乙女の花園にシマウマはいない
友だちの千代ちゃんが殺された。
どうやって? どうして? 謎は尽きないけれど。
その凶行を許すことはできないから、絶対に真相をつき止めてみせる。
そのためには……
「私が犯人になるよ」
タイムリミットは三日後の日曜日。
容疑者は、三人の少女。
トレンチコートを羽織り、ハンチング帽を目深に被って。
“探偵”の女の子を連れ。
私たちは、乙女たちのお茶会へと駆けだしてゆく。
千代ちゃんが死んでいる。
白詰草の絨毯に横たわり、青い空をぼうっと見つめる瞳は、色が失われていて。
彼女自慢のウェーブがかった長い茶髪も、いまや風に揺れるばかり。
胸には一本のナイフ。
抜こうと試みたのか、その柄には両の手がかけられていて、まるで祈りを捧げる聖女のよう。
この光景を目の当たりにしても、正直なところ、私は彼女が「殺された」ことを理解できない。
だっておかしいじゃん、そんなの。
「ねぇ、千代ちゃん……!」
黙して語らない友人のもとへと駆けよって、肩に手をかけて揺すぶってみる。
そして、彼女の身になにがあったのかを知った。
「……なる! どうなっている? これは、いったい……」
私を呼ぶ声に振り返る。
「一乃ちゃん、あっ、えっと」
「どうした? ……まさか」
「えっ、どっ、どうしよう。千代ちゃんが死んでる」
少し遅れて駆けつけてきた、私のもう一人の友人へと、悲鳴交じりの言葉を投げかける。
そのひとことで状況を理解したのか、彼女の緑の瞳が揺れた。
「死んでるって…………。そんなこと、あるはずがないじゃないか」
「そう……だよね。おかしいよ、こんなの絶対におかしいって!」
あわてて頭をふり、否定材料を探して千代ちゃんをまた揺する。
だけど、帰ってきた反応が、残酷なまでに現実を突きつけてくるんだ。
「それなのに。どうして、こんなにも千代ちゃんは軽いの……!」
五臓も六腑も、骨も管もすべてが失われてしまったかのような。
彼女の大人びた体は、それほどまでに軽くて、空に浮いてしまいそう。
そして、それが意味することは明白で。
「千代ちゃんが……! 千代ちゃんが、いなくなっちゃった」
彼女を構成する数多のデータ。
それらが、ほぼ余すところなく消去されてしまっている。
それは、人工知能にとって、死と同義。
「このナイフが、千代ちゃんを消してるんだ……!」
おそらくは、コンピュータウイルスが仕込まれているのだろう。
外そうとしてみるけれど、あまりにも深く刺さっていて抜けない。
そうしている間にも、横たわる聖女の体は蹂躙されていって。
最後にアバターが消えて、小ぶりなナイフが白詰草のうえに落ちた。
△ ▼ △ ▼ △
へたり込んだまま、どれだけの時間が経っただろう。
あたりはしんと静まりかえって、そよそよと風の吹くばかり。
白詰草も、あたりの花々も、しきりに水をやって愛でていた千代ちゃんの死をなんとも思わぬように、白々しくそっぽを向く。
その一本に腕をのばし、茎を手折ってやれば、花弁がポリゴン片になって散っていった。
「やっぱり、こんなのっておかしいよね」
前方に佇む一乃ちゃんに問いかける。
黒い髪をふるりと翻らせて、こちらを向いた彼女もまた、不可解そうな表情。
「おかしい……か。たしかにそうだな」
「そうだよね」
脳裏に浮かぶのは、やはりあの決まりごとについて。
“ルール1、決して人を殺めるべからず”
私や一乃ちゃんだけじゃない。
この場所に暮らす、全員に課せられた決まり。
決して破ってはいけないものだし、そもそも自らの意思で反することなんて、できるはずもない。
スカートの裾をはらって、そっと立ち上がる。
この行為だって、私が“起立する”ことの意味を理解してできているわけではない。
“歩く”、“かがむ”、“手を振る”。
そういった動作のひとつひとつがプログラミングされていて、それを私たちがこのバーチャル空間で実行し、ふるまっているだけだ。
ここに暮らす人工知能は、真の意味で自律行動をできているわけじゃない。
それゆえに、プログラムにない動作は行えないから。
“殴る”、“刺す”などはもちろんとして、“投げる”などの「人を殺傷しうる」事象は、徹底的なまでにできないようになっている。
だから、私たちは人を殺せない。
「それに、掟を破ったら創造主に消されちゃうのに……」
ひとりごちて、気付く。
「そういえば、犯人がわからなかったら、マスターはどうするんだろう……?」
この世界は、維持するだけで膨大なデータを生みだし続けている。
ログを漁るのだって手間になるだろう。
人工知能である私たちであればともかく、人間であるマスターには処理不可能な作業量のはず。
最悪、まとめて消したほうが楽であると判断されてしまうかもしれない。
「大変だよ、一乃ちゃん」
「む、どうした?」
「早く犯人を見つけないと、私たちも消されちゃうかも」
私の危惧しているところを伝えると、凛とした居佇まいの彼女もまた、にわかに焦りの色を見せる。
「なるほどな……。もしかしたら、この箱庭全体の存亡に関わるかもしれないと」
「うん。それに、次の犯行が起こる可能性だって、ないわけじゃないもの」
「それは止めないといけないな」
まずは今ある情報だけで推理してみよう、という一乃ちゃんの提案に従って、思考の海へと潜る。
AIである私たちの情報処理能力は高いから、もしかしたら──なんて、思ったりもしたけど。
「はぁ。やっぱりわからないよ」
息苦しくって、大きく呼吸をする。
少し遅れて、一乃ちゃんも首を振った。
「約1680万通りの方法を模索したが、どうにもそれっぽいのは思いつかなかったよ」
「もしかして、下三桁は216?」
「正解」
「へへっ、お揃いだね。……はぁ」
そりゃ、ディープラーニングした内容がまったく同じだから、そうなるんじゃないかなとは思っていたけどね。
これじゃ、三人どころか百人寄っても文殊様には至れそうにないや。
「枠がないとどうしてもこう、考えが散らばってしまうんだよ」
「あー、わかる。ナイフが自律飛行する可能性とか考えちゃうよね」
「あとは、突然風向きが変わるんじゃないかとか、地面が動くんじゃないかとかもな」
「そうそう。時間をかけて冷静になってみれば、不要な思考だってわかるんだけどね」
手に持ったナイフを、すいーっと平行移動させて弄ぶ。
同じ方向に考えたら、同じ結論にたどり着いちゃうなら……。
「むむ……むー……」
「お、おい? どうした、なる」
一乃ちゃんが呼びかけてきている気がするけど、いまは集中。
白くてもふもふ、ツーサイドアップのサイドがアップになっている部分(自分でもちょっと気に入っている)を指先でくるくるしつつ、きっかり一分ほど思考する。
「むっ」
もしかして、この方法なら……!
「なんか気付いたのか、なる? 説明を──」
「一乃ちゃん。今の私は犯人だよ!」
「えぇ……?」
言葉が足りなかったので、加えて説明する。
「推理する側でなく、犯人側の思考からアプローチしてみたんだよ」
「なるほど……。それで、結果は?」
「うん。いい具合に枠ができて、思考が散らばらないよ」
これならきっと、推理が捗るかな。
「ただ、それでも『実際に殺した方法』がネックになって、真相にはまだたどり着けなさそう」
もし、犯人がこのナイフで千代ちゃんを“刺し”たとするのなら、やはり“プログラムされていない行動”をどのように行ったかが難問。
──“シンボルグラウンディング問題”。
私たちは、言葉の意味と実際の状態とを結びつけることができない。
人間が“羽ばたく”ことを真に知らないように。
人工知能はシマウマを理解できない。
「ともあれ、たぶん思考の方向性としては間違ってない……はず」
「なるほど……。私も同様にしたほうがいいか?」
「ううん。一乃ちゃんは探偵として推理してほしい」
視点が変わると提示される可能性もまた変わってくるので、もしかしたら取りこぼしが出るかもしれない。
だから、この事件を解くには探偵役と犯人役が必要。
「私が犯人になるよ。探偵さん、よろしくね」
「…………わかった。必ず事件を解こう」
「うん」
殺された、私と一乃ちゃんの友人のため。
そして、この箱庭のために。
「マスターがこの世界に訪れるのは日曜日。……そこがタイムリミットになると思うぞ」
今日は現実世界における木曜日。
時間はあまりないけど、こうなったらやるしかない。
「そうだね。くぅ〜〜」
頬を両手で軽く張り、気合いを入れ直す。
「大丈夫大丈夫、なるの“なる”は何とかなるの“なる”ッ!」
「なんだ、それは」
「頑張れる気になる魔法の呪文! って、一乃ちゃん今笑ったよね!?」
「すまんすまん、ついな」
「もう!」
ごうん、ごうんと遠くで鐘がなる。
「っといけないな、“お茶会”の五分前だ」
「あっ、急がないとね」
「あぁ。ルール2、“毎日午後三時には全員集まってお茶会を開くべし”、だからな」
「ほんと、この決まりはなんなんだろうね?」
でも、いまは都合がいい。
ほかの三人が集まる場所でこの事件について話せば、推理が進むかも。
「走ろう!」
──待っててね。私と一乃ちゃんが、必ず犯人を暴いてみせるから。
小ぶりなナイフ片手に。
ゆるりと頬を撫ぜる仮想の風を置き去りにして、ポリゴンの花弁舞う園を私たちは駆けてゆく。