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聖獣殺し  作者: 後菊院
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解答編 物語の典型



    物語の典型



 諸々の支度を終えた後、出番まで少し余裕があるようなので、私は屋敷の裏庭に赴いた。そこはよく手入れされており、景色は前とほとんど変わっていない。お爺さまの代から置かれているベンチも、撤去されることなくそこにあり続けていた。それに腰掛けると、屋敷で働いていた一人の庭師のことを思い出す。

 ハンスはあの日突然屋敷を辞めた。「お暇をいただきたい」っていうのは本気で言っていたのだ。なんで、どうしていきなりやめるなんて言うのさって問い詰めると、あいつは軽い調子でこう答えた

「お嬢の話聞いてて、俺も長旅とかしてみたいなーって思ったんすよ」

 嘘だ。嘘に決まっている。ハンスは信仰に篤いタイプじゃない。

「本当のことを言ってよ。ハンスには謎が解けたの?」

 そう問うたら、ハンスは困り顔をしてみせた。「いえいえさっぱりっす。全然わかりませんでした」

「嘘」

 ハンスの顔にははっきり「全部わかりました」と書いてあった。絶対に教えてもらわなければならないと意気込んで引き留めたのだけど、ハンスは意外に強情で、結局は何も喋ることなく屋敷を出ていった。その後の消息ははっきりしない。カレンと会っていたって情報は掴んだけど、それからは全く音沙汰なし。ちなみにカレンも行方がわからなくなっている。もしやハンスはタシューギに向かうつもりだろうかと思って、数日間、そちらの方面へ出る門前に人を置いてみたりもしたのだけれど、ハンスはつかまらなかった。

「何で辞めちゃったんだろう……」

 ため息混じりに呟く。当然、その疑問に答える声はない。

 聖獣殺しの謎と何か関係があるのだろうか。

「誰がやったんだろう……」

 この疑問も、独り言。

 ずっと解けない難問だった。

 あの密室は私にもカレンにもベルにもヒルダにも構築することができなかった。唯一可能だったのはデフさんだけど、彼が密室を作ったとすると、彼はあの中で灰になって死んでいるとしか考えられない。すると理由が全くわからなくなってしまう。 

 あの場に私たち以外の誰かがいたとすればどうだろう?

 ……いや、だめだ。私の鳴子と壁の魔法があった。あれは内側からなら簡単に解除できるし、張り直すのも簡単だけど、外からの侵入は許さない。ああでも、もし仮にそれを突破できるほどすごい実力のある誰かがいる可能性は常にあるのか。

 でも、やっぱり理由がわからない。

 つまるところ「どうやって聖獣を殺し、どうやって密室を作ったか」は問題じゃないのだ。五人の中の誰かが凄まじく高性能な脱出魔法——逃げ出しの魔法よりもすごい魔法を隠し持っていた可能性は否めないし、誰も知らない六人目がいたのかもしれない。でもそんなすごい魔法を持っていて、なおかつ一人で聖獣を倒せるくらいの実力と自信があったのなら、わざわざみんなと一緒に迷宮に潜る必要はないと思う。「聖獣とのタイマンには自信あるけど、最深部まで無事にたどり着けるか心配だ」とかの理由でよしんば皆と一緒に潜ったとして——いやいや、それ隠す理由あるか? そんなにタイマンで戦いたいならそうと言ってくれよ。ちゃんとやらせてあげるからさ。炎剣は使わせないけど。そもそもなんで炎剣なんか使ったんだろう? ベルが犯人なら仕方ないけど、他の誰かが犯人だったら他人の剣を使ったことになるよね? 自分が犯人であることを隠す理由もわからない——あ、いやそれは恨まれたくないからか。私の目的を潰してしまったら、私が怒ると考えたのかもしれない。あれ、じゃあそもそも私の目的を潰すことが犯人の目的だったりして。兄貴が目覚めて困る奴は、商売敵とかの中には結構いるからなあ……仮にもウチって大商家だし。味方が多いけど敵も多い。そういう勢力の手先があの中にいたとしたらそいつが犯人なのでは——いや違うって。待って待って、じゃあ私たちは生きて帰ってこれているんだってこの前もわかんなくなったじゃん。デフさんは姿を消してしまっているから、全員が生還しているわけではないんだけど。もしかして、デフさんを殺すことが真の目的だったとか? うーん、でもなんであの場でやるの? 聖獣を殺す必要無くない? デフさんに恨み持ってる人なんかいなかったし。やっぱ私の妨害が目的かなあ。でも聖獣を殺すよりも私を殺す方がよっぽど楽だと思うけどなあ。

 犯人には、私たちを生かしておかなければならない理由があった?

 果たしてそんな理由が考えられるだろうか。

 ずっと考えていても答えの出ない問題に尚も頭を悩ませていると、後ろからガチャリという音がする。何だろうと思って振り返ると、正装に身を包んだ私の父が庭に踏み込んできたのが見えた。大商人オラフ。威厳ある東日のハンザの実質的な盟主も、今日はどこか落ち着きがない。

「ここにいたのか、ミリィ」

「あ、ごめん。探してた?」

「ああ。みんな待ってる。そろそろ行こう」

「うん」

 私は頷き、ベンチから立ち上がる。父の隣まで歩み寄った。

「誰かと一緒だったのか?」

「え?」

 突然父にそう訊かれる。「いや、誰とも?」と返す。なんでそんなことを訊くのか不思議だった。

「そうか」父は深く追求してくるでもなく、私の答えに納得した。「いやなんとなくな——ベンチの端っこにお前が腰掛けてたから、誰かもう一人隣に座ってたんじゃないかって思ったんだ」

「そう?」

 そういえばそうだったかもしれない。天気の良い昼下がりなんかはいつもハンスとあそこで喋っていたから、癖になってしまったようだ。

「じゃあ行こうか」と言って私は屋敷の入り口の方へ向かおうとしたのだけど、父は私についてきてくれなかった。

「どうしたの?」

「……いやぁ、我が娘ながら綺麗になったなと思ってな」

「あっはっは。やめてよお世辞なんか。私がそんな出来のよくない見た目をしてるっていうのは、私が一番知ってるよ」

「お世辞なんかじゃないさ。……少し早いかもしれんが言わせてもらうよ。結婚おめでとう、ミリィ」

「——え?」

 私はきょとんとした顔で父を見る。

 私が、結婚?

 ……いや、別に今日の予定を忘れてしまったわけじゃない。今日、私は生涯の相手と結ばれる。それは覚えているし、この華々しい衣装はそのためにしつらえられたものだ。ずっと楽しみだった。今日の日を考えただけで夢心地だった。昏睡し続ける兄貴への心配、兄貴を救うことに失敗した無力感はずっと私を苛み続けていたけど、絶望に押し潰されてしまわなかったのは今日があると知っていたからだ。

 忘れたことなど一度もない。

 ……だけど、それを一度でも事件と関連させて考えたことがあったか?

「ねえ、お父様……? 私は、私は誰と結婚するんだっけ……」

「おいおい大丈夫か? ベルムント君に決まっているだろう。他に誰がいるんだ」

「——……だよね。ははは……」

 歩く。

 廊下を抜け、屋敷の正面出入り口から外へ出る。

 表にはいろんな人々が私と父を待っていて、通りには群衆がわんさかいた。彼らは左右に分かれて道をつくる。

 街の広場に準備された見晴らしの良い台へと続く階段の先——そこで待っているのは、華々しい衣装に身を包んだ一人の若武者。彼は眉目秀麗で、同時に達人の風格を携えている。腰には彼の代名詞たる魔剣。その剣にかかればあらゆる物が灰塵と化す。

 炎剣のベルムント。

 クラク最強の騎士は、私を見ると、いつものように不敵な面持ちで笑った。

 その顔を見た瞬間——全てが繋がる。

 全てが壊れる。

 考えうる限り最悪の仮説が導き出された。

「…………」

 クラクは王国内において王都に次ぐ規模を誇る都市だ。往来は常に人で賑わっていて、波止場はひっきりなしに船が発着する。活気の絶えない街だが、今日は一段と盛況だ。なぜって? クラク一の商家の令嬢、ミルトレードが——つまりはこの私が結婚をするからに決まっている。

 たかが商家と侮るなかれ、私の父はクラク市長を務めた経験もあり、王国の西側と隣国の一部にまたがる商業ネットワークの盟主だ。その権勢は有力諸侯や国王にも引けをとらない。街を挙げて祝うのも自然なことだ。至る所に祝い事を示す赤い旗が掲げられ、楽隊が道を練り歩く。民衆は今が好機と祝い事にかこつけて飲めや歌えやの大騒ぎを繰り広げており、通りには屋台が所狭しと乱立する。

 めでたしめでたしと喜ぶ城下。屋敷の中にもその雰囲気は蔓延している。

 花道の只中を——あるいは処刑台へ続く道を、私は父と歩いていた。

「ミルトレード嬢が炎剣の戦士と結婚するぞ!」

 証拠はない。

 けど、明快だ。

 これ以上なく明快な答えだ。

 いや、でもそんなの突飛すぎる。

 これなら動機に関する説明がつく。「その者」は何らかの理由があって他者に聖獣を殺させたくなかった。「その者」は誰かを生かしたまま地上に返す必要があった。私が聖獣の肝を持ち帰らなければ兄貴は目を覚まさない。兄貴が目覚めなければ、この家は一人娘である私が継ぐことになる。

 私と、私の婿が家を継ぐ。

 クラクは、橙染めの海と呼ばれる海域一帯の商業ネットワーク「東日のハンザ」を纏める盟主の街。私の家はこの街で最も大きな商家。実質的に盟主の街の長なのだ——

 考えすぎだ。

 そんなはずない。

 ベルはそんなやつじゃない。

 ベルにはあんな密室作れない。何度も何度も検討したじゃないか。ベルは、頭は悪くないけど、新しい脱出魔法を編み出せるような人間ではない。ベルは私たちと同じ場所で眠っていたんだ。ベルには聖獣は殺せない。

 ——だけど、だけど思い出せ。地下迷宮最深部、皆が寝静まった後、ベルに囁かれた言葉を。

 やめろ。

 考えるな。

 それは聖獣殺しに失敗した私を支えた唯一の柱だ。兄貴を救えなかった私にあった唯一の救いだったんだ。それがあったから、私はこれまで絶望に潰されることなく生きてこれた。

 やめろ、ただの疑念を本気にするな。

 ベルには聖獣を殺せない。私とベルは幼なじみだ。ずっと仲良くしていて、ベルのことは私が一番よく知っている。

 「——なあミリィ」

 私の全身全霊がそうだと言っている。

 それこそが真実だと、叫んでいる——

 やめろ頼むやめてくれ、もう私を虐めないでください。もう、もう嫌なんだ。もう苦しみたくない、楽になりたいんです、私から希望を奪わないでください——

 「——この旅から帰ったら、結婚しよう」

「……ミリィ?」

 壇へ昇る寸前で立ち止まった私の顔を、父が怪訝そうに覗き込む。

「おい、大丈夫か?」

 言葉が出ない。

 何と言えば良いのかわからない。

「顔が真っ青だぞ——どうしたんだ」

 父が私の肩をたたく。だけど私は動かない。動けなかった。

 時間がひどくゆっくり流れている。

 絶望と希望が一つになって私を殺す。

 全てが私を襲う。

 全てが私を押し潰しにかかる。

 立っていられなくなってその場にへたりこむ。視界が涙で滲む。動悸が激しくなる。私の名を呼ぶ父の声はひどく遠いものに思えた。周囲のどよめきもどこか他人事に感じる。そこまで気にする余裕がなかった。

 ただ一人、ベルだけが壇から降りて私の目の前に降りてくる。

 ベルは落ち着き払った面持ちのまま、私に手を差し伸べた。

「さ、ミリィ。行こう」

「……」

 その手を握ればどれほど幸せになれるだろうか。

 全て忘れて、最愛の人と添い遂げれば。

 それはそれは幸せな人生が待っていることだろう。いくつもの波乱こそあれど、彼とならそれすらも楽しめる有意義な人生が送れるはずだ。彼は無実だと信じきり、彼への疑惑から永遠に目を背けてしまえば楽になれる。抗い難い引力に引かれて、私は震える右手を伸ばした。彼はにこりと微笑んで、その手を優しく握ろうとしてくれて——

「…………?」

 いつまでたっても手を握られないのを不思議に思い、私は顔をあげてベルを見た。

 ベルは私を見ていなかった。

 彼は唖然としながら空を見上げていた。

 周りの人々も上空を見ていた。群衆も、父も、みんな。

 空に何があるのだろう?

 私もまた空を見上げる。すると一瞬、太陽が巨大な何かに覆われて、その影が私たちをすり抜けた。

 その影、気のせいだろうか。

 まるで、竜の形をしていたような——

 影はすぐに移動し、陽光が私の眼に入ってくる。眩しくて下を向いた。再び上を見ようとした時、私の横に立っている何者かの気配に気づく。それは突然現れた。上から降下してきたのだろうか? それは、誰なのか判明するより先に、聴き慣れた声で喋り出した。

「——『竜退治』『怪物退治』の物語の結末として、姫と主人公が結婚する場面が描かれる例は数多く存在します」

 ベルは突然現れた人影から飛び退き、腰元の剣を抜き放ってその者に相対する。

「しかし、いつもいつもすんなり結婚できるとは限りません。物語上には往々にして『偽の主人公』と呼ばれる存在が現れます。偽の主人公が英雄の手柄を横取りすることによって、英雄は苦境に追いやられ、姫は偽の主人公と望まぬ婚姻を結ばされそうになるんですね」

「……」

 ベルは剣を抜いたものの、すぐに飛びかかることなく彼の話を聞いている。なぜだろうと不思議に思った時、私たちの背後に巨大な何かが降り立つ音がした。

「援助者の手を借りるなどして苦境から脱出した主人公は、姫と偽の主人公との結婚の宴に乗り込み、そいつの嘘を暴きます」

「……何が言いたい」

 ベルに訊かれて、彼はにこりと笑った。その質問を待っていたというように満足げな顔をしながら口を開く。

「あなたが犯人です。ベルムントさん」

 庭師は言った。



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