117 開かれた扉
「うっし! これで……完了!」
そう言ってライナが小型端末の画面を操作する。
途端に電子音が鳴り響き、目の前にそびえ立つ重厚なか隔壁が、ゆっくりと動き出した。
ポンプ室で一通り再会を喜び合った(?)私達は、一路中央エリアを目指して移動を開始した。
ライナが言っていた通り、ポンプ室周辺の廊下は確かに“えらい事”になっており、東側エリアの怪物が全て集結したのでは、と思える程に大量の怪物が集まっていた。
おまけに廊下のあちこちには、もはや見慣れてしまった植物細胞の肉壁が広がっており、脈動するそれらの中を通って来ると、何らかの生物の体内に居る様な錯覚を覚える。
だが、今は廊下には物音一つ聞こえない。
何故なら廊下にいる怪物は、全て死体となって転がっているからだ。
私に“掃除”を頼まれたライナは、これ以上無い程完璧にその依頼を達成していた。
私としては単に、ポンプ室に辿り着いた時に怪物の奇襲を受けないで済む様にしたいと思っただけだったんだけど……。
現在、私とライナは東側エリアから中央エリアに繋がる通路を隔てている隔壁の前にいた。
IDカードさえあれば、少々時間が掛かるが隔壁を一つ一つ開放する事も出来るという事で、手っ取り早く中央エリアに繋がっている一番近場の隔壁を開けてしまおうという話になったのだ。
なので、ポンプ室のあるエリアからここまで少々移動して来たのだが……。
私は背後の廊下を振り返り、その惨状を改めて眺める。
先程述べた様に、東側エリアの廊下は植物細胞の肉壁に覆われた箇所が多い。
その為、元々酷い有様ではあるのだが………今は壁や床に飛び散った、元怪物の残骸のせいで更に惨憺たる状態になっていた。
脳天から真っ二つにされた『花人』。
斬り落とされた両腕を、逆に自分に突き刺された『木人』。
『木人』の腕の残骸と思われる枝槍に串刺しにされ、『速贄』の様にされている『三本足』。
全身をハチの巣にされて壁に磔になった『爆弾ガエル』……。
少なくとも、ここから見える限りでは一つとして同じ死に様の怪物が居ない。
中にはどこから調達したのか、大きな四角いタイルの様な物が突き刺さり、ギロチンで斬首された様な状態の『花人』も居る。
あれ何だろう…………あ、天井の天板か。
よく見ると廊下の天井に穴が開いている。
植物細胞に覆われていない部分の天板を、無理矢理引っぺがすか何かしたんだろう。
それ以外にも壁や天井、床に文字通り『突き刺さった』状態で絶命している怪物もちらほら見られる。
何がどうなってあの様な有様になったのかは不明だが、ライナは手持ちの武器以外にもその場にある手近な物を即席の武器にする事があるので………多分、あれもそういう事なのだろう。
ともかく、ポンプ室からここまでの間の廊下は大体その様な状態だった。
何だか別の怪物が暴れた跡みたい……。
そう言えば、病院の院長室前の廊下もこんな状態になっていたな、と唐突に思い出す。
今思えば、あれもライナが戦った跡だったんだね……。
ライナが隔壁の一つを開放し終わった為、再び中央エリアへ向けて進む。
と言っても、既に廊下の先に開けた場所が見えており、あれが中央エリアなのだという事は察する事が出来た。
「あれが中央エリア? 何だか広場みたいだね」
「実際その通りみたいだな。便宜上中央エリアって言ってるけど、実際には『中央ホール』って感じのエリアらしいしな」
私達は周囲を警戒しつつ廊下を進んで行き、やがて中央エリアに足を踏み入れた。
天井が高く広々とした円形の空間は、ライナの言う通り建物のメインホールの様な雰囲気を感じる。
ホールの外周には見慣れた両開きの自動扉が設置されており、このエリアを囲む様に幾つもの部屋が配置されているようだ。
しかし、一つだけ奇妙な物が目に入る。
嫌でも目立つそれは、ホールの中心にそびえ立つ円柱状の………何だろう?
「ライナ、あの真ん中にある……塔? みたいな奴って何なの?」
中央ホールの中心に位置する場所に巨大な塔の様な物が天井まで伸びていた。
ちょっとしたビル位の大きさのあるそれは中央エリアの大部分を占めており、何か重要な施設である事は容易に想像出来る。
中央エリア内には建物のロビーの様に観葉植物なども設置されており、来所者を出迎える様な雰囲気が感じられた。
恐らく、地下研究所の入り口で見た検問所の様な場所を抜けてそのまま進んで来ると、まずこの中央エリアに辿り着くのだろう。
実際、塔の正面……地下研究所の入口の方向には、受付ブースの様なカウンターとモニターが設置されている。
何となく、外部から地下研究所にやって来た場合の導線が、この中央エリアに誘導されている様な気がする。
「ああ、あれが目的のセキュリティルームだよ。あの塔みたいな奴の中で地下研究所全体のセキュリティを管理してるのさ」
「……え、あんな目立つ所が? しかも入口正面って……」
私の中のイメージでは、セキュリティルームという物はもっとこう………その施設の心臓部の様なイメージだ。
そんな重要施設が入口から入ってすぐ目の前に、それもこんなに目立つ状態でそびえ立っているのはどうなのだろうか。
「あー……それな。あれじゃね? よっぽど入り口のセキュリティに自信があるとか、外からの客に対する見栄とか……」
そんな馬鹿な、と一瞬思ったが、サイディスの事だし………否定は出来ない。
素人目に見ても、施設の弱点が丸見えの様な気がするけど……。
ライナと共に、ホール中央のセキュリティルームへと近づいて行く。
中央エリアは他のエリアから完全に隔離されていたせいか、比較的綺麗な状態だ。
とはいえ、あくまでも“比較的”である為、あちこちに血痕だったり銃弾の痕だったりが残ってはいるのだが。
それでも、ブルーフィリアに浸食され、グロテスクな緑の肉塊に飲み込まれていた他のエリアに比べれば、ずっとマシと言える状態だ。
「『会議室』……『レクリエーションルーム』………何だか、研究とは関係ない部屋が多いね」
「実際そういう………何て言うんだ? 事務関係? の部屋が集まってるみたいだな。……実際、外向けのエリアなんじゃないか?」
それぞれの部屋に表示されたネームプレートを見る限りでは、一般企業のオフィスビルの様な部屋ばかりだ。
……実際にやっている事は断じて一般企業ではないけど。
「さて、ここだ。IDカードがあればここは普通に……」
そう言いながらライナはセキュリティルームの扉……丁度、受付カウンターの裏にある自動扉に設置されたカードリーダーを調べる。
この周辺は特に銃弾の痕やら血痕やらが多く、激しい戦闘があった事が分かる。
「このエリアは比較的綺麗だけど、この塔の周りは何だか……戦闘の痕みたいなのが多いね」
何の気なしに、ぽつりとそう言葉にする私。
すると、ライナが若干気まずげに頬を掻いた。
「あー…………すまん、それ俺だわ」
「え?」
予想外の返答に思わずライナの顔を見る。
そんな私に対して、ライナはバツが悪そうに経緯を話してくれた。
「前にこの地下研究所に潜入した時は、街の異変のせいで大混乱とはいえまだ警備が居たんだ。けど、既にその時には研究所内に怪物が現れて暴れてたみたいでな、セキュリティルームに残ってる人間は少なかったんだよ」
本来なら各エリアに設置された警備室に詰めている警備兵がトラブルに対処するそうだが、当時はそれだけでは人手が足りない様な状況だったらしく、中央エリアの警備兵も殆どが出払い、最低限の人数しか残っていなかった。
それを見たライナはこの状況を好機と判断し、人員が減ったセキュリティルームを襲撃したのだという。
「えっと、あの………正面から乗り込んだって聞こえるんだけど……?」
「うん、正面から乗り込んだぞ。中に残ってたのはせいぜい10人位だったしな。流石に中の機械を壊されちゃまずいと思ってこっちは銃は使わないで短剣一本で行ったってのに、あいつら普通にぶっ放してきやがってさぁ……」
……などと、不満げにそんな事を言うライナだが、普通、周囲が大混乱に陥っている状況で別の脅威が奇襲を掛けて来たら、形振り構わず応戦するのは当然だと思う。
……と言うか、短剣だけで銃を持った相手を10人以上相手にしたの?
「だからもしかしたら中央エリア自体に結構な数の怪物が居るかなって思ったんだけど………この中も含めて、意外と居ないな?」
呆れ顔の私に気付かず、ライナは話を続けつつカードリーダーにIDカードを通した。
短い電子音が響いた後、カードを読み取ったセキュリティルームの自動ドアが静かに開いた。
ライナが言う通り、扉の向こうのセキュリティルーム内には怪物の姿は無く、あるのは自動的に動作していると思われる何らかのモニター類だ。
各モニターの前には回転イスがそれぞれ置かれているが、そこには誰も座っていない。
ただ、全ての椅子にべっとりと血の痕が付いているのは共通していた。
「……全く居ない訳じゃないみたいだよ。上の階から気配がするし」
部屋の内部にライナと共に足を踏み入れた私は、室内を見渡した上でライナにそう告げた。
セキュリティルームは1階と2階があるらしく、1階の左右の壁際に上へ上がる為の階段が設置されている。
水中実験室を思い出す構造だが、あの部屋とは違って吹き抜けになっていない。
1階の部屋の中央と壁際には幾つものモニターが設置されており、何処かの監視カメラの物と思われる映像が無数に映し出されている。
見た所、地下研究所だけではなく地上の研究所内の様子もモニタリングしているらしい。
「上に? 何でこれから行く先にはしっかり居るんだよ……」
ライナが嫌そうに溜息を吐く。
どうやら目的の緊急セキュリティシステムの解除装置は2階にあるらしい。
確かに、目的の場所に陣取って待ち伏せしている怪物達が居るとなれば、周囲の機械を壊さない様に立ち回る必要がある為厄介だ。
……しかし、心配する必要は無いだろう。
「ええっと……行けば分かると思うけど、多分大丈夫だと思うよ。この気配は覚えがあるし」
私はライナにそう言って部屋の階段へ向かう。
2階から感じる気配は覚えがあるだけではなく、既にこちらに気付いているにもかかわらず動きが一切無い。
私は、この反応に心当たりがあった。
「あ、おい、操?」
珍しく少し慌てた様な声を上げたライナが後ろから付いて来る。
特に警戒せずに階段を上がって行くと、そこは何と言うか……指令室の様な部屋になっていた。
部屋の外周を囲む様に無数の端末が並び、部屋の中央には一段高くなった場所に玉座の如き椅子が設置してある。
そして、部屋の正面には巨大なスクリーンに地下研究所全体の見取り図が表示され、その周囲には研究所内の様子を映すカメラの映像が並んでいる。
スクリーンには幾つものパラメーターが浮かび上がっているが、そのどれもが緊急事態を告げる様に真っ赤に染まり点滅していた。
そして、そんな室内のモニター前に設置された椅子や、部屋の中央の椅子には………植物園や警備室で見た様な、緑と青が混じった肉塊が鎮座し、触手を揺らめかせていた。
「……何だこいつ? 攻撃して来ないのか?」
ライナが触手を揺らして威嚇するだけの肉塊を目にして怪訝そうに呟く。
それでも警戒心は解いていないようで、一応銃は向けている。
「寄生に失敗したか何かした怪物……『眷属』らしいの。こっちには何もして来ないから無視して」
「ええ……? 大丈夫なのか? いきなり巨大化して襲って来たりしない?」
ライナがそう言いつつ、短機関銃に取り付けたサプレッサーの先端で肉塊を小突く。
肉塊は特に様子は変わらず、相変わらず触手を逆立てるだけだ。
「……放っておいてあげて。彼らはもうこれ以上どうしようもないから。……必死に生きているだけなんだよ」
私も、こちらに危害を加えて来るなら容赦するつもりは無い。
しかし彼らは既に『生きているだけ』の状態であり、それこそ極普通の花と同様の存在だ。
それに植物園で見た光景を考えると……彼らの命も後僅かなのだろう。
「まぁ、邪魔になんないなら良いさ。……つーか、こんな状態って事はこいつら、やっぱり何か異常が起きてるんだな」
ライナは肩を竦めつつそんな事を呟く。
実際、ブルーフィリアの怪物全体で加速度的に何らかの異常が広がりつつある様に感じる。
この肉塊達も、単に寄生に失敗しただけではなく、肉体的な機能が正常に働かなかった為にこうなった可能性があった。
「『最初の一輪』の劣化クローン……らしいからね、私達は。ただ劣化して弱体化して行くだけなら正直な所、放っておけば最後は死んでしまうだけだと思うんだけど……」
「……ブルーフィリアの最大の特徴は環境適応能力……だよな。いきなり何か訳の分からない進化して、手の付けられない能力を持った奴が生まれかねない……か」
ライナも私と同様の懸念を抱いている様だ。
『最初の一輪』にしてもそうだが、このまま街中に蔓延ったブルーフィリアがただ死滅して行くだけとは思えない。
やはり、イレギュラーな進化を遂げた個体が現れる前に、『最初の一輪』を止める必要があるだろう。
「はい、ちょっとごめんなさいよっと………ああ、これだこれだ」
ライナが部屋の中心に位置する玉座の様な席……恐らく指令席の様な役割と思われる椅子に近付き、備え付けられた端末を操作する。
指令席の椅子の上には例の肉塊がウネウネと触手を揺らしながら鎮座しているのだが、ライナが椅子に付いたスイッチを操作すると、そのまま椅子ごと後ろに退けられて行った。
肉塊付きの椅子を背後に押しやると、ライナは指令席の端末を操作して何らかの画面を呼び出した。
恐らく緊急セキュリティシステムの制御プログラムなのだろう。
「よし……行けるな。後はこれでIDカードの認証をして、緊急セキュリティシステムを解除すれば、地下研究所全体の隔壁を一斉開放出来る」
「その場合、隔壁で隔離されてたエリアも開放されるから、中に閉じ込められてた怪物が居たら、そいつらも自由になっちゃうんだよね?」
地下研究所は非常に広大である為、今だに足を踏み入れられていない場所が幾つもある。
そこには特定の区画に隔壁によって閉じ込められていた怪物が潜んでいる可能性が高い場所もあり、隔壁の全開放はそうした存在も自由にしてしまうリスクがあった。
「ああ、だけど、真っ先に俺達を襲撃して来るって訳じゃないだろうしな。システムの解除直後に、真っ直ぐ最重要機密区画に向かえばそうそう出くわさないと思うぜ」
私達が居る中央エリアから目的の最重要機密区画に向かうには、北側の通路を通って以前通過した連絡路兼用の休憩スペースを抜け、植物園の入り口を正面に東へ向かえばいいらしい。
そう言えば、植物園を出てすぐの廊下は東西に廊下が伸びていたが、どちらも隔壁で封鎖されていた。
あの時の廊下を東に進んだ先に、最重要機密区画の入り口があるのだそうだ。
「ただ問題は、研究所自体がこの有様なんで、システムを解除してもすぐにまた異常が検知されてセキュリティが再起動しちまう事なんだ」
ライナがそう言いつつ正面のスクリーンに並んだアラート表示を指し示す。
ずらりと並んだアラート表示は、数えるのも億劫な程に積み重なっており、確かにこれを検知したらシステムが即再起動してしまうだろう。
「じゃあ、どうするの?」
「俺が組んだジャミングプログラムでシステムを誤魔化すのさ。ただ、即席で作ったPCで組んだハリボテみたいなプログラムなんで、そう長い事誤魔化してはおけない。……だから、システム解除と同時にプログラムが起動する様にしといて、機密区画に向かって全力ダッシュ! ……って感じだな」
何とも慌ただしくなりそうな対処法だが……後は目的地に辿り着けば良いだけなのだから、問題ないのかな。
……と言うか、いつの間にそんなプログラムなんて作ったんだろう?
「……なら、途中で怪物と鉢合わせしない様に祈っておくね」
全速力で研究所内を走り抜ける私とライナの姿を想像し、思わず苦笑する。
仮に本当に途中で怪物と遭遇した場合は、相手にせず足止め程度にしてやり過ごす方が良いだろう。
「はは……。あんまりデカいのが出て来ないと良いけどなぁ」
そんな事を言い合いつつ、私達はいよいよ最重要機密区画への侵入を果たすべく、それぞれ準備を進めるのだった。
「さてと……それじゃ、行くぞ?」
「うん」
ライナの組んだプログラムのインストールも完了し、後はIDカードをカードリーダーに通して権限の認証を行い、セキュリティシステムの解除を実行すれば良い。
そうしたら今度は『全力ダッシュ』である。
私も銃に弾を装填したりして、いつでも走り出せる様に準備を整えた。
そして、ライナがIDカードを端末に通す。
正面のスクリーンに緊急セキュリティシステムを解除するかどうかの確認画面が表示され、ライナが端末を操作してシステムの解除を実行した。
直後、スクリーンに表示されていた地下研究所の全体マップ内の、隔壁で閉鎖されていたと思われる箇所が点滅し出す。
すると、索敵の為に使用したままにしていた『探知』の感覚越しに、中央エリア周辺の隔壁が一斉に開いて行くのが感じ取れた。
「うし! 特に問題無しだ。システムを誤魔化せている内に行こうぜ」
「うん。中央エリアの周りの隔壁もちゃんと開いたみたいだから、怪物が来ない内に急ごう!」
ジャミングプログラムが問題無く動作している事を確認し、私とライナは足早にセキュリティルームを後にする。
中央エリアのホールに出た所で改めて周囲を『探知』してみると、怪物の気配がこちらに向かって来る様な事は無かったが、どこかざわついた様な空気が漂っていた。
「……こっちに向かって来る怪物は居ないけど、流石に研究所全体に変化が起きて騒いでるみたい」
「なら今の内だな。見つからない内にとっとと移動だ」
ライナの言葉に同意しつつ、私は中央エリアのホールを北方面へ走った。
中央エリア内は比較的怪物に荒らされた形跡が無く、怪物その物も見当たらない為、通り抜ける事は特に難しくない。
しかし、中央エリアを北へ抜けて進んだ先と言えば、以前私が植物園でIDカードを入手した後に通った連絡路兼休憩スペースとなっていた広い廊下だ。
前回あそこを通った時には、倉庫街で戦った『双子』と同種の怪物に襲われた。
その『双子』自体は排除したので既に居ないが……また何か、新たな怪物が出現していないだろうか?
どちらにしろ、警戒はしておいた方が良いだろう。
ホールと休憩スペースを隔てる扉の前までやって来る。
この扉の向こうが、以前休憩スペース側から目にした隔壁の裏側の筈だ。
ライナが緊急セキュリティシステムを解除した事で隔壁は開放されている筈だが、それでもこの休憩スペース内は一際ブルーフィリアが繁殖していて花やその一部である枝葉・蔦・根で埋め尽くされている。
簡単に通過出来るかどうかは未知数な所がある。
「……ライナ、この先は前に来た時はブルーフィリアに廊下が埋め尽くされた状態だったから、もしかしたら怪物が居るかもしれない」
「……そうか。まぁ、さっきから何か、青っぽい様な匂いがするからな……花が繁殖してるんだろうとは思ってたけど」
ライナに注意を促すと、そんな答えが返って来る。
……ん? 青っぽい匂い?
「……あれ? 本当だ……。前はこんな匂いはしてなかったと思うんだけど……」
以前休憩スペース内を通った際、大繁殖したブルーフィリアの存在のせいか、空気自体が淀んだ様な独特の雰囲気は漂っていた。
しかし、まだ開けていない扉に近付いただけで感じ取れる程の強い匂い……青臭い様な香りが漂ってはいなかった筈だ。
「………」
「………」
私とライナは顔を見合わせると、無言で扉の両脇に素早く移動した。
お互いそれぞれに銃を構えてから頷き合うと、自動扉のセンサーを反応させて扉を開く。
特に何かに引っ掛かる事も無く自動扉が開いたのを確認し、数秒間を置いてから二人同時に扉の向こうへと走り込んだ。
「げっ……」
「うっ……」
扉を抜け、連絡路兼用の休憩スペースへと足を踏み入れた途端、私とライナは思わずそんな声を漏らしていた。
―――繰り返しになるが、休憩スペース内は前回通った時にはブルーフィリアが壁や天井に大繁殖して花や蔦を伸ばし、全体を覆い尽くさんばかりに室内を侵食した状態だった。
明かりすら飲み込んだその光景はジャングルの中に迷い込んだかと錯覚する程異様な光景だったのを覚えている。
しかし今、目の前の休憩スペースに広がっているのは………植物とすら言えない何かが、溶け崩れて泡立っている異様な光景だった。
植物細胞で構成された肉塊が壁等にこびり付き、血管の様な部分がどくどくと脈打つ光景はこれまでにも植物園などで目にして来た。
しかし、今目の前で起きているのはそういった光景ではない。
かつてブルーフィリアであっただろう物体が溶け崩れて床に広がり、僅かに光を放ちながらボコボコと泡立っているのだ。
これまで見て来た肉塊の壁に覆われた状態が生物の体内なら………これは一体、何の中なのだろうか?
「………どうなってんだ、これ……」
「…………このブルーフィリア達、『光脈』を感じない。この部屋の中の『花』達は……もう死んでるんだ」
休憩スペース内にあれ程蔓延っていたブルーフィリアだが、あの時既に瀕死と言える程に内包する『光脈』が微弱だった。
しかし、だからと言ってこれ程急激に死に至るとは………私も思っていなかった。
一体彼らに何があったのだろうか?
「………まぁ、それならそれで好都合だ。今の内にさっさと抜けちまおう。………これ、一応触らない方が良いよな?」
そう言ってライナが足元の液状化してしまったブルーフィリアだった物を指し示す。
粘性を帯びたそれは時折ごぼり、と泡立つとすぐに萎んで行くが……よく見ると、段々その体積を減らしている様に見える。
「そう……だね。何があるか分からないし………念の為、避けながら進もう」
具体的にどんな現象がこの場に繁殖していたブルーフィリア達に起きたのかが分からない以上、触らぬ神に……と言うやつだ。
私達は溶け崩れて天井からも落下して来ている液状のブルーフィリアを避けつつ、休憩スペースを北に抜けて行った。
『液体』が無い通路を足早に駆け抜ける間も、周囲からはびちゃびちゃごぼごぼと不快感を煽る音が常に響き渡っている。
今の所私達に実害は無い、無いが…………精神的な部分では大分ダメージを受けている気がする。
「………」
「………」
二人そろって無言かつ駆け足で休憩スペースを通過して行く。
余所見をしていると思い切り『液体』を踏んでしまいそうなので、周囲の警戒は怠らない。
やがて、何事も無く休憩スペースを抜けて植物園入り口の正面まで辿り着く事が出来ると、私とライナはどちらともなく顔を見合わせて盛大に溜息を吐いた。
「……SFホラー系のオバケ屋敷だっけか? ここ……」
「ある意味ではそうかもね……」
逆に何も出て来ないのが、却ってメンタルを削られた気がする。
愚痴を零した後、私達は再度顔を見合わせて苦笑いを交わし合った。
……とりあえず、今見た物は忘れよう。
後で嫌でも思い出す事になりそうだけど……。
「それでライナ。……ここなの?」
精神的ダメージから立ち直った私は、植物園入口横の、以前は隔壁が下りていた東側の通路前に近付く。
方角的には東側エリアの方へ伸びている廊下の様に見えるのだが、実際には隔壁の向こうはすぐに大きな両開きの自動ドアになっていた。
これまでにも何度か目にしたID認証が必要なタイプであり、扉の横には認証用の端末が設置されている。
「ああ、そうだ。正確には最重要機密区画に入る前の検問所……に入る為の認証扉だな。この向こうが例の『銃座にょきにょきハチの巣ゾーン』だよ」
「うえ……大丈夫なの?」
そう言えばそんな事も言っていた気がする。
今の私なら、小銃弾位なら『翅』などを使えば防げると思うが……。
「そうならない様にこれで迎撃システムを解除するのさ」
そう言いつつライナは扉の横にある端末を操作し始める。
キーボードをカタカタと打ち込み、タッチパネルを幾度か操作すると、画面にIDカードの提示を求める文字が表示された。
ライナが端末に付いているカードリーダーに通すべく、ポケットからIDカードを取り出す。
何ともあっさりしたものだが……これでいよいよ目的地に入る事が出来る。
私はそう考えて、扉の方に近付こうとした。
その時。
「!?」
突然、物凄い力で右手を引かれる。
何が起きたのか一瞬理解が出来なかったが、即座に敵の攻撃かと考えて臨戦態勢を取ろうとした。
しかし次の瞬間、腕を引かれた自分が今居る場所が、ライナの腕の中である事に気が付いた。
「え、あ、ちょっ、ら、ライナ!?」
突然の事態と早業に再度気が動転してしまう。
しかし、慌てふためく私とは対照的にライナは冷静な表情だった。
そして、人差し指を自分の口の前に立て、私に対して声を出さない様にジェスチャーで伝えて来た。
いきなりどうしたと言うのだろうか?
ライナの表情に変化は無いが……その表情が若干険しい事に、私は漸く気が付いた。
「ッ……!?」
次の瞬間、今まさに開けようとしていた扉の向こうから、連続した轟音が鳴り響いた。
――――銃声だ。
凄まじい勢いで廊下に響き渡る音は、恐らくこの扉の向こうにあるという迎撃用の自動銃座の発砲音だ。
あまりの連射速度に轟音が轟き続けている様にすら聞こえるが、どうやら銃座は複数台存在しているらしい。
「何なの一体……!?」
「わかんねぇ。……けど、ちょっと様子見だ」
どうやらライナは直前に扉の向こうで異常が起きた事を察知し、咄嗟に私を庇ってくれたらしい。
扉自体は特に破損していないし、そもそも扉に銃弾が当たった様な様子も無い為、杞憂で済んだようだが……万が一という事もあったかもしれない。
目的地に近付いた事で気が緩んでいたかもしれない。
『探知』も休憩スペースを通り抜けてからは使用していなかったし……もっとしっかりしないと。
……などと自分を戒めてはいるが、ライナに抱き留められた事で、私の頭の中は雑念でぐるぐるしていた。
(これは緊急時、緊急時だから仕方ないの!)
そうして私は鳴りやまぬ銃声の中、内心盛大にどぎまぎしつつも、ライナの腕の中で事態の推移を見守るのだった。
その時、唐突に銃声が止んだ。
正確には銃声の数が急に減って行ったのだ。
迎撃システムが作動を停止したのかと一瞬考えたが、同時に破壊音が聞こえた様に思えるのは気のせいではないだろう。
そして全ての銃声が止み、再び周囲を静寂が支配する。
――――かに思えた。
―――ドゴォォォンッッッッ!!!!!
私とライナが居る扉のこちら側まで衝撃が伝わって来る凄まじい轟音が廊下に響き渡った。
比喩でも何でもなく地響きが地面を伝って体に届く。
何か途轍もなく強力な衝撃が周囲を揺らしたのだと認識すると同時に、この向こうで起きている事が凡そ予想出来た。
そして、何か巨大な物が、同じく質量の大きな金属製の何かに激突した様なその音を最後に、今度こそ本当に周囲に静寂が戻ったのだった。
「………」
「………」
今だに私を庇う様に抱き留めるライナの顔を見上げる。
先程と変わらず、ライナは無言のまま扉の向こうの様子を物音から探っている様だ。
と、私の視線に気づいたのか、ライナがこちらを見た。
私は先程ライナがやったのと同じ様に、人差し指を口の前に立てると、次いで自分の胸に手を当ててから、扉の方を指さした。
「………」
私のジェスチャーを見て、ライナはほんの僅かに考える素振りを見せた後、小さく頷いた。
『私に任せて』という、私の無言のメッセージが伝わったようだ。
私はその場で意識を集中すると、『探知』の能力を使用した。
『光脈』の消耗を抑える為にいつもは一瞬だけ『波』の様に放つだけの『光脈』を、一定量放出し続ける。
こうして放出し続けると『光脈』の消費が増えるのだが、その代わりに近場であれば壁の向こうも透過して物の位置や動きをリアルタイムで感知出来る。
そして当然、そこにブルーフィリアの『眷属』が居れば、即座にその存在を把握出来るのだ。
「……大丈夫。もう何も居ないよ」
探知での索敵を終え、私はライナにそう告げた。
もう何も居ない……という事は、先程までは何かが居たという事。
ライナもそこは予想していたのだろう、小さく溜息を吐くと複雑そうな表情で呟いた。
「……はぁ……。様子、見てみるか……」
私とライナは目配せを交わし合うと、それぞれ銃を構えて扉の両側に移動する。
ライナは扉横の端末のカードリーダーに再度IDカードを宛がうと、もう一度私と視線を交わした。
その視線を受け私も大きく頷く。
それを見て一呼吸置いた後、ライナはIDカードを端末に通した。
ピッ!という電子音が鳴ると共に扉が音も無く開く。
同時に、私とライナはそれぞれの銃を構えながら、扉の中へと飛び込んだ。
真っ先に目に入ったのは………壁だ。
いや、壁というよりは……バリケード、だろうか?
考えてみれば、本来は扉を開けた先は例の銃座に設置された無人機銃がこちらに銃口を向けた状態な筈であり、そのまま機銃が発砲すれば銃弾が扉に着弾、或いはそのまま貫通してしまうかもしれない。
恐らくこのバリケードは、そういった二次被害を防ぐ為の物なのだと思われる。
突然目の前に壁が出現して面食らっている私に対し、ライナが手振りで指示を出して来た。
バリケードは扉の前に壁として設置されているが、その両側はバリケードを迂回して進む為にスペースが開いている。
ライナは右から、私は左からバリケードの向こうへと進もう……という事らしい。
私はライナに頷きを返すと、散弾銃を構えて左からバリケードを回り込んで行く。
特に何かが潜んでいるとかそういう事も無くバリケードを通り過ぎると、漸く開けた場所に出た。
そして、先程の銃声の嵐が齎した光景が視界に入って来る。
「……酷いね、これは」
あの銃声からして最重要機密区画前の廊下はボロボロだろうと当たりは付けていた。
そして実際、廊下は床や壁、天井すらも撃ち込まれた銃弾によって穴だらけの状態であり、床には発砲の際に落ちた空薬莢が無数に散らばり、迂闊に歩けば足を滑らせてしまいそうだ。
だが一方で、そんな大量の銃弾と薬莢をバラ撒いた筈の無人機銃は廊下には見当たらなかった。
ライナから事前に聞いていた話では、侵入者または襲撃者があった場合に件の無人機銃を設置した銃座が床からせり出して来るとの事だった。
なので、最初は迎撃の必要が無くなった為、元あった様に床に引っ込んだのかと思ったのだが……。
「……あーあ、こりゃひでぇ。何をどうしたら金属の塊をこんな風に丸められるんだ?」
そう言いながらライナが床に落ちている金属の塊を足で蹴った。
それは間違いなく、元はこの場所にあった筈の無人機銃だった。
ライナの言う通り、何をどうしたらああなるのかは不明だが……銃座ごと根元から引き千切られたうえ、グシャグシャに丸めて放り捨てられていたのだ。
バリケードの前からその姿は見えていたのだが、近付いて調べてみるまでそれが例の銃座だとは思いもしなかった。
銃座があった場所の床には穴が開いたままになっており、引き千切られた根元の支えの部分からはバチバチと火花が散って白い煙が上がっている。
先程探知で扉の向こうから廊下を確認した時には既にこうなっていた事から、ここで暴れた『何か』は一瞬でこれらの銃座を破壊した様だ。
「……なぁ、操。俺、ここで暴れたっぽい怪物に心当たりがあるんだけど」
「……うん、私も。……入り口の昇降機を壊した奴だよね?」
二人で顔を見合わせて溜息を吐く。
地下研究所に侵入を果たして以降、ぷっつりと行方を晦ましていた『先客』。
地下研究所入り口の昇降機の一部を破壊し、昇降機の故障、ひいては落下を引き起こした元凶だ。
最初の昇降機周りの痕跡以降、一切音沙汰が無かったが、ここへ来て初遭遇となってしまった……かもしれない。
勿論全く関係ない怪物の仕業である可能性もあるが、それはそれで厄介な話だ。
「昇降機を力尽くで破壊してた事と良い……随分と力が有り余ってる奴みたいだね」
「そうだな……それに、これだけ銃弾を撃ち込まれても血の一滴も流してないぞ。硬いのか素早いのか分からないけど、戦うとしたら面倒臭そうだな……」
確かにこの廊下は、先程ライナが言っていた様に検問所の様になっており、最重要機密区画に入る為の扉の前に無人機銃を搭載した銃座が計4台設置されていた。
グシャグシャに丸められてしまっている為、はっきりとは分からないが、銃座に設置された無人機銃には軽機関銃が組み込まれていた様だ。
つまり、小口径とはいえライフル弾を雨霰と打ち込まれてなお例の『先客』は、無傷で4台の銃座を破壊して検問所を通り抜けて行ったという事になる。
――――そう、通り抜けて行ったのだ。
「………戦わずには、済みそうにないよね」
「………そうだな、面倒だけど、仕方ない」
心底嫌そうな顔で肩を竦めるライナ。
しかし、彼も分かっているのだ。
今、私達の目の前には、最重要機密区画の入り口と思われる大扉がある。
その大扉は隔壁程の強度は無くとも、人間に破る事などとても出来そうに無い頑丈な造りをしていた。
しかし、そんな大扉に、今はぽっかりと大穴が開いているのだ。
巨大な何かが扉を突き破って行ったのだという事は、嫌でも理解するしかない。
つまり――――この先に、『これ』が居る訳だ。
「………行こう。後ちょっとだよ」
「……了解。もうちょっと楽させてくれても、罰は当たらないと思うんだけどなぁ……」
ライナのそんな愚痴に、私は苦笑いを浮かべた。
……あと少しでこの研究所へやって来た目的を果たす事が出来る。
しかし同時に、目の前の惨状を引き起こした何者かとの戦闘は避けられない。
ゴール手前で盛大に横槍を入れられる形となって滅入る気分を、私は何とか奮い立たせるのだった。