其は紅蓮なる始祖の聖剣
「ふぅ、やはり火山というだけあって熱いな。アッシュ、お前は平気か」
「……まぁ、熱いのは嫌いではないので」
熱気を帯びた岩肌をリゲルフォードはアッシュと共に踏みしめる。
2人は今、アルヴァミラの家で管理されている大火山、その頂上を目指していた。
「ラグレイズからすんなりと入山許可が出て、俺も安心したぞ」
「皇帝自らうちに押しかけてきては首を縦に振るしかないと思いますけど……。ところで陛下、そろそろ下ろしていただいてもいいのですが」
「遠慮するな、転んで怪我でもしては危ないだろう?」
結局アッシュはカトレアに撃退されてからここまで、ずっとリゲルフォードに抱きかかえられたままだった。
火山に立ち入る許可を得にアルヴァミラの家に行った時もそんな調子だったので、彼の両親は言葉を失って皇帝の要求にただ頷いていた。
いい加減こんな格好をしているのが恥ずかしくなり、アッシュは無理矢理に腕の中から脱出する。
「あ、歩けますよ! いくら陛下がお強いからって、僕を馬鹿にしすぎで……うわっ」
急斜面に降り立ったものだから、彼はバランスを崩して背中から山道へ叩きつけられそうになる。
直前でリゲルフォードがアッシュの背中に手を添えて受け止めてくれたため、硬い岩の混じった地面との激突は避けられたのだが。
「ははっ、言ったそばからこれとはな」
「……っ。ほ、ほんとに平気ですから」
赤面する顔を見られないようにしながらアッシュは体勢を立て直す。
それから皇帝と並んで歩き、火山頂上を目指し始めた。
「……すみません陛下、迷惑をかけてしまって」
「迷惑なものか。フィアラの弟なのだから、むしろ俺からすれば歓迎すらしているぞ。実に可愛らしいものじゃないか」
「可愛いとか言われても、嬉しくありませんよ」
「そうか? アッシュは姉に似て可愛げがあると思うがな」
リゲルフォードがそう言っても、彼は「あ、ありませんよ」と否定するだけだった。
自身の愛する人であるフィアラの弟にも、リゲルフォードは同等の愛情を持って接していた。冗談ではなく、嘘偽らざる本音なのだが、アッシュにはあまり伝わっていないようだ。
それからしばしの沈黙があり、アッシュの方から口を開く。
「……陛下、姉さんの事は、どう処罰なさるつもりでいますか」
切り出された話題に、リゲルフォードは瞳を閉じる。
故意か偶然か、彼の姉であるフィアラは反乱軍のリーダーを庇い、契約によって召喚したカトレアを使役して皇帝へと襲い掛かった。
フィアラの思惑がどうであれ、皇帝に刃を向けるなど本来死を免れられはしない。
ここまでそれについては一言も言及しなかったリゲルフォードの意思はどうなのか、それをはっきりとさせるべくアッシュは聞く。
真剣な顔の彼に対し、皇帝の口元は上がっていた。
「――フィアラも話の分からん人間ではあるまい。俺達が何かを誤解している可能性もあるし、まずは面と向かって話でもしてみないとな」
「陛下……!」
緊張の面持ちだったアッシュはそれを聞いてこわばる表情を崩した。
「いち帝国市民としては複雑ですが……姉さんの弟としては心底嬉しいお言葉です!」
「フフフ、やはり惚れた女とあっては私情を挟みたくなってしまうものだ。帝国の皆には秘密で頼むぞ」
唇の前で指を立てる仕草をするリゲルフォードには厳格なベラスティア皇帝の面影はなく、ただ1人の女性に恋をした男の姿があるだけだった。
「まあ、そのためにも俺達はまずカトレアを討たねばならん。俺と渡り合えるほどの強大な魔術師を放っておいてはろくに声すら届かせられんからな」
「はい!」
アッシュは力強く頷いた。自分の渡した指輪から召喚されたカトレアと敵対した以上、フィアラはともかく彼女との和解は見込めないだろうというのが2人の共通の見解である。
そのカトレアを倒すために、リゲルフォードとアッシュは今ここに、アルヴァーン大火山へとやって来ているのだ。
「着いたか」
ほどなくして、2人は火山頂上、火口へと辿り着いた。
今なお活きるその山に開いた大穴の中には、紅蓮の海が広がっているのがよく見える。
「アッシュ、頼むぞ」
皇帝へ静かに頷き、アッシュは杖を手にして魔力を集中させ始めた。跪き、両手で杖を握り込むその姿勢は祈りのようにも見える。
触媒である杖の先端から魔力の光が伸びていく。一筋のそれは火口奥に広がる溶岩の中へと真っすぐに入り込み、大火山の底へと手を伸ばす。
目当てのものを探り当てたのか、溶岩が突然盛り上がり、魔力の光に釣りあげられるようにして1本の剣が姿を現した。
「! あれが……聖剣か」
超高温の炎の海の中でも形を失わず、赤熱する刀身を目にしたリゲルフォードは拳を握る。
だんだんと火口から彼らの元へ運ばれて来たその剣は、ゆっくりとアッシュの眼前へと突き立った。
「あの中にあっても剣の形を保っているとはな。俺でもそう長くは耐えられんぞ」
「少しは耐えられるんですか……? それはともかく、本当にあったんだ、紅蓮の聖剣」
祈祷を終えたアッシュは立ち上がると、目の前の剣、聖剣を眺めてみる。
運んでくる最中に多少温度は下がったのか、剣の表面は灰のような色になり、その内側で今も刃は高熱を帯びて赤く光っているのが透けて見えた。
「柄も刃も歪まず……まさに伝説に名を残すに相応しい。これがあればあの女の炎も払えよう」
「ですね。……使わせていただきます、リズモール様」
先祖の名を呼び、アッシュは赤熱する聖剣の柄へ手を伸ばした。
「え……? っ、あっっっ!!!」
「なっ!? 何をしているアッシュ! そんなものに触ったら熱いのは当然だろう!? 早く手を離せ!」
「そうしたいんですけど、離れないんです! 体が、勝手に……!」
手のひらが焼かれる痛みに柄から手を離そうと頭の中で考えるアッシュだが、体はそれとは反対にもう片方の手でも柄を握り、聖剣を引き抜き始める。
激痛に顔を歪ませながら赤白い刃が天に掲げられ、それに合わせるように何者かの声がする。
『――貴公、正しき事の為に力を欲するか。ならば我が力、貸してやろう』
「うああああっ、なに、今の声……!!」
直接頭の中に響くような声と共に、聖剣の刀身から翼を広げるように炎が湧き起こる。
どんどん火勢を増していき、それが一瞬の内にアッシュを包み込んでいく。
「っ! アッシュ、今すぐそれを手離せ! 焼き殺されるぞ!!」
「だめ、です……! 僕の手から、離れません!!」
「……!! すまん、俺の事は好きに恨めッ!!」
このままでは彼は焼死すると考え、リゲルフォードの決断は素早かった。
神速の剣でアッシュの両腕を断ち斬り、強引に聖剣から引き剥がすべく狙い過たずに彼の手首へ不可視の一閃が放たれる。
だが、彼の早打ち以上にアッシュを覆う炎が勝っていた。刃はアッシュの手に触れもせずに溶けてなくなってしまう。
「くっ……!! 届かないとは……」
「へ、陛下、離れて……! 何か、来ます!」
繭のようにアッシュを取り囲む火炎の中、苦悶の声と共に警告が発される。
それをリゲルフォードは聞いたが、逃れる事はできなかった。
アッシュに纏わりついていた炎が解放され、爆発的は勢いで周囲一帯に吹き荒れたのだ。
鋼の刃すら僅かな時間で焼き溶かす炎の嵐に飲まれ、皇帝は腕で顔を守るくらいの対応で限界だった。
「聖剣の力、これほどとは……!!」
辺りが焼き焦がされていく中、リゲルフォードは恐ろしいものを呼び起こしてしまったのかもしれないと頭の中で思う。




