(題材メモ)
「新編泉鏡花集 別巻二」の年譜によると……。
明治二十年五月、満十四歳のころ、北陸英和学校を退学した鏡花は、大四高等中学校受験を志して、井波他次郎が経営する私塾に通っている。『妖怪年代記』の舞台となった松川塾の描写には、この経験が反映されていると思われる。
ちなみに、この井波私塾で鏡花は、生涯の親友、吉田賢龍と出会っている(吉田賢龍は、『高野聖』の発想のヒントとなった話を鏡花に語ったとされる、のちの教育者、宗教家。『瓔珞品』(明治38)の主人公のモデルにもなった)。
また、巌谷大四『人間泉鏡花』には、明治二十二年、満十六歳の鏡花の動向として、
「六月、富山市旅籠町に住む友人を訪ね、その友人と一緒に、英語と国文の補習講座を開き、出稽古もしたが、三カ月でやめて金沢に帰った。」
と書かれている。
上京して尾崎紅葉を訪ねる以前に、今で言う塾講師や家庭教師をやってとりあえず身を立てようとした時期があったようだ。
鏡花が滞在した旅籠町の近くには、「磯部の一本榎」と呼ばれる木があった。
嫉妬に狂った佐々成政が愛妾の早百合をぶら下げて鮟鱇切りにしたという伝説がある木である(現在ある榎は二代目の木)。元になった逸話は、越中に関する史実・伝説・地誌を集録した『肯搆泉達録』に記されていて、それが読本『絵本太閤記』や歌舞伎『富山城雪解清水』などで脚色されて広まったのだという。
鏡花は富山滞在中に、この一本榎の伝説を聞いていたに違いない。
『妖怪年代記』での、旗野が愛妾の村の不義を疑ういきさつや殺害の様子は、地元で語られていたのであろう早百合伝説をアレンジしたものとなっている。
早百合伝説は『絵本太閤記』で、その後日談たる黒百合伝説につながり、鏡花の創作においてもまた、黒百合伝説を下敷きにした『黒百合』(明36)につながっていく。
附記
大正十四年作の小説『鎧』の冒頭には、富山行きについて次のように書かれていて、フィクションの一部だから事実とは違うのかもしれないが、何か別の資料を参照したのだろう巌谷大四の記述とは理由が異なっている。
▶私は学塾の友だちが、病気保養のため帰省するのに誘われて、北陸道富山へ出掛けたことがある。規律の立った公私の学校だと、そんな時ならない休暇は取れないはずだが、そこは塾というものの気安さに、親たちさえ承知なれば、いくらでも遊んで居られた。尤も知らぬ他国を見るのも、学問の一つだからと、そんな言いぬけもあって、二月ばかりその友だちの家になまけて居た。……◀




