第08話 それぞれの朝 前編
「学院長、恐らくこれが最後かと思われます」
ディクレイルは事務員が持ってきた封書を見る。その封書の形式は、昨日から何度も見ている物であり、その内容は容易に想像がついた。
「これでちょうど十通目か。今期の基礎課程マスタークラスはあいつを除けば20人。残ったのは、半分か。
思ったより残ったものだな」
どこか楽しげにディクレイルは呟いた。
「学院長は、もっと辞められると思われていたのですか?」
「そりゃなあ、あの年でエリート意識に凝り固まっていたような連中だぞ。あそこまで正面からボロ負けすれば、嫌でも目が覚めるし、プライドもずたずただ。そこから逃げずに立ち迎えっていうのは、大人でも難しいだろうよ」
「……学院の伝統であることは理解していますし、必要なことも分かります。
ですが、もう少し手心をくわえるわけにはいかなかったのですか?」
事務員の女性は、昨日からつい先程まで、心が折れて憔悴しきった生徒達が泣く泣く退学届を提出するのを見てきたのだ。思わず、口を出したくなったのも無理もないことであった。
「――君の仕事は何だ?」
だが、それに対するディクレイルの対応は辛辣であった。絶対零度の視線と冷厳な声音が事務員の女性を叩く。
「!!じ、事務員です」
「そうだ、君は彼らの教育に責任を持つ教師ではない。受付業務担当の事務員だ。
君の仕事は受付業務であって、それ以上でもそれ以下でもない。
何の責任も持たず教師ですらない君が、学院のカリキュラムに感情論で口出しすることなどあってはならないことだ。分かるかね?」
「は、はい、大変失礼致しました!」
自分が同情で、とんでもないことをやらかしたのだと気づいた事務員の女性は、慌てて頭を下げた。
「分かってくれればいい。退出してくれ」
「はい、失礼致します」
事務員の女性は一刻も早くこの場から逃げ出しかった。
踵を返して、足早に立ち去ろうとする彼女の背に、声が掛けられる。
「ああ、それから――今回は見逃すが、次はない」
ディクレイルは気さくで話の分かるトップだと思っていたが、それはとんでもない間違いであったことに、今更ながらに彼女は気づいたのであった。
「はあ、やっぱりこうなったか……」
休み明けの基礎課程マスタークラスの教室。自分以外、人っ子一人いないガランとした教室で、俺はぼやいた。
メロンパンの評判が良かったので、商品に入れる話が本決まりになりそうで、折角ご機嫌だったというのに、これでは台無しである。
もちろん、予想はしていた。あの年頃の少年少女が、正面からプライドを根こそぎへし折られて、平然としていられるはずがないのだから。彼らは自身が優秀であるという自負があっただけにそれは尚更だろう。
「まして見下していた俺が相手となれば、ダメ押しだよな」
はあ、思わず深々と溜息をついてしまうが、現実は何も変わらない。過ぎ去った過去は戻らないし、やってしまったことは無かったことにならない。現実とはかくも残酷なものだ。
「折角共通語をようやくマスターしたのにな……。話す相手がいなければ、意味ないつうの」
クラスメイトも含め、積極的に他者と交流しなかったのは、話す話さない以前の問題で、単純に言葉が分からなかっただけなんだというのに。
――俺は無口でも根暗でも、孤高でもなんでもないわ!
そう心中で叫んだところで、誰にも伝わらない。
いや、声に出したところで伝わらなかっただろう。
なにせ、誰もいないのだから。
「はあ、本当にどうしろって言うんだよ……」
結局、その日俺の言葉に応えてくれる者は現れなかった。
「酷い顔だ」
クレオは、鏡に映った自身の顔を見て呟いた。
あの屈辱の試験が終わり、部屋に逃げ帰ってから、ずっと泣いていたせいで、腫れぼったい顔になっていた。中性的な不思議な魅力もこれでは台無しである。
「まあ、ボクみたいな負け犬にはお似合かな」
今のクレオは、それをい見ても直そうと言う気力が湧いてこない。
四大属性を宿し、その全ての属性魔法を行使できる真正の天才。
それがクレオの自他共に認める評価であり、誇りであり、クレオという人格を支える柱であった。
「何が天才だ。何が最強だ。あいつに比べたら、ボクなんて!」
だが、評価は地に落ちて誇りは泥に塗れた。その支柱は、あのシン・レグナムに根元からへし折られてしまった。
多くのクラスメイトがそうであったように、クレオもまたシンを見下し嫌っていた者の一人だ。
これはクレオには、現状を自分の力で勝ち取ったという強烈な自負があったからだ。
クレオ・パンドラ、名門貴族の子女であるが、実は庶子であることはあまり知られていない。それどころか、彼女の母親は所謂一夜妻であり、本来貴族になることはありえないはずだった。
だが、生まれて間も無く判明したそのありえざる異才が、クレオの人生を狂わせる。
実母は、己が娘のあふれんばかりの才を自分では生かしてやれないことを悟り、決死の覚悟で実父に嘆願したのだ。当然ながら、妾ですらない一夜妻の実母が、子を認知してくれなどと嘆願することはルール違反である。
実母の嘆願は、本来なら通る事などありえないはずであったが、彼女が己が身を省みず真実娘の為に行動したことが幸いした。実父は実母の話を聞き、クレオの才能を確認した後、クレオを引き取り認知することを約束した。実母は生涯母であることを明かさぬことを条件にクレオつきの侍女となった。
ここまでならば、単にいい話に過ぎないが、クレオの才の凄まじさはここからが本番である。
さて、無事引き取られて認知されたクレオだったが、当然ながら正妻の子供達との折り合いは悪かった。今は重度のシスコンと言っていいマイオスも、それは例外ではない。家人なども同様だ。名門貴族の一員にどこの馬の骨とも知れぬ平民の娘が加わったのだから、血に誇りを持つ貴族的価値観からすれば、当然の反応であった。
しかし、それは魔法訓練が始まるまでであった。魔法訓練が始まり、クレオの才能が露になった時、その凄まじさに彼らは愕然とした。あまりに隔絶しすぎていて、嫉妬など抱くことすらできなかった。それほどまでの才能だった。
そして恐ろしくなった。その力が自分達に向けられることを想像して。子供とは無邪気で残酷だ。己に悪意を向ける者に、クレオが何らかの拍子にそれをしないという保障は無いのだから。
「ボクが一番だね!」
というクレオの勝利宣言を、誰もが認めざるを得なかった。そして、誰もが理解した。彼女の母親がなぜあんなルール無視の無謀極まりない行動をしたのか、その理由を。
この時以来、クレオは正式に末妹として認められ、正妻達にも受け入れられることになった。教育もそれに相応しいものがなされ、ただのクレオは、パンドラ家息女クレオ・パンドラとなった。
クレオは、最初に母の助けがあったとはいえ、自身の才覚で自らの居場所を得たのだ。彼女が自身の才能に溺れていき、自然と実力主義に傾倒していったのもやむをえないことであった。
自国の魔法学校に行かず、アルメイラ魔法学院に来たのもそうだ。学院の徹底した実力主義にクレオは否応無く惹かれたのだ。彼女は学院ならば、居場所を作れると確信していたのだ。
とはいえ、実のところ父親の巧みな意識誘導があったことをクレオは知らない。選んだつもりが選ばさせられていたなどとは、夢にも思っていない。
そうして、クレオはシン・レグナムと出会った。
座学最下位であるにもかかわらずマスタークラスに在籍し、実技と授業料を免除される特待生待遇を受ける学院長の秘蔵っ子。それでいて、クラスメイト達と積極的に交流もしないので、シンは否応なくクラスから浮いた。
クレオからしても、実力もないのに自分と同じ位置にいるシンは不愉快極まりない存在だった。それが嫌悪に変わるのに、そう時間はかからなかった。
だが、それは大きな間違いだった。
「実技免除されていたのは、あいつの実力がボク達とは違いすぎるからだったなんて……」
シン・レグナムは特別待遇を受けるに相応しい実力を持っていたのだ。
真正の天才であるクレオを含め、粒種揃いのマスタークラス全員を相手にして、無傷で勝って見せたのだから。
誰かが言っていたが、悪夢としか言いようが無かった。それは、はなから勝負になどなっていない一方的な蹂躙だった。
しかも、冷静に思い返してみれば、もっと最悪なことを彼女は気づいてしまった。
「レグナムの奴は、ボク達に一度として攻撃をあててないなんて!」
そのどこまでも救われない理不尽な事実を、天才であるが故にクレオは気づけてしまった。
シンが動いたのは、わずかに五度。内三回は回避ないしは迎撃で、攻撃と言えるものは二回だけだ。
あの凄まじい量のマナが込められた中空に描かれた爪撃。あれは本来、対象に直接あてるものであることを彼女は見抜いていた。
「ボク達程度、余波だけで十分だとでも言うのか!ふざけるな!ふざけるな!」
自分達を吹き飛ばした衝撃は、その余波に過ぎないなんて、どうして認められようか。
少なくとも、クレオのプライドはそれを認められなかった。
しかし、それが厳然たる現実だった。
「あの時のあいつの顔、あれは拍子抜けしている顔だった……思ったよりも弱かったと奴は思っていたんだ!
何よりもあの哀れみの目はなんだ!ボクはクレオ・パンドラ、四属性の天才なんだぞ!それをそこら辺の有象無象と同じように哀れむな!」
そう叫んでクレオが顔を上げれば、鏡の中の自分と目が合った。
鏡の中の自分は、叫んでいたのが嘘のように、これ以上なく怯えていた。何よりも全身が小刻みに震え、目の中には隠しようも無い恐怖が宿っていた。
「違う!こんなのは違う!これはボクじゃない!」
思わず渾身の力で、拳を叩きつける。兄から贈られた高価な姿見が、粉々に砕けて地に落ちる。
無意識で強化でもしたのか、幸い拳に傷はなく破片で怪我もしなかったが、クレオの心は全く晴れなかった。
「なんで、なんでボクはあの時、黙ってしまったんだ!
ボクはまだやれた!やれたんだ!」
思い出されるのは、シンの最後の問い。
「まだ、やるか?」と息切れ一つせず、無傷なままで投げ掛けられた問。
クレオも含めて、誰も答える事はできなかった。
「……分かってる、本当は分かってるさ!あの時、ボクはもう負けていたんだ。それどころか、恐怖していたんだ」
一昼夜泣き続け、悩み叫び、八つ当たりして、ようやくクレオは現実を受け入れたのだった。
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