あたしの契約彼氏は恋愛小説家
「演劇経験者だった顧問の先生が退職されて、実力ある先輩も引退しちゃった今、伝統ある我が『河原町高校演劇部』は、未曾有の危機なの! 二ヶ月後の文化祭の出し物しだいでは、廃部も検討されるって」
広い演劇部の部室では、数少ない生き残り部員が集まって、会議のようなモノを行っていた。
熱弁を振るっていた部長で2年生のユッコ先輩が、
「で、看板女優よ!」
おもむろにあたしを指さす。
「この男を口説いて欲しいの」
渡された数枚の用紙には、匿名SNSのダイレクトメッセージの会話が、ぎっしりと印刷されている。
そ、れ、で。まあ、いろいろあって。
校内で最も有名な変人で、実は人気恋愛小説家だった男が……あたしの『契約』彼氏になった。
最近はやりの恋愛小説に、『ほんの些細なきっかけで、心のなにかを奪われて、人はかんたんに恋に落ちる』って書いてあった。
あたしみたいな人間にも、そんなステキなチャンスが訪れるのだろうか? 誰かを愛すことを、許されるのだろうか……。
――物語が好きだ。
あまりコミュニケーションが得意じゃないあたしにとって、読書は孤独感をまぎらわす大切なアイテムだし、なにより教室で本を読んでいれば話しかけられることもなく、良いバリアになる。
特に恋愛小説が好きで、作り物めいた価値観がいつもあたしを癒やしてくれた。人間は見た目より中身が大切とか、容姿の好き嫌いより価値観が重なった方がステキな時間が過ごせるとか。
それはそれで真実なのかもしれないけれど、少なくともあたしの周囲では絵空事のようだ。女子たちの会話も、男子の視線も……。
× × ×
創立記念日の高校はいつもと違って静かだった。
旧校舎の一室にある演劇部の部室に入ると、数少ない生き残り部員、女子3名全員が、既に集まっていた。
「ユキ、おはよ」
唯一の同級生であるミカちゃんが、フワフワにカールした栗色の髪をたなびかせながら近づいてくる。大きな愛らしい瞳と小動物みたいな動きが、今日もキュートだ。
計算女とか、あざといとか、同性には評判の悪い子だけど……ちゃんと話してみるとステキな子だとわかる。趣味のサークルクラッシャーさえしなければ、女子にも人気があるはずだ。
「今日はアレだって」
ミカちゃんの視線を追うと、部室の奥にある黒板に『打倒ダンス部! 目指せ学園祭、生徒投票1位!!』と、大きくチョークで殴り書きされていた。
「演劇経験者だった顧問の先生が退職されて、実力ある先輩も引退しちゃった今、伝統ある我が『河原町高校演劇部』は、未曾有の危機なの! 部員人数も足りないし、二ヶ月後の文化祭の出し物しだいでは、廃部も検討されるって」
ボサボサで中途半端な長さの黒髪を後ろで縛り、黒縁眼鏡を光らした、新部長のユッコ先輩が熱弁を振るっている。
空気のような存在感でジミ系女子を素で行く新部長様だが、いざ舞台に立つと周囲を飲み込むような演技で、人の心を掴む。噂では、すでに大手芸能プロダクションからも、目を付けられているとか。
文化系部活動が盛んな我が校では、文化系の部活動推薦枠がある。2年生の新部長と新副部長はこの推薦枠らしいが、あたしたちの世代から演劇部にその枠がなくなった。
今、最も活動が盛んなのはダンス部だ。推薦入学枠もそっちにザクッと移行し、部員総数は60人を超えている。全国大会にも出場し、ネットの動画再生はとんでもないPVを稼いでいるとか。
いくら存続の危機とはいえ、そこに人気投票で勝つには、無理があるのではないだろうか? 首を傾げていたら、
「で、看板女優よ!」
おもむろに部長様ことユッコ先輩が、あたしを指さす。
みんなの注目が集まるが、はて? いつからあたしが看板女優とやらになったのだろう。
「この男を口説いて欲しいの」
しかも部長様がなにをおっしゃっているのか、まったく理解できない。
「我が部に必要なのは大道具等の力仕事ができる『男』、そして男役は今の部員でなんとかできそうだが、脚本家がいない! 既存のシナリオではパンチが出ないし、あたしも他の部員も文才がなかった!」
部長に疑問の目を向けたら、先回部員全員に募集したシナリオ案の原稿を掴んで、ぶわっと宙に放り投げる。
あの中には、あたしが頑張って書いた作品もあったのに。部長様は、どうやらお気に召さなかったようだ。
「そこで、これよ!」
あたしが呆然としていると、数枚のコピー用紙を部長様が突きつけてくる。
「はあ?」
とりあえず受け取って目を通すと、それは匿名SNSの、ダイレクトメッセージのやりとりだった。
「シナリオの勉強がてらネットに小説を投稿してるんだけど……ある人気書籍化作家のネタが、どうも地元っぽくって、ひょっとしたらってDM送ったら……」
部長の話しを聞きながら渡されたブツを確認すると、その人気作家とやらのファンである送り主が、必死になってこびを売っている文章が目に入った。
「そこで意気投合したってゆうか。で、同じ高校の生徒だとわかって、まあその、会ってもいいかなって……返答したの」
読み進めると……まるでストーカーというか、粘着のようなファンは、強引に人気書籍化作家とやらと、会う約束を取り付けていた。
しかも日時は今日の午後で、場所はこの部室だ。あたしの隣でコピー用紙を覗き込んでいたミカちゃんも「すごっ」と、声を上げる。
「じゃあユッコ先輩が、この人気作家の『オーシャンロード』先生とやらにお合いになって、シナリオ執筆と入部のお願いをされるのですよね」
ざっくりと目を通したあたしが、確認のために部長様に問うと、
「まあそれでもいいけど……ちょっと、その、話しを盛ってしまったとゆうか」
照れくさそうに、付箋が貼ってあったページを指さした。
読み飛ばした箇所だったから、再度目を通すと……。
人気書籍化作家様は、粘着ファン……失礼、部長様の質問攻めをあしらうように、『恋愛経験もないのに恋愛小説を書いていて申し訳ない』と綴っていた。
それに対して部長様は『あたしも何度も男子生徒に告白され、軽い男性不信で、付き合った経験もないが、恋愛ものを書いている。その気持ちは良く分かる』と、返答している。
――うん、そんなにモテていたなんて、気付かなかったよ。
で、お互いに恋愛を勉強するために、『契約交際』しないかと、部長様がアタックしはじめると……ちょっと作家様の心情? が、ゆらぎ、どうやら今日の約束に至ったようだ。
「ほらっ、あたしの見てくれだと文面との齟齬が生まれるし……ユキちゃん、ほら、悩んでたじゃない……契約交際とかしたらね。ユキちゃんの男払いも上手く行くかなあと……」
うん? どうゆうことだ。
「ユッコ先輩がメイクされれば、無敵だと思いますが」
あたしが首を捻ると、副部長のノン先輩があたしの握っていて用紙を覗き込んで微笑む。
「舞台じゃないからなあ、さすがにそれは無理だろう。僕じゃあ男うけしないし、ミカは既に悪評が広まっているからな。まあ誰が見ても、この文面にマッチするのはユキだし」
ーーやはり、理解ができない。どうしてそうなるのだろう。
ノン先輩は、まるで宝塚の男役のように抑揚を付けた声でそういうと、クルリと華麗なターンを決めて、あたしの肩を抱き留めた。
身長は158センチのあたしより、10センチ以上高い。切れ長の目で堀の深い美少女だが……サラサラのショートカットの髪にスレンダーな体躯は、見た目美見少年だ。
「ベイビー、お願いできないかい?」
そんなノン先輩の胸に抱かれながら、あたしはユッコ先輩をにらむ。
「お願い! 部を助けると思って、会うだけでも頼めない! 会ってみて、どうしても嫌なら断っても良いし。そのっ、彼が書けば間違いなく文化祭でダンス部に勝てると思うの!!」
すると新部長様に、いきなり土下座されてしまった。
あたしの手から用紙を奪い取って、熟読をはじめたミカちゃんが、
「ユッコ先輩。コレって恋ですかー?」
裏表がありそうな、美しい笑顔をもらす。
なんだか目がキラキラしているし、表情はイタズラを思いついた子供みたいだし。どうやらサークルクラッシャーとしては、論点は、あたしの処遇ではないようだ。
まあ、ユッコ先輩が会いに行けばまるくおさまるのだから、議論の持って行き方としては、正解なのだろう。
「そうですよね!」
あたしも小声でユッコ先輩に声援を送ったが、
「お、ね、が、いっ! 嘘つきだと思われたくないの。でもこのチャンスも逃したくないの。だから、初めて会うときだけでも……その……代打ってゆうか……」
返ってきたのは、涙声だった。
さすがにそこまでされると弱い。あたしの悩み事を真摯に聞いてくれる優しい先輩だし、おっちょこちょいで勢いでいろいろやらかしてしまうが、姉御肌で、憎めない人でもある。
スマホで検索をはじめたミカちゃんが、
「ああ、この作家さん、河原町高校の生徒だったんですねー。作品の評判は高いし、これなんか映画化のアナウンスもされてるしー。ユキちゃん、部のためだと思って、一肌脱いであげたら?」
楽しそうに、含み笑いをもらしながらスマホの画面を見せてくれた。
その本はあたしも読んだ、例の言葉が書いてあったやつだ。あんなステキな物語を書ける人って、どんな人なのだろう?
興味がわいたし、たしかにそんな作家がシナリオを書いてくれたら文化祭で盛り上がるかもしれない。
それに本当に良い男だったら、ユッコ先輩に上手くパスできれば、万事解決だし。
いろいろと、自信はないけど……頑張ってみる価値はあるだろう。これも自分の殻を壊す、チャンスになるかもしれないし。
「わかりました、じゃあ、会うだけあってみます。口説き落とせるかどうかは自信がありませんけど、いいですか?」
あたしがそういったら、土下座していたユッコ先輩が顔をあげ、
「う゛ぃえ~ん。ありがとう、ユキぢゃ~ん」
ノン先輩からあたしを奪い取ると、涙ながらに抱きついてきた。
そして……あたしはこの1時間38分後に、校内で最も有名な変人に、心のなにかを奪われた。





