卒業式で泣く奴の浅さ
ブラマヨ吉田さんの著書『黒いマヨネーズ』にあったタイトルです。
『卒業式で泣く奴の浅さ』に付いて吉田さんは
未来の事を考えたら泣いてる場合ちゃうやろ。今しか見れてない奴らや。
的な事を書いてましたが、それは昔で、今の吉田さんの解釈は
めったに食べれない高級料理を彼らは味わって食べた。俺はサッと食べた。それだけの話。
と詩人っぽく締めてました。今の吉田さんは泣く人に対しても肯定してる。
僕の考えは卒業式で泣こうが泣くまいがどっちでも良い。
泣く人は学校に思い入れがあった。
小、中、高、大と泣かなかった僕には彼らほどの思い入れは無かった。
あと、笑ってたかったのもある。
しかし、会社の上司で考えたら、個人的には泣かなかった人であってほしい。
ただ、条件がある。
泣いてそうやのに泣かなかった人だ。
無愛想な『この人泣いてないやろな』って人が予想通り泣いてないのはダメ。
上司であってほしい順番で言うと
泣いてそうで泣いてない>泣いた>泣いてなさそうで泣いた>泣いてなさそうで泣いてない
泣いてそうで泣いてない…ひいき目無しで見る
泣いた…好き嫌いのひいきがヒドい
泣いてなさそうで泣いた…基本ドライだが、困ってたら助けてくれる。普段は冷たい
泣いてなさそうで泣いてない…人間的魅力に乏しい。人の事を考えてなさそう
卒業式で分かる人の上に立つ器
完全に主観です




