【07】何者
ぼくは仲間たちの死の哀しみを乗り越え、四つ辻を離れる。ミレアが走り去った方へと向かった。
ギンベも、ブラウンも、最高の仲間だった。
ブラウンに関しては、ミレアの事で酷い裏切りもあったが、それでも彼の事は尊敬していた。
死んだ彼らのためにも、何としても生還しなくてはならない。ぼくの愛するミレアと共に……。
その強い想いを胸に、格子状に配置された通路を進み、やがてぼくは地下墓地の中央にある玄室の入り口前に辿り着く。
その室内には緑色の光がぼんやりと浮かんでおり、沢山の石棺が並んでいるのが見える。
当然、緑色の光はミレアの魔法の明かりだろう。
ぼくは入り口から、彼女に声をかけようとするが……。
「今、何か音がしたぞ……」
ジョンソンの声だ。彼の事をすっかりと忘れていた。 ゴブリンとの戦いで恐慌を来たして逃亡し、偶然にもミレアと遭遇してしまったのだろう。
ぼくは思わず、入り口の近くにあった棺の影に屈み込んで身を隠してしまった。
「また……あの男かも」
ミレアの怯えた声。棺の影から顔を出し、こっそりと様子を窺う。
すると緑色の光に照らされたミレアとジョンソンのふたりが見えた。棺の蓋の上に並んで座っている。
「……大丈夫。兎に角、みんなと合流しよう」
「うん……」
ぼくは顔を引っ込める。
ここは、すぐに立ちあがって、ふたりの元に歩み寄り『やあ、ミレア、ジョンソン、無事だったのか。良かった』と声をかけるべき場面だったはずだ。
でも、なぜか身体が動かなかった。
それは、何かの予兆だったのかもしれない……。
ともあれ、ぼくは、こっそりとふたりの様子を窺う。
ジョンソンがミレアの金髪を手ですいて整えていた。いやらしい手つきに思えた。
「大丈夫……大丈夫……」
「怖い……私……怖い」
ミレアがジョンソンの胸に顔を埋める。
ジョンソンがミレアの肩を抱く。
「大丈夫だから……落ち着いて」
その瞬間、ぼくは気がついてしまった。
ジョンソンの右手首に、あるべきものがなかった。
そうだ。あの彼の象徴でもあった魚の刺青だ。
魔法の明かりに照らされた彼の右手首には何もない。
どんなに目を凝らしてみても、魚の刺青は見当たらない。夢や幻などではない。
ぼくの脳裏に恐ろしい想像が膨れあがる。
ひょっとして、あれは、ジョンソンではないのかもしれない。
ジョンソンの姿をした別の何か。
彼が不気味な男……。
ジョンソンに成り変わって、ミレアを手に入れようとしている。
本物のジョンソンは、すでにやつに殺されてしまったに違いない。
ぼくはこっそりと腰の矢筒を探り、
弩に矢をつがえようとした。
「あれ?」
しかし、矢は一本も残っていなかった。どうやらゴブリンとの戦いで撃ちつくしていたらしい。一本だけ残しておいたつもりだったが数え間違えたようだ。
仕方がないので、ぼくは空の矢筒を外して弩と共に地面に置く。腰の小剣を静かに抜いた。
四つん這いになって、玄室に並んだ棺桶の影に隠れながらふたりの元に近づく。
「立てるかい?」
ミレアが目元をぬぐいながら頷く。
ふたりが立ちがった。
ゆっくりと玄室に並んだ棺の合間を歩き、出口へと向かおうとする。
そして、ふたりがぼくの隠れていた棺の脇を通り過ぎた。
それと同時にぼくは飛び出して、ジョンソンの……いやジョンソンの姿をした不気味な男に、後ろから切りかかる。
「うわあああああっ!!」
小剣を肩甲骨の間に突き立て、のし掛かった。
ミレアの悲鳴が轟く。
やつはたまらず膝を折り、前のめりに倒れ込んだ。
ぼくはそのまま、やつの腰に馬乗りになって小剣を何度も何度も突き立てた。
背中、肩、延髄、後頭部……。
矢鱈滅多らに、刃を突き立てて振りおろす。
返り血が吹き出し、はね跳ぶ。
「死ねッ! 死ねッ! 貴様が偽者だっていうのは、わかっているんだッ!!」
ミレアが何かの言葉を口にしていた。しかし興奮しきっていたぼくには良く聞き取れなかった。
「貴様が本物のジョンソンだというならば、右手首を見せてみろッ! 右手首を見せてみろぉおおおッ!!」
そこで、やつがぐったりとして呼吸をしていない事に気がつき、ぼくは腰を浮かせた。
うつ伏せに倒れ込んでいたやつの身体を裏返す。
やつを良く見ると、その顔はジョンソンではない別人のものに変化していた。
不気味な男の正体だ。
「ほら見ろ、ミレアッ! こいつやっぱり、ジョンソンじゃあない。こいつが不気味な男だ」
そう言って、ミレアの方を向いた、そのときだった。
ぼくの顔にミレアの持っていた長杖の尖端が押しあてられる。
「ミレア……?」
その瞬間、長杖の先から炎が吹き出る。視界が乳白色に染まった。
炎の術だ。彼女が口にしていたのは呪文の詠唱だったのだ。
「うぎゃあああああぁぁぁっ!! ミぃいいレぇええアぁああああっ!!」
ぼくは顔面をかきむしりながら膝を突き、のたうち回る。
ぬかるんだ地面に顔面を擦りつけて炎を消す。その間にも、ミレアの足音が遠ざかって行く。
ぼくはよろめきながら立ちあがり、彼女のあとを追う。
「ミレア……ミレアぁ……違うんだ。ぼくは君のために……どうして、わかってくれないんだ……」
顔面の痛みを堪えながら駆ける。
足音を頼りに彼女を追いかける。
そして、あのゴブリンたちの群れとの四つ辻に辿り着くと……。
「ねえッ! しっかりしてッ! ねえッ!!」
ミレアがブラウンのかたわらにしゃがみ、必死な顔で彼の身体を揺すっていた。
「無駄だよ、ミレア……」
彼女が顔をあげてぼくの方を見た。
「……もう、息してないよ。君の好きだった人は。だから、ぼくと、結ばれようよ……」
その言葉をかき消したのは、彼女の絶叫だった。
「五月蝿いな……ぼくが大きな音が苦手なのは、知ってるだろぉ? ミレアぁああ……」
「やめてッ! 来ないでぇえええッ!!」
彼女は悲鳴をあげて立ちあがり再び駆け出す。
ぼくはミレアの背中を追いかける。
そうして、地下墓地を抜け出し、あの陰気な沼地の畔に辿り着いた。
辺りはもう闇夜に沈み、表も中も変わらなかった。
ただ、冷たい空気の流れと遠くで聞こえるふくろうの鳴き声。
そして、ミレアが入り口の前の泥濘に足を取られて転ぶ。
ようやく追いついたぼくは、彼女の右腕をつかんで無理やり立ちあがらせた。
彼女は激しく抵抗を続ける。
きっと、顔に火傷を負ってしまったので、ぼくだとわからなくなってしまったのだろう。
「落ち着け……ミレア……ミレア……」
ぼくは彼女の腰に手を回し、抱きついて、その耳元に優しく語りかける。
「もう、不気味な男は、ぼくが倒した。ぼくたちは助かったんだ」
彼女は悲鳴をあげて暴れ続けている。
すぐ近くで叫ばれると正直つらい。でも、ぼくは放さない。だって、彼女を愛しているのだから……。
「この顔の火傷の事なら心配はいらない。凄く痛いけど……君のせいじゃない。ぼくは、怒ってなんかいないよッ! ミレアッ!!!」
すると、ようやく、ぼくがあの男ではないと気がついたのか彼女がおとなしくなる。
「ミレア……?」
「**********」
「え……?」
その瞬間、世界が粉々に砕け散った。
ミレアが唖然とするぼくの腕を振りほどいた。
そして、こちらを向いて、その言葉を発した。
「*********!!」
すると不気味な男が深淵より現れ、ぼくの見てる前でミレアに酷い事をし始めた。
彼女を助けようとしたが、身体の自由が利かない。
「やめて……お願い、助けて……」
ミレアの悲痛な叫び声。
しかし、身体が思う通りに動いてくれない。
きっと、これは不気味な男の邪悪な魔力なんだ。
「ああ……ミレア、ミレア……ごめんよ? ごめん……ぼくは君の騎士になれなかった……ごめん……ごめん」
そして、不気味な男は、襤褸布のようになった彼女を沼地に沈めていずこかへ消えた。
あの怪物は、まだ死んでいなかったのだ。