復讐鬼は蒸気世界を救う
機械油と蒸気に覆われた軍事国家、ヤパン王国。
次期国王候補とされる第一皇子、ハイエンド=アッシュに“指定エリア外での人狩り”によって遊び半分で家族を殺され、自らも片腕両脚を奪われた男、ゼット=セイランは、その復讐心だけを胸に、賞金稼ぎを生業として生きていた。
ハイエンドがその罪により投獄され3年後。彼の妹で穏健派の第一皇女、エッセルの執事と名乗る男、ロンドが賞金稼ぎギルド=BARミリータに訪れる。
その依頼は“出所したハイエンドを暗殺して欲しい”というものだった。
次期国王を巡っての争いに巻き込まれながら、ただひたすらに復讐を遂げようとするゼット。
賞金稼ぎギルドの長、マッシュとその孫娘ユーリの協力を受けた彼は、失った手足を武器と化し、巨大な敵に立ち向かっていく。
これは、家族を無惨に殺された男が、復讐鬼となって世界を救う物語である。
『……今日、指定範囲外での“人狩り”の罪に問われ王立特別刑務所に服役していた、王位継承者候補のハイエンド=アッシュ王子が、3年の刑期を終え出所しました』
「……チッ、なにが出所だ、ツヤツヤしてるじゃねえか」
古くなって音声の割れた蒸気受像機に向かい、BAR“ミリータ”のマスター、マッシュ=ドラブは呟いた。カウンターの向こう側で白髪頭に頬杖をつきながら、あくびをかみ殺している。
「人なんざ狩らねえで、大人しくケダモノでも撃ってやがればいいものをよぅ。お貴族様のお遊びってなぁ庶民にゃ理解出来ねえぜ……。それに、王族が何したって賞金首にゃならねえってのがムカついてしょうがねえ。商売上がったりだぜ」
まだ陽が落ちるには早い時間だが、店内には長身のスラっとした客が一人、静かにグラスを傾けていた。
高そうな眼鏡をかけ、ピシッとした仕立ての良いスーツを着こなしている。すそを短く刈り上げた七三分けの髪は、綺麗に整えられていた。
世界有数の軍事国家、ヤパン王国。その首都にほど近いスラム街の片隅にある小さなバーには場違いな恰好の男には、マッシュの悪態が全く聞こえていないようだった。
「王族しか収容しない刑務所か。けっ、大方中身は雲隠れに丁度いい、豪華で快適な作りなんだろうぜ」
「……マスター、もう一杯同じものを」
「はいよ」
マッシュが気だるげそうに手を伸ばし、男のグラスを掴んだ時だった。
入り口の扉についた鐘がガランガランと激しく鳴り響くと同時に、店内に大きなズダ袋が投げ込まれた。続いて真っ黒なマントを身につけ、蓬髪を無造作に後ろで束ねた、いかにも賞金稼ぎといった風情の大柄な男がのそり、と入ってくる。マントの奥からは、一定のリズムで動く歯車の音が、チチチと微かに聞こえてきていた。
「いらっしゃい……って、この時間に来るなら裏から入れって言っておいたろう、ゼット!」
「昼間から店開いてるあんたが悪い」
ゼットと呼ばれた男は悪びれもせず、投げ込んだ袋をマッシュに向かって蹴り飛ばした。
「グエッ」
「お、生きてやがる」
「生かして捕らえろって依頼だったからな。DoAなら蒸気二輪で引きずって来れたんだが」
「まさか、ここまで担いで来たのか、お前」
「いや」
ゼットは応えながら、カウンターの空いている席に腰をかけた。
「面倒臭いから、歩いて引きずってきた」
「馬鹿野郎、仮にも賞金5000万モンの大物だぞ。こいつ一人とっ捕まえりゃ、下手したら10年は遊んで暮らせるんだ。それに」
カウンターから出てきたマッシュが、袋を転がしながら文句を言う。袋がひっくり返る度、中から「グエッ」「アガッ」と苦しげな声が聞こえてきた。
「擦れて破けたらどうすんだ、ケブラー製の捕獲袋は高えんだぞ」
「ケブラー繊維が引きずったくらいで破けるかよ。……エールくれ。喉が渇いた」
「……賞金から天引きだからな」
マッシュは渋々といった体でカウンターに戻る。ブシュッという短い蒸気音と共に冷蔵庫の扉を開け、冷えたエール瓶をゼットの前にどん、と置いた。
「サービスが悪いな」
「お前さんのような賞金稼ぎにはお似合いだ。親切なサービスならお姉ちゃんのいる店にでも行くんだな」
そう言い終わると、マッシュはテレビジョンのボリュームを上げる。番組はニュースからバラエティに変わっていた。
ゼットは瓶のままエールをあおり、テーブルに置く。すると、奥の席で静かに呑んでいた男が、静かな微笑みを浮かべてマッシュに話しかけた。
「マスター、よろしいですかな」
「はいよ、おかわりかい」
「いや。頼み事がありましてね。銀貨三枚の」
「……ちょっと待ちな」
マッシュはおもむろに出入り口に向かい、表の札を“開店中”から“店じまい”の表示にひっくり返した。
“銀貨三枚”とは、この店でだけ通じる符牒である。つまり彼は、酒の注文ではなく、このミリータの裏の顔“賞金稼ぎ協会”に用があるということになる。
「聞こうか」
「彼はいいのですか?」
男は、ゼットを見ながら尋ねる。
マッシュはふん、と鼻を鳴らし、こともなげに答えた。
「こいつはハンターだ。まとめて聞いた方が説明が省けていい」
「なるほど」
「……」
ゼットは我関せず、といった風に、再びエールの瓶を手に取り、口に運ぶ。その左腕は手甲をつけているのか、硬く鈍く光っていた。
「では。……まず、私は」
「待った。ここでは名前は言わなくていい。そういうしがらみは邪魔になるだけだ」
「いえ。今回に限っては名乗らせていただく。――私は、ヤパン王国第一皇女、エッセル=アッシュ様の筆頭執事、ロンドと申します」
「――!」
その名乗りを聞いた瞬間、ゼットが目線だけをロンドに鋭く向けた。マッシュはといえば、驚きで口をパクパクさせている。
「どうしました?」
「い、いや、どうしたもこうしたも……」
「……こんな場末の小汚ねえ場所にいていい人間じゃねえだろ、あんた」
相変わらず目線だけを向けながら、ゼットがボソリとつぶやいた。
「さっさとお姫様んとこに帰んな。可愛がってる仔猫探しなら他所に頼むんだな」
「お、おいゼット! すみません、ガサツな性質だもんで……」
「いえ、お気になさらず。勿論、仔猫探しなどではありませんよ、賞金稼ぎランキング1位、【復讐鬼】ゼット=セイランさん」
「! ……てめぇ」
「ゼットをご存知なんですか!?」
「ええ。なんとなれば、この案件は是非、ゼットさんにお願いしたいと思い、こちらに足を運んできました」
「……俺に何の用だ」
「まさか……」
マッシュは、ロンドが次に吐く言葉に心当たりがあった。
そしてそれは、最悪の事態を招きかねない言葉だった。
――そういう予想は、得てして当たるものなのだ。
「ハイエンド様が出所なされたのはご存知ですか」
「なんだとっ!!」
「ゼット!」
「確かあなたは彼の方にご家族を……ッ!」
だん! と床に大きな音が響く。たまらず一瞬目を閉じたマッシュが恐る恐る目を開くと、そこには床に倒れたロンドに跨るゼットの姿があった。左掌を開き、ロンドの顔に向けている。その掌には、まるで銃口のような穴がぽっかりと空いていた。
機械義肢と呼ばれる、欠損した肉体を補完する機械仕掛けの身体を、戦闘用に改造した戦闘義肢である。
「ゼット! やめろ!」
「次に口開いてみろ。てめぇの口ん中に山程の鉛ぶち込んでやる」
「ゼーーット!!」
慌てたマッシュが止めに入るが、ゼットは怒りの表情を剥き出しにしたままビクとも動かなかった。
「やめろ、な、頼むから! ロンドさん、あんたもうっかりしたこと言いなさんな、こいつはマジだぞ!」
「どけマッシュ」
「だからやめろゼット! いいか、こいつはビジネスの話、この方はお客様だ! 依頼くらい聞かせろって!」
「……」
「ゼット!! 今すぐその手を引かねえと、さっきのエール代、100倍にすんぞ! あと俺の店に傷つけやがったらさっきの賞金で建て直すからな!」
「……チッ」
マッシュに説得され、ゼットはゆっくりと身体を離す。ロンドは押さえつけられていたあたりをしきりにさすりながら身を起こした。
「本当にやりかねねえんだよな、あんたは」
「……死ぬかと思った」
「殺す気だったからな」
「すいませんロンドさん、いつもはこんなことないんです。根はいい奴なんですよ。……悪人だけど」
「いえ、構いません。……むしろ、余計にゼットさん、あなたにお願いしたい気持ちが強くなった。無駄のない動き、速さ。そして躊躇のない殺意。やはりこれは、あなたにしか出来ない」
「ぁあ?」
「だから凄むなって。……ロンドさん、それはどういうことで?」
腰低く尋ねるマッシュへのロンドの答えは、ゼットに向かって発せられた。
「ハイエンド様、……次期国王最有力候補、ハイエンド=アッシュの暗殺をお願いしたいのです。賞金は30億モン」
「あ、暗殺ぅ!? 30億だって!?」
「……聞かせろ」
スツールにどかりと座り、ゼットが促す。その吊り上がった口角には、ロンドに向けてではない、凄惨とも呼べる程の殺意がこもっていた。
「おい、ゼット……」
「マッシュが受けなくても俺が直接受けてやる」
「そう言っていただけると思ってました」
「ああ」
答えるゼットの顔は、歓喜に歪み切っている。
「俺は今まで、そのためだけに生きてきたんだ」





