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復讐を誓う元令嬢、目的を致して目的に致されずか

 京師一の妓楼・六華(りっか)楼の下働き、李春鈴(しゅんりん)はある日、下級宦官だという張皓劉(こうりゅう)に先代皇帝暗殺未遂事件の黒幕探しの手伝いを頼まれる。無事に解決すれば、望みのものをなんでもかなえてくれるという彼は、初対面であるはずの春鈴の裏事情まで知っていた。

 半ば脅された彼女だが、“目的”を達成するためにも仕方なく協力することにする。


 協力していくうちに皓劉自身が胡散臭いと感じる春鈴だが、裏切ることはできなかった。そんな中、重要な情報を得た春鈴だが、それは彼女自身の出生にもかかわるもので、ある日、身に覚えのない罪で彼女は投獄されてしまう。

 しなやかな舞の終わりに合わせて琵琶をかき鳴らした音が、宴会場に溶けこんでいく。

 静かに息をついて、目立たないようにそっと宴会場を辞した。

(柳艶(りゅうえん)姐さんみたいに、いつかは私もあんな風にお客をとることになるんだろうな)

 酔っ払いの貴族たちが娼妓と遊んでいる(・・・・・)姿はまぶしかったが、今の春鈴の身分はただの下働き。生家である程度は教養をつけさせてもらったから、こうやって宴席で琵琶を弾かせてもらっているが、それとはべつにほかのこともしなければならない。

 琵琶を部屋に置いた後、急いで先ほどの部屋に戻った。

 廊下の向こう側からだれかが来ているのに気づいた。この妓楼では初めて見る顔だが、昔、どこかで会っているような気がした。彼に気を取られて転んだ春鈴は片づけるふりをして、男が身につけているはずの魚符を確認しようとしたが、かがんだ角度が悪かったのか、それを確認することができなかった。





 宴席に戻ると、すでに先ほどまでいた客はそれぞれの個室に入ったようで、がらんどうだった。

(また嶺家の放蕩息子が来ていたわね。前、べつの妓女に入れあげていたところを奥様に現場を差し押さえられたというのに、懲りないのかしら)

(そういえば、最近、陶工部侍郎が来られることが多いわね。なんかお堅そうな印象なのに……でも、嶺家の放蕩息子と一緒のことが多いから、お仕事で来ているのかしら)

 漆の食器を回収しながら、ここにいた客の様子を思いだす春鈴。ほかの下働きに感づかれないように、ついでにあるものを探すが、それは見当たらなかった。

(今日も収穫はない、か。ま、そう簡単に見つかるようだったら、この国も終わりだろうけれど)


 集めた食器類を厨房に引き渡した後に解放された春鈴は、薄い壁越しに声が聞こえてくる部屋なんかに戻りたくもなく、いつも通り、夜の中庭を散策することにした。

 昼間なら色とりどりの花を見ることができたのにと池にかかった平橋の上をとぼとぼ歩いてると、茂みの先に若い男性が二人いるのが見えた。向こうからは春鈴は見えないようで、彼女の存在には気づかれていない。なにやら真剣な表情で会話をしている。

(片方は琳官吏ね。今日も隣で宴会をされていたみたいだけれど、もう一人の方は、まったく見覚えがないわね)

 うっすらと見えたのは現皇帝下で実施されたはじめての科挙で、首席合格したと聞いたことがある官吏と、のっぺりとした中性的な顔立ちをした男性だった。官吏の方は見覚えがあったからすぐに思いだしたが、もう一人はまったく覚えのない男だった。

 ここで立ち聞きをするには遠すぎるし、目の前には茂みがある。二人に気づかれずに近くまでいける自信もなかった。仕方なく途中で切りあげることにした春鈴だが、そわりと後ろから近づいてくる人の気配を感じ、足を戻す。

 とはいえ、どっちにしても、だれかに見つかるのは間違いないので、足を少し横にずらしてみることにした……のだが、足元に落ちていた葉っぱで滑った春鈴は池に落ちてしまった。





(あつもの)だ。しっかりと肉を食え。お前の貧相な体じゃ、満足に相手なんかできないだろ」


 頭から水をかぶった春鈴だが、ちょうど(・・・・)近くにいた男、皓劉によって引き上げられ、介抱を受けることになった。

(将来妓女予定の下働きが客、それも宦官に助けられるって皮肉なことね。しかも、よりによって、さっき廊下ですれ違った男だとは)

 生殖機能がない男――宦官も、お金のために客に春を売る妓女も下賤な職業として蔑まれる。しかし、場合によって、宦官は官吏をも上回る権力を持つことがあり、皇帝の手足として動いていることもある。

 そんな男が、先ほど廊下でなにかに慌てていたようだが、絶対に教えてくれないだろう。仮に皇帝直属の秘密警察であり宦官たちの最高機関、東廠(とうしょう)が噛んでいるのならばなおさら。


「失礼ね……そういえば、協力者になれって、どういうことよ」


 皇帝陛下のお気に入りだという皓劉に差しだされた羹を食べはじめた春鈴は、先ほど、池から引き揚げられた直後、ずぶ濡れの状態で言われた第一声を思いだした。


「そのまんまの意味だよ。三年前に起こった皇帝暗殺未遂事件。あの件について再捜査してるんだけれど、どうしても協力者が必要なんだ」

「え? もう真犯人は刑部が血眼になって見つけだして捕まえたんでしょ?」


 春鈴の言葉に、皓劉は苦虫をかんだ顔をする。儀礼などをつかさどる司礼監に属している彼は、上官からの命令で花街に協力者を探しに来ているらしい。

 しかし、彼の身なりはさすがは宦官だなと思うような、見た目年齢には合わない高級品だった。宝華相文が織られた欠胯袍(けっこほう)、傷一つない革靴、そして手首にぶら下がっている黄玉の飾り。

 宦官は横領、官職売買、贈収賄など、手に染めることができる悪行はすべてしつくしていると酔っぱらった貴族たちが悪態をついているのを聞いたことがある。この青年もこういった犯罪に手を染めているのだろうと思うと、少し複雑な気分になった。


「……皇帝が弑されかけた以上、国の威信をかけても探しださなければならなかった。だが、見つけたのは下手人と表向きの黒幕だけで、真の黒幕は見つかってない」

「天下の刑部も形無しね」

「本当だよ。いずれは刑部も掃除をせねばなるまいな。だが、東廠に密告があって、その信憑性をたしかめているところだ」

「それがこの妓楼に関係してるってこと?」

「ああ。近頃、この妓楼か龍登(りゅうとう)楼に通っているという情報が匿名でもたらされた」


 へぇと気のない返事をする春鈴。

 たしかにこの妓楼・六華(りっか)楼も、近くにある龍登楼も、多くの貴族たちの密会場所となり、どちらも多くの貴族や高級宦官が通うというのを知っている。


「残念なことに私はお客様の身分は一切、わからないわ。なんせこの妓楼に入りたてだから。そうね、柳艶姐さんとか適任なんじゃないかしら?」


 とはいえ、それを素直に引き受けるつもりは春鈴にはない。だが、皓劉はそんな彼女の頤をそっと持ちあげる。


「お前とは今日、二回も会っているが、転んだのも、池に落ちたのもわざとだろう?」

「なにをっ……!」

「廊下では俺がだれかを確認するために、魚符を見ようと、転んだだろ? それに、池に落ちたのもそうだ。あそこでだれかと喋れば、向こうにいた琳官吏たちに気づかれてしまう。だから、わざと落ちて、だれかが来てもおかしくない状態にしたんだろ?」


 その指摘になにも言えなかった春鈴。

 さらに六腑をえぐるような低い声で皓劉は、春鈴に詰め寄ってきた。


「さすがは名門・李家の娘だなってな。いや、元、名門って言ったほうがいいのか。趙王朝の中興を担い、かつては丞相を輩出していただけのことはある」

「……――――!!」

「お父上のことは不幸(・・)だったな。こうやって娘が妓楼に住みこみで働いているなんて、天国で思ってもいないだろうからね」

「え……え、ええ、そうね」


 まさかほぼ初対面の男に自分の素性を知られているとは思わず、焦っていた。皓劉はそんな彼女の様子に目を細め、机の上にあった歩揺簪(ほようしん)を手に取って春鈴の髪に挿す。


「どうせお前は行く当てなんかないんだから、捜査に協力しろ。その代わり、黒幕を見つけることができたら、なんでも望むものを与えよう」

「なんでも?」


 皓劉の言い方に少し引っかかったが、それ以上になんでも与えてくれるという言葉が気になった。


「そうね、できれば昭儀……貴妃、いいえ、皇后になりたいんだけれど」


 現皇帝の後宮には皇后以下、妃嬪――四妃九嬪の総称――はまだだれもいない。

 九嬪の最上位、昭儀でもいいが、妃嬪の最上位、貴妃だったら、いや、皇后ならば、より多くの官吏や宦官たちを動かすことができる。

 下級官吏だった父親は無実の罪で投獄され、獄中で自殺に見せかけられて殺された。父親の死後、母親は心労がたたって病死した。父親を無実の罪で投獄した真犯人を捕まえたい、そして、自分の手で犯人に同じ目に遭わせてやりたい。

 無理難題だろうと、試すような口調と眼差しで皓劉に笑うと、あっさりと頷かれてしまった。


「俺の協力者足り得れば、皇后にも当然ふさわしい」


 なにがどうつながって皇后にふさわしいのかと気になるが、気にしたら負けだと思って、茶を口に含む。

 この言葉もそうだが、皓劉はいちいち下級宦官とは思えない態度や口調をするし、だれにも教えていないはずの情報を持っている。この男はいったい何者なのか。


「そういえば、これはお前によく似あっているな」

「どういうこと?」


 首を傾げると、しゃらりと蝶の飾りが揺れた。


「この歩揺簪はある女性のために父う……先代皇帝が作らせたものだ。一人の女性を従弟と取りあって皇位を揺るがす事態にまで発展したらしい。結局、さる下級官吏と駆け落ちしたことから、後宮には迎えいれるのを諦めたらしいが、どうしても忘れられなかったらしい。新年の上巳節の宴では皇后、()氏をはじめ、妃嬪のだれにも贈り物を送らなかったのに、彼女が結婚した翌年の上巳節では彼女に贈りつけた」


 いつの間にか、皓劉は春鈴の背後に立っていた。冷ややかな空気をまとった彼の指が、すっと春鈴の首を絞める。


「ずっと探していたんだ。皇帝に愛されながら、ほかの男を愛し、妃嬪たちを苦しめた稀代の毒婦を」

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