動乱の予兆
「――帝国内で不審な動きが?」
皇帝リゲルフォードが近隣の都市を回った末に出した結論を聞き、アッシュは思わずそれを繰り替えていた。
「ああ。先日の魔術によるであろう極大炎柱に始まり、あの地域では不自然な物資の流動が見えてきた。今週中にでも戦が始まるだろうな」
食料に物資、特に魔術師が用いる杖などの触媒や魔法への抵抗を付与された装備品の類いが多量に買いこまれていたのである。
リグレットとして彼自身が自らの足で各地を見てきた結果、それはなんらかの戦闘の準備であると推察したのだ。
……まあ、皇帝自身からすればその事実の判明は「ついで」でしかなかったのだが。
「近日中の他国への戦闘は予定されていなかったはずですが……まさか、内乱が?」
「うむ、そうなると見ていいだろうな。よもや自国の民が敵に回るとは思わなんだが、これはこれで面白いではないか」
「言ってる場合ですか!? 反乱が起きるって事でしょう!?」
ベラスティアの民が敵になるというなら、それは皇帝へ刃を向けたという事に他ならない。
本来であれば、皇帝として君臨する彼が面白がっている場合ではないだろう。リゲルフォードでなければ、だが。
「そう慌てるな。確かに臣民に被害を出せばコトだが、戦禍の種が芽吹く前に俺が刈り取れば済む話だ」
【無剣】の異名を持つ超高速剣の使い手である彼は単身で小国を制圧した事すらある。いかに大国であるベラスティアの反乱とて、リゲルフォードさえいれば収めるのはたやすいだろう。
皇帝の実力を知るアッシュも、それが無謀でない事を理解してしまえるので声は小さくなった。
「それは、そうなのですが」
「だろう? 俺としてもフィアラが面倒ごとに巻き込まれる前に決着をつけてやりたいからな」
「えっ、反乱は姉さんがいた所で……!?」
「ああ、俺も気がかりなのはそこなんだ」
反乱の兆候や強大な魔術の行使、これらはリゲルフォードとフィアラが邂逅した地域で起きている出来事なのだ。
「とはいえフィアラにも優秀な護衛はいるようだから命までは落とさんかもしれんが……万一危険に身を投じるような状況に陥っている可能性を考えれば、今日にでも向かおうと思っている」
リゲルフォードが撤退にまで追いやられてしまった紫髪の少女。その力は彼も認めてはいる。大抵の敵はフィアラに触れる事すら叶わないだろ。
だがそれも絶対ではない。リグレットとしてフィアラの前に現れた時のように、与り知らぬ場所で危険な事に身を投じていないとも限らないのだから。
「僕も、行きます」
早急に出発を決めたリゲルフォードへ、アッシュはそう申し出た。
「……フ、やはりそうくるだろうとは思っていた」
「姉さんが危ないかもしれないなんて言われたら、黙ってなんていられません」
彼の姉が危地にあると知って迷わず決めたアッシュに皇帝はニヤリと笑った。
既に家を追放されたフィアラを今もここまで大事に想っている者が次代のアルヴァミラ家を担う人物である事を心底嬉しく思う。
「フィアラを捨てたラグレイズの行いは最大の失策だったが、あれの後任がアッシュであったのは唯一素直に喜べる。お前と出会えて本当に嬉しいよ」
「え、なんですか陛下、急にそんな」
「なに、本心だ。恥じる事無く受け止めておけ。……それよりアッシュ、もう先日の事は気にしていないだろうな」
「先日、ですか?」
いきなりそんな事を聞かれてアッシュは首を傾げるがすぐに思い至る。
少し前に彼は皇帝から姉に渡した指輪の件で問い詰められ、その末に泣きじゃくってしまったのだ。
その後本気でリゲルフォードも彼を責めようとしていたわけでないと知り解決はしたが、己の痴態を思い出してアッシュは顔を赤らめる。
「覚えては……います。気にしてはいませんけど、姉さんに会っても言わないでくださいね、僕が泣いてたなんて」
「いや、口止めを頼みたいのは俺の方だ。フィアラを弟を泣かせたなどと、彼女が知れば俺は絶縁されてしまうかもしれないからな」
すまなさそうな顔をしながらアッシュへそう返す皇帝。彼は、フィアラが自分の事を拒絶してしまうのを恐れているようだ。
「あはは、姉さんはそんな事しませんよ。少しは怒るかもしれないけど、きちんと謝ればそれで許してくれます」
「そうか……ではいざという時は皇帝の座をアッシュか彼女に譲り渡して贖罪としようか」
「そこまでは!! 流石に帝位を軽く扱いすぎです!!!」
本気の叫びを聞いてリゲルフォードは笑った。
愛する人の弟を傷付けてしまったのだ。彼としてはそれくらいの罪だと思ったのだが、アッシュ本人には冗談だと思われてしまったようだ。
いずれにしても何らかの形で誠意は見せるべきだろうと考え、リゲルフォードはフィアラと再会した時にはどんなお詫びをすべきか真剣に考えながら出立の準備へと入っていくのだった。




