係だった。
レオは昔から正義感の塊みたいなやつで、ちょっと頭が固いけど憎めない。
ミナは笑うとえくぼができる快活な女の子で、みんなの中心に自然となるタイプ。
……で、俺はというと、その隣でぼんやりしてるような影みたいな存在だった。
「なあ、明日ミナと川に行こうぜ。魚がめっちゃ跳ねてたんだ」
「ごめん、明日はミナと野草採りに行くんだって」
「あ、そ、そうか……」
それが三ヶ月前。
レオとミナが付き合ってるって知ったのは、ちょうどその頃だった。
最初は、驚きと、祝福と、ほんの少しの寂しさ。
でも、それがだんだんと重たくなっていった。
遊びに誘っても断られる日が続く。
かといって、ふたりが避けてるわけじゃない。
ただ、ふたりでいる時間の方が自然だと思ってる、それだけ。
俺は、余計者になっていた。
それがどれだけ悲しいことか、自分でも思っていたよりずっと堪えていたんだ。
そんな時だった。
村が、魔物に襲われたのは。
突然の悲鳴、燃え上がる家屋、駆け回る獣のような影――。
何がどうなってるのか理解する前に、俺はレオとミナを探して走っていた。
「どこだ……どこにいる、レオ……ミナ……!」
喉が焼けるほど叫んで、足がもつれながら森の中へと入っていった。
そこで、見てしまった。
レオの胸には、大きな槍が貫通していた。
その腕の中で、ミナが泣き叫んでいた。
「……うそ……うそ……やだ……!」
レオはミナを庇って、死んだのだ。
その数秒後、背後から現れた魔物がミナをも切り裂いた。
ミナの叫びは、村のどんな歌よりも、どんな鐘の音よりも心に響いた。
けれど俺がその瞬間、何を思ったか。
「……ああ、そうか。やっぱり、お前らふたりだったんだな」
胸の奥が冷たくなった。
そして、次に湧き上がった感情は――
「……羨ましいな。お前ら、最期まで一緒で」
心の底からの本音だった。
それと同時に、何かが壊れた音がした。
「ざまぁみろ、って思ってる俺は……クズなんだろうな……」
でも、どれだけ醜くても、それが本心だった。
あんなにも俺を置いてけぼりにして、ふたりだけで幸せそうにしてたくせに、死ぬときだけ“絆”だなんて、笑わせる。
そんなことを思いながら、俺は――後ろから刺された。
「……ぐ、は……っ」
背中に、冷たい鉄の感触。
血が一気に噴き出して、口からも溢れた。
振り返ると、ゴブリンの醜い顔がそこにあった。
「……なんで……最後に見るのが……こんなブサイクなんだよ……」
胸の中に火がついた。
ナイフを抜いて、体を振り返らせて、ありったけの力でゴブリンの顔を何度も、何度も刺した。
ぐちゃぐちゃになった緑の肉塊を見下ろしながら、俺は息を吐いた。
「俺だって……ロマンチックに死にたかったよ……」
そして、俺は、死んだ。
――けれど、終わりではなかった。
(……あれ、死んだはず、なのに……)
暗闇の中で目覚めたとき、自分が死んでいることに気づくのに時間はかからなかった。
俺の体はもう、そこになくて。俺は、透明なまま、地面の上に立っていた。
その傍らには、血に染まった自分の死体と、潰れたゴブリンの死体。
冷たい風が吹く。
でも、何も感じない。心も、もう動かない。
ただひとつ――「後悔」だけが、俺をこの世に縛り付けていた。
恋をしなかった。
いや、したのかもしれない。でも、叶えなかった。
ただ見ていただけで、何も手を伸ばさなかった。
気づけば、誰の手も、俺の手を取ってはくれなかった。
それでも。
あの時、ミナの絶叫を聞いたとき。
あれが「恋」の結末なのだと知ったとき。
俺は心のどこかで、羨ましいと、思ってしまったのだ。
だから、俺はまだここにいる。
幽霊なんて冗談みたいな存在になってでも、
俺はまだ、生きている誰かを、
心の底から、愛してみたい――