(3)
放課後、殿下の言いつけ通りに私は四阿へ向かいました。
お昼休みにルーベンス様が座っていらした場所とは反対側に腰を下ろします。
時間は経っておりますが、同じところに座るのも気が引けてしまい……自分で思う以上に苦手だったのもしれません。
もし今度また誰かと婚約を結ぶとしたら、誠実な方が良いですね。歪みのない、真っすぐな……。
「ヴォルフラム様、いえガーランド侯爵令息様。どうか、私との婚約を解消して下さいませ」
四阿の近くで、震えるようなご令嬢の声が聴こえてきました。
周りの草木と、四阿の柱のせいで私がいることにお気付きではないようです。
「そんなっ……」
「立場上、私の伯爵家から解消を申し出ることは出来ませんので、どうぞ侯爵家の方から私を切って下さいませ」
ご令嬢の声はとても切実なものです。
「私に至らない所があるなら言ってくれ。あなたのために改善しよう」
昼間の様に、追い縋るような声です。
「ひぃっ……、それです。そんなに、尽くさないで。私には……そこまでされても、返せませんっ」
「返すなど。そんなこと、私は求めていない」
尽くされ過ぎても、不安になるものなのでしょうか。私には経験がないから分かりませんが、どちらも真実を述べていらっしゃるのは確かです。
「ううっ、もう、私を解放して下さいませ……」
嗚咽と共に衣擦れの音がして、そのご令嬢が泣き崩れたようです。
「そこまで……」
傷ついた声がして、しばらく沈黙が続きました。
ああ、私はどうしてここにいるのでしょう。立ち去りたくとも、あのお二人の傍を通らねば帰れません。
「わかった。これまで、すまなかったな」
その言葉と共に、周囲に違和感を覚えました。私に影響はないですが、空気が変わると申しますか、不思議な魔力の波動です。
違和感がなくなると、今まで聞こえていたご令嬢のすすり泣く声が消えました。一瞬にして。
「ああ、今度は何がいけなかったのか……」
風に乗って、呻くような声が聴こえてきました。
しばらくすると、足音が四阿へ近づいてきます。
それはまるで引き摺るように重々しく、音の主の心情を表す様に重苦しく……ああ、そんなことよりも、まもなく私の存在がばれてしまいます。
私は『にぶちん令嬢』から、『盗み聞き令嬢』へと進化?いえ退化?するのでしょうか。
「はぁぁぁぁぁ……」
ため息と共に四阿へ入って来ると、私を見つけてぎょっと固まられました。
私も糸目を相手に向けて、思わず固まりました。
やはり、声の主はヴォルフラム様でしたのね。
幾ばくかの時をおいて、ヴォルフラム様がハッと我に返られました。
「失礼、お邪魔しても?」
「はい」
私は取りあえず頷きました。
ヴォルフラム様は昼間ルーベンス様が座っていらした場所に腰を下ろし、膝に肘を置いて頭を抱えられました。
私はかける言葉もなく動くことも出来ずに、ただただ四阿は大変気まずい沈黙の空間になりました。
「見苦しいところをお見せしてしまったな」
しばらくして、わずかに顔を上げてヴォルフラム様が呟きました。
「いえ私の方こそ、はしたなくもこの場に居合わせてしまい申し訳なく」
「いや、ここに誰もいないと確認しなかったこちらの落ち度だ。そもそも、君が先にここにいたのだろう?待ち合わせか?私がここに居たら君の醜聞になるだろう、では」
ヴォルフラム様は自分のことだけでも大変なはずなのに、私のことまで気遣ってここから即座に去ろうと腰を上げられました。
「あの」
「ん?」
つい、引き留めてしまいました。
「もう少し、落ち着いてからでも良いのでは?」
「いや、しかし……」
ヴォルフラム様は逡巡されています。
これまでルーベンス様としか過ごしてなかったから余計に、常識的な良い人だと思ってしまいますね。
「実は、本日私も婚約を破棄されまして。あてもなく、ここに居た次第で」
私は少し困ったように微笑んだ。まさか殿下の指示とは言えないので、本当に困ってはいるのですが。
「それは……何と言っていいか」
そうですね、何とも言えませんわね。お互いに。
「では、もう少しだけここに居させてもらおう」
そう言って、元いた場所に座りなおされました。
「既に聞こえていたと思うが、私はガーランド侯爵家のヴォルフラムだ。君は、ハウンゼン侯爵令嬢だろう?」
「はい。エルフィーネと申します。座ったままで失礼致します」
家格も同列ですし、今は正式な礼をとる雰囲気でもないので簡易の自己紹介に致しました。
「構わない、お互い様だ。今少しだけ、話を聞いてもらえないだろうか」
「はい。大丈夫です」
傷ついた時は無理に抱え込まず、話せるなら話す方が楽になることもありますし、私は少しの時間お付き合いすることに致しました。
ヴォルフラム様はホッとした様子で、ぽつりぽつりと語り出されました。
「私の婚約に関する噂は、大体聞いているだろう?」
社交界では有名な話なので、静かに首を縦に振りました。
「今回で3回目だ。1度目は親の決めた婚約者がいて、それなりに勤めを果たしていたつもりだった。ただ、まだ年若いこともあり学ばねばならないことが多くて、そちらにかまけている内に婚約者は別の令息に思いを寄せていた。そして、彼女は……既成事実を作って婚約は解消された」
「まあ」
「1度目が相手の有責だったこともあり、次の婚約者はすぐに決まったんだ。でも同じことを繰り返すことが嫌で、友人に相談したら『女心が分かっていない』と言われて恋愛の指南書をくれたんだ。それを熟読してその通りにしたんだ」
何となく結果が見えてきたような気がしましたが、私は静かに耳を傾けました。
「すると婚約者は私が女馴れしていると思って、浮気を疑ってきたんだ。なお悪いことに、私の家柄や容姿が当時のご令嬢達には良く見えたのか、色んな女性に囲まれてしまって……。ある日婚約者は『あなたといると、どんどん自分が自分で嫌になるっ!』と泣き叫んで領地に引っ込んでしまい、そのまま解消になった」
「あらまあ」
「そして色々反省して今回挑んだのだが、ご覧の有様だよ。本当、何がいけなかったのだろうか。今度は女性の話が聞きたい。何が良くなかったのか指摘してくれないか」
なるほど。ヴォルフラム様は真面目過ぎるほど真面目なのですね。そもそも、ご友人の選んだご本にも問題がありそうですが。
ここまで、ヴォルフラム様の言葉に一切の嘘はありません。本当に分からなくて困っていらっしゃるのね。
「わかりました。ですが、結局は私も婚約を破棄されてしまった身です。話半分くらいで受け止めて下さいませね」
「ありがとう。恩に着るよ」
僅かに微笑んだヴォルフラム様は、一つ咳払いをして今回の顛末を話されました。
2度も婚約が解消になっていることから3度目は婚約を結ぶのも難航して、これまでよりも相手の家格を下げて伯爵家のご令嬢と何とか婚約したらしいのです。
最初はお相手のご令嬢も得意げになって、ヴォルフラム様を手放すまいと色々尽くして下さったのだとか。そしてヴォルフラム様もそのお気持ちに応えようと、ご自分の持つ力全てを使って尽くしていたようです……本日までずっと。
「私のスキルは『空間干渉』でね。空間転移や、自分だけの別空間を作り出して物を収納したり、そこで作業したりと空間に関するあらゆる魔術を使うことが出来る。先ほどの……うっ、元、婚約者もすぐに空間転移で学園の門で待たせている彼女の家の馬車に送り届けたんだ」
『空間干渉』、私と同じく国家規模で影響の出る稀有なスキルですね。
「そんな重要事項を、今ここで話してしまって大丈夫なのですか?」
「はは、3度目の婚約者を探す際にスキルの話を色んな家でしているから、もうね、公然の秘密にすらなっていないんだよ……」
ああ、最初の方が余計なことさえしなければ……なんて、思っても仕方ないことですわね。
「それで、元婚約者が好きな物や今欲しい物も、私のスキルを使えば簡単に知ることが出来てね。なんせ、離れた場所でも空間をちょっといじれば彼女の声だけ拾うことも出来たし、授業が終わればすぐに転移して彼女を迎えに行くことも出来た」
あら?最近の噂の信ぴょう性が増してきましたわ。
「彼女といる時はどんなことでも対応できるように、別空間に常に色々な物を置いていたんだ。彼女の好きなお菓子や急に雨が降り出した時の傘、濡れてしまった時のための替えの靴に替えのドレスに」
「ん?」
「欲しいと呟いていたアクセサリーや小物なども会うたびに贈ってみたり……。そうそう、授業の課題について図書館で困っている声が聴こえたから、転移して手伝ったこともあったな」
「んん!?」
思わず、声を上げてしまいました。
「どっ、どうした?既におかしなところがあったか?」
女性からすると突っ込みどころが満載なのですが、ヴォルフラム様には全く悪気がないのでしょう。
「はい、僭越ながら……」
「うん、どんな評価も受けよう。遠慮なく、ビシッと言ってくれ」
「一言で申しますと、やりすぎですわね」
「それは、どれがだろうか」
「全部でございます」
「全部っ!?」
「はい」
ヴォルフラム様は余程ショックだったのか、しばらく静止してしまいました。
私は黙って、ヴォルフラム様の再起動を待ちます。
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