エピローグ なけなしの全賭け
あの襲撃の日から一夜が明けた。
魔導具屋の最後の営業では、フレオヴォルフや何人かの馴染みが来て別れを惜しんでいった。襲撃にもめげずに作った低級回復薬は見事売り切れ、その頑張りが無駄でなかったことを証明した。
ヴァルナルは陳列棚を棚ごと収納の魔導具に仕舞い込む。そしてペンダントのような小ささになったそれを、普段使わないものを纏めた鞄に入れた。
やおら立ち上がり、見回す。
いつもあった棚や机、貼り紙。そんなものが全く見当たらない店内は、ヴァルナルが知っているこの店とは思えないほど暗く、寂しい気がした。
「……よし、これで店の方は終わりだ」
暗い気持ちを吹き飛ばすように、ヴァルナルは少し大きな声で独り言ちる。
そのとき、二階からとたたた、と小気味良い足音が階段から降りてきた。その足音は確認するまでもなくテレ―シアのものだ。
「出来たのか?」
「うん、できた」
そう言うと、ヴァルナルを先導するように先を歩く。後ろ手に縛られた金色の房が歩く度に揺れるのが良く見えた。
狭い店内から居住場所の二階まで付いて行くと、大きな布のような収納の魔導具が並び、服を纏めたもの、日用雑貨を纏めたもの、食器を纏めたもの、とその種類ごとに分別され並んでいた。
「どう、これでいい?」
「よくやった、十分だ」
ヴァルナルがその金色の頭を撫でると、テレ―シアはにっこりと微笑んだ。
「そう言えば……あった」
「ん?」
その髪を触っったことでテレ―シアへの贈り物があったことを思い出したヴァルナルは、鞄から一つの魔導具を取り出す。
「ほれ。欲しがってた奴、作っておいたぞ」
そう言ってテレ―シアの手の上に置いたのは、蝶を模った髪留めだった。それは以前買い物に行ったときテレ―シアに作ってやると約束したものだ。
「おおー。覚えてたんだ」
「そう簡単に忘れんさ。……で、どうだ。あの店にあったのよりいい出来だろう?」
「うん、うん。きれいな青いちょうちょ。こっちの方がすごい」
喜びに目を輝かせたテレ―シアの答えに、ヴァルナルは満足気に頬を緩ませた。
「使い捨てだが魔導具としての効果もある、俺の魔導具屋としての最後の作品だ」
「そうなんだ。……ヴァルナル、ありがとう」
「ああ。……さてと、それじゃあさっさと片付け終わらせるぞ」
「うん!」
ヴァルナルは収納の魔導具を一つずつペンダント状の収納形態に変えてはテレ―シアに手渡し、テレ―シアはそれを二階の物を纏めた小さな鞄の中に仕舞っていく。それらを全て仕舞い終えると、二階も物が無くなり随分と広々としていた。
そして最後に忘れ物は無いか、二人一緒に備え付けの戸棚や衣装棚の中まで全ての部屋を確認する。
そうして全ての部屋の確認を終えたときに、丁度外から鐘の音が響いてきた。
「へいてんじかん、だね」
テレ―シアはアイナ姿に変身し、小さな鞄を背負っていた。その視線の先には魔導具屋として慣れ親しんだ玄関扉がある。
「ああ。これでこの店ともおさらばだな」
「じゃあ、北部にいくんだね」
「いや、北部にはまだ行かない」
「えっ」
「北部に行く前にすることが出来た。だから北部行きは後回しだ」
ヴァルナルは昨日の戦闘で、己の慢心を自覚した。一人のときとは違うのだと、守りながらの戦いには慣れていないのだと痛感した。
勝ちはしたが、それも相手の実力が低かったから。その内容はとても勝ったと誇ることが出来ない酷い戦いだったとヴァルナルは今でも思っている。
だが、そのことに今の時点で気付けて良かった。
――もし、相手がもっと強ければ。戦術魔術師や聖杖魔術師並の人間を容赦無く投入されていたらどうなったか。
最悪、テレ―シアを守り切れないこともあったかも知れない。この手からテレ―シアの命が滑り落ちていったかも知れない。首から血を流す彼女の姿が現実になっていたかも知れない――そんな「もしも」があり得る話だと気付いたとき、ヴァルナルは己が手を抜いていたことを後悔した。
今まで何度も目指した未来が手から滑り落ちていくのを経験していたのに、何をやっているんだ――そう、自身の不明を恥じた。
ヴァルナルは犬歯を剥き出しに暗く嗤う。
(……魔導具を与えたら大丈夫? 過保護? 奴隷には過分? 本当にあのときの俺は、何を悠長な事を考えていたのだ。過剰だろうと知ったことか。また失敗して後悔することに比べればどうと言うこともない!)
全部揃える。必要なものも、要るかどうか分からないものも、多分要らないけどあれば便利なものも、ありったけ集める。
幸い、ここは「欲望の都」遺跡都市エルサスだ。この街には全てがあるはずだ。金を叩き集め、全部手に入れる。自重も、惜しみも一切するものか。危険だろうが関わりたくない手合いだろうが、道義に反しようが構わない。人だろうと買ってやる。
まずは人手だ。人を、駒を集める。最低あと一つの駒があれば、守りつつ敵を牽制することができる。もっと駒があれば、採れる手段だって変わる。あの程度の敵に悩ませられることもなかった。
金だろうと矜持だろうと、何を差し出そうと構わない。だから、テレ―シアを守る力を手に入れる。
腹は括った。なら、後は止まらない。自重も体面も考えず、ただ前に進むだけだ。
「行くぞ。付いて来い」
ヴァルナルはテレ―シアに手を伸ばす。
「ど、どこにいくの?」
恐る恐るその手を掴むと、テレ―シアはおずおずと聞いてきた。
その臆病な姿に、かつての取引を思い出す。普段は冷静振っているが実は怖がりなこの童女を安心させようと、ヴァルナルは普段使わない頬の筋肉を精一杯使って笑みを作った。
「――お前を守れる場所だ」
ヴァルナルはそう言って、その小さな手を握り返した。
玄関扉を開けると、その向こうからは賑やかな喧噪が聞こえてくる。
遺跡都市の更に奥へ。
奴隷に落とされた小さな姫を守るため、その小さな手を引いてヴァルナルは足を踏み出した。