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【09】狂気


 冒険者やめたぼくが、あの三十一番街の“秋風亭”に、ふらりと立ち寄ったのは数ヵ月前の事だった。

 何となく、かつて銀鷲騎士団がたまり場にしていた“南瓜頭パンプキンヘッド”に、良く似た雰囲気の店だったからだ。

 店内に入り窓際の席で、ひとりエールを飲んでいたら、彼らがやって来た。

 四人組で、まるでぼくだけがいない銀鷲騎士団に良く似ていたんだ。

 ぼくは窓硝子越しに彼らの事を観察しながら耳栓を外した。酒場に満ちたあらゆる音をかき分けるように、彼らの会話に耳を傾ける。

 彼らの仲はとても良く、まさに理想だった。

 それは、とても楽しい時間で、ぼくは一発で彼らの事を気にいってしまった。

 ぼくは近くに居住し、積み荷や建築現場の日雇いで働きながら、頻繁に店へと通うようになる。

 彼らを窓硝子越しに見て、その会話に耳を傾けているだけで、壊れかけだった――あるいはもう壊れていたぼくの心は癒された。

 そうするうちに、ぼくは彼らの言葉に相づちを打ったり窓硝子に映り込んだ鏡像に、語りかけたりするようになった。

 それを繰り返すうちに、どんどんと現実と妄想の区別がつかなくなってゆく。

 しまいにぼくは、彼らをかつての仲間だと思い込むようになってしまった。




「お前さんは、あの新米パーティに目をつけて、その自慢の耳で彼らがグレイヴ村へ行く事を突き止めてあとをつけた……」

 ルーミスと名乗ったドワーフは語る。

「金獅子遊撃隊が地下墓地へと向かう前日、グレイヴの宿屋で彼ら四人の他にも、宿泊客がひとりいた事はすでにつきとめている……それがお前さんだ」

 そう。そこでぼくは、知りたくもないミレアとブラウンの秘密を知ってしまった。

「それから、ゴブリン退治へと向かう彼らのあとをつけて、地下墓地の中で彼らを全員を殺害した」

 それは少し違う……と言おうとしたが、同じ事だと思い直して口をつぐんだ。

 なぜなら、彼らの死の原因となった暗闇をもたらしたのは、ぼくだからだ。

「お前さんの耳がどれくらい良いのかは知らんが、他の四人よりも暗闇では自由に動けるだろう」

 ギンベの角灯ランタンを割ったのは、ぼくだった。

 物陰からクロスボウの矢を射ち角灯ランタンを割ってしまった。

 だから、あの玄室で矢をつがえようとしたとき、一本だけ残しておいたと思っていた矢がなかったのだ。

「光さえ奪えば、赤子の手を捻るが如くだったはずだ。恐らく彼らを殺すために、照明を壊したのではないか?」

 少し誤解があるようだが、初めから彼らを死に至らしめようと、角灯ランタンを割った訳ではない。

 仲睦まじいブラウンとミレアの様子を見て、ほんの少しだけ驚かせてやろうと、思っただけだ。

 ブラウンとミレアの足元の地面を狙って「ごめん、手がすべった」と、笑って謝るつもりだった。

 それが偶然にも、狙いがそれて角灯ランタンに当たってしまっただけなのだ。

 故意ではない。

「……それから、彼女を沼地の畔で、もてあそんだあと、首を絞めて殺害した」

 そうだ。

 ぼくは不気味な男ブギーマンだったのだ。

 彼女の言葉で、その事を思い出したぼくは、彼女に酷い事をした。

 だって、仕方がないじゃないか。

 ぼくは、不気味な男ブギーマンなんだから……。

 不気味な男ブギーマンは怪物なんだ。

 怪物であるぼくが彼女に劣情を抱き、憎悪するのは当然なのだ。

 ぼくはミレアが大好きだからどんなに酷い事を言われても、ずっと彼女を愛していられる。

 でも、不気味な男ブギーマンならば別だ。あいつは怪物だから平気で酷い事をする。

 あいつは、ぼくだ。

 だけど悪いのはあいつだから、ぼくは悪くない・・・・・・・

 だから、ぼくが彼女に酷い仕打ちをするのは当然の事なのだ。

 だって、ぼくは不気味な男ブギーマンなんだから。

 ぼくのせいじゃないんだ……。

 そんな些細な事よりも、大切なのは、不気味な男ブギーマンに殺されたのはミレアではなかったという事だ。

 つまり、まだミレアは生きている。

 自分が人殺しの怪物だったという事実よりも、そっちの方がぼくにとっては重要で、とても嬉しい事であった。

 そこで、新たな謎が浮上する。

 本物のミレアは今、いったいどこに……?

 ミレアを探さなければならない。

 ここから抜け出して、今度は怪物などではなく、姫君を守る騎士として彼女の元へと馳せ参じるのだ。

 だから、ここで立ち止まる訳にはいかない。

 ぼくの純粋なこの思いは永遠なのだ。

「……ねえ。ミレアはどこ?」

 ぼくの問いに、アメリアとルーミスのふたりは暗い表情で顔を見合わせるばかりで、答えてはくれなかった。

 そして、ルーミスがまるで死刑宣告をするかのように言った。

「……今のおれの言った事が間違いだというならば、両手を見せてくれないか?」

 ぼくは己の両手を見詰めた。

 それは、あの沼地の畔で彼女をなぶった怪物の掌だ。

「最近、都で使われ始めた霊薬がある。これで、物に触った掌の紋を取る事ができる。フィオナ嬢の首にあった掌の紋と、同じかどうか比べさせて欲しい」

 ぼくは掌に落としていた視線をベッド脇の彼らに向けて言った。

「ぼくが……殺した。ぼくが彼女を殺した」

 するとアメリアが、その問いを投げ掛けてきた。

「何で、こんな酷い事を……」

 だから、そんなの決まっている。

「彼らが、あなたの事を笑ったから?」

 違う。そうではない。

 ぼくは答える。


「それは……ぼくが不気味な男ブギーマンだからさッ!!」


 そう言って、毛布をはね除けて、ぼくは勢い良くベッドの上で立ちあがった。

 ぼくはベッドの脇にいたふたりに向き直る。

 すると、その瞬間だった。


「こいつは、もう救いようがない!」


 ルーミスが肩に掛けていた奇妙な形の杖を構えていた。

 閃光。唐突に鳴り響く破裂音。白煙。

 鼓膜が張りつめ、世界から音が消える。

 胸に強い衝撃を受けて、ぼくは後ろに吹っ飛ぶ。

 そのまま窓を突き破り、砕けた硝子片と共に二階から白い雪の上へと落ちる――。

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