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泉鏡花『妖怪年代記』 現代語リライト  作者: らいどん


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 水曜日は一般の学校では授業が行われるが、たいていの()(じゅく)は休みである。僕はその休暇を利用して、庭に出ると、例の(たけ)(やぶ)に向かった。実行するにあたって、かねてから(てい)(さつ)用に手なずけておいた犬が、このときちょうどやってきた。犬を先に行かせながら、大胆にも僕は竹藪に足を踏み入れた。すこし進んだ時点で、僕の前を走っていた犬は奥深く進んで見えなくなっていたのだが、いったい何が起こったのか、虎の子のように一声、吠えたかと思うと、藪のなかは急に騒がしくなった。

 その響きに動揺するかのように、みっしりと生えた竹が葉をすり合わせ、ざわざわと音を立てる。僕はヒヤリとして立ち尽くした。

 しばらくして犬は、奥のほうから駆け戻ってきたかと思うと、僕の目の前をヒラリと通り過ぎ、(やぶ)の外へと飛び出した。その(あわ)てぶりにすっかり驚いた僕も慌ただしく逃げだしたのである。

 ふと見ると、犬は何かを口にくわえて踊り狂っている。なんたることか、くわえていたのは一尾の魚だった。藪のなかから魚とはいったいどういうことなのかと、犬に近づいて確かめようとしたところ、獲物を奪われるとでも思ったのか、犬は一目散に逃げ去った。

 僕は(ぼう)(ぜん)として立っていたが、おそらく竹藪のなかに()んでいるのは、狐か狸かのたぐいであろう。そいつは犬のせいでおびやかされて、近所から盗んできた昼飯を奪われたに違いない。たかがその程度のことでひるむ必要があるものかと、僕は勇気を取り戻して、ふたたび藪に侵入した。


 竹と竹との隙間に密生した、重なりあって生い茂る緑の草を分け入りながら進むのは、豪雨の雨粒を避けながら濡れないように歩くようなもので、行くにも戻るにも困難がともなう。そのうえ、払いのける者もいない蜘蛛(くも)の巣が、目の前を煙のようにふさいでいるのである。

 蛇が(うろこ)を光らせる。蜥蜴(とかげ)の姿も見える。その他、湿地特有の虫が群れをなして、縦横斜めに駆け抜けるさまは、こうして目にするだけでも胸がむかつく。手足を縛られ、衣服を()がれ、若い女の(やわ)(はだ)に酒を塗りたくられて、虫たちの恰好の()(じき)にされた、(せき)(じつ)のお村に思いを()せて、思わず僕は鳥肌を立てたのだった。


 すでに藪の中央にまでたどり着いたようだ。来た方角を振り返ると、真昼の空は藪に寸断されて、点々と星のように光っている。この藪はどれくらい深いのだろうと、中腰になって行く手をながめた。

 と、そのとき、理解不能、不可思議千万、超絶怪奇な出来事が発生した。

 草の間から(あか)い色がちらりと見えたかと思うと、後ろ向きになった女が、僕から十歩も離れていない場所に立っていたのである。これは夢なのか、幻なのか。僕は頭がぼんやりとして、思わず一歩、後ずさりをした。

 とたんに女がこちらを振り向く。

 その目、口、鼻、(まゆ)と、細部を記憶する余裕などない。ただ、真っ白な丸顔の(りん)(かく)が、ぬっと(せま)ってきたことだけは覚えている。絶叫する自分の声は聞こえず、女のことばだけが耳に入ってきた。

「これ、人に言うなかれ、(わらわ)がここにあることを」

 その一種異様な声質と語感が耳にブーンと響き、脳を揺さぶりながら全身に染みわたると、目はくらみ、感覚は失われ、心は空っぽになり、足もとがふらつき、魂がふらふらと抜け出して、もぬけの(から)になった僕の体がもとの縁側に逃げ帰るまでは、一秒たりともかからない、瞬間の出来事であった気がする。脇の下にサッと冷たい汗が流れて、下着の背中がびっしょりと濡れていた。


 自分の書斎に駆けこんで、そこに閉じこもった僕は、机に上体を投げだして、ほーっと深く、長く息をついた。このまま自分は死を迎えるのかと思いながら、

「見てはいけないものを見てしまった」

 と、声に出してつぶやいた。

「忍ぶれど色に()でにけりわが恋は……」などという(いき)な物思いではなく、僕の場合は()()な物思いから(おく)(びょう)な色が顔に出て、青くなって口数も少なくなったわけだが、松川をはじめ通学生たちから、どうかしたのかと聞かれるたびに、口の(はし)がむずむずするほど、打ち明けたくてたまらなくなった。しかし、あの怪しい女の「人に言うなかれ」という警告のことばが耳もとに残っている。誰かに話したいと思うたびに、お前は忘れたのか、秘密を漏らせば生かしてはおけない、とささやきかけてくるような気がして、何も言えなかった。

 もしもこの、(きょう)(ちゅう)にわだかまる悩みを吐き出して知者に解決の道を示してもらえれば、春を迎えたように気分爽快となり、(おく)(びょう)(かぜ)も吹き払われるのだろう。ところが僕は見えない猿ぐつわを噛まされたような状況で、禁じられた秘密に腹が(ふく)れるばかりなのである。こうして苦しみながら、夢うつつのなかで数日が過ぎていった。


 そんなある日の夕方、松川が自分の誕生日だと言って、僕を奥座敷に招いてくれた。酒や料理を並べて、飲もう、食おうと(すす)めてくる。何度か盃が交わされると、酒の勢いを借りていささか大胆になった僕は、積もり積もった日頃の(うっ)(ぷん)が、やや軽くなった気がした。この屋敷が荒れ放題だという会話の流れに乗じて、僕は先日、竹藪のなかを探検して見たものの一切を打ち明けようと、

「じつは……」

 と言いかけた。

 まさにそのときだった。しくしくという女の泣き声が、針の穴を通る糸のように細く聞こえてきたのである。それを聞いた僕はハッと口をつぐんで、すっかりしょげてしまった。

 窓の外でささやく、ものさびしげな春雨の音と重なりながら、いつ果てるとも知れないため息のような女の泣き声が続いている。たしかに聞こえるそれを怪しむなと言われても、我慢ができるものではない。


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