(6)
ヴォルフラム様は席を立ち、私の方へ近寄られました。差し出して下さった手を取り、私も立ち上がります。
そしてヴォルフラム様が反対側の手を軽く振ると、そこはもう我が家の庭ではなく中とも外とも分からない不思議な空間でした。
目に見える物は作業台であったり、資料の本や必要な道具類であったりと一般的なものなのですが、何とも空間に流れる空気と言うか魔力に不思議な感覚になります。
「ここが、私がいつも魔道具の調整をおこなったりする作業場だ。殺風景ですまないな」
「いいえ、無駄がなく機能的な空間だと思います」
「そ、そうか……。で、見せたいものとは?」
ヴォルフラム様は少し照れていらっしゃるのか、お顔が赤いです。
「私の瞳をご覧下さい」
私はヴォルフラム様の正面に立ち、瞼を開けました。
“虹色の瞳”がヴォルフラム様の前に晒されます。
「っ…………」
ヴォルフラム様はハッと息を吞んで、眼を見開き私の瞳を見詰めていました。
しばらくそうしていると、ふっとヴォルフラム様が顔ごと視線を外し目を伏せました。
「すまない。瞳を……閉じて頂けないだろうか」
お気に召さなかったのかしらと少し悲しくなりつつ、私は瞳を閉じました。好みは人それぞれなので、致し方ありません。
お互いに視線が合わないまま、しばしの沈黙が流れます。
口元を押さえて動揺されるヴォルフラム様に、このままではいけないと私は言葉を紡ぎました。
「これが、私の婚約解消の原因です」
「はっ!?」
驚きを隠せない様子で聞き返されました。
「元婚約者はこの瞳に異常なほどの執着を持っておりまして、私が瞳を開けずに過ごすことが気に入らなかったようなのです」
「しかし、その瞳を日頃から開けているとエルフィーネ嬢が危険に晒されてしまうじゃないか。君のスキルがあちらこちらに筒抜けになり、それを欲する良からぬ連中が集まるに決まっている」
まさしくその通りなのです。出会ってすぐの方がここまで理解して下さっているのに。
まあ、ヴォルフラム様だからこその理解力なのかもしれませんが。
「それとも、元婚約者は何か特別なスキルを有していたのか?君に傷一つつけさせないような鉄壁の守りなど」
「いいえ。お持ちだったのは膨大な魔力量による広範囲に及ぶ高感度の『索敵』でした」
ヴォルフラム様は顎に手をあてて、少し考え込まれました。
そのスキルを使用した際のシミュレーションをされているようです。
「なるほど。悪くはないが、微妙だな」
そう、事前に敵を見つけられるのは良いのですが、万一その網を潜り抜けられ接近された場合はと言うと……。
「それよりも、やはり他の誰とも違うこの瞳は、あまり気持ちの良くないものでしょうか?」
「は?何でそうなる?」
「先ほど、すぐに閉じるように仰いましたので。元婚約者はいつかこの瞳をくり抜くのではと戦慄するほどの執着を見せておりまして、恥ずかしながら私も自惚れていたようです」
本当に自分が恥ずかしくなって、思わず俯いてしまいました。
だから気づかなかったのです。この瞬間ヴォルフラム様から表情が抜け落ち、瞳に仄暗い光が灯っていたことに。
「くり抜く……だと?エルフィーネ嬢、むさ苦しい所で申し訳ないが5分ほどこの空間の中で待っていてくれないか?たった今、急用が出来てしまった。本当に、5分で終わるほどの用なのだが」
何か良からぬ雰囲気を纏いつつも、仰っていることは真実です。本当に、5分で終わる用事なのですね。
「ちなみに、どのような?」
「ちょっと公爵家に行って、話をつけてくる。別空間に入れて空気を抜けば、すぐに終わるだろう」
それは……。
「君の杞憂を永久に晴らしたいんだ。瞳だけじゃない、心根も美しい君に憂い顔は似合わない」
これはまた、まっすぐもまっすぐ過ぎるお方ですわね。
お持ちのスキルで完全犯罪も可能そうですが、まさか犯罪者にする訳にもいきません。しかも相手は、腐っても王族に連なる方です。
「たとえ5分でも一人にしないで下さいませ。過去の話よりも、未来の話を致しましょう。それで、この瞳を見てヴォルフラム様はどのように思われましたか?」
これまでこんなことはしてきませんでしたが、国家安寧のためです。全力で媚びてみました。
幸い、この空間は二人きり。他に見られる人もいないため、再び瞼を開けました。
「うっ……。ただでさえ美しい才女の君に“虹色の瞳”。天は二物も三物も何もかも与え過ぎだろう」
何やらブツブツと呟いておられます。
「まごうことなく、君の瞳は美しい。ただ、瞳を閉じている状態でも恋慕の情が溢れてたまらない私が、君の瞳を見てしまうと平常心が保てない。申し訳ないが、瞼を開ける時は事前に教えて欲しい。そして、私に心の準備をする時間をくれないか」
熱烈な告白を頂いてしまいました。ここまで求めたつもりは無かったのですが。
「わかりました。では次の言葉を言い終わりましたら瞼を閉じますので、今しばらくお付き合い下さいませね」
「わっ、わかった」
私は一歩ヴォルフラム様に近づき、私よりも頭一つ分以上高い位置にあるヴォルフラム様の瞳をしっかりと見据えました。
「ヴォルフラム=ガーランド侯爵令息様、あなた様の嘘偽りのないまっすぐなお心を、私は大変好ましく思います。言葉を交わす様になって僅かしか経っておりませんが、私は貴方様と信頼と親愛を持って同じ時を過ごしていきたく存じます。どうぞ、私を最後の婚約者にして下さいませ」
言い終わると瞳を閉じる約束でしたが、お返事だけはこの眼で見たいためまだ開けたままです。
「ああ、何ということだ。まるで夢のようだ。エルフィーネ=ハウンゼン侯爵令嬢、私ヴォルフラム=ガーランドは婚約者としてこの命尽きるまで、気高く愛しい貴女を守り抜くと誓おう」
ヴォルフラム様は私の前に跪き、私の手を取って誓いを立てて下さいました。
その後すぐに私達はヴォルフラム様の空間を出て、私の父に婚約の許可を得に行きました。
父もこうなることは予想済みですぐに許可が下り、後日正式にガーランド侯爵も含めて国王陛下とクラウス殿下立ち合いのもと、婚約の誓約書を交わすことになりました。
ガーランド侯爵家では殿下から打診があった時点で、この婚約を享受する方針だったそうです。
無事にヴォルフラム様の婚約者になって、私の生活は少し変わりました。
今まで学園では、少々の意地悪をされたり遠巻きにされたりしていたのですが、何故か皆さまが気遣って下さるようになったのです。最初は先日のクラウス殿下効果が残っているのかと思っていたのですが。
「では、エル。また昼休みに迎えに来る。今日は天気がいいから、テラス席でランチをするのはどうかな?実は君のお気に入りの店の新作にオートキープを掛けて、空間収納に入れてあるんだ。もし、今日はその気分じゃなければ後日でもかまわないが」
相変わらずヴォルフラム様は尽くして下さいますが、以前と違うのは本当に必要かどうか確認して下さるところです。お互いにきちんと思っていることを話しあって、おかしなすれ違いを起こさないようにすること。それが私達の取り決めです。
「ヴォルフ様、嬉しいです。ではお昼休み、楽しみにしていますね」
「ああ、私も楽しみだ。はぁ、それにしても私も君と同じ年に生まれたかった。そうしたら、昼休みになどと言わず、授業中も一緒に過ごせたものを。いっそ、留年しようかな……」
「ふふっ、ダメですよ。それに、私はヴォルフ様の真っすぐなところが好きなのです。変な小細工はお止め下さいませ」
「ううっ、エルには敵わないな。じゃあ、離れがたくなるばかりだから、私はもう行くよ」
少し肩を落として、ヴォルフラム様はご自分の教室へと移動されました。
「あの、エルフィーネ様。大丈夫ですか?」
同じクラスの伯爵家のご令嬢二人が、若干青ざめた顔で声を掛けて下さいました。
「何がでしょうか?」
う~ん、私よりも顔色の悪いこの方々のほうが心配になるのですが。
「いえ、その……。ガーランド様はいつも授業が終わるとすぐに現れますし、エルフィーネ様のお一人の時間が無いような。私のような者が気にするのも烏滸がましいとは思うのですが、もし何かお困りのことがありましたらお力にと」
「差し出がましいようですが、先生のご用事で席を外されてなどとガーランド様には申し上げて、少しの時間稼ぎくらいなら致しますので……」
未だにヴォルフラム様の陰の異名は払拭されていません。そのため、私を次の犠牲者と思っていらっしゃる方も多いようです。
ルーベンス様との婚約解消から、婚約4度目のほぼ事故物件扱いのヴォルフラム様との婚約ということで、私は同情を通り越して皆様に多大なご心配をお掛けしているようです。
私からすれば、ルーベンス様の方がよほど不良物件なのですが。
「お気遣いありがとうございます。ですが、ヴォルフ様は私を大事にして下さっていますので大丈夫ですわ」
「そ、そうですか……。失礼、致しました」
あら、ドン引きされてしまいました。
これでまた私も、『にぶちん令嬢』の逸話が更新されそうです。
数年後、私は学園の卒業と同時にヴォルフ様と結婚致しました。
『破れ鍋に綴じ蓋カップル』、これが結婚した私達の新たな異名です。
社交界の皆さまは、何某か異名をつけないといけない使命感にでも駆られているのでしょうか。
ヴォルフ様は治めるべき領地もないため、内密にクラウス殿下が手配して下さった王都の屋敷に夫婦で住んでいます。使用人は私達の事情に詳しく信頼のおける者を、それぞれの侯爵家から厳選して連れてきました。
そしてヴォルフ様は表向き、魔道具研究者兼非常勤の魔術師として王宮勤めになりました。しかし、実際は色んな政治的な場面で召喚される私の専属護衛です。
私が侍女の恰好で会合の場にいる時は、同じ室内もしくは空間を隔てた私の傍にヴォルフ様もいらっしゃいます。
また災害時や隣国との小競り合いなどの有事の際の物資や、兵を転移させることもヴォルフ様のお役目です。
このように陰でそれぞれのスキルを活かし国益を護りながら、表では『ストーカー令息』に愛されて幸せになった『にぶちん令嬢』として満ち足りた生活を送っております。
今日もこの後、ヴォルフ様が私専用のシェルターとして作り調整して下さった空間に置く調度品を、夫婦で買い足しに参ります。
「まあ。一時的なシェルターのはずですのに、お屋敷と変わらぬ完成度になって参りましたわね」
「そうかな?いや、まだまだだよ。エルがここから出たくないと思うほどに快適にしないとね。そのためには、私はスキルを使う技術も、魔力の増幅増強もまだまだ妥協しないよ。精進あるのみさ」
少しずつ不穏な単語が見え隠れする旦那様ですが、折角なので『にぶさ』を発揮して幸せのみを享受して参りましょう。それでは皆さま、ご機嫌よう。
これにて、エルフィーネ視点は完結になります。ここまでお読み頂きありがとうございます。
次回更新時から、ルーベンス視点です。二人の婚約破棄に纏わる裏側を少し描いておりますので、宜しければご覧ください。