二
二
主人の旗野は血刀を引っさげて、
「おい女、早く目を覚ませ」
と、お村の胸を蹴飛ばしたが、それが活を入れたようだ。お村はううん、と息をついたかと思うと、あれっ、と驚いて身を起こした。
主人はギロリとにらみつけ、
「この畜生めが。男は一刀で斬り棄てたが、汝はまだ殺してはやらん」
と、狂ったように罵ると、混乱するばかりのお村の髪をつかんで廊下を引きずり、縁側に連れ出した。そこで有無を言わせず衣服を剥ぎ取り、腰巻きだけを残した姿にすると、手足をかたく縛りつけた。
お村はまだ夢を見ているような気がしながらも、痛さ、苦しさ、恥ずかしさにむせび泣きながら、声を震わせて、
「殿はお気が狂われたか。なにゆえ折檻をなさいます」
と繰り返し問いかけたが、相手は怒りに逆上して、彼女のことばなど耳に入らない。ただひたすら激昂してわめき散らすばかり。お春を呼びつけて酒を持ってこさせ、自分の両手にしたたらせては、お村の腹に塗り、背中に塗り、全身残らず酒浸しにして、そのまま庭に突き落とすと、竹藪のなかに投げ入れた。虫責めの拷問に掛けたのである。
深夜の出来事だったので、家内の人々はみな寝静まり、ついに気づくことはなかった。
「けっして他言をしてはならぬ。許してやれなどと言いだす者がいては面倒なことになる」
と、主人はお春の口を封じた。
一方、お村の苦痛は耐えがたいものであった。
「ああっ苦しい。我慢できない、ああ、ああ……」
と叫んでいたが、しだいに声もあげられなくなり、明け方になるころには、ただ泣き声だけが聞こえていた。家内の人々はそれが藪のなかから聞こえるとは思わず、あの開かずの間の怪異だと思っていた。不可思議な現象に恐れをいだきつつも、そういえば泣き声が聞こえるのは、めでたいことの前兆だと言われているのを思いだして、
「いずれ良いことでもあるのでしょう」
と、おろかにも主人を祝ったのである。
正午近くになって、用人の死骸を発見した者がいた。家内は上を下への大騒ぎとなったが、主人は少しも騒ぐことなく、
「手討にした」
と言っただけで、そのまま所定の手続きを経て、事が収まった。
お村は昨夜の夜中から藪のなかに放りこまれたまま、身動きもできない状態だった。全身に塗られた酒の香に、蚊の大群が引きよせられたばかりではない。何十年ものあいだ日光を覆い隠して、昼間も薄暗い大藪である。湿地に棲む何万もの虫たちが群がり出て、手足に留まり、這いまわり、顔であろうが胸であろうがむずむずと行き来して、肌を舐められ血を吸われる苦痛は、想像を絶するものだった。
悶え苦しみ、泣き叫んで、ひと思いに死ねない因果を嘆くばかり。しだいに精根尽きて気が遠くなっていたのだが、そのために彼女がもっとも忌み嫌っていた蛇がのたくっていたのに気づかなかったのは、せめてもの幸いというべきか。それでも命が絶えたわけではない。夢のなかから聞こえるような、糸よりも細い女の声は、その日一日、絶えることがなかった。
日が暮れて夜になり、あたりが静かになるにつれ、お村の悲痛な声はますます冴えて響いてくる。これでは眠りにもつけないと耐えかねた旗野は、
「あの女め、鬱陶しい。息の根を止めてやる」
と、藪のなかに走りこみ、半死半生の女を引きずり出した。お村は全身が赤く腫れ、紫斑が浮かんで、目も当てられない惨状であった。
それでもまだ怒りは収まらず、彼女の両腕を後ろ手に縛った縄の端を長押に結んで天井から吊り下げると、刀で斬りつけた。
そのときお村はハッと意識を取り戻し、
「殿、覚えておいでなさい。御身の命を奪うまで、妾は死ぬことはない……」
そのことばを最後まで言わせぬうちに、旗野はいきなり首を打ち落とした。刀の当たった勢いで、吊り下げられたままの首なし死体はひっくり返って、踵を天井につけた。最初に斬りつけられたさいに吹きだした血潮は、脛をつたって足の裏を染めていたので、天井には二つの怨みの血判が捺されることとなった。
お村の怨みがこもった血の跡は、拭き取ろうとしても消えることがなく、今も残って血天井と呼ばれている。
人を殺すとひと言で言っても、やり方というものがある。旗野がお村を殺したやり方は、残虐ななかでも最も残虐なものだといえる。家中の者たちは物音を聞いて駆けつけたが、主人の凄まじい形相に怖れをなして、留めようとする者もなく、遠巻きにして騒ぐだけだった。
殺し尽くされたとでもいうべきお村の死骸は、竹藪のなかに打ち棄てられて、その後は葬儀も行われなかった。




