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泉鏡花『妖怪年代記』 現代語リライト  作者: らいどん


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 主人の(はた)()()(がたな)を引っさげて、

「おい女、早く目を覚ませ」

 と、お(むら)の胸を蹴飛ばしたが、それが(かつ)を入れたようだ。お村はううん、と息をついたかと思うと、あれっ、と驚いて身を起こした。

 主人はギロリとにらみつけ、

「この畜生めが。男は一刀で斬り棄てたが、(おのれ)はまだ殺してはやらん」

 と、狂ったように(ののし)ると、混乱するばかりのお村の髪をつかんで廊下を引きずり、(えん)(がわ)に連れ出した。そこで有無を言わせず衣服を()ぎ取り、腰巻きだけを残した姿にすると、手足をかたく縛りつけた。

 お村はまだ夢を見ているような気がしながらも、痛さ、苦しさ、恥ずかしさにむせび泣きながら、声を震わせて、

「殿はお気が狂われたか。なにゆえ(せっ)(かん)をなさいます」

 と繰り返し問いかけたが、相手は怒りに逆上して、彼女のことばなど耳に入らない。ただひたすら(げっ)(こう)してわめき散らすばかり。お春を呼びつけて酒を持ってこさせ、自分の両手にしたたらせては、お村の腹に塗り、背中に塗り、全身残らず酒浸しにして、そのまま庭に突き落とすと、(たけ)(やぶ)のなかに投げ入れた。虫責めの(ごう)(もん)に掛けたのである。


 深夜の出来事だったので、家内の人々はみな寝静まり、ついに気づくことはなかった。

「けっして他言をしてはならぬ。許してやれなどと言いだす者がいては面倒なことになる」

 と、主人はお春の口を封じた。

 一方、お村の苦痛は耐えがたいものであった。

「ああっ苦しい。我慢できない、ああ、ああ……」

 と叫んでいたが、しだいに声もあげられなくなり、明け方になるころには、ただ泣き声だけが聞こえていた。家内の人々はそれが藪のなかから聞こえるとは思わず、あの開かずの間の怪異だと思っていた。不可思議な現象に恐れをいだきつつも、そういえば泣き声が聞こえるのは、めでたいことの前兆だと言われているのを思いだして、

「いずれ良いことでもあるのでしょう」

 と、おろかにも主人を祝ったのである。


 正午近くになって、(よう)(にん)の死骸を発見した者がいた。家内は上を下への大騒ぎとなったが、主人は少しも騒ぐことなく、

()(うち)にした」

 と言っただけで、そのまま所定の手続きを経て、事が収まった。

 お村は昨夜の夜中から(やぶ)のなかに放りこまれたまま、身動きもできない状態だった。全身に塗られた酒の()に、蚊の大群が引きよせられたばかりではない。何十年ものあいだ日光を覆い隠して、昼間も薄暗い大藪である。湿地に()む何万もの虫たちが群がり出て、手足に留まり、這いまわり、顔であろうが胸であろうがむずむずと行き来して、肌を()められ血を吸われる苦痛は、想像を絶するものだった。

 悶え苦しみ、泣き叫んで、ひと思いに死ねない(いん)()を嘆くばかり。しだいに(せい)(こん)()きて気が遠くなっていたのだが、そのために彼女がもっとも()み嫌っていた蛇がのたくっていたのに気づかなかったのは、せめてもの幸いというべきか。それでも命が絶えたわけではない。夢のなかから聞こえるような、糸よりも細い女の声は、その日一日、絶えることがなかった。


 日が暮れて夜になり、あたりが静かになるにつれ、お村の悲痛な声はますます()えて響いてくる。これでは眠りにもつけないと耐えかねた旗野は、

「あの女め、鬱陶(うっとう)しい。息の根を止めてやる」

 と、藪のなかに走りこみ、半死半生の女を引きずり出した。お村は全身が赤く()れ、()(はん)が浮かんで、目も当てられない惨状であった。

 それでもまだ怒りは収まらず、彼女の両腕を後ろ手に縛った縄の(はし)長押(なげし)に結んで天井から吊り下げると、刀で斬りつけた。

 そのときお村はハッと意識を取り戻し、

「殿、覚えておいでなさい。(おん)()の命を奪うまで、(わらわ)は死ぬことはない……」

 そのことばを最後まで言わせぬうちに、旗野はいきなり首を打ち落とした。刀の当たった勢いで、吊り下げられたままの首なし死体はひっくり返って、(かかと)を天井につけた。最初に斬りつけられたさいに吹きだした血潮は、(ずね)をつたって足の裏を染めていたので、天井には二つの(うら)みの(けっ)(ぱん)()されることとなった。

 お村の怨みがこもった血の跡は、拭き取ろうとしても消えることがなく、今も残って()(てん)(じょう)と呼ばれている。

 人を殺すとひと言で言っても、やり方というものがある。旗野がお村を殺したやり方は、残虐ななかでも最も残虐なものだといえる。家中の者たちは物音を聞いて駆けつけたが、主人の凄まじい(ぎょう)(そう)に怖れをなして、()めようとする者もなく、遠巻きにして騒ぐだけだった。

 殺し尽くされたとでもいうべきお村の死骸は、竹藪のなかに打ち棄てられて、その後は葬儀も行われなかった。


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