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聖獣殺し  作者: 後菊院
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問題篇(2) 冒険の回想



    問題篇 冒険の回想



「殺されていた。へえ……そいつは確かなんすか?」

 ハンスが訊いてくる。彼はコップを口に持ってきて大きく傾けた後、それをボトルの横に置いた。「寿命で死んだとか、事故で死んだとか、そういう可能性は考えられないんですかね」

「殺されていた」

 私は断言する。

「だって聖獣の死体には、ベルの炎剣が突き刺さっていたんだから」

「ベルムントさんの炎剣……。ん? じゃあベルムントさんが殺したのでは?」

「いや……多分違くて……ええと、確かにベルの炎剣は刺さっていたんだけど、ベル本人も俺じゃないって言ってたし、殺したのは多分あいつじゃない」

「不思議ですね。ベルムントさんは自分の剣がなくなっていたことに気づかなかったんすか」

「ええと……」

 何から説明したものか。ちょっと考えて、私は「聖獣は迷宮最深部の空間にいたんだけどね」と話し始める。

「その空間には扉がついていて、どうも扉の外には出てこないみたいだったから、私たちは扉の前でキャンプ張って、最後の休憩をとったの」

「休憩ですか。じゃあ結構歩いたんすかね。地下迷宮の最深部ってのはどれぐらいの深さにあるもんなんすか?」

「私たちは最深部に着くまで丸一日以上かかったよ、多分。地下には昼と夜がないから、確実なことは言えないけど」

「丸一日。じゃあやっぱり結構な距離がありますね」

「うーん、どうだろう。行き止まりの道を引き返したりもしてたから。正解だけを選んで歩いていたらもうちょっと早く着いたと思うけど、でも誤差っちゃ誤差かな。正解の道だけを選んで歩くなんて土台無理な話だし」

 まあ予定されてた時間内に最深部までたどり着けてよかった。あれ以上時間がかかっていたら、一度地上に戻らないといけなくなっていただろうから。

「地図とか無いんすか? あそこは聖地ですし、多分お坊さんたちが何回も探検してるでしょ。盗み出すのが難しかったとか?」

「地図は役に立たないんだよ。地下迷宮の——上層は別として——ある深度から下は入り直すたびに道順が変わる魔の迷宮なんだから」

「入り直すたびに道順が変わるぅ? そりゃ一体どんな原理なんでしょう」

「わからない。私は一回入っただけで、入り直してはいないから」と言いつつも、この辺りはハンスにも説明しておいた方が良さそうだと思い直し、私はヴェスト教のお坊さんがしてくれた説明を思い出す。「……えっとね、迷宮はいくつもの大きな部屋が通路で……狭い通路でつながっている構造になってるんだけど……」

「ああなるほど、その部屋と通路の配置がごっちゃごちゃになっちまうんすね。そりゃ確かに地図なんか作れないな」

 ハンスは納得したように大きく頷いた。この庭師、意外と理解が早い。ちょっと見直す。

「まるで不思議のダンジョンっすねえ」

「何?」

「いえ、なんでもないっす」

「ふうん……。まあとにかく散々だったよ。先々がT字路とか十字路とかになっててさ、道の突き当たりに付いてる扉を開けたら袋小路だったり、大部屋になってたりしてるの。行き止まりに当たるとすんごいげんなりするね。おまけに道々で怪物みたいなのもわらわら湧いてきてさ、三回ぐらい死にかけたよ」

「怪物が湧くんですか」

「うん。体が石でできた怪物がさ、関節をギィギィ言わせながら石の剣やなんかで襲って来んの。動きはそんなに速くないんだけど、頑丈すぎて倒すの大変だったね」

「石の武者っすか。そりゃ珍しい。ベルムントさんでも苦戦したんじゃないすか?」

「いや、あいつは普通に怪物を焼き斬ってたよ」

「あ、そうなんすか」

「炎剣は特別だからね……実際、聖獣も炎剣でやられちゃったわけだし」

 ベルムントの炎剣は名前の通り、刀身に火炎を迸らせる魔剣だ。炎で敵を焼き斬ることができるし、炎を噴射して刀身を長くすることもできるし、組んだ薪に火を入れることもできる便利な剣。炎剣で斬られた相手は、哀れ灰となって朽ちてしまうのだ。

「聖獣が誰に殺されたのか、お嬢は何か予測を立てているんすかね」

「……デフさんじゃないかと思ってる」

「デフさん。その方はどなたでしょうか」

「私たちに協力してくれた人。タシューギの山奥に住んでてさ、地下迷宮への秘密の入り口を私たちに教えてくれたの」

「秘密の入り口を教えてくれた人が聖獣を殺したんすか?」

 ハンスは苦笑気味に訊いてきた。まあ確かに、これだけ聞いたら理屈が通らないだろう。

「私も納得してない部分はあるよ。良い人だったし、なんであの人がって疑問もある。でも、なんというか、やっぱりデフさんが一番怪しいかなって……。だってあの人、私たちが起きた時いなくなってたんだよね」

「起きた時というと? 最深部でキャンプ張った時ですかね」

「うん。みんな疲れ切ってたからその時一回寝たの。で、起きたらデフさんはいなくなってた」

「それは怪しいですね……一つ聞いておきたいんすけど、地下迷宮に潜ったのはお嬢とベルムントさん、カレンさん、デフさんの四人で合っていますか?」

「うん——あ、いや。もう一人いた。最初は気づかなかったんだけど、ヒルダとかいう女が私たちの後をこっそりつけてきたんだよ。あいつほんと嫌い」

 やっぱりあいつこそが聖獣殺しの下手人だったのかもしれない。そう思うと本当に憎たらしく思えてくる。

「その方は何者ですか?」

「意地汚い盗賊だよ。本人は華麗なる大泥棒とかなんとか言ってたけど」

「盗賊ですか。地下迷宮の最深部には、盗賊が欲しがるようなものがあったんですか?」

「伝説では聖獣が守っている財宝があることになってるけど、それっぽいものはどこにもなかった。初めっから宝なんてなかったのかもしれないし、ひょっとしたら、聖獣を殺した誰かが持ち去ったのかもしれない」

「でも、死体は残っていたんでしょう? 聖獣の肝は回収できなったんすか?」

「うん……だめだった。炎剣でとどめを刺されてたから、身体が灰に変わっちゃってて」

 だから聖獣と戦う時は炎剣を極力使わない方針で作戦を立てていたのだけれど、それらの準備は無駄になってしまった。

「だからこの旅は失敗。私はもう各地に行ってる誰かが竜の肝を持ち帰って来るのを祈るしかないよ——ねえハンス、ハンスは誰が聖獣を殺したんだと思う?」

「俺に聞かれてもねえ……」

 ハンスは難しい顔をして少し黙った後、「もうちょっと詳しく話を聞かせてくださいよ」と言ってきた。

 別にハンスが下手人の特定するのを期待していたわけではなかったけれど、私はうなずく。やっぱりこのことを誰かに話したかったというのが私の本心なのだろう。地の底で起きた不思議な出来事を他の人にも知って欲しいという衝動を、さっきよりもはっきり自覚する。

「私たちがタシューギについたのは、ここを出発してから三日後。まず地下迷宮の正面入り口から入ってみたけど、ある場所より先は扉が固く閉じられていた」

 地下迷宮はヴェスト教の聖地になっていて、特にこの時期は巡礼者が多い。迷宮の上層部は、入るたびに地形が変わるなんてめちゃくちゃな設計にはなっていないから、ヴェストのお坊さんたちはそこに巡礼用の祭壇を持ってきて、大部屋を礼拝堂に改造している。礼拝堂の片隅に飾られていた聖獣の石像を見て、私はここへ来たのが間違いじゃなかったと思った。だってあれはどう見ても竜だったから——でも、地下迷宮に入るだけなら誰でも簡単にできるのだけど、それより先に行くのは難しい。礼拝堂より先に続く道は、安全のために固く塞がれているのだ。

「地下迷宮の扉や壁、床や天井は特別製でさ、石造りに見えるんだけどただの石じゃなくて。普通に蹴破ったり斬り壊したりはできないんだ。魔法の火や飛礫も吸収しちゃうし。壊して進むことはできなかった」

「炎剣もだめですか。じゃあお手上げっすね」

「うん。どうしようかって思っててさ、みんなでご飯食べながら相談してたら、デフさんに出会ったんだ」

 デフさんに会えたのは幸運としか思えない。あの時彼に会えていなかったら、私たちは聖地を強襲していたかもしれないのだ。その場合、ベルムントとカレンがいるから負けることはなかっただろうけど、顔は割れていたかもしれない。

「デフさんは木こりなんだけど、村はずれに住んでいて、地下迷宮をこっそり色々調べている人だったのね。家の裏の山に地下迷宮の秘密の入り口みたいなのがあって」

「変わった人っすね。普通ならお坊さん方に怒られそうですけど」

「うーん、なんでもヴェスト教の信者ではないとかでさ。その辺のことはあんまり気にしてないっぽかったよ。あと、ものすごく強かった」

 デフさんの強さはベルムントと同じかそれ以上。なんでも退役軍人だそうで、十年前の戦争にも参加してたとか。がっしりした体躯と敏捷性、豊富な経験値と卓越した剣技・格闘術を兼ね備える優れた戦士だった。

「彼はどうしてお嬢に協力してくれたんすか?」

「んー……本人的には親切心とか老婆心とか言ってたけど……。本当の理由は、私たちを放っておくと正面突破しそうだと思ったからじゃないかな。仮にそうなったら、地下迷宮の警備が強化されるだろうし、そうでなくとも色々荒らしちゃうと思うから」

 最悪、芋づる式のような感じでデフさんの調査活動も気づかれてしまうかもしれない。彼はそれを嫌ったのだろう。

「好き勝手されるよりは制御可能な状態に置いておいた方が良い……なるほど、理屈は通りますね」

「うん。あとはそう……私たちの話を聞いたから、ってのもあるのかな?」

「ん?」

 ハンスは真顔で私の顔を見る。あまりに直線的な疑問符を浮かべられるとこちらとしては萎縮してしまう。ただでさえ自意識過剰かもしれないと思っているのに。

「私たちへの同情の気持ちもなくはなかったんじゃないかってこと」

 私が早口でそう言うと、ハンスはポンと手を打った。

「……ああ。そういうことですか。若旦那を救おうとするお嬢の健気さに、真面目に心打たれたと」

「言葉にしないでよ。濁してたのにさ——そもそも私そんなにお兄ちゃん子じゃないし、失敗したし」

「いやいやこれこそ語り継ぐべき美談でしょうよ。まごうことなく」

「……んん」

 このまま兄貴が眠ったままだと家の存続が危ういからって打算もあるので、そんなにもてはやされるのには違和感がある。私たち、二人兄妹だし。

「とはいえそれはデフさんが動く一番の理由にはならなそうっすね。やっぱりお嬢たちを制御下に置いておきたかったってのが自然でしょう。実力行使で排除できればそうしたのでしょうが、お嬢のお供にはベルムントさんがいたそうですし」

「そうだね」

 ハンスはベルムントばかり実力者として推すけれど、カレンの棒術だって相当なものだ。デフさんは確かに強かったけれど、カレンとベルムントの二人を相手に確実な勝利を手にできるほどではなかった。

「反対に、お嬢はデフさんを警戒しなかったんすか? 得体の知れない案内人なわけでしょう」

「警戒してたよ。最初の頃はヴェスト教の人間なんじゃないかとか疑ってた。けどまあ、迷宮入る前にしてくれた説明も丁寧だったし、強面だけど物腰は柔らかかったし——なにより、こっちにはベルがいたから」

 ハンスはひゅーっと口笛を吹いた。

「未来の婿への信頼があついっすね」

「な、ななななな、何をば、ば、ばっ、馬鹿なことっ! な、な、な、何でっ、何で知ってんのよっ!」

「そりゃ見てればわかりますよ。お嬢が彼に気があることぐらいみなさん気づいているでしょう。まああんな素晴らしい騎士が幼なじみにいて、惚れないほうが不思議ってもんでしょうねえ」

「み、み、み——?」

 え? あ、気か……気があるのがバレてるだけかっていやそれも恥ずかしいって! え!? 本当に!? みんなってどのみんな!?

「屋敷のみんなっす。旦那様も奥様も、召使いその他も商会のみなさんも全員」

「全員……? それは余すところなく一人もって意味……?」

 やばい、やばいやばいやばいやばい。そうか隠し通せていると思ってたの私だけか……!

「りんごみたいに真っ赤っすよ、お嬢」

「……う、うるせいっ! からかうな!」

 ぜえはあと息荒く叫ぶ。ハンスはにやっと笑いながら「へーい」と言って話題を戻した。

「そいで、お嬢一行はデフさんの案内で地下迷宮に入ったと」

 ハンスが真面目な雰囲気に戻ったから、私もなんとか真面目モードに体を戻して「うん」とうなずく。「……キャンプの準備とかいろいろ整えた後でね」

「地下迷宮内の旅路はどうでした?」

 もう完全におふざけは終わったらしい。凄まじい切り替えの速さだ……まあハンスがそっちの方向の話への興味が薄いのはよく知っているので、驚くことではないんだけど。

「私以外の三人が全員武闘派、それもかなりの精鋭だったから、結構楽だったよ。敵も罠も簡単に突破していけた」

「罠というと?」

「落とし穴とか、自動の矢弾とか。まあよくあるやつだよ。怪物に比べたらあんまり多くはなかったけど」

「へえ……。それでも最深部に着くまで一日以上かかったんすね。やっぱり深いんだなぁ、タシューギの地下迷宮」

「あくまで体感だけどね。もしかしたらもっと短かったかもしれないし、もっと長かったかもしれない」

「思わせぶりっすね」

「仕方ないでしょ。まあ一日は経ったと思うよ。地上に出てから数えてもそうだったし、お腹の減り具合的にも」

「腹時計頼りっすか。まあ腕時計なんてありませんからね……」

「ウデドケイ? なにそれ」

「便利な小道具です。まあ関係のない話っすよ——そういえば、地下での光源はどうしてたんすか?」

「普段は手持ち式の魔導ランタンを使ってた。怪物とかと戦う時は魔法の光源を床にばら撒いてたけど。知ってる? 『手元の星を散らせ』って魔法」

 私はその辺の小石を拾うと、そうやって魔法を詠んであたりに撒く。投げられた小石は微かに光を宿していた。

「ほー。こんなのがあるんすか。便利っすね」

「昼だとわかりづらいけどね、夜とか洞窟とかの光源としては十分」

 この魔法の良いところは、敵の足元に光源を置ける点だ。夜襲なんかするゲリラとかはみんなこれを覚えている。欠点としては、石の光の寿命がものすごく短いというところだろうか。それでも一勝負つけるぐらいの時間は光ってくれる。

 ちなみにベルは炎剣を松明みたいに使っていた。

「まあ、それでも暗いっちゃ暗いよ。天井に張り付いてた怪物に気づかなかったこともあったし」

「ふーん、なるほど。ありがとうございます。光についてはわかりました。最深部はどんな感じでした?」

「最後の部屋も基本は他のどんづまりと変わらなかったな。行き止まりの先にでっかい扉があって、その向こうに大きな空間があるのがわかった。ただその扉を開ける寸前、これまでにない気配が向こう側から伝わってきたんだよ」

「気配? 聖獣の気配ってことっすか」

「うん。それで、不思議に思って扉に耳当てて中の音を聞いてみたら、獣の唸り声が微かに聞こえてきて」

「獣っすか。じゃあそれが聖獣じゃないかと思ったわけっすね?」

「うん。聖獣は最深部にいるって話だったし。その時はもう最深部に到達していてもおかしくないくらい歩いてきてたからさ。そこが最深部なんじゃないかって思ったの。そしたらデフさんが『ここが最後の部屋だ』って」

「デフさんは一度そこに来たことがあったんすか?」

「そうみたいだった。じゃあこの中に入ったことあるんですかって訊いたら、やばそうだったから扉は開けずに引き返したって言ってたな」

「はー、なるほど……。で、お嬢たちはそこから引き返すことはなく、かといってそのままの勢いで扉を開けることもなく、キャンプを張ったわけっすか」

「もうみんな疲れ切ってたからね……。休憩はとってたけど、一度も眠ってなかったから」

「キャンプを張る時、誰が何をやったかとかは覚えてますか?」

「んー」

 私は顎に手を当てて空中を睨む。私が過去の記憶を思い出そうとしている間に、ハンスはコップに追加の酒を注いだ。

「私は鳴子と壁の魔法を設置する係をやってたんだけど……あ、ちょっと待って。その前に言っておかなきゃいけないことがある」

「なんすか?」

 ハンスはちょっと身構える。私が突然改まって断りを入れたからだろうか。それとも私の口調がちょっと不機嫌になったから? どちらの理由も正しそうだ。

「そこであいつが登場するんだよ。不愉快なことにさ」

「あいつとは」

「ヒルダ。盗賊。さっき話したやつだよ。気づいたのはカレンだったかな。私たちがキャンプ敷こうとした時、『何者ですか』ってカレンが後ろに呼びかけたら、すぐそばに姿を現したんだ」

 ヒルダ——本人は「霧中のヒルダ」とか名乗ってたっけな。隠れ身の秘術を使える盗賊で、どうやら私たちのあとをつけてきていたらしい。カレンがあいつの存在に気づいてよかった。気づかず寝ていれば、私たちはみんなあいつに殺されてしまっていたかもしれないから。

 道中では一定の距離を取ったままついてきていたみたいだけど、鳴子の魔法を敷かれるとまずいからって、鳴子の魔法にかからない、魔法の範囲の内側に入ろうとしたのだ。その時、カレンが彼女の気配に気づいた。

「本人はタシューギの街で私を見つけて、金目のものを盗めそうだと思ってついてきたって言ってたけど、どこまで本当なのかはわからない」

「へえ。世を忍んでいるはずのお嬢から滲み出る高貴なオーラを嗅ぎとったんすか。やりますねそいつ」

「いや私、別に高貴なオーラなんか纏ってないし」

「いやいや、そういうことでしょうよ。身なりを変えても所作とか喋り方とかは完全に変えられませんからねえ」

 そうだろうか。そもそも私は私自身を令嬢っぽいと思ったことがないので、「高貴なオーラ」なんて言われるとむず痒い。そんなものが私にも備わっていたのか?

「まあとにかく、あの女は私たちの前に現れてこう言ったんだよ。『聖獣を倒したら私に財宝を全て寄越せ』って」

「ぶっ飛んだ要求っすね」

 ハンスは大して驚いた風でもなさそうに言った。「お嬢たちの寝込みを襲って小銭を奪うより、聖獣の守る財宝を狙うのはまあ、金額的に自然ですが……どうしてそんなに不遜な態度を取れるんすかね。みなさん、なんか弱みでも握られたんすか? 『地下迷宮に不法侵入してるのバラしちゃうぞー』とか?」

「それを言ったらあいつも捕まるでしょ。道連れ覚悟ならともかく——そうじゃなくてあいつは、私たちがデフさんの家に遺した魔法の印を綺麗さっぱり消してやったって言ってきたんだ」

「魔法の印?」

 ハンスは首を傾げる。知らないようなので、魔法の印についての説明をしよう。

「魔法の印っていうのは色々な用途がある印のことなんだけど、この時は『逃げ出しの魔法』を使うために書いておいたんだ。逃げ出しの魔法を使うと、自分が書いておいた印のある場所まであっという間に移動できるんだよ」

「すごい魔法っすね」

 ハンスが感嘆する。確かに逃げ出しの魔法はすごい。移動の魔法というのは普通、高度な技術と複雑な式、そして莫大なエネルギーを必要とするのに、逃げ出しの魔法だけはその例外で、方式さえ知っていれば驚くほど簡単に使える。印を書いておけばあとは呪文を詠唱するだけで即発動。昔の偉い魔法使いが苦心の末に編み出した画期的な魔法らしいけれど、納得の出来だと思う。

「お嬢はその魔法で地上に帰ろうとしていたわけなんすね?」

「うん。地下迷宮の構造は複雑で、普通に戻ろうとしても迷っちゃうと思ってたからさ。逃げ出しの魔法なら安心だと思って」

「へえ。でも地下迷宮の壁やら扉やらは、魔法を通さない仕様になっているんじゃありませんでしたっけ? 逃げ出しの魔法は使えるんですか?」

「他の移動系の魔法は壁を通れるかどうか怪しいけど、逃げ出しの魔法だけは成功するよ。実際に使えたしね」

 逃げ出しの魔法は、たとえ他の移動魔法が使えない場所であったとしても絶対に発動する。それが逃げ出しの魔法が持つ最大の利点なのだ。

「なるほどねぇ、つくづく反則的っすね」

「うん——封じられちゃったけど」

 印さえ書いておけば使える逃げ出しの魔法だけど、逆に言えば、印が無かったら絶対に発動しない。それが他の移動魔法と比べて劣っている点。魔法の印はとてもデリケートなのだ。放っておくと二、三日で消えるしまうし、万能の脱出手段とは言えない。

「実際、逃げ出しの魔法は使えなかったんすか?」

「うん。詠んでみたけど使えなかった。私のもカレンのもデフさんのも、全部不発」

 逃げ出しの魔法の発動条件は、定められた呪文の詠唱。前もって印を描いておき、その呪文を詠めば魔法は必ず発動する。だけど不発だったということは、ヒルダの脅しは本当だったのだ。

「お嬢にカレンさんにデフさん……ベルムントさんはどうしたんすか?」

「ベルは元々印を描いてなかったよ。なるべく体力を温存しておいてほしかったから」

 いかに省エネ魔法といっても、全く疲れないまま使える魔法ではない。地下迷宮攻略、聖獣討伐の主力であるベルムントからは、それ以外の負担を減らしておきたかった。

「するとベルムントさんはどうやって地上に帰るつもりだったんすか?」

「ベルは私が連れ帰るつもりだったよ。逃げ出しの魔法って、他の人も連れて帰ることができるから」

 私の連れて帰れる限界は荷物と自分以外に人間二人。魔法使いとしてはまあまあやる方だよねって感じの技量だ。デフさんなんかは自分以外に一人が限界って言ってたし、まあまあ誇れる。ちなみに、当初の予定ではベルだけでなくカレンもまた私が一気に連れ帰るはずだった。カレンの印は、もしものための予備の意味合いが強かった。

「ヒルダさんが連れ帰れる限界人数はどれくらいだったんすか」

「……七人って言ってた。実際、四人まとめて地上へ連れ帰ったし、凄腕だよ」

 私の力量が霞むから言うの嫌だったんだけど、聞かれたから仕方ない。

「雇われ先を見つけるのに苦労はしなさそうっすね」

「うん。なんで盗賊なんかやってるのかわかんないくらい」

「本人、それについてなんか言ってました?」

「いや……。必要なこと以外はあんまり喋らなかったから、その辺の事情はわかんない。王都近くの出身だってのは聞いたけど、それだけだよ」

 ハンスに言われて、ヒルダが本当に盗賊だったのかどうかの疑いが私の心にも生まれた。ヒルダの魔法の技量は、ただのコソ泥にしては卓越しすぎている。いや、そういう盗賊だっているよと言われてしまえばそれまでなのだけれど……。

「ヒルダさんは皆さんの前に姿を現し、『お前たちの印を消してやった』と暴露した……。つまりヒルダさんは『帰還手段』を盾にとってみなさんをコントロール下に置こうとしたんすね」

「うん」

 私はうなずく。ハンスの理解が整然としてて何よりだ。

 ハンスの言う通り、私たちはヒルダの言うことに従わなくてはならなかった。ヒルダだけが地上へ帰る手段を握っていたから、彼女の一存で私たちは死ぬまで地下迷宮を彷徨うことになってしまうのだ。

「魔法を使わず、自力で帰ることはできなかったんすかね」

「理論上は可能……だけど、実際はほとんど無理だったと思う。本当に複雑で、似たような道がいくつもある迷宮だったから。デフさんが言ってんだけど、あの迷宮って上がる時は降る時の倍かかるらしいんだよ。食糧も水ももうなくなってたし、地上の光を見るより先に死んじゃうね」

「なるほど。まあそういう目算が立たないと交渉できませんからねえ……お嬢の目的だった聖獣の肝については何か言ってましたか?」

「『自由にしろ』って」

 ただそれは優しさというよりは、私たちが自暴自棄になって遮二無二ヒルダを殺そうとしないように、私たちの前にも餌をぶら下げておいたという感じだ。逃げ出しの魔法は詠み終わる(発動する)のにちょっと時間がかかる。例えばベルだったら、ヒルダが逃げようとする間に三十回は彼女を殺せてしまうだろう。

「飴と鞭の使い分けっすか。ちゃんとしてますね。で、その後はヒルダさんも交えて拠点を作ったんで?」

「うん。まああいつはほとんど何もしなかったけど」

「特権行使してますねー」

「あいつむかつくんだよ! 何もしないくせして『私の寝る場所を一番広くしろよ』とか言いやがって! まじで調子乗ってやがんの」

「へえ、ヒルダさんもみんなと一緒に寝たんすか。まじで余裕っすね」

 ハンスは私の憤慨を無視して変なところに着目する。私が言いたいのはそこじゃないんだ。あいつがいかに嫌なやつかってことをわかってもらいたいんだよって衝動が、私の口をめちゃくちゃに動かす。

「あいつ、私たちが要求を飲んだと思って警戒を解きやがったんだよ! もうぱっぱらぱーって感じでさ! 飯まで食いやがって!」

「敵から夕餉を貰ったんすか? ははは、大物っすね。いやでもまあ大丈夫なのか。皆さんの命はヒルダさんが握ってるわけっすから」

「そうなんだよ! おかげで毒も盛れない!」

 今度ああいう機会があったら、逃げ出しの魔法だけに頼るのはやめにしようと私は心に誓った。

「夜は全員寝たんすか? それとも、誰か夜番を立てたとか」

「夜番ねー……。立てようかと思ったんだけど、みんな眠かったからすぐ寝ちゃった。まあ周りに鳴子と壁を張ってたから、大丈夫だろうって」

 疲労は限界に達していたし、聖獣との戦いに備えてなるべく万全に近い状態をつくっておきたかった。今思えば、あれこそが最大の失策だ。私が悔しさまじりにそうぼやくと、ハンスは一口酒を飲み、「どうでしょうねえ」と意味ありげに笑った。

「たとえ夜番を立てていたとしても、同じ結果になっていた気がしますよ」

「……」

 何も言えない。確かに夜番がいようがいまいが、聖獣を殺した「誰か」にはそんなに関係がなかっただろう。油断している人間を眠らせることなんて魔法や薬を使えば簡単だろうから。鳴子や防壁の魔法も、内側からなら簡単に解除できる。

「まあとにかく、お嬢たちは全員眠ったんすね? そして朝起きたら——」

「……うん。聖獣が殺されてた」

 あの光景は今でも忘れられない。扉が開いた瞬間、薄暗い部屋の中央、切断された聖獣の首に炎剣が深々と突き刺さっている光景。崩れかけた聖獣の瞳に光はなく、それを見た瞬間、全ての希望が断たれたような気分に打ちひしがれた。

「目を覚ましたところから、出来事を順番に教えてくれますか、お嬢」

 ハンスに言葉をかけられて、私は記憶の情景から現実に戻る。やばいやばい、また落ち込んでしまう。絶望感を払拭するように首を振り、一つ呼吸をした後、私は記憶をさらに少し遡って、あの時何が起きたのか思い出すことに集中した。

「……私はカレンに起こされたんだよ。『大変ですミルトレード、デフさんがいません』って。そう言われてすぐ、私は魔導ランタンを点けて、少し離れた場所——私たちよりちょっと扉側で寝てたはずのデフさんの姿を探したんだけど、どこにもいなくて」

 そこにはベルが大の字で寝ているだけだった。デフさんは忽然と姿を消してしまったのだ。

「それからすぐベルとヒルダも起きて。ベルが『ちょっと探してくる』って言ってデフさんを探しに一人で道を引き返そうとしたんだけど、その時炎剣がなくなってるのに気づいたんだ」

 ベルの寝ているすぐ横に置いていたはずの炎剣が、鞘ごとなくなっていた。蹴っ飛ばされててどっか転がったんじゃないかって思ってそばを探したけど、見える場所にはなかった。デフさんが持ち去ったんだろうってその時は思った。

「そこでヒルダが『あいつまさか、一人で聖獣に挑んだんじゃないだろうな!?』とか言い出してさ。炎剣を盗んだのは聖獣と戦うためじゃないかって」

「ははぁ、強欲な読みっすねえ。まあ確かに、炎剣があれば単独での聖獣退治も夢ではなさそうですが」

「いや……炎剣は取り回しがものすごく難しいって兄貴が言ってたから、炎剣さえあれば聖獣を倒せるっていうのは微妙なところだと思うよ。ベルだからこそ使いこなせるっていうか……あ、でも、デフさんならどうにかなったかもしれないけど」

 あの人の剣技は凄まじかった。ベルとはまた違うベクトルで剣を極めていた。ヒルダは剣とか使えなさそうだったね。カレンは剣術もまあできると思うけど、長杖が彼女の武器だから、専門家に比べると劣るんじゃないかな。まあそもそも聖獣がどれくらい強いのかわからないから、その辺のことはなんとも言えない。

「デフさんも相当強かったって話でしたね。それで、お嬢たちは扉を開けることに踏み切ったわけだ」

「……私としてはまだ躊躇いの気持ちが結構あったんだけどさ。ヒルダのやつが怒り心頭に達しちゃったというか」

「場の主導権を握る彼女が率先してしまっては、止めづらいっすねえ」

「そんな感じだった。けど私が『せめて聖獣との戦いの準備をさせて』って言ったら、ヒルダも従ったよ。渋々だったけどね」

 聖獣か、あるいは炎剣の使い手との戦いを控えていることには、狼狽してたヒルダも気づいていたのだと思う。ヒルダは「くそっ! 早くしろよな!」って私たちに背を向けて、でもあいつもあいつで何か準備を整えていたから。

「少し準備の時間を置いて、その後に突入っすか」

「うん。ベルとカレンが扉を無理やり押して開けて、中には——」

「ちょっと待ってください。無理やり押して開けたんすか?」

「え? あ、うん。そうだよ。開かなかったから」

「開かなかった——なぜっすか? 鍵がかかっていたとかですかね」

「いや……中から押さえられてたんだよ——ああいや、もたれかかってたって言ったほうが良いのかな? 灰になりかけていた聖獣の胴体が扉のすぐそばにあったみたいで、全然開かなかったんだ……ハンス?」

 ハンスは少し先の地面を見つめていた。彼の視線の先を見てみるけど、そこに何があるわけでもない。何かを考えているのだ。いつになく真剣な表情を見せるハンス——見慣れない顔だった。へらへらにこにこしているところしか私は知らない。

「……密室ですか……それはまた王道な……」

「なに?」

「ああいえ、続けてくださいお嬢。なかなか興味が湧いてきましたよ」

 ハンスは楽しげな目で私を見ながらそう言った。楽しげな目。まあそう思うのは当然かもしれない。当事者である私にしたって、これは摩訶不思議な出来事なのだ。当事者だから今ひとつ楽しむとか面白がるとか、そういう感情はわきにくいけど、それでも理解はできる。

 これは謎だ。

 不思議で奇妙な謎なのだ。

 謎には魅力がある。

 私が誰かに話したがっていたのも、その辺りの魅力が関係しているのだろう。

「……扉を押し開くとともに、聖獣の体が崩れてさ。灰になってずざあああって扉の間からこぼれてきて、あたりが白い埃で包まれて灰まみれになった。私はとっさに口を袖で覆ったけど、扉を開けようとしてたベルとカレンは手が使えなかったからゲホゲホ言ってた。扉の奥に入ったのは、灰が巻き起こるのが落ち着いてからだね」

「なるほど。扉の造りはどんな様子でしたか?」

「別に、特別変な仕掛けを施せるようなものじゃなかったよ。両開きで、石造りで、取手が両方についていてさ」

「ふむ。では、部屋の中はどんなでした?」

「基本的な構造は他の行き止まりの部屋とあんまり変わらない感じだったな。これといって特徴のない、四角い大きな部屋。他と違うところは、真ん中に聖獣の首が置いてあって、その首に炎剣が突き立てられていたってところだけ」

 ちなみに、鞘は首の横に置いてあった——投げ捨てられていた、って言った方が正しいかな。

「聖獣の首は灰化してなかったんすか?」

「私たちが来るまで、どうにか形は保ってた。ベルが炎剣を引き抜いた途端、ボロボロになって崩れちゃったけど」

「聖獣の守っている宝はなかったんすか?」

「どこにもなかったよ。灰の中も、みんなの荷物の中も、ヒルダが目を剥いて検査したけど見つからなかった」

「聖獣の首と胴体の間はどれくらい離れていました?」

「だいたい二五歩ぐらいかな……部屋の壁の距離が五十歩ぐらいだったから、その真ん中ってことで」

「結構離れていたんすねえ……。その死体や炎剣に何か変わったところはありましたか?」

「いや、別になかったよ。時限式の魔法とかが組み込まれてるかもしれないって思って調べたけど、魔法を使われた痕跡はなかった。術者が分身を作って中に残して密室を作って……みたいなことも考えたけど、分身の残痕もなかった」

「ふむ。死体を操って密室を作らせるみたいなことも無理と。そいで、部屋ん中にデフさんはいなかったんすね?」

「うん。あったのは聖獣の死体と炎剣だけ」

「ふむふむなるほど。出入り口の類いは一つだけっすか?」

「……うん」

 私は重くうなずく。

「壁はもちろん、床や天井にも、隠し扉みたいなものはなかった。入り口はたった一つだけ——私たちが入った扉だけだった」

 あの部屋は完全な密室だった。

 それは何度も確認したのだ。

 聖獣の死体が構成する密室。

「不思議っすねえ。その密室は今まで聞いた話と矛盾します。デフさんが聖獣を殺したとして、そこから脱出する手段を彼は持っていません」

「……そうだね」

 ほぼ全ての魔法を拒絶する地下迷宮の部屋の密室から抜け出す方法はただ一つ——「逃げ出しの魔法」しかない。だけどそのただ一つの魔法を、デフさんは封じられた状態にあったのだ。

「『逃げ出しの魔法』を使うための『魔法の印』は軒並みヒルダさんによって消されてしまっていたはずです。実際、みなさん試してみて不発に終わっている。そうでしたね?」

「うん。私もカレンもデフさんも、三人とも不発だった」

「それがわかって、お嬢はどう考えました? デフさんが何か画期的な魔法を思いついて脱出してしまった——とかっすか?」

「いや、それは流石に……一瞬考えたけど、でもちょっと都合が良すぎるからさ」

 全くありえないわけではないんだろうけれど、可能性は限りなく低い。魔法は確かに驚くべき現象を起こして見せるけれど、決して万能ではないのだ。

「私は——ってか、カレンがね、『デフさんはまだこの部屋にいるのでは』って言ったんだよ」

「というと?」

「……デフさんは聖獣を殺した後、自殺したんじゃないかって」

「自殺……ああ、そういうことっすか。でも不自然じゃないすかね?」

「不自然だけど、それ以外考えられないじゃん……」

 現に、目の前には完全な密室が存在しているのだ。対応する説明は一つしかなかった。

 デフさんが聖獣を殺し、その後で自殺する。

 自殺といってもただの自殺じゃない。舌を噛むとか首を折るとか、そういうのでは駄目なのだ。炎剣による自殺でないといけない。

 炎剣で斬られれば、それが何であろうと灰になって崩れ去る。石の怪物だろうが聖獣だろうが人間だろうが財宝だろうがなんだろうが、時間差はあれど、斬られたものは必ず灰になるのだ。

「聖獣の首を斬り、自分に致命傷を入れた後、聖獣の首に剣を突き立てて、自分は聖獣の胴体付近で息絶えて胴体の灰に紛れる……みたいな。炎剣の灰化はタイムラグがあるから、それぐらいの作業をこなすことはできると思う」

「そうなんですか。しかしちょっと不自然っすねえ。たとえ動機について目を瞑っても違和感があります。他の可能性について検討はしました? 例えば……そうですね、『地上にいた誰かがデフさんの魔法の印を書き直し、逃げ出しの魔法が再び使えるようになった』とかどうでしょう?」

「それはない。魔法の印は、本人が書かないと効果がないから」

「ああそうなんすか。じゃあ『デフさんは聖獣のいる部屋に入る前、通路の壁に魔法の印を書いておき、それを使って密室から脱出した』とかはどうですかね」

「それもない。迷宮の壁や天井や床が魔法を受け付けないって言ったでしょ? 魔法の印も魔法だからさ。迷宮の中に印は書けない」

「じゃあ、みなさんの持ち込んだ荷物なんかに書き込んだとすると?」

「荷物とか、あと車とかに印を書いても逃げ出しの魔法は発動しないんだよ。動かなそうな『場所』に書かないと駄目なんだ」

「では考え方を変えましょう。みなさんが扉を開けるまで、デフさんは中で待っていたとかどうすか? みなさんが扉を開けるのを隠れて待ち、みなさんが扉を開けた後に悠々と出ていく。なかなかありそうな話でしょ?」

「……ない。だったらヒルダが気づく」

 私は頭がまわらなかったのだが、ヒルダは扉を開ける前から、そういう可能性も考えていたようなのだ。灰が流れてきたのに乗じて、するっと抜け出るやつがいないか、魔法の眼も使って見張っていたとか。なんでそんなことをしていたんだという追求に対して、本人は「泥棒の嗜み」とかなんとか言っていた。

「そもそも、私たちに気づかれないようにあの部屋から通路に出たところで問題は何も解決しないんだよ。地下迷宮から脱出しないと餓死しちゃうんだから。それは遠回りな自殺でしょう?」

「なるほど、そうですね……ふむ」

 ハンスは少しの間考え込むように腕を組んで黙っていたけど、結局は何も思いつかなかったみたいで、「その後皆さんは、ヒルダさんの逃げ出しの魔法で地上に戻ったんすか?」と訊いてきた。

「うん。ヒルダに置いていかれるかとも思ったけど、ベルとカレンがヒルダの喉元に刃を突きつけてね。無事、四人で帰還できたよ。……当然だけど、地上にもデフさんの姿はなかった」

 まあ当然だ。彼一人ではほぼ確実に地上に戻れない。奇跡的に戻れたとしても、地上へ着くのは私たちのほうが早いだろう。

「財宝を得られなかったから、ヒルダは意気消沈してた。地上に戻って一悶着あるかと思ってたけど、あいつはとぼとぼ歩いて消えてったよ。ヒルダが立ち去ってからすぐ、私たちもタシューギを発った」

 一応、帰りにデフさんの家を覗いてみたけど、やっぱり戻ってないみたいだった。

「そうですか。帰り道は順調だったんで?」

「そうだね。盗賊に襲われることもなく——ああ、そういえばタシューギを出る前、正規の方の地下迷宮入り口のほうがなんか騒がしかったような気がしたな」

「正規の入り口っつうと、ヴェスト教の僧侶が管理してる方の入り口ですか。そこが騒がしかった? 何かあったんすかね」

「さあ……よくわかんない。人死にがあったとかなんとか……事件があったとか言ってたけど……」

 正直、その時はもう地下迷宮に嫌気がさしていて、あんまりかかわらずにタシューギを出たのだ。体の疲れは取れたけど精神面での疲れが溜まっていた。向かうところ謎だらけで、聖獣の肝も得られなかった。正直、心が折れてしまいそうだったのだ。

 謎に押しつぶされて困憊していたし、何より、私じゃ兄貴を助けられなかったんだって思うと、悔しくてさ。

「……細かいところの確認いいっすか?」

 少しの沈黙の後、ハンスが遠慮がちに問うてきた。「キャンプ設営の道具とか、四人分の食糧とか、結構持ち込む物がいっぱいあったようですが、それを入れているのは、例の鞄ですか?」

 例の鞄というのは、私の持っているヒナン製の鞄のことだろう。ヒナンという街の名高い職人が作った逸品で、見た目より遥かに多くの物が入る不思議な鞄だ。いつだったか兄貴からもらった。はじめは何より見た目がださいと思っていたのだが、今はかなり気に入っている。重さも軽減される優れものなのだが、完全に重さがなくなるわけではないので、今回の旅路ではベルに背負ってもらっていた。

「うんそうだよ。それがどうかしたの?」

「どうかしたというか……まあ、その辺は便利な魔法でどうとでもなる部分ですし、そんなに重要ではなさそうっすけどね。まあ、一応の確認です——さて」

 ハンスはベンチから立ち上がると、腕をぐっと突き上げて伸びをする。私がそれをぼんやりと見ていると彼は突然くるりと振り返り、「お嬢、しばらくお暇をいただきたいのですが」と言った。

「え?」



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