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シ.ネ.マ

作者: いちの

夏が来る前の、まだ少し寒い季節に彼らはやって来た。

渡り鳥が疲れた羽を休めるみたいに、ふらっと。

この海辺の街に。



「海に入るつもりなら、あんまりおすすめしないよ。ここの海ってすっごく水が冷たいんだ。見た目と違って」

砂浜を歩いている二人連れの背中を見つけて、僕は声をかけた。

家から、ずっと走ってきたから喉はからからで、声はかすれてたけど、それでも僕の声は届いたみたいで、二人連れのうちの一人、大きなリュックサックを背負った背の高い男の人の方が、ゆっくりと振り返る。


「君、この辺の子?」

にこり と人の良さそうな笑みを浮かべて聞くその人に、僕は必死にうなずいてみせる。手招きされて、砂浜に降りると、その人に向かってまた走った。

「お兄さんは、どこから来たの?こんな時期にここに来るなんて珍しいね。ここ海しか無いのにさ」


季節外れの来訪者が珍しくて一気に話す僕を、優しい目で見ながらその人はまた笑った。人懐っこいその笑顔は、知らない人へ話しかけた僕の緊張を溶かしてくれるみたいに温かだった。

「色んな所を旅してるんだ。ここにはその途中で寄ってみた。海の色が気に入ったって羽季(ウキ)が言うから」

「羽季?」

「そう、俺の相棒。俺は颯久(サク)。しばらくここに滞在しようと思ってるから、よろしく」

「そうなんだ。でもここ海しかないよ。夏になったらちょっとは賑やかになるけどさ」


そう、ここの海は綺麗だから夏になると、それなりに観光客がやって来る。観光客目当てのカラフルなキッチンカーが並ぶ頃なら、この街も少しは楽しいと思うんだけど。

「僕のうちも喫茶店やってるから、その頃はホットドッグとレモネードの屋台出すんだ。わりと評判いいんだよ、うちのホットドッグとレモネード」

「へぇ、食べてみたいな」

「夏になったら、食べてよ。その時しかやらないんだ、そのメニュー。特別感が大事なんだってさ。僕にはよくわかんないけど」

「夏か、それまでいるかなぁ。ホットドッグは食べてみたいけど」

目を細めて颯久が言った。いつまでいるかわからないんだ、羽季しだいだからさとつぶやいて、よいしょと肩から大きなリュックサックを下ろす。


「映画、撮ってるんだ。羽季と二人で」


「映画!!すごい!!」

思いもかけないことを言われて、意気込んだ僕に

「自主映画だから、別にそんなにすごくない」

と苦笑して、颯久はリュックサックから撮影用だというカメラを出して僕に少しだけ持たせてくれた。ボディにいくつかの小さな傷の入った使い込まれたカメラは、思ったより小さかったけど、ずっしり重い。


「自主映画だって、すごいよ。でも、映画って二人だけで作れるの?」

「作れなくはないかな。どんな映画を撮るかにもよるとは思うけど。俺の映画は単純。撮る俺と撮られる羽季の二人だけの映画」


ちらりと、背後に静かに立ったままの、相棒って紹介した羽季に目線を投げて颯久は言った。

羽季は僕と同じくらいの男の子に見えた。14か15。そんな感じ。颯久は25か6あたりに見えるから、相棒って言うには何だかちょっと年が離れてる気がしなくはない。

でも、、そういうのも何かいいな。年の離れた相棒って格好いい気がするし。


「羽季、だよね。よろしく」

颯久に話しかけてからもずっと、一言も話さない羽季に僕はおそるおそる声をかけた。

羽季がゆっくりと僕の方を向く。綺麗な顔。硝子玉みたいな大きな目とすっきりした鼻筋、かさついた、だけど形のいいくちびる。顎のあたりでぱつんと切り取ったみたいな髪。血の気を感じさせない、白い肌。

背はそんなに高くないのに痩せてて、表情の無い顔とあわせて見てると、精巧なアンドロイドみたいだった。

作りものみたいな、感情も、体温もない存在。


何で颯久と一緒にいるんだろう。そう思った。日に焼けて、すぐに笑う颯久とはあんまり対称的で、二人がどうやって出会ったのかも想像出来ない。声をかけても黙ってただじっと僕を見てるだけの羽季を見て、僕が困ってると思ったのか、颯久は、ごめんと言った。

「羽季は、ちょっと人見知りで。別に君が気に入らないとか、そういうことじゃないんだ。ごめん」


「ううん、僕も急に声かけたから。ごめん。びっくりしたんだよね。知らない人に声かけられて」

僕よりずいぶん年上のはずの颯久に、頭を下げられて僕は慌てた。いいよいいよとブンブン首を振ったら、颯久は、ありがとうと小さな声でお礼を言ってくれた。


「僕、店の手伝いもあるから今日はもう行くけど、映画撮ってるとこ見に来てもいい?」

「ああ、だいたいこの辺で撮ってると思うから、いつでも来たらいい」

「ホント!!ありがとう。バイバイ颯久。バイバイ羽季」

砂浜を引き返しながら、振り返って二人に手を振った。颯久は、手を振りかえしてくれたけど、羽季はじっと海を見ていた。僕の声なんか、まるで聞こえないみたいに、ただ、じっと。



それからは、海に行くのが僕の楽しみのひとつになった。颯久はたいていは海にいて、カメラで羽季を撮ってた。台本とか無いのかな、と思いながら僕はそれを眺める。だって、羽季はただ自由に砂浜を歩いてるだけだ。時々、貝殻を拾ったり、座り込んで海をじっと見つめはじめたり。

そんなので映画になるのかな。


「なんの映画撮ってるの?」

「何のって?」

「えーと、ジャンルっていうか、いろいろあるじゃん」


保温専用の水筒に入れたうちの喫茶店自慢のコーヒーを、紙コップに注いで颯久に渡しながら、僕は聞いてみたことがある。時々、僕はこうやって差し入れしては颯久と話をした。颯久はブラック、羽季にはたっぷり砂糖とミルクを入れてカフェオレにする。



はじめての差し入れの日、羽季にカフェオレの入った紙コップを差しだしたら、羽季はただじっと差しだされた紙コップを眺めてるだけだった。自分と関係のあることだと認識してないみたいに、喜びも嫌悪も浮かんでない静かな表情のまんま。

颯久が、ありがとうと言って、羽季のかわりに紙コップを受け取って、羽季の手に握らせた。そうしたらはじめて羽季は、ゆっくりと僕と紙コップを交互に眺めて、小さく僕に頭を下げた。

「うちのコーヒー美味しいって、わりと評判いいんだ。カフェオレにしても美味しいと思う。あ、熱いから気をつけて。ミルク入れたから大丈夫だと思うんだけどさ」

はじめて羽季が僕を認識してくれた感じが嬉しくて、僕は早口でそれだけを言うと、羽季を見守った。羽季はふうふうと息を吹きかけてから、こくりと一口飲んで、何だか戸惑った顔ようなをした。

「砂糖あるかな?」

颯久に言われて、スティックシュガーと小さなスプーンを慌てて渡す。羽季からコップを取り返し、サラサラと砂糖を入れくるくるとかき混ぜた颯久は、もう一度羽季の手にコップを握らせる。

羽季は、やっぱりしばらくコップを眺めてたけど、こくりと一口飲んで、はじめて安心した顔をして、こくこくとカフェオレを飲みはじめた。

「甘いのが好きなんだ。なんか意外」

「意外かな?」

羽季のかわりに颯久がそう言った。

「何か、あんまり好みとかないのかなって勝手に思ってた。いろんなことにあんまり興味ないのかなって。そんなわけないよね」

「…ああ…そうだよな」

颯久らしくない珍しく歯切れの悪い言い方。だけど、颯久はすぐに何でもないように笑って

「これからは、甘いカフェオレ、羽季に作ってやってくれるかな?」と僕に頼んだ。

「まかせてよ」胸を張って僕は答えた。それが今から10日前の出来ごと。



「ジャンルか、何だと思う?」

「だから、想像つかないんだって。羽季は自由だし、ずーっと喋らないし。別に悪いって言ってるわけじゃないんだよ、人見知りって言ってたしさ。僕には話さなくても、颯久には話すんでしょ?」

「まあね」

「撮影を見てても、何の映画かわからないから聞いてみただけ。あー、ホント全然わからない」

ふてくされたみたいに言って、空の紙コップをくしゃりと握りつぶした僕に、ご馳走さまと律儀に挨拶した颯久は、カメラを手に立ち上がると、波打ち際へ向かって軽い足取りで走りだした羽季を追いかけていく。


「まあ、見ててくれよ」

そう笑う颯久の目には、なんの迷いもなくて、僕はうなずいて、羽季を追いかける颯久の背中を見送った。


それから、何度も僕は映画を撮ってる二人を眺めに海に来た。何度も何度も。

僕にはわからない、何かがゆっくりと形をとっていくのを眺めるために、何度も。

そんな風に2ヶ月が過ぎようとしたころ、二人は街からふっといなくなった。飛び立つ時を迎えた渡り鳥が飛び去るように。静かにそっといなくなっていた。


海の色も、いつの間にか変わっていた。夏を迎えた街は賑やかで、カラフルなキッチンカーの合間に立てた小さな屋台で、僕はホットドッグとレモネードを売る手伝いをする忙しい毎日をおくった。

「食べて欲しかったのにな」

お客さんの切れ間に、レモネードのグラスを透かして見る海の色は、二人とはじめて出会った時の海の色に似てる気がした。僕はその夏を、暇さえあれば、何度も何度もレモネードの向こうの海を眺めながら過ごした。

今はもう、記憶の中にしかない、あの海とあの二人に会うために。



僕が、あの後二人に再開したのは、海じゃなかった。

五年後の秋が近づく、街の小さな映画館のなか。

「何か、小さな賞を取った映画みたいなんだけど、ここでも撮影したんだってさ。それで一週間だけ上映するんだって」

「ふうん」


友達から渡された、海の色一色のポスターを何気なく眺めて、少しの間息が止まる。あの時の海だとすぐに気がついた。

慌てて監督の名前に目を走らせ、颯久の名前を確認すると、すぐに映画館を調べる。今からなら夕方の上映に間に合いますよと言う係員の声を聞いたら、いてもたってもいられなくなって、友達にごめんと言って映画館に、向かった。


完成したんだ、完成したんだ、あの映画


胸のなかが、何だかざわざわとざわめく。


わかるだろうか、わかるだろうか、あの映画がなんだったのか、今なら僕にも。


少し硬いシートに腰かけて、いつの間にか握りしめていた両手に気がつく。ゆっくりと手のひらを開いたタイミングで場内が暗くなる。


そして、映画がはじまった。


スクリーンにまず最初に写ったのは、暗い夜汽車のなか。窓の外には雪が見える。

座席に座ってるのは羽季だ。あの夏の日に硝子玉みたいと思ったあの目は、傷ついてひびが入ってるみたいにみえた。

無声映画かと思うくらいに、音はない。かたんかたんと規則的にゆれる車内で、羽季も身動ぎひとつしない。

ココアだろうか、差しだされたた小さな缶にもなんの反応もせず、羽季はやがて目を閉じる。まるで自分をとりまく世界のすべてのものを失くしてしまいたいと言ってるみたいだった。


次は、雪どけの森。しんと張りつめた空気の中で、森の中の一本の木になったみたいに、いつまでも、身動きにとつせずに立っている羽季。


次は、花がほころびはじめた川辺を歩く羽季。


次は、吹雪みたいに花びらが舞う桜並木のなかの羽季。


羽季のまわりの景色がゆっくりだけど、少しづつ色づいていく。それにあわせて羽季の表情がほんのわずかだけ緩んでゆくのをホッとした気分で見守っているうちに、気がつけば、海が見えてきた。

あの日の海。忘れもしない

僕が二人と出会った海だ。


記憶の中より、ずっとずっと細くて小さな姿で羽季は砂浜を歩く。砂浜に転々と残る足跡が無かったら、本当に実在していたか疑ってしまいそうになるくらい、スクリーンに写った羽季は、何だか頼りなく儚く見えた。

羽季は時々、しゃがみこんで貝殻を拾って、それを報告するみたいにかざしてみせる。視線の先に居るのは、写ってないけど

颯久だ。


ああ、颯久に見せる表情はこんな感じだったんだ、と僕は思う。

少し得意気で、どこか安心した子供みたいな表情。

あんなに何度も会ったのに、はじめて知る羽季の表情を不思議な気持ちで僕は眺めていた。

気ままに、波打ち際を歩く羽季。

そうだ、羽季はいつもこんな風に自由だった。そして颯久は羽季をいつも見ていた。カメラといっしょに羽季の姿を追いかけてたんだ。ずっと。

そんなことを思い出しながら、あの日の羽季の姿を目で追っていると、ふいに大きな黒い影が指した。

羽季の頭上を、海鳥が飛んでいった。鋭い鳴き声を残して飛び去る鳥を、羽季は見上げて立ち尽くす。

ひらりと落ちてくる一枚の羽根。白いその羽根がゆっくりゆっくりと砂浜にたどり着く。

そんな、永遠に近いような、長い長い一瞬が過ぎさったあとで…


羽季が 笑った


何がそんなにおかしかったんだろう。羽季は笑う。

楽しそうに、しあわせそうに、

声をあげて、笑う

軽やかな高い笑い声が、静かな静かな海辺に、祝福みたいに柔らかに響きわたる。


そして

鮮やかな

メタモルフォーシス





~ああ、ああ、女の子だったんだ、羽季は~



やがて、デルフィニウムの色の夕闇が、羽季の身体を包んで見えなくしていくのと同時に

静かに映画は終わった。


ゆっくりと明るくなる場内のなか、いつの間にかこぼれていた涙を手のひらでぬぐう。



ああ、そうだったんだ。


あの夏前の海、僕の目の前で、ゆっくりと形になっていった

あれは、あの物語は


たぶん

どこか、遠いところでつけられた大きな傷に

こわれそうになる心を抱えて、旅をしてきた二人が

願いをこめて、祈りをこめて

ゆっくりとつくりあげていった


ひとつの小さな恋物語だったんだ


この日、はじめて


僕は、知った。


















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