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奴隷令嬢を拾ったら  作者: 魂々
奴隷令嬢を拾ったら①
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第一章 魔導具屋と奴隷の童女

 既に日は沈み、通りを多くの人が賑やかに行き交う頃合い。ヴァルナルの魔導具屋のカウンターには二つの魔導具が置かれていた。


 一つは腕輪。もう一つは指輪だ。


 どちらも砂埃に塗れており、それが打ち棄てられた物だったというのが一目で見て取れる。


 それを持ち込んだのは、カウンターの向こう側に居る五人組の探索者達。


 いずれも達人の肩書を許された遺跡都市では中堅所のパーティで、パーティ名をフレオヴォルフという。


 そんな彼らだが、今日の探索中に遺跡第六界層で遺体を見付けたのだそうだ。


 遺跡で死んだ者の持ち物は拾った者の物となる――そんな探索者の権利に基づき、フレオヴォルフはその遺体が身に着けていた持ち物を回収した。その中に、この二つの魔導具があったということだった。


 とは言え、拾っただけでは魔導具は使えない。


 装身具型の魔導具はその核に刻み込んである魔術によって効果が変わる。込める魔術は人により様々で、定番所を選んで安定した効果を求めるか、奇を(てら)って一発逆転を目指すか、はたまたパーティの構成に合わせた特殊な魔術を選ぶかなどなど、千差万別だった。


 魔導師の魔術と違い詠唱を必要としない魔導具は、その即効性もあり、上手く使えば戦況を一変させることすらある。しかしながら、何の魔術が刻み込まれているか分からなければ、そんな魔導具を使うのは危険でしかない。


 どんな魔術が刻まれているかはその核となる部分を見れば分かるのだが、素人には見ても分からない。そのため、こうやって魔導具屋に持ち込んでは鑑定を依頼してくるのだ。


 ヴァルナルは最初に腕輪を手に取り、核となる部分を丁寧に拭き清める。


 術式は魔力を使って描かれるので、魔力を見るためのレンズを手に持ち、緑掛かった半透明な核の奥を覗き込む。内部で描かれた文字の並びからどんな術式が刻まれているかを読み解き、問題となる箇所が無いかを精査する。刻まれた線の位置から、形、線の太さ、他の文字との接触などが無いかまで、端から端まで注意深く。一本の線が滲んでしまっただけで使えなくこともあると言われている通り、魔導具は非情に繊細な物なのだから。


 一通り魔導具を精査し終わると、ヴァルナルは腕輪をカウンターの上に戻す。


 持ち込んできた五人組は気が気でないのだろう、ぐっと前に乗り出した。裁定を待つその顔には緊張が見て取れる。


「……刻まれている術式は<魔力強化(ブースト)>と<魔力回復力増進>の二つ。どっちも後衛向きだな。術式も綺麗なもんだ、これなら腕輪部分さえ直せばそのまま使えるぞ」


 その外見の汚さとは違って魔力の巡りは至って綺麗に整っていた。術式の欠損も無く、(きたな)らしい腕輪部分さえ耐えられるのなら少々補修すれば使える程だ。


「おおー」


「よしっ! これ私のだからな!」


 ヴァルナルの言葉で一斉に破顔する五人。自分の物だと言ったのは魔導師のヘレナだ。実際、この魔導具との相性が一番良く、彼女が使うのが最適だろう。


「腕輪部分はどうする、ヘレナ。 予算はどのくらいで作る?」


「予算じゃなくて素材で決めるわ。魔蝕(ましょく)銀なら幾ら掛かる?」


「魔蝕銀なら金貨5枚だな。納品日は十日後でいいか? これより早くとなると割増料金が要るぞ」


「ええ、問題無いわ。それでお願い」


 特に悩む様子もなく、ヘレナは即断する。


 魔蝕銀は銀を魔蝕させた物――魔物素材を加工した素材を使い、銀に魔力を帯びさせた物――で、魔力の通りが良い。高価な魔導具の素材として良く使われるが、その分値が張る素材だった。それを即決するとは、随分探索が上手く行っているようだ。


「店長、次! 次の見て、早く!」


「ああ、分かった分かった」


 僧侶の少女クラーラに急かされ、ヴァルナルはカウンターの上の指輪を手に取った。


 腕輪の核と同じように拭き清めると、こちらは赤い半透明の姿を現す。核の大きさは腕輪と同じぐらいだが純度はこちらの方が高いようで、透明度合いが若干高かった。


 レンズ越しに核の内部を覗き見る。刻まれた文字は先程よりも多かった。その中でも装身具から遠い文字に(かす)れや(にじ)みが目立つ。劣悪な環境に魔導具を放置したときにありがちの、よくある劣化だった。


 読み難かったり全く読めなくなってしまっている文字を繋げ、ヴァルナルはその刻まれた術式を想像する。複数の術式が込められていようと、基本的な構造は同じだ。関係する文字列の並べを特定し、区切ってやれば、あとはそれぞれで個別に解析するだけだ。


 先程よりずっと長い時間が掛かって解析が終わり、ヴァルナルは指輪を置きながら一息吐く。


「先に言っておく。こいつは壊れてる」


 その言葉に、フレオヴォルフの五人は一様に落胆した。分かりやすいその反応に苦笑しそうになりながらヴァルナルは続ける。


「だが、物は悪くない。付いてる効果は三つ。<腕力強化(ブースト)>、<火の属性付与>、それに<消費魔力軽減>だな。……<消費魔力軽減>が付いてるのを見ても、これは百年以上前の代物だな。今はもう廃れた組み合わせだが、使い勝手の良さは評価されてもいいと俺は思っている」


「えっ……本当に? 三つも術式付いてるの……?」


「ああ、間違いない」


 半信半疑から一転、歓声が店を覆った。


 急に発せられた大声に、ヴァルナルは反射的に耳を押さえる。特に少女組のキンキンとした高い声が耳に痛い。


(しかし、まあ無理も無い、か)


 ヴァルナルは彼らの反応に少しばかり共感する。


 術式が三つ刻まれた魔導具と言うのは、かなりの価値がある代物だ。下級貴族ならその家の当主が代々受け継ぐこともある。貧乏な家ではそもそも三つの術式が刻まれた魔導具を用意出来ないこともあるほどだ。


 魔導具は刻まれた術式数でその値段が一気に上がる。それと言うのも、装備出来る箇所――両手、両足、両耳、そして首の七か所――それぞれで一つだけしか使えないという魔導具特有の事情があるからだ。


 そんな理由もあって、装飾品型の魔導具には一つの核に複数の術式を込めたいと皆が思う。


 だがしかし、術式を刻み込む核には素材の質によって限界があるのだ。多くの術式を込めれるだけの良質な素材を得るためには、貴族並の財力か、或いは素材となる強力な魔物を狩る武力が必要となる。


 それ故、三つ以上の術式を持つ魔導具を得る機会など、普通に暮らしている平民には一生無いものだ。


 そんな平民たちが一攫千金を求めて、あるいは金に窮した下級貴族が家柄に相応しいだけの魔導具を求めて。彼ら探索者は遺跡に挑んでいる。


 そして、フレオヴォルフはそんな探索者の夢を引き当てたのだった。


「だがな――」


 フレオヴォルフの面々の喜びは分かる。しかしながら、ヴァルナルは熱狂する彼らに冷や水を投げ掛けざるを得ない。


「――このままだと<火の属性付与>と<消費魔力軽減>は使えないし、最悪暴発する。魔導具職人としては、このまま使うのは絶対に止めろと言わせて貰う」


 もしそのまま使って暴発すれば、酷い目に遭うのは目に見えている。魔導具屋として、それだけは絶対にさせる訳には行かなかった。


「……その三つの奴の修復料金って、どのくらい掛かるの?」


「紅金貨二枚から三枚と言った所だな。これをそのまま売るなら紅金貨三枚から高くても五枚くらいだが、修復したら紅金貨十枚は行くぞ」


 ヴァルナルの言葉を聞き、先程即決したヘレナでさえも苦い顔になっていた。


 この店の土地と建物が合わせて紅金貨二枚。それと同等以上の金額を捻出するのは順風満帆な中堅探索者とは言っても難しいのだろう。


 まあそうだろうなと思いながら、ヴァルナルは魔導具屋として助言をしようと口を開く。


「……だが、今の値段のほとんどは修復に必要な素材の値段だ。材料を自分で取って来るなら、手間賃だけでやってやるぞ?」


 彼らは運が良い。必要な材料を自ら取りに行ける探索者で、尚且(なおか)つ既に第六界層にまで進んでいる。


「第六界層の粘土蟻の毒袋と第七界層の溶岩亜竜の牙を取って来い。それさえあれば金貨十枚で直してやる」


 五人は視線を交え合った後、狭い店内で向き合って静かに話し合い始めた。お互い似たようなことを考えていたのか話し合いは円滑に進み、さほどの時間も要らずに決まった。


「その素材なら狙えそうです。少し時間が掛かるかも知れないけれど、当面はそれを目標にやって行きますよ」


 リーダーのフリッツが言った。目指す先を見据えたその目には強い光が宿っている。他の四人も同じだ。夢を追う探索者の力強い瞳だ。


 ――かつて夢を聞かれ、誇らしげに語った子供時代を思い出す。


 夢、希望、野心。そんな今の自身が無くしてしまったものを見せ付けられたようで、酷く(まぶ)しい。


「……じゃあ、鑑定はこんな所か。他に何か買っておくものはあるか?」


「――あ、ちょっと待って。幾つか欲しい物が」


「私も私も。今回の探索で結構使っちゃったし、先に行くなら色々持っておきたいし」


 堪らず話題を逸らしたヴァルナルの言葉に、女子二人は陳列棚の方へ向かってあれやこれや言いながら商品を選び出した。


「えーっと、あれはあるし、あそこ行くならこれは欲しい、うーん幾つだろう。取りあえず3つくらいかな。でもそーなると財布がきついなー」


「私はこれとこれ。はい、店長お勘定」


「銀貨三枚と銅貨二枚、丁度だ。まいどあり」


「ヘレナはやいー」


「あんたが遅いんでしょクラーラ。さっさとなさい」


「うー、分かってるよ。んーっと、これは絶対必要で、これとこれは出来れば欲しいもの。で、あっちは、うーん。でも……」


「これ長くなるパターンだ…」


 フリッツが苦笑する。ヴァルナルも釣られて苦笑した。


「しかし、そうなると何か話題が欲しいな。最近の噂はどんなのがある?」


 探索者というものは噂好きだ。命に関わるものから下世話な話まで、様々な噂を探索者は知っている。そうした情報の中には有益な情報も多いので、彼ら探索者の情報をヴァルナルも知りたかった。


「……そう言えば、そういや最近遺跡で奴隷を見ることが増えましたね」


「ああ、そう言えばそうだな。薬草を摘んでるのをよく見るようになった」


 フリッツの言葉にヴァルナルは遺跡で出会った奴隷たちを思い出す。普段遺跡で出会わない奴隷たちのことを、ヴァルナルも気にはなっていた。


「何か変な感じですよね。新人の探索者とかどこかの商店の丁稚とかなら見ることもありましたけど、武器も防具も何も持ってない奴隷を見るとは思いませんでした」


「ああやって薬草を採ってたなら、どこかで低級回復薬を売ってるはずだが。……探索者ならその辺の話は出てるのか?」


「それなら、レンナルツ通りの回復薬屋で低級回復薬の数が増えたって噂だぜ……あの店、安いし品数も多いけどさ、感じ悪いんだよね。奴隷を酷使してるって大分前に聞いたこともあるし、あそこって言われたら『あー』って納得だわ」


 そうおどけた調子で両手を広げるのは狩人のヨーゼフだ。人の輪にさっと入って来れる彼は情報収集が上手い。


「奴隷と言えど、せめて武装くらいさせて上げれば……」


「嫌な話だが、奴隷が使い潰されるなんてここじゃあ珍しくもない話だ」


「そうそう、店長の言う通りさ。お人好しなんだよ、フリッツは」


 寡黙な罠師のジークムントも同意を示すよう頷く。奴隷の使い捨てなんてこの街ではよくあることだった。


 ここ遺跡都市エルサスは帝都に次いで人が多い。商売の面だけで見るなら非常に魅力的な大都市ではある。


 だが、この遺跡都市は帝国で随一の闇の都という側面も併せ持つ。それは、この都市の別名にもなっており。


 曰く、金さえあれば何でも揃う「欲望の都」


 曰く、帝国中の悪党共の中心地「悪の聖地」


 曰く、人を食らう悪食の街「人食い都市」


 そしてその別名は、ほぼ事実の通りだ。


 遺跡都市は多くの弱者の犠牲の上に成り立っている。ヴァルナル自身もそのお(こぼ)れに(あずか)る遺跡都市の一員で、今更良い人の振りをするつもりはない。


「選び終わったよー。はい、てんちょー。酷いとか可哀想とか言っても、それで何かが変えられる訳じゃないしー。酷い使われ方をしてる奴隷なんて幾らでもいるからねー」


 幾つかの商品をカウンターに置きながらクラーラはあっけらかんと言う。冷酷なように聞こえるが、それはこの都市で生きる者にとっては当然の、(わきま)えた意見だ。


 勘定をするヴァルナルの横で、「参ったな」とでも言いたそうなフリッツが頭を掻いた。


「まあ、そう言われればそうなんだが」


「全部で銀貨五枚と銅貨七枚だ」


「はーい。ちょっと待ってね」


「あ、結局そうしたんだ」


 カウンターに並べられた商品を覗き込んだヘレナが(つぶや)く。「えへへー」と笑いつつクラーラは財布を漁り、銀貨六枚を取り出した。


「釣り、銅貨三枚だ。まいどあり」


「うん、まいどされました」


 クラーラのおかしな返事に皆がくすっと笑った。


 フリッツを中心に笑い合う彼らを見て、良く出来たパーティだとヴァルナルは思った。きっと彼らならそう遠くない内に念願を叶えてやってくるだろう。


「それじゃあ、他に買い忘れはない?」


「うん、大丈夫ー」


「私たちは今買ったばかりよ。そう言う男共はどうなの?」


「こっちは特に足りないもんもないし、お前ら待ちだったんだよ」


 ヘレナの言葉にヨーゼフが反応し、無口なジークムントが相槌を打つ。言葉は少しきついが、それも互いに飾る相手ではないからこそ。彼らの言葉の端々からは、確かな信頼関係があることが見て取れた。


「大丈夫そうだね。それじゃあそろそろ行こうか」


 そう纏めるフリッツに、他の四人は顔を見合わせると頭を軽く縦に振った。


「じゃあ今日はさようならー。お休みなさーい」


「んじゃ、またな店長」


「ああ、お休み。言うまでも無いと思うが、気を付けてな」


「ええ、分かってます。それではお休みなさい」


「じゃあ、お休み店長」


「……さようなら」


 口々に別れ言葉を言う五人に片手を振り、彼らが扉から出て行くのをヴァルナルは見送った。


 彼らのような客人とこういう時間を過ごすのは悪くない。落ちぶれはしたが、その中でも魔導具屋を選んだのは間違いじゃなかったと思う。そう思う瞬間が、ヴァルナルの中には確かにあった。




   ◆




 フレオヴォルフが魔導具を持ち込んで来た次の日の朝。


 ヴァルナルはいつものように店を閉め、遺跡第一界層の「森」へと来ていた。


 鬱蒼と茂った森の木々に分け入っては薬草を見付け、摘む。採取鞄一杯になるまでその繰り返しだ。


 ――薬草は低級回復薬の材料だ。


 客寄せにとヴァルナルも作っている低級回復薬は、その安価さもあって探索者には人気の商品だ。それなりの実入りがある中堅以上になると、ちょっとの傷でも惜しむことなく使うものだった。


 だがしかし、薬草の買取単価は安く、それを持ち込むのは探索始めの見習いくらいしかなかった。そして、探索者ギルドが買い取ったその数少ない薬草も回復薬店に優先的に回されているので、ヴァルナルは自分で薬草を摘むしかなかった。


 そうしていつも通りに「森」で薬草採取をしていたときに、ヴァルナルはあり得ない光景を目にしてしまった。


 ――その童女は、真っ赤に実った果実に手を伸ばし、もぎ取った。


 それは余りに非常識な光景で。ヴァルナルはつい眉間(みけん)を抑えてしまう。


「……おい小娘。その実は毒だ。食うんじゃない」


 それは知恵の実と言われる猛毒の果実。


 探索者たちに知識の重要性を教える教材にもなっているその果実に毒があることは余りに有名で。


 そのため、その果実を食べようとする者を見たのはヴァルナルも初めてのことだった。


「ッ!」


 童女は声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。肩に届かないくらいの青髪をびくりと震えさせ、驚いた様子でヴァルナルへと振り返った。


 その両手で毒果実を大事に抱え込み、童女はヴァルナルを睨む。自分の食事を取られるとでも思っているのかも知れない。


 ヴァルナルの忠告に気付いていない訳でもあるまいに、童女は何も言わず、(なお)も果実を手放さなかった。仕方無く、ヴァルナルは童女の元へと足を踏み出す。


「おい、聞こえなかったか? それは毒だ。だから食うな、さっさと捨てろ」


 近付くと、その小ささが一際目を引いた。その青髪の天辺がヴァルナルの胸にも届いていない。明らかに、遺跡に入るには早過ぎる。だが、その訳は貧相な着物に隷属の首輪という童女の恰好を見れば瞭然だ。主に命じられるがままに行動するしかない者――奴隷だった。


 ヴァルナルの忠告に、青髪の童女は何も言わなかった。代わりに、くぅ、と彼女の腹が鳴る。そんななりでも恥ずかしいのだろう、童女は腹を抑え、顔を赤らめながらヴァルナルの目を睨み付けてきた。


 にじり寄るも、童女はこちらに警戒しつつもその手を離さない。言う事を聞く気が無いのは明らかで、このままでは平行線だな、とヴァルナルは考えた。


 力ずくで取り上げることも出来るが、きっと自分が去った後で毒果実を食べるだろう。それでは助けた所で結果は同じ、全くの徒労だ。折角助けるのだから、せめて同じことはしないよう言い含めておきたい。


 そうして諦めさせるという条件を付けて考えると、代わりの物を差し出すくらいしか選択肢が無いことにヴァルナルは気付いた。


 見ず知らずの人間に自分の昼食を差し出すか、形だけ義務を果たして見殺しにするか。頭の中で二つを天秤に掛けるまでもない。


 ヴァルナルは嘆息し、採集鞄に入れていた昼食のサンドイッチを取り出した。


「ほれ、これをやる。だからそれを捨てろ」


「……いいの?」


 おずおずと、幼女はサンドイッチとヴァルナルの顔を見比べる。


「ああ、構わん」


「なんで、そこまでしてくれるの?」


「探索者の義務って知ってるか?」


 童女は首を(かし)げた。遺跡内での決まり事に通じている訳も無いか、と頭を掻き(むし)るとヴァルナルは簡単に説明することにした。


「遺跡に入る探索者には死にそうな奴は助けろって義務があるんだよ。無視したら酷い目に会う。だからお前が目の前で死のうとしてるのを見捨てられないんだよ」


 童女は「へー」と呟く。納得はしたのだろうが関心無さ気だった。


「分かったか。じゃあそれをこっちに寄越せ。替わりにサンドイッチをくれてやる。交換だ」


 ヴァルナルは幼女の目の前にサンドイッチを差し出した。口一杯に頬張(ほおば)ることを期待してか、童女は口を半開きにしながらおずおずと片手を伸ばした。


 そしてサンドイッチを手に取るともう一方の手で毒果実をヴァルナルの手に置き、すぐさま小さな口を懸命に広げ齧り付いた。


「おい、あんまり急いで食うと喉に詰まるぞ」


「……んぐっ」


「ほれ見ろ」


「こほ、こほっ……ん、だいじょうぶ」


「焦って食べるな。サンドイッチは逃げん。取り敢えず座ったらどうだ」


「ん、わかった」


 急いて一度喉に詰まらせた童女は、ヴァルナルの忠告を素直に聞き、近くの大木前の木陰で腰を下ろした。元は良家の出だったのか、その仕草に優雅さがあり、その貧相な恰好と合っていなかった。


 童女はもそもそと一心不乱にサンドイッチを()む。その隣にヴァルナルは腰を下ろした。


「なあ、お前の名は?」


「……テェ……こほっ…アイナ」


 アイナと名乗った青髪の童女は少し詰まりつつ答えた。


「アイナ、ね。で、お前さんの主はレンナルツ通りの回復薬屋か?」


 こくりと頷くアイナ。


「よく知ってるね」


「知り合いの探索者から聞いた。大勢の奴隷を遺跡に入れてる回復薬屋があるってな。で、どうして毒の実をすぐに離さなかった?」


「……おなかが()いてたから。薬草をとっても他の人に取られて、そうするとわたしの分の薬草がほとんど無くて。昨日の夕ごはんはスープも無くて、今日の朝ごはんだけだと全然足りなかった」


「取られたって、同じ奴隷にか」


「うん。おなじ奴隷でも、大きい人はずるくて悪い。小さいわたしは勝てない」


「そうか、酷い話だな。だが、ここじゃ有り触れた話でもある」


 アイナから向けられる視線に糾弾されているような感覚を覚えるのは、己が全うな人間だった名残りだろう。


 だが、偶々(たまたま)出会った奴隷一人に情を(いだ)くことは出来ない。義理や人情で人助けなんて考えられるのは、世間知らずだけの特権だ。他人の人生を憐んだ所で銅貨一枚も手に入る訳では無いし、むしろ情を抱く相手を間違えれば自分自身の足を踏み外しかねない。普段なら絶対にしないようなことに手を出し、結果、命や生活を失うことだってあり得る話だ。


 ヴァルナルの冷酷な言葉に、アイナは何も言わなかった。「助けて」と(すが)り付くこともなく、「人でなし」と罵倒するでもなく、黙々と小さな口でサンドイッチを食べていた。


 自らの境遇を受け入れているのか、それとも抜け出すことを諦めてしまったのか。その無反応さが童女の疲れを表しているように見えた。


 そのままどちらも何も言わず、もそもそとしたアイナの咀嚼音だけが響く。(たま)にある変化も木漏れ日の影が揺れるだけ。


 アイナが食べ終わるまで、そんなゆっくりとした時間が流れた。


「ごちそうさま。サンドイッチ、美味しかった。ありがとう」


 やがて食べ終えたアイナは立ち上がる。そしてぱんぱん、と地面に付いていた尻を(はた)いた。


「それじゃあね」


「もうあの実は食うなよ」


「ん、わかった」


 そう言って背を向けるアイナ。その後ろ姿を見て、ふと言い忘れていたことがあったな、とヴァルナルは思い出した。


「ああ、そうだ。言い忘れていた。さっきの探索者の義務だがな、助けられた側にも義務がある。助けた奴に相応の礼をすべし、ってな」


「えっ……でも、おかね持ってないよ?」


「んなもん見りゃ分かる。だからな、いつか返せ。言い忘れてたのはそれだけだ」


「……返すなら、名前を教えて」


「ああ、そういや名乗って無かったな。俺はヴァルナル。グレッツナー通りで魔導具屋をやっている」


「ん。ヴァルナル、おぼえた。いつか返す。いつになるか、わからないけど」


「ああ、期待しないで待ってるよ」


 アイナはうん、と小さく頭を縦に振った。ヴァルナルはその答えを聞くと、アイナに背を向けて歩き出した。


「じゃあね」


 背に投げかけられた言葉に、左手を軽く上げて返す。背後からは小さな足音が遠ざかる気配がした。


 この日から、ヴァルナルは遺跡内でこの小さな童女に度々出会うようになった。




   ◆




 遺跡都市でも閑静な西区画。露天商すら無く整った商店街は、どこかお上品な雰囲気さえある。昼前だと言うのに人通りは少なく、すれ違うのもどこかの金持ちの従者らしき人ばかりだ。


 雑多でどこにいても喧噪が聞こえて来る南区画から来ると、まるで違う街に来たかのよう。己が異物であるような居心地の悪さは、何度来ても慣れることは無い。


 ヴァルナルも出来れば来たくは無いが、その西区画の中心には商業ギルドの本部があった。毎月の納税や各種手続きなど、店を構えるに当たっては避けて通ることも出来ず、嫌々ながらも毎月通う羽目になっていた。


 今日の要件は納税だ。月末の締切間近になると混雑するのが分かっているので、月初めから半ばに納めた方が時間が掛からない。


 そうして商業ギルド前まで来ると、扉の側に一人の女性が立っていた。白服に青と銀をあしらったその聖衣は神殿の巫女の物だ。深く被ったフードでその目元を隠しているが、その輪郭は若い女性特有の柔らかそうな艶があった。


「どうか御喜捨(ごきしゃ)を」


 ギルドに入ろうとしたヴァルナルに巫女は頭を下げる。その声は流麗で、穢れを知らないかのよう。


 ヴァルナルは少し苦い顔になる。こんな所で神殿の者を見るとは思ってもいなかった。


「……今日は余り持ち合わせが無い」


 そう一言断りを入れ、ヴァルナルは数枚の硬貨を財布から無造作に取り出し、少女の手の上の小さな鉢の上に置いた。


「ありがとう存じます。どうか貴方様に主上のご加護を」


「祈りに感謝を。それでは」


 何とか巫女をやり過ごすと、ヴァルナルは商業ギルドの扉を(くぐ)った。入った直後は何事も無いよう歩いていたが、人の(まば)らな廊下を進む足は次第に早足になる。


 一階奥の事務室にまで行くと、ヴァルナルを見付けた一人の中年男が人好きのする笑みを浮かべ手を挙げた。


「よう、魔導具屋。ごくろーさん」


「よう、じゃ無いですよエーヴァルト二等商官殿。何ですかあの巫女は。いつから商業ギルドは神殿の出張所になったんですか」


「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。『ギルド前を貸して下さい』なんて美人の嬢ちゃんに言われたら許可してやるのが男ってもんだろ」


 屈託も無く笑うエーヴァルト。これでも彼はこの商業ギルドの副所長という肩書を持っており、ほとんど形だけの所長に代わり商業ギルドの実務を一手に執り行っている。


「職権乱用じゃないですか」


「いいじゃねえか。可愛かったろ?」


「確かに美人でしたが……」


「それに館内には入れてない。ペルトロワの二の舞は御免だからな」


 エーヴァルトは毒の無い顔でそう吐き捨てる。ペルトロワと言うのは帝国西方にある諸国群の中の一国で、元の国王の温情で城へ入れられた一人の神官が城主不在の間に国を奪って建国してしまったという壮絶な逸話を作った国だ。


「それに、金が無いなら断ればいい」


「勘弁して下さいよ。神殿に顔を覚えられたくありません」


 断るのは(まず)いと分かっているだろうに、にやつきながらそんなことを言うエーヴァルト。「寄付は善良な市民の義務」とは神殿の言で、断って万一顔を覚えられでもしたら、いざというときに神殿の奇跡――回復魔術を受けられなくなってしまうのだ。


「……で、幾ら取られたんだ?」


「財布の半分って所ですよ」


「どれだけ入ってたか知らねえが、結構毟り取られたな」


「ケチって回復魔術の手を抜かれるのは嫌ですからね」


「違いねえ」


 嘆くヴァルナルに、エーヴァルトは「はっはっは」と大仰に笑った。これで嫌味さが無いからこの人には敵わないな、とヴァルナルは思う。


 一見いい加減で遠慮の無いエーヴァルトだが、仕事面では有能で、とても頼りになる男だ。ヴァルナルも魔導具屋を始めるときには知らないことを多く教えて貰ったし、彼の紹介でザッツの鍛冶屋と言う大口の取引相手と渡りを付けることが出来た。


 エーヴァルトは一頻(ひとしき)り笑うと、「それで」と真面目な雰囲気になる。


「今日は納税か?」


「ええ」


「じゃあちょっと奥で話がある。……おーい、カテリーナちゃーん、魔導具屋の納税手続きしといてくれる?」


 呼ばれてきた女性職員に懐から税が入った小袋を渡したヴァルナルは、エーヴァルトに連れられ奥の部屋に入った。


「この部屋に来るのは久しぶりですね」


「ん? ああ、そういやそうだな。お前が店を構えたとき以来って言うと二、三年前か。何も分かってねえ癖にいきなり店を始めようなんて本当、馬鹿だったよな」


「そうやって揶揄(からか)うの、もう止めてくれませんか」


「ははっ、若いのを揶揄(からか)うのが大人の特権だ」


 悪戯に嗤うエーヴァルトに、ヴァルナルは(ほぞ)を噛む。恩人ではあるが、今では赤面ものの若気の至りをこうやって弄られるのは何とかしたかった。


 対面のソファーに促されて座ると、「で、だ。奴隷の話なんだが」とエーヴァルトはすぐに切り出して来た。


「遺跡に奴隷が入ってる話は知ってるな」


「はい。何人か()れ違いました。……彼らが何か問題でも?」


「いや、まだ起こしちゃいない。だが、ありゃあ時間の問題だぞ」


「……詳しく教えて頂けませんか」


「そう焦るな。……ああやって奴隷を遺跡に入れるって話は、最近は無かったが昔には何度かあったことだ。大体二十年前くらいか、俺が新人のときにもあった。だが、上手く行かなくてすぐに無くなった。その頃にも先輩が言ってたよ、『前にもこんなことがあった』ってな」


 エーヴァルトは重く一息吐く。その目は天井の一点に据えられ、思い出を見ているよう。


「何で上手く行かなかったか分かるか? 割に合わないんだそうだ。……低級回復薬の少ない利益は奴隷の飯代にしかならないんだとさ。作っても作っても利益が出ないんじゃ、結局やらない方が良いってことに普通は気付く。だがな、この街の連中は普通じゃあ無い。『利益が奴隷の飯代にしかならないなら、その飯代を減らしてもっと利益を出そう』って考えるんだとよ。……実際、そうやって二十年前も奴隷が使い潰されてその話は終わった」


 エーヴァルトは天を見詰めていたその目を下ろし、ヴァルナルの瞳を真っ直ぐに見据えた。その眼光は熱に溢れており、咄嗟にヴァルナルは唾を飲み込んだ。


「なあ、お前さんはこの話をどう思う?」


「……よくある話かと」


 実際に奴隷が使い潰されるなんて、この遺跡都市では珍しくも何とも無い。そう思ってヴァルナルは答えたが、エーヴァルトは呆れたように溜息を吐いた。


「分かってねえ。だから甘ちゃん何だよ、お前は」


 エーヴァルトは白髪混じりの頭を掻くと、ヴァルナルへ人差し指を突き付ける。その仕草には苛立ちが(にじ)んでいる。


「いいか、そう頭の中で分かってても、目の当たりにしたらつい助けてしまうって奴はいる。俺の見立てじゃあお前がそうだ。……お前さんはこのエルサスの中では真面(まとも)な方だ。それを自覚しておけ。じゃないといつか痛い目見るぞ」


「……それはどうも。ご忠告ありがとうございます」


 剣幕に押され、気の抜けた返事をするヴァルナルに、エーヴァルトは項垂(うなだ)れた。


「……なあ、魔導具屋。お前さん奴隷の一人と仲が良いんだろ? それなら手を回してさっさと引き取れ」


「……どこで、そんな話を?」


 これが本題か。エーヴァルトから出た予想外の言葉に、ヴァルナルは姿勢を正す。


「遺跡の中でお前が奴隷の少女と話してる所、何人かが見てるぞ」


 ああ、なるほど。ヴァルナルは得心が行き、頷いた。


「確かに、探索者の義務で一度助けた後は挨拶を交わすようにはなりました。ですがそれだけです。これ以上関係を深めるつもりはありません」


「ほお。助けたいとか手を差し伸べたいとか、そんなことは無いのか」


「ええ、ありません」


 断言したヴァルナルをエーヴァルトは胡散臭げに眺めた。「嘘を吐け」とでも顔に書いてあるようだ。だが、その言葉は飲み込まれたのだろう。それ以上の追及は無かった。


 コンコン、と扉が叩かれる。擦り硝子の向こうには先程税金を預けた女性職員らしき人影が見えた。やおら立ち上がるエーヴァルトに合わせ、ヴァルナルもソファーから尻を離した。


「まあ、お前さんがそう言うなら、良いだろう。……時間を取らせたな」


「いえ。ご忠告を頂けたことは感謝しています」


 エーヴァルトは扉を開け、女性職員から領収書を受け取りヴァルナルに差し出す。それを懐に仕舞うと、「では私はこれで」と頭を下げた。


「忠告ついでだ。入ってる奴隷は七名。最初は十名だったが半月足らずで三名死んだそうだ。心変わりするなら早いうちにしておけ」


「……変わりませんよ。今更、変えられません」


「難儀なものだな。頑固者め」


「ええ、でなければこんな所には居ませんよ」


 苦い顔のエーヴァルトにヴァルナルは開き直った。こればかりはどうしようもない。不幸な出来事が溢れるこの遺跡都市で暮らして行くには、見ない振りをするしかない。ヴァルナルは全てを救うなんて理想家でもなければ、助けられるものは助けたいと言う慈善家でもない。だからこそ、何事もなく遺跡都市で暮らして行けているのだ。


 去り際、扉の前で軽くもう一礼する。エーヴァルトは何も言わず、人差し指と中指を揃えて片手を振った。その何気無い仕草に酸いも甘いも噛み分けた渋い大人の深みが見て取れて、(たま)らなく格好良く見えた。




   ◆




 ある日のこと。


 どうも、とある大手の探索者クランが大規模な遠征に行くらしい――そんな噂が遺跡都市に一気に広まった。


 彼らは急に決まった遠征に、急いで物資の用意を始めたと言う。長期に渡って遺跡の奥深くへ潜る遠征は、その必要物資も桁違いに多い。「ちょっとあれが足りないから買ってこよう」なんて出来ないのだから、決して物資が不足しないよう、溢れんばかりの物資を持ち込んでいく。


 そんな遠征が急に決まったものだから、武器屋、回復薬屋、魔導具屋などなど、様々な店の商品を買い占める勢いで買い込んでいるらしい。余りにも大量に買い込んでしまったものだから、一般のパーティが買い物を出来ずそのクランに苦情が大量に舞い込んだ、なんて話もあると聞いた。


 そして、その被害――被害と言っても嬉しい被害なのだが――に遭ったのは、ヴァルナルの魔導具屋も例外ではなかった。


 いつもは数点売れるだけで、客寄せの低級回復薬以外には売り切れることなんてないのだが、その日はほとんどの商品が売り切れてしまった。


 珍しいこともあるものだ、とヴァルナルはがらんとした陳列棚に目を向けた。


 特に売れ行きが良かったのは強化(ブースト)薬だ。普段は余り売れず店の陳列棚を飾っている商品なのだが、店頭にある物だけで無く、在庫として置いてある分まで買い占めて行った。強化(ブースト)薬は消耗品型の魔導具では値が張る方だが、瞬間的に衝撃力を出したいときには非常に重宝する。探索に行くなら一つは持っておきたい魔導具だ。


 しかし、商品の補充が結構大変なのだ。なにせ、これも低級回復薬と同じく探索者ギルドに持ち込まれ難い素材が多く、ヴァルナル自ら取りに行かなければならない。


 普通の魔導具屋は装飾品型の魔導具の作成や修理なんかが中心で、消耗品型の魔導具は余り用意しない。欲しいなら素材を自分で持ち込め、と言うのが探索者と魔導具屋の常識だった。


 しかし、そんな常識が魔導具屋を始めたばかりの頃のヴァルナルには好都合だった。探索者ギルドでそれなりの経験を積んでいるので入手の伝手を探すまでもなく自分で取りに行くことが出来るし、魔物を狩るのだって生息地さえ分かれば後は簡単だ。


 後ろ盾も無い新規参入者のヴァルナルには、他の店と競合することのない自分の店の強味が喉から手が出る程欲しかった。だからこそ、多少手間が掛かっても消耗品型の魔導具を店に並べることを選んだ。


 そうして、そのまま店に並べ続けて今に至る訳だが。


「分かってはいるんだけども、面倒なものは面倒なんだよなぁ……」


 ヴァルナルは一人、カウンターに項垂(うなだ)れた。


 特に面倒なのが、これも一番良く売れた強化(ブースト)薬だ。強化(ブースト)薬は他では売ってないと言うこともあり強気な値段設定をしている。なので利益率は良いが、補充の際の面倒さも際立っていた。


 魔力や腕力を一時的に強化したり、火や氷と言った属性の魔力を武器に付与することによって戦闘を優位に進めることが出来る強化(ブースト)薬は、その素材となる魔物が特定の場所にしか生息しない希少な魔物だったり、探索者が避けて通るその界層の割に強い魔物だったり、変わった戦法を取る戦いにくい魔物だったりする。


 だからこそ、豊富な強化(ブースト)薬を店頭に並べている魔導具店は、遺跡都市の中でもヴァルナルの店だけだった。


 これを求めに来て、そこから馴染みとなった客もいる。ヴァルナルにとっても思い入れの深い商品なのだが、面倒なものは面倒だった。


「あー、うだうだ言ってても仕方ねえ。さっさと行って終わらせるか」


 ヴァルナルは勢い良く顔を上げ、外套を手に取る。やる気になったときに考えずに動かないと、いつまで経っても面倒だと愚痴を言うだけだ。そのままペンダントのような収納の魔導具を幾つかポケットに詰め込むと、採取鞄と護身用の長剣、そしてヴァルナルの主武装とも言える鉄槍を手に掴む。


 朝の閉店時間にはまだ早いが、どの道売る商品も無いので開く必要もない。そのまま手早く店仕舞いをすると、ヴァルナルは普段より早く遺跡へ向かうことにした。




 遺跡第一界層の「森」は、計三階からなる界層だ。ほとんど敵がいないが何も無い一階、一階よりは敵が多いが大したことが無い二階、獰猛(どうもう)な肉食の魔物が出没する三階となっており、三階からは第二界層の「荒野」へと続いている。


 ヴァルナルが向かうのは「森」や「荒野」の更に先だ。そうしていつも採取に来る二階を素通りしようとしたとき、三階への階段の前でばったりとアイナと出くわした。


「よう」


「……こんにちは」


 無表情を貼り付けたようなその顔はいつもと変わらない。サンドイッチを渡したあの日から「森」で何度か顔を合わせており、会えば挨拶を交わす程度の知り合いにはなっていた。


 とは言え、どちらも無口な方だからか、会った所で話すことは少ない。要件だけを話す何の面白味もない会話しかしなかった。


 いつもよりヴァルナルが来る時間が早かったからか、アイナの背の籠にはまだ少ししか薬草は入っていない。


 アイナの足は三階の階段へと向いていた。いつもの二階ではなく、三階へ行こうと言うのだろう。


「三階は止めとけ。奴隷には無理だ」


「そうなの?」


「ああ。探索者でも死人が出る階だ。これまでみたいに簡単に逃げ切れる所じゃない。お前が行った所で無駄死にするのがオチだ」


 第一界層の中で特に注意しなければならないのは三階だ。三階はそれまでの一階二階とは違い、素早く大きな敵が初めて襲い来る。小動物程度の大きさの敵に慣れた見習いにはその違いが殊更(ことさら)大きく感じるもので、不慣れな立ち回りから酷い目に遭いやすい。


 相手によって戦い方を変えると口で言うだけならば簡単なのだが、中々思う通りには行かないものだ。見習い探索者の鬼門と呼ばれるこの三階で、実際に多くの者がここで果てている。


 武器も持たず、しかも子供でしかないアイナには逃げることすら出来ないように思えた。


「分かった」


 アイナは素直に頷いた。ヴァルナルを信頼し切っているということは無いだろうが、最初に会ったときのように警戒している様子も無い。


「奥に行くの?」


「今日はちと遠出だ」


「じゃ、いつもの。今日はさきばらいしてほしい」


「……籠半分だからな」


 そして、最近はヴァルナルと取引することも覚えた。採取した薬草とヴァルナルが持って来たサンドイッチとを交換するのだ。


 最初は以前助けたときの礼として、「薬草を摘んで来たらどうだ」と何とは無しにヴァルナルが言った一言から始まった。最初の返礼分も返し終わり、今ではこうして遺跡内で取引を持ち掛けてくる。


 ヴァルナルとしても安価な癖に手間が掛かる薬草採取を楽に出来ればそれに越したことはない。籠半分は買い叩いている程でもないがサンドイッチの対価としては少し多めなので、十分利のある取引だった。


 どうせ他の奴隷に奪われるのなら、と主のためにより多くを持ち帰るのではなく自分のために使っているアイナ。他所(よそ)から連れて来られた童女もこの悪辣な遺跡都市に適応して行っていると言うことなのだろう。


 サンドイッチを催促するアイナに、「ほれ」と手渡す。まだ昼には早いからだろう、アイナはそれをその場では食べずに籠に入れる。


「いつもの場所でいい?」


「ああ、今日は遅いからそこに置いておけ」


「ん。わかった」


 いつもの場所、というのはヴァルナルとアイナが出会った毒果実前の大木の下のことだ。


 アイナがこの遺跡に潜るのは陽が傾く夕方前だから、ヴァルナルが「森」に戻る頃にはアイナはもう帰っており、直接の受け渡しが出来ない。ヴァルナルは良く会うことで定番の場所となったそこに薬草を置いておくように指示した。


「それじゃあな、もうこっちには近付くんじゃねえぞ」


 そう言うヴァルナルにアイナは少し口角を上げた。


「……何で笑うんだ?」


「わらってた? わたし」


「ああ」


 アイナは表情を動かさず、一見顔には感情が表れないように見える。だが、動かないのは目元だけで口元は結構動くのだ。


「わらってるつもりはなかった。でも、わらってたのなら、たぶん今日はこっちにきて良かったって思ったからだと思う」


「どういうことだ?」


「だって、あえない日はお昼ごはん抜きだから、こっちに来てなかったらあえなかった。今日はとくにお腹が空いてたから、あの毒の実でも食べたくなったの」


「おいおい、それは冗談でも笑えないぞ」


「ん。じょうだんじゃないから」


「冗談じゃなかったらいいって話じゃねえよ……」


 ヴァルナルは脱力して苦笑する。それに釣られてか、アイナも口元をほんの少し緩ませた。


 そうして少し笑い合った後。「それじゃあね」とアイナは(きびす)を返し、元来た道を戻って行った。


――その腕も、足も、出会った当初よりも痩せ細っているように見えた。


「……ほんと、笑えねえよ」


 ヴァルナルの呟きが、風に乗って消えて行った。


 出会ってからおよそ半月。たったそれだけの短い期間で、アイナは目に見えて分かる程衰弱していっていた。その間、あの童女は満足な食事が得られてないのだろう。あの言を見るに、ヴァルナルのサンドイッチが生命線だったとしてもおかしくはない。


『忠告ついでだ。入ってる奴隷は七名。最初は十名だったが半月足らずで三名死んだそうだ。心変わりするなら早いうちにしておけ』――そんなエーヴァルト二等商官の言葉がヴァルナルの脳裏に反響する。


 奴隷が不幸な目に遭う。そんなことはこの遺跡都市では良くあることだ。そうヴァルナルは自分に言い聞かせる。


 少しばかり知り過ぎたのだろう。その他大勢の不幸なら聞き流せても、知り合いの一人が実際に受けている不幸は、しこりのようにヴァルナルを(むしば)む。


 知った所で出来ることなど何もないというのに、良心の呵責は訴え続ける。


 深入りし過ぎた。そう理解しつつも、これ以上出来ることはない。ヴァルナルはアイナに言葉を返すことも出来ず、その小さな背が木々で隠れて見えなくなるまで見続けた。

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